第3話
「明日香さん。黒崎さんが、真由実さんを監視していたんでしょうか?」
僕は、車を運転しながら、明日香さんに聞いた。
「さあ、どうかしらね。阿部さんの話だけでは、なんとも言えないわね」
「もしも、黒崎さんが、まだ真由実さんに未練があったとすれば、どうでしょうか? それで、監視をしているとか――」
「――未練ね。明宏君だったら、新しい彼女がいるのに、前の彼女を監視したいと思うの?」
「えっ? 僕だったらですか?」
そんなこと、想像もしたことがない。
「僕だったら、そんなことしないですよ(たぶん――いや、絶対しないだろう)」
「まあ、普通は、そうよね」
問題は、黒崎さんが普通かどうかだけど。
それから、しばらく走ると、
「明宏君、ホテルが見えてきたわよ」
と、助手席の明日香さんが指差した。
あれか――ずいぶん立派なホテルだな。
僕たちはホテルに入ると、ロビーを見渡した。
「あ、明日香さん、すごく高そうなホテルですね。僕たち、場違いじゃないですか?」
立派な、とかいうレベルのホテルではない。なんだ、この高級ホテルは――
僕たちのような、トレーナーにジーンズの客など、当然ながら皆無だった。ホテルのスタッフたちも、『なんだ、こいつら?』という目で、僕たちの方を見ている――と、感じたのは、気のせいだろうか?
「明宏君。何を、キョロキョロしてるのよ。挙動不審よ。堂々としていれば、大丈夫よ」
と、明日香さんが言った。
「そ、そんなこと言われても……」
こんなところに来たことがない僕としては、緊張しまくっている。明日香さんは、どうしてこんなに落ち着いていられるんだろうか?
まるで、探偵事務所でコーヒーでも飲みながら、くつろいでいるかのようだ。
「僕には、敷居が高いですよ……」
「明宏君。このホテルで、何か悪さでもしたの?」
「えっ?」
どういうこと?
「まあ、明宏君なら、やりそうだけどね――あとで、辞書で、敷居が高いの正しい意味を調べてみるのね」
そこへ、
「すみません。こちらに、何かご用でしょうか?」
と、ホテルの偉そうな、50代後半くらいの紳士が話しかけてきた。
まずい! 僕たち、つまみ出されるんじゃないか?
「い、いえ……。僕たちは、決して怪しい者では――服装は、安物かもしれませんが、心は、最高級です!」
いったい、僕は何を言っているんだろうか?
余計に、怪しい――というか、危ないやつだと思われるだろう。実際、紳士は、ポカーンとした顔をしている。
どうか神様。今すぐ、ここから僕を消してください。
そこへ、
「どうも、
と、紳士に向かって、あいさつをした人物がいた。
それは神様――ではなく、
「えっ? 明日香さん? 知り合いですか?」
と、僕は、明日香さんに聞いた。
「これは、桜井様のお嬢様でしたか。大変、失礼いたしました」
と、宇佐見さんという紳士は、明日香さんに向かって頭を下げた。
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
と、宇佐見さんが言った。
「見ての通り、元気です。宇佐見さんも、お元気そうで。去年の、お正月以来ですね。こんな格好で、ごめんなさい。実は、急に、こちらで人と会うことになってしまって」
「そうでしたか」
どうやら、明日香さんと宇佐見さんは知り合いらしい。
「あ、あの――明日香さん、お知り合いですか?」
と、僕は再び聞いた。
「ええ。父と、このホテルの支配人の宇佐見さんは、古くからの友人なの」
このホテルの――支配人?
そんな、すごい知り合いがいたなんて。
僕は、一度も会ったことがないけれど、明日香さんのお父さんは、やっぱりすごい人なんだ。不動産業ということは、もちろん知っていたけど、想像以上に大きな会社のようだ。
明日香さんとお付き合いをする為には、その、お父さんにも気に入られないといけないのか……(その前に、明日香さんに気に入られないとっていう話だけど)。
「宇佐見さん。こちらが私の助手の、坂井明宏君です」
と、明日香さんが、僕を紹介した。
「そうですか。あのとき、お話されていた、お嬢様がお気に入りだという――」「ちょっと明宏君。何をボーッと、してるのよ。あいさつくらいしなさいよ」
明日香さんが、何故かあわてて、宇佐見さんの話を遮った。
僕は、緊張のあまり、宇佐見さんがなんと言ったのか、まったく分かっていなかった。
「坂井明宏です。明日香さんの助手をやっています。よろしくお願いします」
僕は、緊張しながら、あいさつをした(まるで、明日香さんのお父さんに、あいさつをしているような気分だ)。
「よろしくお願いします」
と、宇佐見さんと握手を交わした。
「お嬢様。それで、こちらで待ち合わせとは?」
「その前に、お嬢様っていうのは、やめてくれない?」
「分かりました」
と、宇佐見さんは、うなずいた。
「こちらのレストランで、黒崎淳さんという男性が、お食事をされていると思うんですけど」
と、明日香さんが聞いた。
「黒崎淳様ですね。確か、
「レストランは、最上階でしたよね?」
「はい。よろしければ、お呼びいたしましょうか?」
「そうね――」
と、明日香さんが考えていると、上階から降りてきたエレベーターの扉が開いた。
エレベーターからは、二人連れの若い男女が降りてきた。女性の方は、20代前半くらいか。見るからに、高級そうなスーツを着こなしている。
一方、男性の方は、こちらも20代前半くらいだろう。こちらも、高級そうなスーツを着ていたが、僕が言うのもなんだけど、正直あまり似合っているとは思えなかった。
「あちらが、清水様と黒崎様です」
と、宇佐見さんが言った。
なるほど。おそらく黒崎さんは、普段からスーツを着ているわけではなく、ここのレストランで食事をする為に、無理やり(かどうかは、分からないけど)着せられたといったところだろう。
「清水様」
と、宇佐見さんが、清水さんに話しかけた。
「あら、宇佐見さん。何か?」
「こちらのお客様が、黒崎様と、こちらでお会いすることになっているそうです」
「お客様? さっき、淳に電話をかけてきた人たちね――ちょっと、何、あの格好? あんな、薄汚い格好の人が、よくこんな高級ホテルに入れたわね。宇佐見さん、客を選んだ方がいいんじゃない? このホテルの評判が落ちるわよ」
と、清水さんという女性は、僕たちの方を見ながら言った。
すごく、汚い物でも見るような目つきだ。
清水さんは、顔や服は綺麗だが(明日香さんほどではないけど)、心は汚い人のようだ。
「こちらは、桜井不動産の、お嬢様の明日香様です」
「不動産? 不動産屋が、淳に何の用があるのよ? マンションでも売りつけるつもり?」
「いえ、お嬢様は、探偵業を営んでおられます」
「探偵?」
探偵と聞いた、清水さんの表情が変わった。
「ちょっと、淳。あなた、探偵なんかに何の用があるのよ? 私のことでも、調べさせてるの?」
「し、知らねえよ。俺が、頼んだわけじゃないよ。だいたい、会いに来るのが探偵だなんて、阿部先輩は一言も言ってなかったし――」
と、先ほどまで、明日香さんと清水さんのやり取りを、黙って聞いていた黒崎さんは、急に慌てだした。
「もしも、俺が頼んだんなら、お前がいるところで会うわけがないだろう?」
確かに、そういう状況で話しかける探偵もいないだろう(もしもいたら、とんだヘボ探偵だ)。
「お取り込み中、よろしいでしょうか?」
と、明日香さんが、二人に割って入った。
「私たち、人を探していまして。黒崎さんに、お話をお聞きしたいんです」
「どうして淳に?」
と、清水さんが聞いた。
「黒崎さんの大学の先輩にお話をうかがったところ、黒崎さんの知人だということが分かりましたので」
「ふーん。分かったわ――淳。私、あっちでコーヒーでも飲んでるから、さっさと終わらせちゃって」
と、清水さんは行ってしまった。
「明日香様。よろしければ、どこかお部屋をご用意いたしましょうか?」
と、宇佐見さんが言った。
「ありがとう宇佐見さん。でも、必要ないわ。ロビーで済ませるから」
「そうですか。それでは、私はこれで失礼いたします。お父様に、よろしくお伝えください」
と、宇佐見さんは言うと、仕事へ戻っていった。
「それにしても、あんたら、よくそんな格好で入って来られたもんだな。絶対に、追い出されると思っていたのに。まさか、支配人の知り合いとはね。最初から分かってれば、断ったのに――」
と、ロビーのソファーに座るなり、黒崎さんは言った。
どうやら黒崎さんは、どうせ僕たちがホテルに入って来られないだろうと思って、会うことを承諾したみたいだった。
まあ、僕自身も、追い出されると思ったけれど。明日香さんの知り合いの宇佐見さんが、たまたまいなければ、追い出されていたのだろうか?
「それで、探偵さんが、俺に何の用? こんなところまで、訪ねてくるなんて。まさか本当に、マンションでも売りつけるっていうわけじゃないんだろう?」
「黒崎さんは、清水さんとは、もう長くお付き合いされているんですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「えっ? 何だよ、いきなり。そんなこと、あんたたちに関係ないだろう――まさか、俺の身辺調査でもしてるのか?」
「いえ、純粋に興味があっただけです」
「純粋にね――あんた、おもしろい人だな。それに、よく見りゃ、あんた、かわいいな」
と、黒崎さんは、明日香さんの顔を、まじまじと見つめながら言った。
「それは、どうも」
なんだって? 明日香さんが、よく見れば、かわいいだって?
なんて、ふざけたことを言う男だ!
よく見ればだと! よく見なくても、明日香さんがかわいいのは、一目瞭然だろう。まったく分かっていない人だ。
僕は、事件とは全然関係ないことで腹がたってきた。っていうか、明日香さんを口説こうとしているんじゃないよな?
「ところで、そっちの彼は、なんで俺を睨んでるの? あんたの彼氏?」
と、黒崎さんが、僕の顔を見ながら言った。
「――違います。彼のことは、気にしないでください。たまに、おかしくなるんで」
と、明日香さんが言った。
しまった! また、態度に出てしまったみたいだ。気をつけよう。
「それで、清水さんとは、いつ頃から?」
「しつこいな、あんたも――まあ、いいや。今から、半年くらい前かな? 一人でバーで飲んでたら、紗弥加の方から誘ってきたんだよ。俺に、一目惚れしたらしい」
一目惚れか。まあ、好みは、人それぞれだからな。
「黒崎さん、おもてになるんですね」
と、明日香さんが言った。
ま、まさか、明日香さんまで一目惚れしたなんてことは……。考えすぎか。
「まあね。探偵さんも、俺に惚れたかい? 電話番号の交換しようか?」
と、黒崎さんは笑った。
なんだ、この人は。彼女がいるくせに。僕は、だんだんムカついてきた。
「ハハハッ。冗談だよ。それで、本当に聞きたいことは?」
「黒崎さん、赤井真由実さんという女性を、ご存じですよね?」
明日香さんは、本題を切り出した。
僕も、黒崎さんの表情の変化などを、確認しておかないとな。
「――真由実? ああ、もちろん知ってるけど」
黒崎さんは、少し動揺しているように見えた。やっぱり、何か知っているのだろうか?
「黒崎さんは、真由実さんと、お付き合いされていたんですよね?」
「ああ、そうだけど。もう、別れたよ。去年の、今頃だったかな。真由実が、どうかしたのか?」
「実は、真由実さんの行方が分からないんですが、黒崎さんは、何かご存じありませんか?」
「真由実の、行方が分からない? どういうことだよ?」
黒崎さんは、驚いているみたいだ。本当に、知らなかったのだろうか?
「私の妹が、三日前に偶然、真由実さんにお会いしたんです。真由実さんと私の妹は高校の同級生です。そのときに真由実さんは、探偵である私に相談したいことがあると言っていたそうです。妹とは、昨日、電話で話す約束をしていたそうですが、電話はかかってきませんでした。妹の方からかけても、真由実さんは電話に出ないようですし。黒崎さんは、何かご存じありませんか?」
「急に、そんなことを聞かれても……。もう、真由実とは別れたし――」
「別れてから、会ったことは?」
「ないよ。大学内で、見かけたことくらいはあるけどな。真由実は、俺の顔を見るのも嫌だっただろうからな。っていうか、行方が分からないっていっても、たった二、三日のことだろう? どこかに、旅行にでも行ってるんじゃないか?」
確かに、黒崎さんの言う通り、二、三日のことで騒ぎすぎなんだろうか?
「もちろん、そういう可能性はゼロではありません。ですが、真由実さんの様子からいって、そんなことは考えにくいんですよね。それならそれで、連絡はしてくるでしょうし。ちなみに黒崎さんは、金曜日の夜から昨日まで、何をしていましたか?」
「な、何だよ。俺を疑っているのか?」
「いえ、そういうわけではありません。黒崎さんだけではなくて、関係者全員にお聞きしていますから」
明日香さんは、関係者全員にと言っているけど、まだ誰にも聞いていないんだけど。
「何か、聞かれるとまずいことでもあるんですか?」
と、僕は聞いた。
やっぱり、僕も黙って聞いているだけでは、探偵として成長できない。積極的に、聞いていかねば。
「そんなことは、ないさ。金曜日は昼まで大学に行って、昼からは紗弥加と旅行に行ってたんだよ。二泊三日で、新幹線で北陸の方にな。帰ってきたのは、日曜日の夜だよ。嘘だと思うんだったら、紗弥加にも聞いてくれよ」
「分かりました。あとで聞いてみます」
と、僕は言った。
しかし、恋人の証言を鵜呑みにはできないが。
「黒崎さん。真由実さんの住んでるところは、ご存じですか?」
と、明日香さんが聞いた。
「そりゃあ、知ってるさ。付き合っていたときに、何度も行ってるからな。引っ越してなければだけどな」
「それは、実家の方ですか?」
「いや、実家の方は知らないな。真由実が、一人で住んでいるアパートだよ」
「そこの住所を、教えていただけますか?」
「住所か、ちょっと待ってくれ――」
黒崎さんは、携帯電話を取り出すと、真由実さんの住所を調べて教えてくれた。僕は、その住所を手帳にメモした。
「黒崎さん、まだ真由実さんの番号とか、登録したままなんですか?」
と、僕は聞いた。
「別に、いいだろう。消すのが、面倒なだけだよ」
まあ、そういう人もいるだろう。このことだけで、黒崎さんが真由実さんに未練があるとは言い切れない。
僕たちは、このあと、清水さんにも旅行に行っていたということを確認して、ホテルをあとにした。
僕たちは、ファミリーレストランで遅めの昼食を済ませると、黒崎さんに教えてもらった住所を頼りに、真由実さんのアパートに行ってみることにした。
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