21週目 距離感
甘味に彩られた月曜の甘さ漂う朝の時間。
糖分が跋扈するカフェの端っこで、シュガーな雰囲気に包まれた席に俺たちは腰かけていた。
……ただの状況説明をこれだけスイーツに装飾したことからも想像できると思うけど、俺と
パラダイスと言っても月ちゃん専用で、俺にとってはどちらかと言えば地獄よりだったりするのだが。
「宿題、全部終わった記念」
そうやって満足げに微笑みながら目の前の地獄……ああいや、パラダイスの理由を話してくれる月ちゃんからは、幸福感と一緒に微妙な疲労も感じてとれる。
よほど宿題に苦戦したのだろう……そこまで体力を奪うものなんてなかった気もするけど。
というか先週の段階で自由研究以外終わってるぽかったけど。
「お疲れ。自由研究そんなに大変だった?」
「うん。研究対象の特定をされないように、人物像を意図的にあいまいにするのに、苦労した」
「研究対象って何!?まさか先週の本当にやったわけじゃ――」
「いただきます」
「無視!?」
被害者の言葉を聞き流しながら食べる月容疑者。
ただまあ、前回も見たけど一口食べるたびに月ちゃんは幸せそうに頬を緩めるわけで。
「……ゆっくり食べなよ」
なんかもう、見ているだけでこっちまで幸せになる。
……一緒に胸やけもしそうになるけど。
これを予想しておいてよかった。注文するとき、『今日はちょっと甘い飲み物行ってみようかな』とか思ったけど、その誘惑に負けてたら今頃本当に胸やけを起こしてた。
ほどよい苦味を感じさせるブラックコーヒーを飲みながら、月ちゃんを見る。
彼女の手と口が休むことはなく、手に握られたフォークには必ずなにかが刺さっているし、口はずっとなにかを咀嚼している。
それを見ると、どうしても前回と同じことを考えてしまう。
「……
これまた以前と同じように、俺の温かい視線から考えてる内容を当てて見せた月ちゃんは、しかし以前とは違う余裕の態度で胸を張る。
より強調された彼女の胸に一瞬……いや三瞬ほど目を奪われるも、なんとかしてこれを脱出。
さすがにこっち方面の思考内容は気づかれたくなかったので、無駄にキリッとさせながらできる限りのイケボで答える。
「前と違うって……なにかしてるの?実は服が10kgあるとか」
「そんな漫画の修行みたいなことはしてない。ただ、お姉ちゃんと外出する機会を増やした」
「ああ……それなら必然的に運動量も増えるか……増えるのか……?」
したり顔の月ちゃんに『その程度でどうにかなるの……?』なんて野暮なことは聞かない。
努力というのは過程を称賛するものではなく結果を見るものだけど、かといって過程を褒めるなというわけじゃない。
過程とは結果に行きつくまでの道のりだ。当人がどうやったらその道を心折れずに歩いていけるように考えるのは応援する人間の責務である。
簡単に言えば頑張っている人を笑うのはダメだということだ。
まあ過程を重視しすぎて結果を出せないんじゃ本末転倒なんだけどね!
……そのへんどう伝えようかなぁ。
「お、お姉さんは月ちゃんの減量について何か言ってた?」
一縷の望みにかけ、月ちゃんのお姉さんがなにかしらアドバイスを伝えていないか確認する。そこでなにかとっかかりがつかめれば、そこから俺も『もうちょっと動こうよ』と話を持っていけるかもしれない。
まだ会ったこともないのに一縷の望みをかけられるお姉さん側すればいい迷惑かもしれないが、そこは未来の義弟のためと思ってもらうしかない。
義弟になれるか確定してないけど。
「……別に、何も言ってない」
「そっか……」
これはどうしたものかと腕を組む。お姉さんが何も言ってないとなると俺がうまく話を誘導して、月ちゃんのモチベーションを保ちつつ運動量を上げるようにしていくしかないのだが……。
「ほ、本当だよ。本当になにも、言われてないから」
俺がこれからの会話をシミュレートしようと黙ってしまったのを、自分の言葉を疑われていると勘違いしたのか、月ちゃんが慌てた様子で念押ししてくる。
特に疑っているわけでもなかったので、『あ、うん』という気のない返事をしたのだが、どうにもそれが逆効果だったらしい。彼女はずっと握りしめていたフォークを皿の上に置くと、さらに焦った様子で求めてもいない弁明を始めてきた。
「ほ、本当の本当だから。急に動くようになって不思議がられても勘繰られてもないし」
「月ちゃん落ち着こうか」
「曜くんの名前を言っちゃったりとか、曜くんの人となりとか話してないし」
「ちょっと待って落ち着いて本当に」
「曜くんが私の、す、透けブラに興奮した話とか……」
「ストップ!ストップだ月ちゃん!とりあえず一旦ストップしてくださいお願いします!!」
月ちゃんの弁明……というよりはもう自供にしか聞こえないそれを無理やり止める。こ、これ以上は俺が無理だ!
「お姉さんに何話してるの!?特に最後!俺ただの変態じゃん!」
確かに月ちゃんの透けブラで興奮したのは本当だし今でもたまに思い出すけど!!
それでもそこだけピックアップされると俺の印象最悪じゃない!?義弟になれる可能性が減っちゃうんですけど!
「だ、だから話してない。お姉ちゃんは曜くんの存在なんて知らない。女の子を手玉に取ってることも知らない」
「なんか意図的に悪いところしか話してない気すらするんだけど!っていうか手玉に取ってないし!」
「とにかく、私は曜くんのこと何も話してないから、安心して。……あ、でも、お姉ちゃんと会うのは避けた方がいいと思う」
「そのアドバイスが怖いんだけど!」
俺への恐ろしいアドバイスを言い終えると、月ちゃんはそれでもう満足したのかデザートを口へ運ぶ作業へと戻ってしまう。
え、よりによってそこで戻る?俺何一つ知りたいこと知れてないんですけど。
もうちょっと言及したいことがないでもなかったが、これ以上知ったところで正直俺への被害しかなさそうだ。
話の転換に迷う俺は、どうせだからと今まで聞けなかったことについて踏み込んでみた。
「月ちゃんのお姉さんってさ、具体的にはどんな人なの?」
俺の質問に、月ちゃんはフォークを止めてこちらに視線を向けた。
そこに秘められた感情を読み取ることはできない。だから、分かるところまで踏み込んでいく。
「完璧ってのは前に聞いたけど、他のこと全く聞いてなかったから気になって」
前に、お母さんと何かあったことはちらっと聞いた。でもその時、お姉さんとは仲がいいと言っていた。
夏休みも来週で終わる。プライベートな時間にこうして会えるのもあとわずかなのだから、少しだけでも月ちゃんに踏み込んでみたい……!
あ、ダイエットのことはまた後で考えます。
「お姉ちゃんは……完璧、というか、欠点がない」
「……?それは何か違うことなの?俺にとってはそれはイコールなんだけど……」
「できることが多いわけじゃなくて、できないことがないタイプの完璧。なんでも一位になれるなんてことはもちろんないけど、なんでも一位と同じか同じくらいの結果を出す」
「まあ確かにそれなら……」
確かにそれだけ優秀なら完璧と称されることもあるだろう。
でもそれは――
「でもそれは、表面の話」
「……え?」
俺が心の中で言おうとしたことを、月ちゃんがそのまま言葉に出していた。
思わず固まる俺をよそに、彼女の口からお姉さんの人物像が語られていく。
「分かりやすい『成績』から説明したけど、お姉ちゃんの本当にすごいところはそこじゃない」
「なら、どこが……」
「お姉ちゃんは誰とでも仲良くなる」
「……人当たりがいいってこと?」
確かにそれはすごいことだけど、そこまで高く評価するほどのことだろうか。
大概の人間は笑顔で接してればなんとかなる。あるいは相手の話に合わせて『えーすごーい』とか『さすがだわー』とか言っとけばたとえ心の中で相手をどれだけ嘲笑っていようと仲良くなれるものだろう。
……俺はそんな心のない対応してないからね?
「本当に、誰とでも仲良くなる。小さな子供からお年寄りまで、相手がどれだけ気難しくても、人との会話を苦手に思っていても、お姉ちゃんはすぐに仲良くなる。近づいて、好かれて、居心地のいい人になる」
「それは……確かに……」
仲良くなることと、相手にとって居心地のいい人になることには大きな違いがある。
仲良く、そんなものはやろうと思えば誰とでもできる。生理的に無理な相手でも人間的に無理な相手でも何もかもが無理な相手でも、笑顔で中身のない会話をしていればそれは『仲良く』話していることになる。
だが、居心地がいいとなればそれはもう表面上を取り繕うだけじゃどうにもならない。もっと深いところに入って、そこでの存在を認めさせなければその地位は得られないのだ。
「誰かの、じゃなくて誰とも……か。よっぽど人との会話を勉強して――」
「ううん。素だよ」
「……は?」
あり得ない発言を聞いた気がして、気の抜けたどころか魂すら抜けたような声が口から出てきた。
素?素ってあの素?巣とか酢の方じゃなくてありのままの姿を見せる方の素?
「本当に素なの。お姉ちゃんは計算とか、打算とかで人付き合いをしてるんじゃない。ただ単純に、人と話すのが好きだから、それだけでお姉ちゃんは、誰とも仲良くなる」
「スペックだけじゃなく、人としても素晴らしいんだね……」
「うん。私もお母さんも、勉強ができるだけの人を、完璧だなんて言わない。頭も回るし、運動神経もいい。そして人付き合いも完璧。……だから私は……」
「そこまですごいとなるとちょっと会ってみたいかも」
月ちゃんがなにかを言いかけたけど、聞こえなかったふりをして遮る。
それは聞きたくないし、言わせちゃいけないものだ。
一度遮ってしまえば、月ちゃんはさすがにその言葉を続けるつもりはないようで、俺の言葉に対して反応してくれた。
良かった、また続けられようものなら次はもっと無理やり遮ることなるハメになっていたから……。
「お姉ちゃんに、会いたいの?」
「機会があればね。今すぐ会いたいとか思ってないから。すごい先の話だから」
微妙に瞳の色が黒く染まったように見えた月ちゃんへ、なにも見てないふりをしながらしれっと返す。
「まあそれに」
俺の態度に嘘はあったかもしれないが、言葉には嘘はない。
だから、俺がさらに言葉を紡ぐのはフォローじゃない。忠告だ。
月ちゃんに対しての、そして俺自身に対しての改めての忠告である。
「俺は、もしかしたらその人とは会わない方がいいかもしれないし」
以前、月ちゃんのお姉さんの話をしたときに、ちらっとだけど自分にそう言い聞かせたことがある。
簡単に忘れてしまいそうなその忠告は、けれど意外と大切で。
俺の根幹に由来する、割と重要なピースだ。
「俺、完璧って称される人と相性悪いんだよね……」
自称他称にかかわらず、そういう人とはどうにもぶつかってしまう傾向にある。
高校に入るまでは意識すらしてなかったけど、『完璧な人間なんて存在しない』なんて思想を根っこに抱えてる俺は、『完璧人間』とぶつかる傾向があるらしい。
……というのを
「お姉さんがどんな人か聞いたのにあれなんだけど、まあそんな事情があるわけでして。もちろんいつか機会があれば会ってお話ししなきゃとは思うけど、積極的に自分からは会いたいとはあんまり思ってないよ」
だいぶ事情説明を省略してしまったけど、月ちゃんはそこについて深く聞いてくることはなかった。
というか、反応がなかった。
なにか言ってくれるわけでもなく、無視してスイーツに手をつけるわけでもなく、ただ俺の言葉を聞いて受け入れるだけで、そこから先の『リアクション』という大切な仕事をしてくれない。
とても困るんですが。
「……うん、分かった」
たっぷり間を空けること数十秒。
失言をしてしまったのかと慌てふためく俺に、それでもなにも言わなかった月ちゃんが告げた言葉は、ただそれだけだった。
「わ、分かったって、なにが?」
「曜くんがそう言うなら、お姉ちゃんに会わせるのは先送りにする」
「えっと……?」
それはつまり、俺がこう言わなかったら、月ちゃんは俺とお姉さんを引き合わせる予定だったってこと……?
そ、それはまだ早い!
もうちょっと時間を空けてからというか俺と月ちゃんがそういう関係になってからちゃんとご挨拶という形での対面にしてほしいですでもそれはそれで厳しいなおい!
ならどのタイミングならいいんだよとか、そういう関係って具体的にはどのラインまでの話なんだよとか、俺の中で様々な問答が繰り広げられていることもつゆ知らず、月ちゃんは自分の発言の重さを分かっているのかいないのか微妙な表情をしながら再びフォークを動かす。
手元のケーキを一口。それだけで月ちゃんの『微妙な表情』すら消えてしまいただの幸せな表情に変わってしまう。
……だから、この表情を見ると細かいところがどうでもよくなっちゃうのどうにかしないとなぁ。
自分の悪い癖に苦笑しつつ、俺もその表情を隠すようにコーヒーを飲む。
苦笑いを苦いコーヒーで飲み下しつつ、さてこれからどうやって
「あ、お姉ちゃんについて、一個言い忘れてた」
「ん、なに?」
「お姉ちゃんは、基本的に誰とでも仲良くなるけど、それは計算でも打算でもない。だから、逆に相手がどれだけ自分に得のある人間でも、仲良くしたくないと思ったら……相手を『敵』だと認識したら、絶対に仲良くならない」
「へえ、そういう損得で人間関係を作ろうとしないのは純粋に尊敬しちゃうなぁ……。いやちょっと待って」
俺がある考えにたどり着いたことに気付いたらしい月ちゃんが、それを分かったうえで食事へ戻る。
その対応が俺の不安が的中していることを示してしまっていたが、それでも俺は杞憂という名のわずかな可能性にすがり月ちゃんへ確認する。
「月ちゃん、俺のことだいぶ事実歪めて伝えてたよね?」
「……歪めてはない」
「割と『妹を弄んでるクズ』みたいな感じでお姉さんに紹介してたよね?」
「……そこまでじゃない」
「その結果、お姉さんに会うの避けた方がいいレベルになっちゃってるんだよね?」
「……ケーキ一口いる?」
「露骨に話逸らすのやめよ!?その反応がもう答えになっちゃってるから!!」
な、なんてこった!俺悪いこと全然してないのに!ただひたむきに好きな子に振り向いてもらえるように頑張ってるだけなのに!
……なのに!!
「俺完全にお姉さんに『敵』認定されちゃってるじゃん!!」
夏休み中に月ちゃんと会えるのはあとは来週だけというこの終盤戦で。
俺は、知りたくなかった事実を知ってしまったのだった……。
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