22週目 やり残し
夏休み最後の月曜の朝。
あと数日で夏休みが終わってしまうという状況の中、俺たちは今週もいつもの喫茶店に集まっていた。
……場所は同じだけど、いつもと違う点が2つほどある。
一つは、
そしてもう一つは……。
「あのー……月ちゃん?」
「……なに」
「な、なんで今日は、その……ちゃんとしてるの?」
もう一つは、月ちゃんの姿だ。
今日の月ちゃんは、髪は整えられ目はぱっちりと開いており、服に至ってはいつもの制服ではなくおしゃれな私服だった。
一学期に一度だけ見た『本気モード』の月ちゃんである。
「…………」
「こ、今回はボタンもなにも壊されてないんだけど」
「別に、なにもなくたって、この格好をすることもある」
「……睡眠時間を削ってまで?」
月ちゃんにとってその恰好は『ただのおめかし』以上に特別に意味を持つ。
それは――用意のために睡眠時間が減る、ということ。
1日の大半を睡眠に費やす月ちゃんにとって、睡眠時間を減らすことは大切な意味を持つ。……どれくらい大切かはよく分からないけど。まあとりあえずすごいことなのだ。
そうでもなければ、女の子がおしゃれしてきた理由をここまで聞こうとはしない。
「
「会ってたけど……」
回答が来たかと思えば、なぜか昨日のことについての質問が飛んできた。
確かに俺は昨日、月ちゃんのお姉さんである
別にナンパとかデートとかそんなんじゃなくて、
ただ、月ちゃんにはそうは見えなかったようで。
「……なんで、お姉ちゃんとデートしてたの」
「いやだからさっき説明したよね!デートじゃないんだってあれは!!」
昨日俺と
「本当の本当に偶然なんだって!デートじゃないから!
「あの後、お姉ちゃんにもちゃんと聞いた」
あの後、というのは月ちゃんが俺たちのところに来た後の話だろう。
月ちゃんに急いで事情説明だけを行い、俺と
その場から離れたかったのは、月ちゃんに変に勘繰られたくなかったというのもあるが、ただ純粋に俺が
俺の目は人の欠点に敏感だ。そんな俺に欠点のない『完璧人間』である彼女の姿はひどく気持ち悪く写り、直視するだけで吐き気を催す。
……そんな彼女を、俺は月ちゃんとの出会いをサプライズされた驚愕から直視してしまった。
当然、その後の俺は一気に体調は一気に悪化。
せっかく月ちゃんと日曜日にも話せる機会だったというのに、俺はその奇跡を捨てて離脱するハメになった。
ちなみにあの人、俺が名乗ったところで妹から話を聞かされてた『
俺が離脱するまでの短い間にそのことをネタバレしてくれたが……やけにぐいぐい質問してくるなと思ったら、そういう裏があったのか。
……にしたって、俺に気付かれないように妹をファミレスに呼んで修羅場じみた場面を作り出そうとするとか、心臓に悪いんで本当にやめて欲しい。
「ちゃんと聞いてもらったんならデートじゃないって分かってるんでしょ……」
「……『
「げほっ!ごほっ!」
どこかで聞いたことのあるセリフを言われたせいで飲んでいたコーヒーが変なとこに入ってしまった。
げほごほがはっとせき込む俺に月ちゃんは冷めた視線を浴びせながら、なおも攻撃の手を緩めてくれない。
「『人と目を見て話すのが苦手なんですよ。特にあなたみたいな綺麗な人だと』」
「そ、それはそういう意味で言ったんじゃなくて!」
「『困りはしましたが、それも……嫌じゃなかった』」
「そんな溜めて言ってないから!かっこつけてないから!」
「『名前、本当に似てるね。運命感じちゃう』」
「それは俺じゃない!」
「『
「同じのを二回使うのは反則!っていうかもう勘弁してくださいお願いいしますなんでもしますから!」
机に額をこすりつけ許しを請う。
月ちゃんのルックスのせいでもともと人目を集めていた俺たちのテーブルは、俺の奇行のせいでさらに注目を浴びてしまう。
でもそんなの気にしてられない!これ以上やられると俺のHPが0になる!
「……なんでデートしてたの」
「だから違うんだってば俺の話を聞いて!」
だ、ダメだ。
情報伝達に悪意しか感じない。あの人、俺になにか恨みでも……あ。
「あ、あのさ月ちゃん。あの後、
「面白い子って言ってた。あと……」
「あと?」
「……初対面の女性に『あなたは俺の理想です』とかいう子だから、食べられないように気を付けて。って言ってた」
「やっぱりか!」
あの人俺のこと敵視してるんだった!
なにこの姉妹!なんで姉妹間で俺についての情報共有時だけ悪意というフィルターを通してるの!?正確な情報を伝えちゃいけないみたいな決まりでもあるの!?
「デート、デート、デート」
「小学生みたいに煽るのやめて!」
デートと口にするたびに手を叩くあたりが本当に子供っぽい。なのに声に張りがないから若干の不気味さもあるという誰も嬉しくない親切設計な煽り方。
何か今日の月ちゃんすごいめんどくさい……。
「もうデートでいいよ……」
「……………」
「俺のこと睨みつけながらコーヒーぶくぶくさせるのやめようか」
しぶしぶと言った様子でストローから口を離した月ちゃんは、サンドイッチのパン部分だけをちぎって食べ始めながら責めるような口調で俺に話しかけてくる。
「ずいぶんと、楽しそうに話してたね」
「あれが楽しそうに見えたの……?眼科行った方がいいと思うけど……」
「お姉ちゃんのこと口説いてたみたいだし」
「どっちかというと真逆の内容だったんだけど」
「あと、お姉ちゃんに抱きつかれて鼻の下伸ばしてたって」
「そそそんなことないから!伸ばしてなんてないから!!」
月ちゃんのねちねちとした攻撃に一個一個丁寧に突っ込んでいくが、月ちゃんはあまり聞いていないようだ。
……最後だけテンションがおかしいのは図星だったからじゃないよ?
「…………」
言いたいことを言い終わって満足したのか、月ちゃんは俺への問いかけをやめてサンドイッチをもしゃもしゃしていた。今はパン部分を食べ終わったので、フォークを使ってレタスだけ食べている。……パーツごとに食べる人初めて見た。
それにしても、どうして今日の月ちゃんはこんなに不機嫌なんだろうか。
夏休みがあと数日で終わるという現実が受け入れられずに周りに当たり散らしているとか?
それとも……。
「ねえ月ちゃん。もしかして今日の月ちゃんがずっと機嫌悪いのってさ」
レタス部分を食べ終え、コーヒーを飲み始めた月ちゃんに質問する。
あくまで可能性の一つだけど、もしかしたらってこともある。どうせ最初から機嫌が悪いのなら開き直ってガンガン理由を聞いていっちゃおう。
「俺と
「!? げほっごほっ!!」
「ちょっ!だ、大丈夫!?」
質問した途端、月ちゃんはついさっきの俺のようにせき込み始めた。慌てて机に備え付けの紙ナプキンを数枚を差し出すと、バッとそれらを一気に奪い取った月ちゃん口元をぬぐう。
「な、な、なんっ、なんで、そう思うの」
「俺と
「ち、違っ、いや、違ってはないけど、そのっ」
紙ナプキンで口元だけを隠しても、動揺と赤くなった顔は隠し切れない。
間違いなく俺の予想は大当たりだろう。いろんな人に『鈍感野郎』と罵られることの多い俺だが、やはりそんなことはない。これからは『敏感野郎』と呼んで……いやこれも呼んでほしくないな。
「まあ自分の姉とクラスメイトが自分の知らないところで知り合ってたら色々勘繰っちゃうよねぇ」
「か、勘繰ってなんてないもん!」
「はいはいそうですねー。……可愛いなぁ」
「……っ!!」
湯気が出そうなほど顔を真っ赤にする月ちゃんは、こう……嗜虐心がそそられる。
いかん……これ以上やると超えちゃいけない一線を軽々と飛び越しそうだ。
「なんで、曜くんはこの話で動じないの……!」
「え、いやなんでって言われても……」
月ちゃんも変なことを聞くものだ
この話題で俺が動じるところなんてないだろう。
だって。
「お姉さんが取られちゃいそうで嫉妬してるって話なんだから、可愛いとは思っても俺が動じることなんてないでしょ?」
俺が
そう考えればいろいろと納得がいくし、月ちゃんの態度も面倒ではなく可愛いと感じられる。
そんな俺の予想は、月ちゃんの反応からして的中しているはずなのだが……。
月ちゃんはどうして、急に瞳からハイライトを消したのだろうか。
「……曜くんは、どうしてそんなに鈍感野郎なのかな」
「月ちゃんまでそれで俺を呼ぶの!?鈍感じゃないよ!今だって月ちゃんの反応から見事不機嫌の理由を暴いて見せたじゃん!」
「…………はあ……」
呆れた様子の月ちゃんは、再びサンドイッチ解体作業に着手し始めた。
え、なんで俺失望されてるの?正解導き出したのに!
俺の出した答えなら昨日の今日で月ちゃんの機嫌が悪い理由に一番納得が行くし……って、あれ?
そうだ、俺の話したかったことってそこじゃない。月ちゃんの見た目についての問いかけが始まりじゃないか。
月ちゃんの格好がちゃんとしてることと、昨日の出来事が無関係とは思えない……。
でも、それだと『お姉さんが取られると思って俺に嫉妬したから』なんてのはちゃんとした格好をする理由になんてならない。
「月ちゃん。もしかしてさっきの俺の答えって、見当違いだったりする?」
「そこまでじゃない。あと一歩。あと一歩のところで真反対に進んじゃったようなもの」
「なるほど……」
そう声に出してみたものの、ぶっちゃけなにも理解できてない。とりあえずそう言っとけば失望されないような気がして言っただけだ。
俺の答えと近くて、正反対なもの……。
お姉さんを取られると思って俺に嫉妬したという答えの真逆で、けれど近い答え……。
……いやまさかそんなはずないって。それはありえないって。
そんな答え、ただの俺の願望だって。
確かにそれなら月ちゃんの態度にも格好にも納得いくけど、それは勘違いだって。
『鈍感野郎』はまだセーフだけど、『勘違い野郎』とかはアウトだって。
「……ギブアップ、ということにしておく」
「しておく?」
俺の答えが月ちゃんによってリピートされるが、俺はそれに対して答えない。
月ちゃんが『俺を取られる』と思って、『お姉さんに嫉妬した』だなんて痛々しいにもほどがある勘違いを一瞬でもしてたなんて、月ちゃんに知られたくないし。
「この話に関してはどれだけ考えても答えが出そうにないし。どれだけ考えてもこれっぽっちも分からなかったし、他のお話ししようか。夏休みの思い出とか」
「たくさん寝れた」
「……良かったね」
ま、まあ何を楽しいと思うかは人それぞれだ。俺がどうこう言うことじゃない。
「いつも通り、寝てばっかりの夏休みだったけど……こんなに人と話した夏休みは、生まれて初めて」
「……良かったね」
何を楽しいと思うかは人それぞれだけど、好きな人が自分のおかげで楽しいと感じてくれるのは純粋に嬉しい。
だから、さっきと同じセリフを違う感情を込めて呟いた。
もしかしたらそれは、月ちゃんじゃなくて俺に向けて言った言葉なのかもしれないけど。
「あと、お姉ちゃんと服を買いに行った」
「今まで一緒に行ったことないの?」
「お母さんが買ってきたものを適当に着るだけだったから」
「……中学までの俺みたいだね」
「ちなみに、今着てるのがその時買った服」
……なんだか、会話を誘導されたような気がする。
ちらっちらっと、視線を服と俺で行き来させる月ちゃんは、決して口に出して言いはしないけど……明らかに感想を求めてる。
そ、そこまで感想に期待されると言えるものも言えなくなるというか、とてもとても恥ずかしいというか。
「そ、そっか。それが
「うん」
めちゃくちゃ期待されてるよ視線がすごい痛いよ!
『可愛い』だけでいいのかもっと飾り立てた言葉を贈った方がいいのか、こういう経験がないから分からない!
いや、前に
俺がスパッツ好きだって知った上でそんなこと聞いてくるとかなんなんだよ俺のこと好きなのかよ。
ただ今回はあの時のような回答をするわけにはいかない。『すごく……良いです』とか気持ち悪い顔で答えるわけにはいかない……!
あんな顔して月ちゃんに気持ち悪がられるのも嫌だっし、とりあえずは王道でいこう。
「す、すごく……その……」
「…………」
「……可愛くて……好き、です」
……余計な言葉を付けてしまった気がする。
「そ、そ、そう。……好き、なんだ」
「う、うん……」
ちょっと前に、へたれ呼ばわりされたときのことを思い出す。もしかしたら雰囲気があの時と似てたから無意識的に『好き』って言葉が出てしまったのかもしれない。無意識が余計な仕事をしやがったのか……!
「ひ、曜くんは、夏休みどうだった?」
「お、俺!?俺は……しゅ、宿題が意外と大変だったかな!一週間とか目標を短くしすぎたよ、ははは!」
「そ、そうなんだ」
二人して無理やり空気を変える。
違う話へスライドさせたおかげで、俺たちの間に流れていた妙な空気も周りのお客さんからの冷めた視線もなくなった。冷たい視線はちょっと残っている気もするけど気にしなければないのと同じ!
「特に数学の宿題が時間かかってさ!あの宿題だけ答えを夏休み明けに配るとか言うから、自力でやることになって……俺は数学好きだからなんとか我慢できたけど、月ちゃんにはたまったもんじゃなかったでしょ?」
宿題の話で盛り上がって、そのままさっきまでのむずがゆい空気を完全に流しきってしまおう!
そう思い、わざとテンション高めに月ちゃんに話を振ったのだが……。
「……そんな宿題、私知らない」
月ちゃんの方は、テンション低く俺の話を聞いていた。
「え、ほら授業中に配られた10枚くらいの紙束あったじゃん。あの裏表全部にびっしり問題がかき込まれたやつ」
「……あれ、宿題なの?ただの嫌がらせかと思ってカバンにしまったまま……」
「……つまり、まったくやってない、と?」
甘い空気が恋しくなるほど、空気がどんどん冷たくなっていく。
あと月ちゃんの顔も青くなっていく。
「……月ちゃん、授業態度が最悪だからテストの点数と提出物でなんとかしないとって前に言ってたよね?」
「……数学は、テストもあんまりよくないから、提出物はかなり重要」
「じゃあ、その宿題やらないとだよね……」
「ちょっと、待ってて」
月ちゃんが急にカバンの中身を漁りだす。すぐにお目当てのものは見つかったようだ。
探していたのは……。
「……月ちゃん、定期なんて取り出して何する気?」
「宿題、取ってくる。手伝って」
「ええ……」
「……お願い」
俺が嫌そうな顔をした瞬間、月ちゃんが前傾姿勢になって上目遣いでこちらを見つめてくる。
……顔を赤くしてるってことは、その仕草がどういう意味を持つか分かってるってことだろう。
そんな打算の上で行われた仕草などにときめかないし、顔を赤らめて懇願するようにこちらを見るその瞳に心奪われたりしない。
いつも着てる制服よりもちょっとだけ首元の緩い私服を着てるせいでちらっと見えてしまった、胸の谷間とかにもまったくもって反応したりしてない。
だから俺が反射的に右手でOKのサインを出してしまったのは決して欲情したからとかじゃなくて純粋な優しさからなんです信じてください。
「……ありがと。取ってくる。家まで取りに行くから時間かかるかもだけど、待っててね」
「うん、いってらっしゃい……」
少なくとも往復で一時間ほどかかるとは思われるが、今の俺はさっきの月ちゃんの映像を脳内再生するだけで軽く半日はつぶせる。
いやー、いいもの見れて今日は最高――
「あ、そうだ」
入り口近く前行っていた月ちゃんが、なぜかこちらに戻って来ていた。どうやら俺に伝え忘れたことがあるらしい。
「『面白そう』って理由でお姉ちゃんが来るかもしれないけど、頑張って」
「待ってそれは頑張れないから!俺あの人マジで無理――無視して行こうとしないで!月ちゃん!戻って来て月ちゃぁぁああん!!」
夏休み最後の月曜の朝。
甘い空気を味わったり、いいものが見れたりと中々にラブコメのような時間を過ごしていた俺に与えられた試練は、食後の俺にはちょっと厳しいものだった。
……まあでも好きな子のあんなところが見えたのは、プラスマイナスで言えばだいぶプラスだけどね!!
月曜の朝って最高じゃないですか? リュート @ryuto000
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