第1話

「ふーん。監視か――なるほどね。だいたいのところは分かったわ」

 と、明日香さんは、真由実さんの写真を明日菜ちゃんに返しながら言った。

 明日菜ちゃんが持っていた、高校生の頃の写真だ。学園祭か何かで撮られた写真だろうか? 教室らしき場所で、明日菜ちゃんと真由実さんが制服姿で二人で写っている。人気モデルの制服姿の写真か――ファンにとっては、お宝写真かな?

「でも、どうでもいいけど、明日菜、あなた話が長いわよ。あなたが人気者だとか、スポンサーに気に入られているとか、そんな話はしなくてもいいわよ。だいたい、誰に向かって自己紹介をしているのよ」

「まあまあ、明日香さん。いいじゃないですか」

 と、僕は、明日香さんをなだめた。口では、こんなことを言っているけど、明日香さんは、自分を慕っている明日菜ちゃんのことをかわいがっているのだ。

「それで、真由実さんからの連絡がなかったから、私に真由実さんの所在を調べてほしいっていうこと?」

「うん。お姉ちゃん、お願い」

 と、明日菜ちゃんは、両手を合わせて頼み込んだ。

「明日菜が、依頼人っていうこと?」

「うん。依頼料は、私がちゃんと払うから」

「うーん……。妹のあなたからは、さすがにもらえないわよ」

 明日香さんも、優しいところがあるんだなぁ。と、僕は、しみじみと思った。だけど、たぶん年収は、明日菜ちゃんの方が上なんじゃないだろうか?

 明日菜ちゃんは、モデルを始めて三年目だけど。デビューしてすぐに人気者になって、テレビにもたくさん出ている。

 一方、明日香さんの方は。結構、月によってばらつきがあるのが現状である。

 場合によっては、一ヶ月まったく仕事がなかったこともある。ただ、この探偵事務所の家賃は、ほとんど不動産業の明日香さんのお父さんが出してくれている(というか、ここは明日香さんのお父さんが所有するビルだ)。

「実は、ここに来る前に、お父さんにも相談したんだけど。お父さんが、出してくれるって」

 と、明日菜ちゃんは笑顔で言った。

「なんで、お父さんに相談してるのよ?」

「昨日、写真を探しに家まで帰ったら、たまたま会ったから」

 今は、明日菜ちゃんも、お父さん所有の物件で一人暮らしをしている。

 そこから、どういう流れで、お父さんが出してくれることになったのかは分からないけど、明日香さんのお父さんが出してくれるのなら、経費も気にせずに使えるというものだ。しかし明日香さんは、お父さんに頼るのは、あまり好きではないらしい(このビルの家賃は除く)。

「――分かったわ」

 と、明日香さんはうなずいた。

 どうやら、頼りたくないという思いよりも、最近、依頼が少なくお金が入ってこないので、なんとかしたいという思いが勝ったみたいだ。僕の給料の面でも、とてもありがたい話だ。まあ、明日香さんは、そんなこと関係なく、明日菜ちゃんの頼みを断ることなんてないんだけど。

「明日菜、今日は時間があるの?」

「うん。今日は、お昼からだから」

「それじゃあ、もう少し詳しく聞かせて」


「名前は、赤井真由実。私の高校の同級生よ」

「私は、聞いたことがないわね」

「同級生とはいっても、一緒に遊んだりしたことは、ほとんどないの。でも、三年間同じクラスだったから、何度も話したことはあるわ。真由実は野球部のマネージャーだったんだけど。プロ野球が好きで、よくドーム球場に観戦に行くって言っていたわ」

「野球ね――私の苦手な分野だわ」

 明日香さんにも、苦手な分野があるのか。僕は、ちょっと嬉しくなった。

「僕、野球好きです。ちょっと詳しいですよ。インフィールドフライとかも、ちゃんと説明できますよ。簡単に説明すると、ノーアウトかワンアウトで、ランナーが一二塁か満塁で、内野にフライを――」

「明宏君――うるさい。口を挟むんだったら、もう少し意味のある話をして」

「ごめんなさい……」

 明日香さんに怒られてしまった。

 まあ、確かに。僕が野球が詳しいとか、この事件(事件かどうかは、まだ分からないけど)には、何の関係もないことだ。しかし、バントやライナーはインフィールドフライにならないっていうところまでは話したかったなぁ……。

 だけど、怒った顔の明日香さんも、かわいいなぁ。

 ここだけの話だけど、僕は明日香さんに恋をしている(本人含め、みんな知ってるけど)。しかし、明日香さんは僕のことなど、相手にしてくれないのである。

 明日香さんは、たぶん20代後半くらいだと思うけど、年下の僕なんかに興味はないのだろう……。それとも、身長169センチで、明日香さんよりも低いのが原因だろうか? 僕は、そんなこと気にならないんだけど。

 明日香さんは、自分の身長は168センチくらいと言っているけど、どう見ても明日香さんの方が僕より高いのだ。たぶん、明日菜ちゃんより少し低いくらいだろう。

 年齢のことは、がんばってもどうにもならないけど、なんとか身長よ伸びてくれぇ!

「明宏さん、背伸びなんかして何してるの?」

 僕は、明日菜ちゃんの言葉で我にかえった。どうやら、願望が行動に出てしまったみたいだ。

「い、いや、何でもないよ……。ちょっと腰が痛くてね。そ、そんなことよりも――明日菜ちゃんの方から、連絡はしてみなかったの? まだ三日だし、真由実さんの都合がつかなかっただけじゃないの?」

「それが、かけてみたんだけど、電源が入っていないみたいなの。それに、相手がストーカーだとしたら、心配で……」

「明日菜が電話をかけたのは、いつ?」

 と、明日香さんが聞いた。

「昨日の、お昼の2時頃と、夜にも何度かかけたんだけど。一度も、つながらなかったわ」

「真由実さんの電話番号は、変わってないの?」

 と、僕は聞いた。

「そんなことは、言ってなかったけど……」

「明日菜、真由実さんの住所は知らないの?」

「住所は、分からないわ。年賀状とかも出したことないし――」

「学校の、連絡網とかないの?」

「お姉ちゃん。最近は個人情報がどうとかで、そういうのはないのよ」

「そう。私が子供の頃はあったのに。時代の流れね……」

 と、明日香さんは、ため息をついた。

 いったい、明日香さんは何歳なんだ? 実は、僕が思っているよりも、ずっと上なんだろうか? いや、お兄さんが30代前半らしいから、それ以上ということはないけど――明日菜ちゃんも教えてくれないしなぁ。

 まあ、今はそんなことよりも、仕事だ仕事。

「明日菜ちゃん、誰か共通の友達とかいないの?」

 と、僕は聞いた。

「何人か聞いてみたんだけど、真由実に最近会ったっていう人はいなかったの。真由実は、どっちかっていうと、野球好きだから男の子の方と仲がよかったから。私は、男の子とは、あんまり電話番号の交換とかしなかったし。ただ、実家には住んでいなくて、都内のどこかで一人で住んでいることは分かったけど。でも、どっちの住所も分からなかったわ」

 まあ、今時、手紙のやり取りとかしないから、住所を聞くことなんてこともしないのかな?

「お兄さんとは、一緒に住んでいないのね」

 と、明日香さんが言った。

「そうみたい」

「お兄さんって、どんな人なんですか?」

 と、僕は聞いた。

「私も、詳しくは知らないんだけど。確か年齢は、4歳上だったと思うから、25歳かな?」

 僕と同い年か。

「今、何をしているとかは、分からないのね?」

 と、明日香さんが聞いた。

「うん。分からなかったわ」

「真由実さん、お兄さんには相談したのかしら?」

 お兄さんの方からたどるのは無理か――

「ストーカーは、いったい誰なんでしょうね?」

 と、僕は言った。

「分からないの。時間がなくて、そこまで聞けなかったから……」

 明日菜ちゃんは、聞かなかったことを悔やんでいるみたいだ。

「うーん……。誰なんだろう? 真由実さんも知らない誰かなんですかね?」

「明宏君、何を言ってるの? 知ってる人に決まってるわよ」

 と、明日香さんが、当然でしょうというふうに言った。

「どうしてですか?」

「真由実さんが、明日菜に最後に言った言葉よ」

 最後に言った言葉?

 しまった……。明日香さんのことを考えていて、そこは聞いていなかった。また、明日香さんに『明宏君は、探偵として緊張感がない』と、怒られてしまう。

「そうか――『昔は、こんな人じゃなかったのに……』って、真由実は言っていたわ。つまり、昔から知っている人っていうことね。そうでしょ、お姉ちゃん」

「そういうこと。明日菜、真由実さんが昔、付き合っていた人とか、あるいは真由実さんに片思いしていた人とか知らない? ただの友達でもいいわ」

 どうやら、明日香さんは、その辺りの人物が怪しいと考えているみたいだ。

「うーん……。ごめん、分からないわ。野球部だった人に聞けば、分かるかもしれないけど――」

「明日香さん、どうしますか?」

 と、僕は聞いた。

「まずは、真由実さんの大学に行ってみましょうか。明日菜、どこの大学かは分かるでしょう?」

「うん。分かるよ」


 僕たちは、明日香さんの軽自動車で、僕が運転をして、大学にやって来ていた。ちょっと道に迷って、もう11時が近い。

 普段から、基本的には僕が運転をしている。僕は、ちゃんと交通ルールを守って安全運転だ。

 しかし、明日香さんの運転は、とても荒い。安全の為にも、なるべく僕が率先して運転席に座るようにしている。

 ちなみに、明日菜ちゃんも免許は持っているけど、ほとんど運転はしていない。僕も、一度乗せてもらったことがあるけど――まあ、運転しない方がいいだろう。


「明日香さん、これからどうしますか?」

 僕たちは大学に着いて、真由実さんが今日来ているか聞いてみたのだが、分からないと言われてしまった。住所も、個人情報だからと教えてもらえなかった。やっぱり、今のご時世、仕方がないか。

「いっそのこと、鞘師警部に頼んでみますか?」

 と、僕は提案した。

「でも、まだ事件だという確証はないしね。21歳の大人と三日間連絡が取れないくらいじゃあ、警察も動いてくれないわよ」

 確かに、明日香さんの言う通りかもしれないけど――

「一応、電話をしてみます」

 僕は、鞘師警部に電話をかけた。

「もしもし。鞘師警部ですか?」

「ああ、明宏君か。何か用かい?」

 幸いにも、鞘師警部はすぐに電話に出てくれた。

 鞘師警部は、明日香さんのお父さんの大学の後輩の息子さんで、35歳の独身で身長185センチのイケメン警部だ。

「はい。ちょっと鞘師警部に、お願いがあるんですけど」

「なんだい? 探偵事務所をクビにでもなったのかい? 悪いが、警察では雇えないよ」

 と、鞘師警部は笑った。

「違いますよ。明日香さんが、僕をクビにするわけがないじゃないですか」

 と、僕も笑った。

「冗談だよ。しかし、すごい自信だな。本当にクビになっても知らんぞ。それで、何か事件かい?」

「実は――」

 僕は、今までのいきさつを話した。

「なるほど。事情は分かったけど、まだ三日だろう? もう少し、何か確証があればいいんだが――」

「そうですか……。分かりました」

「すまない。もし何か分かれば、また連絡をくれ。明日香ちゃんに、よろしくな」

 僕は、電話を切った。

「やっぱり、だめでした。何か分かれば、連絡をくれって」

「三年生の学生さんを探して、手当たり次第に聞いてみようか?」

 と、明日菜ちゃんが言った。

 手当たり次第といっても、いったい学生は何人いるんだろうか?

「あっ、あの人に聞いてみよう」

 と、明日菜ちゃんは、近くを歩いていた、女子大生らしき二人組の女の子たちに、駆け寄っていった。

 一人は、黒髪の女の子。もう一人は、茶髪の女の子だ。

「明日菜ちゃん! ちょっと、勝手に――」

 明日菜ちゃんは、僕の言葉など、耳に入っていないようだ。仕方なく、明日香さんと僕も、明日菜ちゃんに続いた。

「すみません。この大学の学生さんですか?」

 と、明日菜ちゃんが聞いた。

「はい? そうですけど」

 と、黒髪の女の子が言った。

「何年生の方ですか?」

「三年生ですけど、なんですか?」

 と、今度は、茶髪の女の子が言った。

 偶然にも、明日菜ちゃんが話しかけた女の子たちは、三年生だったみたいだ。しかし、女の子たちは、僕たちを不審な目で見ている。

 それはそうだろう。明らかに、この大学の人間とは思えない三人組が、急に話しかけてきたのだから。

「あの、この大学の三年生の、赤井真由実っていう人を知りませんか?」

 と、明日菜ちゃんが聞いた。

「赤井――真由実?」

「はい。この、右側の子なんですけど」

 と、明日菜ちゃんは、写真を取り出した。

「高校生の頃の写真なんですけど……」

「さあ……。私は、知らないわね。同じ三年生って言っても、大勢いるからね」

 と、黒髪の女の子が言った。

「私も、知らないわね」

 と、茶髪の女の子が言った。

「そうですか……」

 と、明日菜ちゃんは、がっかりしている。

 そのとき、

「あれっ? もしかして……」

 と、茶髪の女の子がつぶやいた。

「知ってるんですか?」

 と、僕は聞いた。

「知ってる! モデルのアスナでしょう?」

 と、茶髪の女の子が、明日菜ちゃんを指差して叫んだ。

 そっちか。

「あっ、はい。そうですけど――」

 と、明日菜ちゃんは、正直にこたえた。

「握手して」

 と、茶髪の女の子が、明日菜ちゃんと握手した。

「アスナって?」

 と、黒髪の女の子が、茶髪の女の子に聞いている。

「ほら、クイズ番組とかにも出てるじゃない」

「ああ! あの、おバカの――」

「えっ? ああ……、はい……」

 明日菜ちゃんは、おバカと言われたのが、少しショックだったみたいだ。

 しかし、明日菜ちゃん本人以上にショックを受けた人物がいた。

「あなたたち、おバカとは何よ! 失礼でしょ。明日菜は、おバカなりに、一生懸命やっているのよ!」

 と、明日香さんが怒り出した。女子大生たちも、驚いている。

「おバカは、おバカなりにね――」

「お姉ちゃん。そんなに、バカバカ言わないで……」

 明日香さんの言葉に、複雑な明日菜ちゃんであった。

「あっ! アスナがいる!」

「えっ? なんで?」

「本当だ! かわいい!」

 騒ぎを聞きつけて、他の学生たちが集まってきた。

「アスナ! サインして!」

「写真撮って!」

 これはまずい。大学内は、ちょっとしたパニックだ。

「ちょっ、ちょっと、私は違うわよ」

 明日香さんも、揉みくちゃにされている。

「明日菜ちゃん、一度、外に出よう」

 僕は、明日菜ちゃんの手を引いて、人ごみから逃げ出した。

「明宏さん。お姉ちゃんは?」

「明日香さんなら、きっと大丈夫ですよ」

 本当なら、今すぐにでも、愛する明日香さんを助けに行きたいところだ。しかし、今は明日菜ちゃんを連れ出さないと、さらにパニックになって、大学内で聞き込みができなくなる可能性が高い。

 僕は、明日菜ちゃんの手を引いたまま、駐車場まで戻ることにした。

「明宏君? 明日菜? どこにいるのよ!」

 大学内に、明日香さんの叫び声が響き渡った。

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