20週目 自由研究

8月の中頃、夏休みの終わりを意識するようになり始めた月曜の朝。


先週のような甘さという名の地獄絵図は机の上にはなく、俺のコーヒーとホットドッグ、るなちゃんのコーヒーフロートだけしかないというなんとも平和な光景だ。


……月ちゃん自身の表情さえ暗くなければ、もっと平和だったのだが。


「自由研究、思いつかない……」


コーヒーに乗せられているアイスを慎重にスプーンですくいながら、月ちゃんはぼそりと呟く。

これが、月ちゃんの表情の暗い原因だ。アイスに目がくらんではいるが、どうやら本気で悩んでいるらしい。


綺麗にすくえたアイスを一口で食べた月ちゃんに苦笑いしながら、俺は思ったままのことを口に出す。


「自由研究なんて一番楽じゃない?こだわらないなら適当なのネットで拾って寄せ集めればいいんだし、興が乗ってきたならモチベーションの続く限り頑張ればいいし」

「……私の中で、ひかるくんの優等生像がどんどん崩れていく」

「むしろまだ残ってたことに驚きだよ」


月ちゃんが抱いてるその幻想って宿題の話をしたときに壊した気がするし、そもそも普段の俺からして優等生らしさなんて全然ないと思ってるんだけど……。


「俺のどの辺が優等生なの?」

「根が真面目」

「……そう?」

「宿題ちゃんとやってるし、気遣い出来るし、授業中起きてるし」

「それ大概の人が当てはまるんじゃ……」


確かに最後のは月ちゃんにとって難しいことだろうとは思うけど、よっぽど退屈じゃない限り大半の生徒は起きてるもんだよ。よっぽど退屈じゃない限り。


大事なことなので二回言いました。


「先生の言うことちゃんと聞いてるし、ふざけたことはしても度が過ぎたことはしないし」

「それも普通のことだと思うけど……ああいや、これを普通だと思ってるところがもう真面目っぽいのかなぁ……」


そう考えてしまうと俺って実はすごい真面目君なんじゃないかと思えてしまう。


自分ではそんなこと考えたこともないけど、周りから見たらそんなものなんだろうか。


「逆に、真面目じゃないところ、あるの?」

「すっごいあるけど」


優等生のように見えるような振る舞いをしているかもしれないが、俺の根っこはもっとしょうもない人間だ。


「行動自体は真面目に見えるかもしれないけど、基本的に不真面目に生きるのが面倒なだけだよ。ほら、そういうのって後で返ってくるじゃん」

「宿題を真面目にやらないのは、後で返ってこないの?」

「宿題って大体がその教科の理解を深めるために出されるもんでしょ?だったら先生の目を誤魔化せるくらいにちゃんと理解さえしとけば真面目にやらなくても問題なんてないよ。いやー頭良くてよかった!」


友達に聞かれたら一瞬で敵に回られそうなセリフも、俺より頭のいい月ちゃんの前でなら嫌味なく言える。いやこんなこと口に出す時点でもう嫌味ったらしいかもしれないけど。


月ちゃんは半分ほど飲んだコーヒーにさらにミルク1個とガムシロップ2個を混ぜるという暴挙に出ながら、しかしそれにまるで触れることなく俺との会話を続ける。


「……勉強とかしないなら、夏休み中なにやってるの?」

「特に変わったことはしてないよ。ゲームしたり友達と遊んだり、あとは短期バイトとか、旅行、楽器、日曜大工、サバイバル……」

「最後おかしい」

「いつ大災害が来てこのあたりが悲鳴と怒号の飛び交う殺戮ジャングルになってもいいように、せめて知識だけでもって」

「曜くんは、ここが魔境かなにかになると思ってるの?」

「……ゼロではないよね」


至極真面目に呟いたのだが、月ちゃんはなんだか少し呆れたように小さく息を吐くだけだった。


俺への印象が悪くなった気のする今の会話を消し去るように、俺はわざと大きめの声で会話を仕切り直す。


「お、俺はともかくさ!月ちゃんは夏休みなにやって……ごめん」


会話のゴールがいとも簡単に読めてしまい、言い切る前に挫折する。

せめてもうちょっと内容を精査してから口にするべきだった……。


だが後悔先に立たずというか、こういう場合は大抵すでに手遅れというか、月ちゃんは何か食べているわけでもないのに頬をむすっと膨らませて怒りをあらわにしている。


やがて口を開いたかと思えば、おだやかながらも不満を言葉に込めて俺に抗議してきた。


「なにもしてないわけじゃない」

「え、そうなの?」


『どうせなにもしてないですよー』みたいな怒り方をされると思っていたので、これには純粋に驚いた。


テスト勉強みたいにやらなきゃいけないことなら睡眠時間を削ることなら知っていたけど、やらなくてもいいことを月ちゃんがしていることが、失礼な言い方だけど意外だ。


……まあそれだと、この時間帯に俺と話すために起きてくれてるのはどう分類するんだって話になるんだけど。

そこは深く考えちゃダメだ。考えると抜け出せなくなる。


「なにしてるの?」

「秘密」

「えー……。あ、もしかしてダイエットとか。あはは」


冗談半分、というかほぼすべて冗談のつもりで言ったのだが、俺の言葉を聞いた途端に月ちゃんが石像のように動かなくなってしまった。


その反応を見て、とんでもないやっちまった感に襲われる。

先週の話から考えて適当に言ってみただけなのだが、考えてみれば俺に『デブ』とまで言わせて奮起していたのだ。あれからすぐに始めたっておかしくはない。


いまだ固まったままの月ちゃんへ、ご機嫌を取るように下出に出まくりながら声を掛ける。


「あの、月ちゃん?いかがされましたでしょうか……?」

「別に、なんでも、ない、ですけど?」


ギギギ、とまるで金属が歪にこすれ合うような音すら聞こえるぎこちなさで、月ちゃんは笑顔らしきなにかを返してくる。


選択肢を間違えた!ば、挽回しなければ!


「ま、まあ月ちゃんってもとからスリムだし、ダイエットなんてしちゃったらそれはもうすごいことになるね。うん、もとからスリムだし!」

「……お姉ちゃんが、私のお腹を見ながら苦笑いしてた」

「それはあれだよ、お姉さんがあれなんだよ。ほら、人によってあれは違うわけだしさ、自分の中であれの基準を見つけることこそ、あれな俺たちにとって大切なあれだと思うよ」

「……誤魔化す気、あるの?」

「誤魔化せる気がしないんだよ……」


投げやりになった俺の取り繕いを見かねた月ちゃんが、もう俺の考えなんてお見通しですよとばかりにかなり直球な質問をぶつけてきた。


そこまで言われれば俺も誤魔化し続けるわけにもいかず、情けない実情を口にするほかないのであった……。


「失言だったかなと思ってなんとかいい感じに流していい感じにしようとしたんだけど……いい感じにならなくて、いい感じじゃない感じになっちゃって……」

「行きつきたいところからして、ふわっふわ。なにも考えずに走り抜けようとしてる」

「女子との会話に慣れてないから……」


ストローを指でつまんでいた月ちゃんの動きが、そこでなぜか急に止まった。


かと思えばプルプル震えながらストローの先端をぶちゅっと潰して形を歪めたり……え、なんか怒ってる?なにきっかけ!?


「どの口が、それを言うの……」

「そ、それって?」

「女の子との会話に慣れてないとか、どの口が言ってるのかって聞いてるの」


静かな、けれど確かな怒気を感じさせる声音。

それに少し怯える俺に視線を合わせながら、彼女は自身の憤りを俺にぶつけてきた。


「毎日、いろんな女の子と話してるの知ってる。クラスメイトだけじゃなく、他のクラスの子とも仲良くしてるし……一学期が終わるころには、一個上の先輩とも仲良くなってた」

「だからどうしてそんなことを知ってるの……?」


月ちゃんが言ったことはすべて事実だけど、なにかやましいことをしているわけでもないので隠れてするようなことはしない。


……聖夜のえるさんとの昼食や、宝石じゅえるさんの愚痴大会(一方的に聞かされるだけ)とかはさすがに人目を忍んでるけど。


それはともかく、そういう特殊なものを除けば、基本的にこそこそ見つからないようにするものなんてない。


相手が女子だろうと男子だろうと、普通に接する。だから俺がクラスメイト、他クラス、あまつさえ帰宅部にもかかわらず先輩にも仲がいい女子がいるのは普通に学校生活を送っていれば知っていてなんの不思議もないことではある。


普通に、であれば。


「月ちゃん、一学期の間ずっと寝てたのにどうしてそこまで……」

「……と、友達が」

「その流れ前にやったよ」


ついこの前同じような会話をしたときに、同じ言い訳で逃げられた。

……いや、逃げられたっていうのは違うか。俺がたいして気にしなかったから踏み込まなかっただけだ。


ただ、さすがにここまで知られていると気にしないわけにはいかない。


本当に友達がいるというならそれでいい。

でも、そうじゃない場合は?


……他に理由が思い当たらない。

さすがにそれは、不気味すぎる。


「…………」

「せ、せめてなにか言って……」


黙秘権を行使されてしまえばこちらとしてはどうしようもない。


……正直言えば今日ばかりはどうしてもその理由を聞き出したかったのだが、こんな顔をされてしまえば知的好奇心も減衰するというもの。

別に知られて困ることを知られたわけでもないし、このまま流しちゃってもいいかな――なんて考えていると、


「……だもん」


月ちゃんがぽつりと、店内のBGMよりもさらに小さなボリュームでなにかを呟いた。

そんな大きさだと、当然俺の元まで声は届かない。

なにを言ったのだろうと俺が聞き返すよりも先に、月ちゃんはさっきよりは大きめの、けれど消え入りそうな声で呟いた。


「曜くんのことが気になったから、ちょっとだけ起きてただけだもん……」

「……お、俺のことが」


俺のことがどう気になって起きてたのか。具体的にどの程度起きていたのか。他にもいろいろ知ってることはあるのか。


掘り下げていきたいところはいくつかあったけど……懸命に俺から視線を逸らしながら、せわしなくストローをいじっている彼女に質問できることなんて何もない。


お互いに気まずい空気が流れる。月ちゃんの方はおそらく俺の反応を待っているんだろうけど、こんなこと言われてどう返せばいいのかなんて分からないよ……!


素直に『そういう意味』だと思っていいのか、それとも『そうじゃない意味』の方なのか。


た、多分俺としては前者だと思うんだけど、自信を持って判断とかできない!

モテるとかよく言われるし最近じゃ自分ですらネタにするようになったけど、これでもバリバリ恋愛初心者だからね!全身に初心者マーク付けるレベルで未経験だからね!


「……なにか、言って」

「なにを言えばいいのさ……」


ついに催促を言葉にされてしまうが、その程度で言葉をひねる出せるならとっくに出している。もう完全に頭が真っ白になっているのだ。


そんな俺に耐えきれなくなったかのように、月ちゃんはずずず!っと勢いよくコーヒーを飲み干す。それから何を言うのかと思えば……。


「じゃあ、私の番はこれで終わり。最初の、私の質問に戻る」


俺にとってはこの空気から抜け出せる嬉しい申し出だったが、月ちゃんの語気が少し荒めなのが少し気になる。


それに、月ちゃんの質問ってなんだっけ?


「曜くんの、『女の子と話慣れてない』とかいうふざけた発言に対する質問」

「そ、そういえばもともとそんな話してたね……」


あ、これ全く嬉しくない申し出だわ。


だがもうこの流れになってしまえば俺にはもう逃げ出すすべはなく。


「正直に白状して。私を見習って。私を……うぅ……」

「だからその自爆癖やめようって!」


こちらはなにもしてないのに、月ちゃんが勝手に自爆して顔を真っ赤にこちらを睨みつけてくる。もう残っていないコーヒーを啜る動作が威嚇にしか見えない。


というか言えるわけがないよ。

『女子と話慣れてない』っていう発言の真意が『普通の女子とは話慣れてるけど、好きな子と話すのはまた違ったものがあるんです』だなんて!!


「ふしゃー」


氷しか残っていないグラスを握りながら、俺に対して相手を警戒してる猫のような声を出す動作が威嚇にしか見え……いやこれは間違いなく威嚇だな。可愛い。


こんな状態の月ちゃんに俺の真意とか絶対話せない!もっと威嚇される!!


「いやあのその件はほら、もうよくない?それより月ちゃん、自由研究どうするのか決めた方がいいんじゃない?」

「……モテ男の生態」

「そのテーマで俺を参考にするのやめてね!?」


この後、月ちゃんを説得するのに30分とケーキ3個を費やした。


……費やした後にダイエット中だった月ちゃんがまたプンスカしてしまったけれど、それは可愛かったので問題はない。

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