探偵、桜井明日香3

わたなべ

プロローグ

「ふぅ。寒くなってきたな」

 11月も終わりに近づき、東京も、どんどん寒くなってきた。

 僕は、いつものように、探偵事務所に出勤していた。

「いらっしゃいま――あれ? 明日菜あすなちゃんか。おはよう」

 今日は、早くからお客さんが来たと思ったら、明日香あすかさんの妹の明日菜ちゃんだった。

 明日香さんというのは、この探偵事務所の所長であり探偵の、桜井さくらい明日香さんのことだ。

 ちなみに僕の名前は、坂井明宏さかいあきひろ。年齢は25歳。明日香さんの助手である。

「お姉ちゃん、明宏さん、おはよう」

「明日菜、こんなに早くからどうしたの?」

 と、明日香さんが聞いた。

「お姉ちゃんに、相談があるの」

「相談?」

「先週の、金曜日のことなんだけど――」

 と、明日菜ちゃんは探偵事務所のソファーに座ると、三日前のことについて語り始めた。


「アスナちゃん、お疲れ様。今日も、よかったよ」

「ありがとうございます。お疲れ様です」

 私の名前は、桜井明日菜。年齢は21歳。身長は174センチと、女性にしては高いほうだ。自分で言うのもなんだけど、モデルとしてそこそこ人気者である。芸名は、カタカナでアスナだ。

 最近では、テレビのバラエティー番組やクイズ番組にも出演させてもらっている。

 私はクイズ番組などでも、真面目に解答をしているつもりなんだけど、何故か私の誤答に、みんな爆笑するのです。私は、真剣なんだけどなぁ。

 でも、共演者の方々やスタッフさん、そして何よりも、ファンのみなさんやテレビを見てくださるみなさんが、喜んでくださるのがとても嬉しいのだ。

 今日は、商店街でレギュラー出演させていただいているバラエティー番組のロケを、午後5時過ぎに、お笑い芸人さんと終えたところだ。

 今、私に話しかけてきた、ちょっと太めの男性は、この番組のプロデューサーの飯田いいださんだ。飯田さんは、40代後半くらいの、とても優しいプロデューサーさんだ。

「この前の放送も、評判がよかったよ。視聴率も高くて、スポンサーさんもアスナちゃんのことを誉めていたよ」

「本当ですか? 嬉しいです! でも、視聴率が高かったのは、私の力じゃなくて、共演者のみなさんやスタッフのみなさんのおかげですよ」

「うん。その謙虚な姿勢は、忘れないようにね。あいつみたいに、天狗にならないようにね」

 と、飯田さんは、共演者のお笑い芸人さんの方を指差した。コウタさんという芸人さんで(本名は知らない)、今年、お笑いの有名な大会で優勝をしたとかで、最近人気の31歳の芸人さんだ。

「あの男は、プロデューサーが来ているのに、あいさつもなしで何をやってるんだ?」

 コウタさんは、スタッフの若い女の子に声をかけまくっている。そういえば、ロケ中も、かわいい店員さんやお客さんばかりに、インタビューしたがっていたような気がする。

「アスナちゃん! これから、二人で食事でもしない?」

 私の視線に気づいたコウタさんが、笑顔で話しかけてきた。

「コウタさん、ごめんなさい。私、これから、雑誌のインタビューと撮影とかあるんで――(なくても行かないけど)」

「そんなこと言わないで、少しくらい時間あるでしょう? 食事もせずに、仕事しないでしょう? 同じカタカナの芸名同士なんだからさ。一緒に行くしかないでしょ」

 と、コウタさんは、よく分からないことを言っている。

「アスナちゃん、もういいよ。ここは私に任せて、次の現場に行っちゃって」

 と、飯田さんは言うと、コウタさんに歩みより、コウタさんの肩に腕を回し、何か耳打ちしている。

 すると、コウタさんの顔色が、分かりやすいくらいに青くなっていった。

 どうしたんだろう? 急に、体調が悪くなったのかしら?

「――や、やだなぁ、飯田さん。冗談が、キツイっすよ……。俺と飯田さんの仲じゃないっすかぁ……」

「私は、本気だけどな。だいたい、私の10年前の番組に、たまたま売れる前のお前が、数回出ていただけだろう? 私の汚点だな」

「――そ、そうだ! 俺も、これから撮影があったんだ。忘れるところだった。アスナちゃん、お疲れ様」

 と、コウタさんは言った。いったいコウタさんに、なんの撮影があるんだろう?

「お疲れ様です」

 と、私が頭を下げると、コウタさんは、飯田さんに頭を下げていた。

「アスナちゃん、再来週もよろしくね。こいつは、いないかもしれないけど」

 と、手を振る飯田さんに、再び頭を下げると、私はその場をあとにした。この番組は、一度に二週分収録するので、次は再来週である。


「明日菜、ちょっと時間が押してるから急ごうか」

 と、マネージャーの松坂まつざかさんが言った。松坂さんは29歳の独身で、身長180センチのイケメン(私のタイプでは、ないけど)男性マネージャーだ。

 松坂さんも、昔はモデルをやっていたそうだけど、数年前からマネージャーに転身したそうだ。

 私たちは、駐車場に向かって早足で歩いていた。駐車場に着いて、私が車に乗ろうとしたとき、一人の若い女性が話しかけてきた。

「明日菜!」

「えっ?」

「桜井明日菜でしょう?」

 私の本名をフルネームで知っている、この女性は――

「ごめんね。次の現場に急ぐんで、サインとか写真は、勘弁してくれる?」

 と、松坂さんが言った。

「あっ、いえ……、そういうことじゃなくて――」

「待って、松坂さん」

「早くしてくれよ」

「あなた、真由実まゆみでしょう? 赤井あかい真由実だよね? 高校で一緒だった」

 私は、その女性に見覚えがあった。

「うん。高校の卒業式以来だね。明日菜の出てる番組見てるよ。やっぱり、明日菜だったんだね」

「ありがとう。真由実は――大学生だっけ?」

「うん」

 と、真由実は小さくうなずいた。

「どうかしたの? 元気が、ないみたいだけど?」

 真由実は、高校時代は野球部のマネージャーで、元気いっぱいにグラウンドを走り回っていたイメージが強い。

「…………」

 真由実は、黙り込んでしまった。

「何かあったの?」

「――明日菜のお姉さんって、確か探偵だったよね?」

「お姉ちゃん? そうだけど――」

「お姉さんに、相談したいことがあるの」

「相談? 何? もしかして、彼氏の浮気調査とか?」

「――ううん」

 と、真由実は首を横に振ると、小さな声で語り始めた。

「――私、監視されているの。今は、いないみたいだけど……」

「えっ!? 男の人に?」

「――うん」

「それって、ストーカーなんじゃ――」

「そう――なのかな……」

 と、真由実は、はっきりとしない。

「お姉ちゃんに相談するよりも、警察に相談した方がいいんじゃないの? 私の知り合いに、鞘師さんっていう優しい警視庁の警部さんがいるから、紹介しようか?」

「警察は、ちょっと……。私も、そこまではしたくないの……」

 何か、警察沙汰にしたくない理由があるんだろうか?

「そうだ、真由実のご両親は?」

「二人とも、2年前に交通事故で亡くなったわ」

「えっ? そうだったの……。あっ、お兄さんは? 真由実、確か、お兄さんがいたでしょう? すごく優しくて、真由実を、かわいがっていたじゃない」

「うん。実は――」

 と、真由実が言いかけたとき、

「明日菜! 間に合わなくなるぞ!」

 と、松坂さんが、運転席の窓から顔を出して叫んでいる。

「ごめん、真由実。私、もう行かないと。私、明後日の日曜日がお休みだから、電話して!」

 私は、自分の携帯電話の番号をメモに書いて、

「これ、高校の頃と番号が違うから」

 と、破って真由実に渡すと、急いで車の後部座席に乗り込んだ。

 車に乗る寸前に、

「怖いの……。昔は、こんな人じゃ、なかったのに……」

 と、真由実がつぶやいているのが聞こえた。それが、私が聞いた、真由実の最後の言葉になるとは、そのときは思いもしなかった。


「さっきの女の子は、友達?」

 と、松坂さんが運転をしながら、私に聞いた。

「はい。高校の同級生です。友達っていうほど親しいわけじゃなかったですけど、同じクラスで、よく話したりはしていました」

「ふーん――かわいい子だったね。今度、スカウトしてみようかな? いや、でも、身長が足りないか……」

 と、松坂さんは、ぶつぶつ言っている。

 今の真由実の様子からすると、それどころではないような気がするけど……。


 私は、不安な気持ちを抱えたまま、仕事をこなした。そして、その不安は的中することになった。

 日曜日に、真由実から電話がかかってくることはなかった。

 そして、月曜日の朝8時過ぎ。私は、お姉ちゃんの探偵事務所にやって来たのだった。

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