EX6 完璧な日曜

日差しの厳しいとある日曜の朝。俺は少し離れた街へ遊びに来ていた。


電車で30分近くかかるこの街は、ショッピングモールや大型家電量販店があるため俺の家の近所に比べ人が多い。


こんな人が多くて鬱陶しい街にいったい何をしに来たのかといえば、『バケモノハンティング』の劇場版を見に来たのである。


まさか狩猟ゲームが映画化されるとは思わなかったので純粋に喜んでいたのだが……こういう映画って上映されるところがかなり限られるんだよなぁ。


俺の近所の映画館でやってくれたらなとは思うものの、好きなゲームが映画化されただけでもラッキーな方なのだ、これ以上望むのはバチが当たるってもんだろう。


……だなんて思ったのに、それでも『なんで近所の映画館はホラー系ばっかりなんだよ……』と少し愚痴ってしまったのがいけなかったのだろうか。


「いいだろお嬢ちゃん。散歩なんかより楽しいこと教えてやるからよ」

「そうだそうだ、カズちゃんのテクニックは本物だから安心しろって」


なんか、すっごい見覚えのある光景が目の前で繰り広げられていた。


「んー……いやいいかな、私はそういうの特に興味ないから」


正直、絡んでいる男三人の声には聞き覚えがあるし、なんなら見覚えもある。

ただ、前回とは違って絡まれている女性は知り合いではない。

……どこかで見たような気がなんとなくするけど、少なくとも話したことはないと思う。


件の女性は姫冠てぃあらのようにうろたえるわけではなく、淡々と応対していた。その様子から彼女がこういうことに慣れているのだと考えられる。


カズちゃん3人組は簡単に引き下がる気はないようで、どれだけ女性が簡素な反応しか見せなくても諦める素振りも見せず粘っていた。


「いいじゃねえかよ少しくらい!」

「お話しするくらいならいいんだけど……ごめんね、この後予定があるの」


その女性に本当に予定があるのかは定かではないが、どうやら女性側としてはことを荒立てる気はないようでこのままサラリと流していきたいらしい。


だというのに3人組は諦めない。


「待ち合わせってあれか?彼氏か?別に一回くらいすっぽかしても大丈夫だって」


……諦めが悪いなぁと呆れてしまうが、正直その気持ちも分からないでもない。

それくらい、ナンパされている女性は美しかった。


引き込まれる長い黒髪は、毛先までサラサラで風が吹くたびに涼し気にたなびき。

目を奪われるほどの美しい顔には、心を溶かすような優しい笑顔が浮かべられていて。

男なら反応せずにはいられないプロポーションの良さは、青系のトップスやスカートといったシンプルなコーディネートによりさらに引き立てられている。


そして極めつけは。


「あはは、そんなんじゃないよー」


その声。


不良に絡まれているというのに、怯えるわけでも媚びるわけでもなく、まるで友達と話すかのように寄り添う声は、聞いているだけで彼女が自分にとって数年来の友人なのではないかとすら錯覚させる。


目を奪われるような、目を逸らしたくなるような美しさ。


確かに、あんな女性に二度と会える日なんて来ると思えないし、彼らが必死になる理由もよく分かる。


……よく分かるが、それはそれだ。


嫌がっている……かはあの笑顔でよく分からないが、少なからず拒否している女性に無理やりアタックを仕掛ける行為は褒められたものではない。


人通りの多い歩道の上、誰もかれもが避けていく中で俺はその人ごみを縫うようにして彼らに近づく。


突然自分たちの前に現れた男に怪訝な視線を送る4人。女性にすらそんな目で見られていることに若干のショックを覚えつつも、俺はここに来るまでの短い時間でシミュレートした言葉を自然な調子で口に出す。


「おっまたせー!ごめんね遅れちゃって。じゃあ早速遊びに行こう――」


ナンパされている女の子の助け方の王道Ver2。


2と銘打ったところでアップデートもなにもされていないこれは、ぶっちゃけ姫冠てぃあらを助けに行った時と内容的には何も変わらない。


ただ、前回と違うのは女性が俺のことを完全に知らないということ。


もちろん俺も彼女のことなど知らない。だが、今回の目的は不良たちに俺たちが知り合いだと認識づけるだけなのだ、名前など適当にでっち上げたものでいいだろう。


そう、なんでもいい、適当に思いついたもので構わない。

例えば……例えば……なににしようか。


「まずはどこに行こうか――カズちゃん」

「え、俺?」

「…………」

「…………」


…………。


……その場で一人だけ名前知ってる人がいたら、その人の名前しか出てこないとかよくあることだよね?


***


昔、誰かがこう言っていたような気がする。


『失敗は失敗と認めなければ失敗ではない』


誰が言ったことだか思い出せないしぶっちゃけ誰も言っていなかったような気すらするが、俺が今思い出すのにこれ以上最適な言葉もないだろう。


そう、俺が今するべきことは……!!


「そ、そうだよカズちゃん。あれだけ駅前で待ってて言ったのにー」


失敗を認めず、嘘を本当にすることである。


「一週間前から約束してたのにひどいよカズちゃん!」

「いやいやいや、お前何自分の失敗に俺巻き込んでんだよ。今明らかに『あ、間違えた』って顔してたぞ」


どうやらカズちゃんは俺が以前ナンパを妨害したやつとは気づいていないらしい。そのためか無駄に冷静に俺の現状を理解してしまっていた。


……は、恥ずかしい!


「お、俺の表情から考えてることを当てるなんて……さっすが、小さいころから俺のことを見てるだけあるね!」

「見た覚えねえよ!お前とは初対面……あれ、でもお前どっかで……」

「あ、この近くでゴリラミュージアムやってるらしいよ、行こ?」

「お前あんときのアホかぁぁぁあああああ!!!」


ゴリラという単語に触発され、カズちゃんの忌まわしい記憶を呼び起こしてしまったらしい。


往来のど真ん中だということも忘れ、カズちゃんは額に青筋を浮かべながら俺に突っかかってきた。


「よく平然とした顔で俺の前に出てこれたなてめえ!!」

「ふはははは!ようやく思い出したかカズちゃん!そう、俺がさっきお前のことを呼んだのは言い間違いじゃない、その記憶を呼び覚ますための演技さ!!」

「いやそれは嘘だよね、思いっきりやっちゃったって顔してたよね」

「しししてないから!わざとだから!」


まさかの助けた女性からの突っ込みにうろたえる俺。

普通こういう時は援護射撃をするもんじゃないですかね。味方に裏切られて背後から撃ち抜かれた気分なんですが。


いいタイミングでのツッコミだったから許すけど。


「そんなことどうでもいいわ!お前、あんときのこと忘れたとは言わせねえぞ!」

「忘れた……?そんなわけないだろ!あの後、俺がどんな目に遭ったのか知らないのか!」

「し、知らねえに決まってんだろ。何があったっていうんだよ……」

「学年でもトップクラスの美少女お嬢様にお茶に誘われて、そのペットに懐かれて、最終的に家にお呼ばれすることになったんだぞ!どうしてくれる!」

「どうもしねえよ!羨ましい限りだなぁおい!」

「まあ待てカズちゃん、よく考えてみるんだ。これが本当にいいことなのかどうかを」

「いやいいことに決まってんだろ」

「……それが、ゴリラ扱いした相手でも?」

「…………」

「…………」


俺とカズちゃんの間に、正確に言えばカズちゃんの取り巻きも含めた俺たち4人の間に微妙な空気が流れる。


きっとカズちゃんたちも、あの時のゴリげふんげふん……姫冠てぃあらを思い出していることだろう。


「そういやお前、あいつをゴリラ扱いした上にチワワをなんちゃらケルベロスだとかほざいてたよな……」

「うん……その件でもいろいろあったよ……」


喫茶店の時点ではゴリラに対して怒られることはあまりなかったが、彼女の家に着いてからはリトルケルベロスのことも相まってそれはそれはもう……面倒だった。


怒鳴られるとかキレられるとかはないけどめっちゃ面倒だったし、なぜか姫冠てぃあらの世話役のじいやにすごい気に入られるし……。


なにより、俺が姫冠てぃあらを好きだとか勘違いされるし。

どうしてこうなった。


「……だからさ、もう俺に免じて今日は帰ってよ。このままだと俺もカズちゃんもまたゴリラエンドだよ?もうゴリるのは嫌でしょ?」

「そうだな――って!帰らねえから!なに自然に解散させようとしてんだよ!」

「ちぃっ!!」

「舌打ち隠す気すらねえのな!」


このまま流れでフェードアウトしてとっとと映画館にレッツゴーしようとしたのに、カズちゃんに目ざとく作戦に気付かれ阻止される。


人が嫌な記憶を引っ張り出してまで今の流れを作ったっていうのに……!


歯ぎしりしながら次の作戦を考える。


こんなところで諦めてなるものか、この前みたいに……いや、この前よりもくだらないノリと勢いで乗り切ってやる!


どうでもいい決意を固め、脳内でどんどん会話の流れを組み立てていく俺。そんな俺の顔を興味深そうに見つめる視線があることに今更ながらに気付く。


「あの……なにか?」


敵意と呆れを混ぜたようなカズちゃんたちのような視線とは違う、好奇心に満ち溢れた視線。それは、俺が今まさに助けようとしている女性からのものだった。


さっきまでは俺の後ろに立って俺とカズちゃんのコントじみた掛け合いを見ていたと思っていたのだが、今は俺の横に立って明らかにこちらを凝視している。居心地が悪いったらありゃしない。


こちらをまっすぐ見つめる瞳から逃れるように思わず顔を背けてしまう。


俺がそうやって彼女のことを視界から外した途端、俺の右腕がとても柔らかい感触に包まれた。

女性特有の柔らかさ、特に二の腕あたりに押し付けられる二つの塊は女性の中でも一部の人間しか持っていないものだろう。


えーと……つまり。

抱きつかれてる?


「ちょ、ちょっ!?」

「ごめんねお兄さんたち。実は私、この子と本当に遊ぶ約束してたんだ。また今後暇な時に誘ってね?」

「え、あ、ああ……」


俺があれだけノリで押しきろうとしても喰いついてきたカズちゃんが、この女性に優しく言葉を掛けられた途端に、まるで見えない力にでも押されたように一歩後ろへ下がった。


腕に抱きつかれている今の体勢からだと、必然的にその声は耳元で囁かれるような形で聞こえることになる。


甘く優しく、脳みその深いところへしっとりとしみこんでいくような心地いい声。

甘えたくなるような、委ねたくなるような音が緩やかに響く。


そんな、思わず聞き惚れてしまうような声だというのに――どうして俺は、鳥肌がたっているんだろうか。


「じゃあ行こっか」


何も言えないまま固まってしまっていた俺を、彼女は見た目にそぐわない力強さでぐいぐい引っ張っていく。やがて近くのファミレスの前に来たかと思えばそのまま――


「ま、待てよ!」


振り返れば、声をあげたのはカズちゃんではなくその取り巻きの一人だった。


雑な理由で振られたのが頭に来たのかなんなのか、怒る理由は山ほどあるので原因は探さないが、名前も知らない取り巻きAの彼はアスファルトを強く踏みながらこちらに近づいてくる。


「そこの女とゴリラ男!お前ら、さっきからカズちゃんを馬鹿にしすぎだ!」


……意外と友達思いな理由で怒っていたことに驚きつつも、彼がこちらの胸倉につかみかかろうとしていることに気付き身を固くする。


やばい、喧嘩じゃ勝てない。どうする……!


「えいっ」


どんな風に逃げればいいかを考えていた俺の隣から、そんな可愛らしい掛け声と……『どさっ!』という重い音が届く。


「は……?」


その声は俺ではなく、今まさに俺につかみかかろうとして――気づいたら、地面に抑え込まれていた取り巻きAくんの口から発せられたものだった。


「暴力はいけないよ、暴力は。そういうの嫌い」


Aくんは地面にうつぶせに倒され、腕もねじられて身動きの取れない状態になっていた。


数秒の間を空けて友人のピンチに気付いたカズちゃんと、もう一人の取り巻きが近づいてくる。それに対して女性は、特になにをするでもなくパッとAくんの腕を離して解放していた。


Aくんを一瞥してから、再度俺の腕に彼女は抱きついてくる。『そのプロセス必要ですか?』と俺に質問する間すら与えてくれないまま、彼女は今度こそファミレスの扉を開く。


「お、おい……」


カズちゃんは、呼びかけるだけでそこから先を何も言わない。

それに対し、女性は相変わらずの優しい笑みを浮かべながら、とろけるような温かい声で告げる。


「また今度ね?」


やだ、かっこいいこの人……。


***


「ありがとね。君のおかげで助かったよ」

「どっちかっていうと助けてもらったの俺なんですけど……」


二人で入ったファミレスは朝ということもあってか空いており、空席待ちをすることなく窓際の席に座ることができた。


四人掛けの席で向かい合うように座りながら、助けたんだか助けられたんだか分からない微妙な立場の女性と、俺は和やかに雑談中である。


カズちゃんたちとのイベントを強制終了させるためとはいえ、お店に入って席にまで座ってしまったのだからせめて一品くらい頼もうというお互いの見解が一致しての雑談だ。俺が下心を働かせて『おしゃべりしましょ!ね!』とか言ったわけじゃない。


というよりも、むしろ……。


「あの、この後予定あるんですよね?俺が適当に何か頼んで食べてるんで……えっと、あなたはそっち行っても大丈夫ですよ」


むしろ、彼女のことを体よく追い返そうとしていた。


自分でも理由は分からない。

けれど、脳内でこれまでにないほど警鐘が鳴り響いている。


だが、俺の中でどれだけピーピーとアラームが鳴ったところでそれが目の前の彼女に聞こえるわけもない。


「そっちは大丈夫だよ。……もう時間過ぎてるから」

「それ何が大丈夫なんですか!?」


どちらかというと俺よりも彼女の方がアラーム鳴る事態に陥ってんじゃないの!?と他人事ながら慌てふためく俺に女性は軽く手を振りながら補足してくれた。


「私が遅れたわけじゃなくて、向こうが多分寝坊しただけ。……こんなことならやっぱり一緒に家出ればよかったなぁ……」

「……あの、待ち合わせ相手って……?」

「妹だよ。私は私で見たいのがあったから先に出たんだけど……後で合流っていう予定は上手くいかなかったみたい」

「あ、あはは……大変ですね……」


意外と苦労してるみたいだ……というか妹さん頑張れよ……。


「ところで、さ」


場の雰囲気を切り替えるように、穏やかさの中に少しだけ固さを交えた声音で彼女がこちらを見た。


「どうしてさっきから、メニューしか見てないのかな?」

「……そんなことないですよ?」

「そう?気のせいだったら悪いんだけど……君、ファミレスに入ってから私を一度も見てないよね?」


それは気のせいなんかじゃない。まぎれもない事実だ。


正確に言えば、ファミレスの外で説明のできない悪寒に襲われたときから、俺は彼女の方を見ようとしていない。見たくないのだ。


理由なんて俺にも分からない。いや、一度理解してしまえばもう目を逸らせなくなるから分かろうとしないだけかもしれない。


「……人と目を見て話すのが苦手なんですよ。特にあなたみたいな綺麗な人だと」

「さっき、普通に見てなかった?」

「ソンナコトナイデスヨ」

「ふふっ、そこまで嘘が苦手だと面白くなってきちゃうね」


か、完全に見抜かれている……。


まあそりゃそうだろう。俺だって彼女の立場なら一瞬で見抜ける自信がある。そんな自信を持ったって俺の嘘の下手さが際立つだけなんだけど……。


「…………」


彼女が俺のことを見つめてきていることだけは見なくても分かった。


……彼女が俺をファミレスに連れてきて、その上帰ろうとしないのは妹さんの寝坊以上に俺のこの態度が原因か。


声を聞く限り、怒っているようには思えない。ただ純粋に、どうして会ったばかりの俺がここまであからさまに彼女を避けるのか知りたい、そんな好奇心からの行動だろう。


なら、俺が彼女のことを見て何事もなかったかのようにすればどうにかなるのか?


「……そんな凝視しなくてもいいですよ」


意を決して視線をメニューから外す。


机を挟んだ向こう側に座る彼女は、やはりちゃんと見つめたところでなにかあるわけでもない。普通の女性だった。


違和感は消えないが、気付かないふりさえすれば、どうとでもなりそうだ。さっきまで意地になってたのが馬鹿みたいに思える。


「あれ、ほんとだ。普通だね」

「目を見て話すのは苦手ってだけで、絶対無理だってわけじゃないですから。やろうと思えばあなたみたいな綺麗な人とだってこうして話せますよ」

「そっか。ごめんね、変に勘繰っちゃって。じゃあさっき不良くんたちから助けてくれたお礼と今のお詫びも兼ねて、ここはお姉さんが持つよ!……ちなみに、私勝手にお姉さんぶってるけど君いくつ?」

「15歳の高1ですよ」

「よかったー、私高2だからちゃんとお姉さんだったー!」


不安げにこちらを見上げてきたり、かと思えば満面の笑みで年の差を喜んだりと、ころころと変わる表情は見ていて飽きない。


声も表情も手足の一挙手一投足までもが親しみやすさで構成されているようで、一個上の先輩だというのに昔ながらの友達のような態度で接せられる。


「そういうことならお言葉に甘えさせてもらいますね」

「うんうん、たんとお食べ。常識的な範囲でなら奢れるくらいのお金は持ってきてるから」

「……そんなたくさん食べる気ないんで大丈夫ですよ。さすがにあなたにそこまで――」

ひかり、だよ。お日様の『日』って書いてひかり。せっかく仲良しさんになったんだから、名前で呼んで?君の名前も教えてくれると嬉しいな」

「……ひかるです。月曜日の『曜』でひかる。名前が似ててびっくりしてます」

ひかる……」

「どうかしましたか?」

「ああいや、本当に似てるね。運命感じちゃう!」


名前が一文字違いという奇跡にお互い驚く。ちょっとした警戒心が消えなかった俺も、さすがにこんな奇跡が起これば肩の力を抜いてしまう。


……そうだ、なにをそんなに警戒することがある。この人はこんなに気さくないい人じゃないか。


「そろそろ注文決めちゃおっか。メニュー凝視してたけどもう食べたいのは決まった?」


俺が腹が減ってるのを察してメニュー選びに切り替えた上に、さりげなく季節限定のメニューもこちらに見せてくれる気遣いっぷり。


この人のいいところはそれだけじゃない。


話し方、動き方、息遣い、視線の向かう先、手の組み方、髪型、造形、笑顔、接し方、その他諸々。


おおまかなものから、『そんなとこまで気にすんのかよ』といった細かなところまで、この人のどこをとっても欠点がない。


つまり、それは俺にとっては完璧な――


「……っ!」


――気づいた、気づいてしまった。


俺がこの人を見なかった理由。悪意や裏などなく、ただ純粋に俺のことを気にかけて食事まで奢ってくれたひかりさんに、心を許せない原因。


「どうしたの、ひかるくん?」

「な、なんでもないです……」


――この人は完璧だ。


なにもかもが俺の理想通りで、『そんなとこまで気にすんのかよ』ってとこまでそつがない。

だから、俺とは相性が悪い。


一度気付いてしまうともうどうしようもなかった。

さっきは普通に見れたというのに、もう絶対彼女を見れない。警戒せずにはいられない。


……ただ、これは完全に俺の問題だ。相手は悪くない、むしろ良すぎるくらい。

そんな相手に『相性悪いんで帰っていいですか』なんて言うほど俺は非常識じゃない。


だから俺は、さっきまでと同じように普通を装ってこの場をやり過ごし、最短で解散するという覚悟を決める。


これが今の俺ができるベストだ。


「俺はもう決めましたけど、ひかりさんはどうします?」

「私もひかるくんと同じのにするよ」


机に備え付けられたボタンを押すと、ファミレス独特の機械音が響く。注文を取りに来た店員さんにメニューを二人分で伝える。


ひかるくんは今日ここに何しに来たの?デート?」

「違いますよ。映画見ようと思って」

「……ここでご飯食べてていいの?」

「よっぽど長くいなければ大丈夫ですよ。普通にご飯食べるくらいの余裕はあります」


遠回しに『長くはいれない』『ご飯食べたらすぐ帰りたい』と伝える。

すごく小さいころの話とはいえ元々は『一人が好き』な性格だった俺だ、こういう相手に気を使いながら『一人にさせてくれ』アピールをするのは手慣れている。


このアピールは俺の数少ない特技の一つなのだが、月ちゃんに自慢した時は珍しく苦笑いされた。


「そっか、じゃあおしゃべりは短めにしないとね」

「そうしてもらえると助かります」

「じゃあさ、短めにってことだから、一個だけ直球で質問していい?」

「? まあ変なことじゃなければ」


そんな前置きをされると逆に怖い。ただでさえ相手を警戒しているというのに、これ以上警戒してしまったら不審がられてしまう。


不審がられるのは困る。絶対に理由を聞かれるが、その理由が失礼極まりないものだから相手に説明なんてできない。


頼むからそういう感じの質問だけは避けてくれ、スリーサイズとかならいくらでも答えるから!


「お姉さんのこと、警戒してる?」


……俺の祈りはどうやら神に届かなかったらしい。いや届いても俺みたいな信仰心の欠片もない人間の願いなんて即時却下だろう。


嫌悪感を抑えながら、普通を演じるために彼女へ視線を合わせる。……すぐに逸らすことになってしまった。


「ま、まあなんだかんだ言って初対面ですからね。そりゃあちょっとはしてるとも言えないこともないんじゃないですかね」

「ちょっとってレベルかなぁ。さっきは普通に私を見てくれたと思ったのに、またメニューを凝視し始めてこっちを見なくなっちゃうし。不良くんにはあんなにフレンドリーだったのに」

「カ、カズちゃんとはほら、二ヶ月くらい前からの知り合いですから」


嘘は言ってない。

二か月前に敵として知り合って、さらには今日まで一回も会ってないけど、嘘は言ってない!


嘘と真の境界線上を行く俺の発言に、疑わし気な視線を送り続ける。

そんな態度の一つ一つすら様になっていて、余計に気になってしまう。


「……なんか違うんだよねぇ……」

「なんかってなんです?」

「ああごめん、こっちの話。……ならさ、もう深くは聞かないから最後に私のことを十秒くらい見つめてくれるかな?ああ大丈夫、幻術とかかけないから」


だからその前置きが不穏なんだよ、とは言わなかった。


正直、どうして初対面の俺のことを詮索するのか知りたいとは思う。

初対面相手に警戒する俺と同じかそれ以上に、それは不気味だろう。


でも、そんな疑問ももうどうでもいい。たった十秒見つめるだけで、この居心地の悪い空気を壊せるのだ。


たった十秒、俺が頑張ればいい。

大丈夫、頑張るの得意だ。


「分かりました。それくらい余裕ですよ」


張らなくてもいい見栄を張ってしまうのは、弱気な心を偽るため。

どれだけ奮い立たせても『ただ相手を見るだけ』という行為が、俺の心をへし折ろうとするのだ。


だがもう覚悟は決めた。


勢いよく、顔を上げる。そして――


「……っ!」


――5秒と経たずに、視線を逸らしてしまった。


「……なにかしちゃったのか不安で聞いてみたけど、そんな顔されるとは思わなかったな」

「すい、ま、せん……」

「謝らないで?その顔しないために私を見ないようにしてたんだよね」


俺は気持ち悪くて吐き気を催したかのように顔を青くして口元を手で押さえていた。


本当に失礼極まりない態度だ。


「そんな顔させちゃった理由は、聞かない方がいいかな?」

「さすがに言いますよ……ひかりさんを見ないまま話していいなら」


こんな顔を見せておいて、説明もしないのは筋が通らないだろう。


一口だけ水を飲んで喉を潤す。

入店時に店員さんが置いていったものだったので、水はもうだいぶぬるくなっていた。


「本当にひかりさんには関係なくて、完全に俺の方の問題になっちゃいますけど……まあ、妹さんとの会話のネタにでもしてください」


水分補給もハードルを下げるための前置きも終わらせた。

しっかりと準備を整えてから、俺は話し始めた。


俺のコンプレックスの話を。


***


「俺の目は、人の欠点ばかりを捉えるんです」

「……欠点?」

「ここで言う欠点ってのは俺が気にしちゃうところって意味です。歩くのが遅いだとか、話す時の声が大きいだとか。そういうどうでもいいところが、人より気になっちゃうんです」


多分これは、俺がもともと一人で遊ぶのが好きだったからってのが影響してるんだと思う。


一人でいたときは他人なんて周りにいない。

完全な自由とまではいかなくても、誰かに合わせて生きていくということをしなくて済んだ。


だが、今の俺はそうじゃない。

人と話すのが好きで、人と遊ぶのが好きで、人といるのが好きだ。


……一人好きを貫かず、流れる時間に身を任せて周囲に迎合しておきながら、それでも昔の自分のことも十分理解できて、否定しきれなくて。


誰かといるのが好きなのに、誰かのせいで被る不自由には人一番敏感になって。


その結果がこの『目』だ。


話すときにどこを見ているか。

歩くときは右足からか左足からか。

呼吸の深さやスピードは。


『そんなとこまで気にすんのかよ』と言った細かな点が気になってしまう。

俺の理想と少しずれただけで、どれだけ小さくても『欠点』として見てしまう。


いつの日か、宝石じゅえるさんは俺にこう言った。


――アンタは、人のいいとこを見つけるのが得意なのね。


そんなことないと返した俺を、彼女は謙虚と笑ったけれど、そんなことはない。

俺の目はそんなにいいものじゃないのだ。


能力だなんてかっこいいものじゃなく、スキルだなんて大層なものでものでもなく、特技だなんて誇れるようなものでもない。


ただの『コンプレックス』だ。


「君の目のことは分かったけど」


俺の脳内解説がちょうど終わったところで、タイミングよく彼女が聞いてくる。


「それが、さっきの反応にどう繋がるのかな。もしかして、私に欠点が多すぎたとか?」

「いえ。もし欠点が多くてもあんな反応はしないですよ。欠点を気にするって問題自体は、『考えないようにする』ってことで解決してるんで」


『コンプレックス』は消えない。人の欠点はどうしたって見つけてしまう。

だから、見つけた欠点について考えないようにするという対処法をすでに編み出している。

非常にシンプルだが、だからこそ効果的。


……まあ、こんな無理やりな対処法のせいで、欠点を見つけてしまうこと自体は治る気配がないんだけど。どうしようか。


「欠点が多いことが原因じゃないなら、他になにが……」

「これは、別にひかりさんを口説こうとかそういうのじゃないんですけど」

「?」

「……ひかりさんは、俺にとって理想の女性なんです」


視界の端で、ひかりさんが少し動くのが見て取れた。

警戒したのか照れただけなのか、顔が見えないために判断がつかない。……前者だといいなぁ。


「欠点が一つもない。依頼したわけでもないのに俺の理想通りに動いてくれる。俺に都合よくいてくれる」

「だいぶ困らせた気もするけど」

「困りはしましたが、それも嫌じゃなかった。こんなことあるんだって俺も驚いてます」


ラブコメで『そんな気まずい沈黙さえ、俺には幸せに感じられた……』みたいな表現がよくあるが、まさにそれだ。

初対面の女性にそれを感じることになるとはさすがに思わなかったけど。


「これが普通の人ならあなたにプラスの感情を抱いたと思うんですが……俺の目には、欠点が見えないあなたはとても……その……」

「気持ち悪い?」

「……すいません」


正面を向けない今の俺が謝ったところで誠意なんて伝わるとも思えない。それでも謝らずにはいられなかった。


初対面の女性にこんな感情を持つだなんて、どれだけ失礼なことか。


たった一言の謝罪で許されるとは思えない。思えないけれど。


「そっか。それなら仕方ないね」


……ああやっぱり。あなたならそう言うと思った。


まるでタイミングを計っていたかのように、彼女がそれを言い終わったところで料理が運ばれてきた。


カルボナーラとサイドメニューのコーンスープ。

早く帰りたくて適当に選んだ品だったけど、こうして現物として目の前に出てくれば食欲をそそられる。


「お、いいタイミングで来たねー。さっきのことお姉さんは特に気にしてないから安心して。それじゃ、気持ちを切り替えていただきますしちゃおっか」

「……はい、ありがとうございます」


雰囲気を壊すべく、少しおおげさにいただきますを行う。

相手もいただきますをしたのを確認して料理を口に運ぶ。


「あ、今の話の続きになっちゃうんだけど、一個だけ追加で質問いい?」


一口目のパスタを飲み込んだところでそう声を掛けられた。

……毎回毎回、タイミングを計算しているんだろうか。


「なんです?」

ひかるくんって好きな子いるの?」

「な、なんで急に修学旅行みたいな質問を……?」


さっきまでの、(個人的には)とても重い話からの落差がひどく気の抜けた声を出してしまう。


思わずひかりさんの方を向きそうになった。


危ない、食事中にそれは本気で危ない……。


ひかるくんの話を聞いてると、普通の人には欠点を見付けちゃうし、私みたいに……理想的?な子には見てて心が痛くなるくらい嫌悪感を抱いちゃうみたいだし……」

「すいませんすいません本当に申し訳ないです」

「そこはもういいから。とにかく、そんな調子じゃ恋とかできるのかな……なんて、さすがにおせっかいだったかな?」

「……いや、その通りですよ。高校に上がるまでは俺は恋なんてできないと思ってましたから」

「その言い方ってことはつまり?」


続く言葉が分かっているだろうに、それでも俺に直接言わせたいのか俺に続きを催促する《ひかり》さん。


そんな彼女の期待に応えるように、俺は弾むような声音で続ける。


「はい、好きな人が出来ましたっ」


彼女の瞳を見てそう言ってから、自分が興奮のあまり彼女を見てしまったことに気付き慌てて視線を逸らす。


……一瞬だけ見えた彼女の表情はとても優しい笑顔で、それが無性に恥ずかしい。


「……幸せそうだね。その子のどこが好きなの?欠点が少ないとかかな」

「欠点は結構多いですよ」

「……ならどうして?」


俺はあの日のことを思い出す。


一目見ただけで欠点ばかりが目に写って、一度は自分の運のなさに絶望したあの日の朝を。


そして、そのあとに見たあの笑顔を。


「欠点を全部塗りつぶすくらい、笑顔が眩しかったんです」


俺はこんなだから、恋なんてできないだろうと諦めていた。


俺にとっての青春とは、友達と遊び、勉学に励み、部活動を頑張ることで……そこに恋が混じることはないと。


だが、彼女の笑顔はそんな俺の世界をぶち壊してくれた。


だってそうだろう?こんなこと想像できるわけがない。


欠点だらけなのに――それを全て受け止めてでも、手に入れたい笑顔が存在するなんて。


「そっか。……ちなみに、その子ってさ」


彼女の声が黒く聞こえた気がした。

けれどそれも一瞬のこと。次の瞬間にはさっきまでの通りの明るい声に戻っている。


……少しだけ、いじわるな音色なのが気になるけれど。


「今、入り口からこっちに来てる子のことかな?」

「は?」


彼女の口にした入り口に目を向ける。


突然何を言い出すんだろうか。こんなところにるなちゃんがいるなんて、いやそもそもひかりさんが俺の好きな人のことを知っているわけが――


「……ひかるくん……?」


こちらに歩いてくる少女は、寝癖のせいか髪がぼさぼさで。

着ているジャージはよれよれで。

寝ぼけたままここに来たのか口元にはよだれの跡が残っている。


なのにその姿を見るだけで、俺の心を幸せにしてくれる――


「る、るなちゃん……なんでここに?」


――俺の思い人、白川しらかわるなちゃんだった。


俺もるなちゃんも状況が理解できずに、視線を合わせたまま固まってしまう。


呆然としたまま声を漏らす俺の正面から、小さな笑い声が聞こえてきた。


「そういえば、ちゃんとした自己紹介がまだだったね。紅野あかのひかるくん」


ひかりさんは、名乗っていないはずの俺の名字を口にする。

自分のコンプレックスも彼女の完璧さも忘れて、思わず彼女を見てしまう。


真正面から、しっかりと、視線を逸らすことなく。


きっと俺は今日、この時初めて彼女を『見た』。


「万出高校2年C組、白川しらかわひかり


ああ、こうやってちゃんと見ていれば、もっと早く気付けたかもしれない。


どこかで見たようなって思ってたけど……。


「妹と、これからもよろしくね?」


――るなちゃんにそっくりだったんだ。

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