19週目 ダイエット

月曜の朝。眼前に広がるのは見るだけで胃が持たれそうな甘い空間。


「えーと、るなちゃん?それはなにかな?」

「宿題が半分終わった記念」


場所はいつものカフェ。

席もいつもの場所だが、違うのは机に乗っているものの質と量だ。


俺の前にあるのはコーヒーとサンドイッチだけだが、月ちゃんの前に置いてある食べ物飲み物がおかしい。


パンケーキ、アイスクリーム、ドーナツ、プリン、ケーキ、なんかごてごてしたドリンク……。


もう匂いだけで甘さが伝わってくる。

甘いのが苦手ってわけでもないのに、見た目やら雰囲気やらだけで酔いそうだ。


ブラックコーヒーで甘さを中和しつつ、今からその甘味地獄に挑戦する猛者へ視線を投げる。


「……それ、全部食べるの?」

「食べる。そのために買った」

「ま、まあそりゃそうだけど……」


これまでは俺が月ちゃんのコーヒーとケーキ代を出していたのだが、今日は会うなり『自分でお金を出す』と言ってきた。

まあこの量なら金額もすごいことになるだろうし、気が引けるのも分かる。


それでも最近は短期バイトを始めたので別に俺が出しても良かったのだが、あんまり金を出そうとすると下心がばれそうだし、将来的に『財布』ポジションにされそうで怖かったので今日はお言葉に甘えて別会計にしておいた。


……下心についてはすでにばればれの気もするけど、そこは思考から切り離しておこう。


「いただきます」

「う、うん……」


いよいよ月ちゃんがその魔境へ手を付け始める。


ケーキをフォークで切り取り、ドーナツは直接手で掴み、ドリンクを幸せそうな顔で啜る……デザートだけで構成された月ちゃんの朝食を目にして、なにかしたわけでもないのに心が折れそうになる。


甘い食べ物、甘い飲み物、糖分糖分糖分…………。


俺の頭の中に、あまり女の子に対して考えてはいけない単語が浮かび上がる。


「……ひかるくんが、今何考えてるか、当てようか」

「やめた方がいいと思うよ?」

「『太らないのかな?』でしょ」

「俺の忠告無視して完璧に当ててきたね。言ったそばから傷ついてるように見えるんだけど」

「少しクリティカルしただけ」

「それ大丈夫なの!?」


胸を押さえてうなだれてしまった月ちゃんは、その手をすすすっとお腹の方へと移動させた。


あいにくと机で隠れてしまいなにをしているのかは分からないが、おおかた己の現状を確かめているのだろう。


……どんな結果だったのかは聞かないのが礼儀だ。


「曜くんは、ガリガリの子とデブデブの子、どっちが好き?」

「……クリティカルしない?」

「もういい」


ほぼ答えだった俺の返しに、月ちゃんは落胆したように肩を落としてまたデザートを食べ始めた。


ただ、やはりその表情は少し暗い。


「……むしろ逆にさ、そんなに甘いの好きなのにどうしてその体型のままでいられたの?」

「寝ることを妥協しなかったから」

「うーん、今日もいい具合に意味が分からない」


まあ寝るにも体力を使うっていうし、食生活にさえ気を付けてればある程度は維持できるのか……?


謎だ。どうなっているのかがまるで分からない。


「まあ食べ過ぎたってその分動けばいいんだし重く考えることはないよ。どうとでもなるって」

「この分、動くの……?」

「そりゃあ……うん」


もう一度、机の上に広がる甘味の山に視線を移す。


……カロリー計算とかあんまりできないけど、とりあえずこれが生半可な量でないことだけは理解できる。


「ほ、ほら、別に一回で消費しなくたってさ、長い目で見ればいいんだし。それに、これと同じくらいのをまた食べることなんてそうそうないでしょ?」

「……宿題、全部終わった記念」

「そういやこれ半分が終わった記念だったね……」


俺たちの間に重い空気が流れる。ついでに俺たちの2席隣に座ってた若い女性も、彼女が頼んだのであろうケーキを見ながら暗い顔になっていた。申し訳ない。


「曜くん、手軽に痩せられる方法を教えて」

「走るか泳げ、かな」

「却下」

「却下されても困るんだけど……」


脂肪を燃焼させる一番の方法は有酸素運動なのに……あわよくば運動のお手本ってことで月ちゃんとプールとか行きたかったのに……。


「なんだか、目つきがいやらしい」

「大丈夫、いつもこんな感じだよ」

「なにも大丈夫じゃない」

「それは置いといてさ、実際どうするの?教えて欲しいっていうならおすすめのランニングスポットとか教えるし、ぜひとも一緒にプールとか行きたいし海行かない?」

「後半からただの欲望になってる」


俺の抑えきれないリビドーが親切心を下心で塗り固めてしまっていた。

いけないいけない。クールに行こう。


「……私は、曜くんみたいに頑張れる気がしない。一回や二回は頑張れても、モチベーションを保てない」

「そういうもんなのかなぁ……俺はただ単純にかっこよくなりたいってだけでずっと続けられてるから、良く理解できないんだよね」

「そういうところは、純粋に尊敬する」

「褒めてもなんにも出ないよ」


素直に褒められたのがなんだかこそばゆくて、視線を逸らしてしまう。


尊敬だなんて言われてもそれを受け入れられるほど自分のことを高く評価してないので、そう言われてしまうとどうにもムズムズする。


でもだからこそ、そこまで言ってもらえるのならなにかしらのアドバイスをしたいものだ。


俺は人を見た目で判断しない……だなんてかっこいいことを言える人間じゃないのだから、好きな人が太っていく過程を黙って見ているなんてことはしたくない。


「うーん……あ、そうだ」

「なに?簡単に痩せられる方法?」

「そっちはあいにく思いつかないけど……モチベーションを保つ方法くらいならいくつか知ってるから」


期待したものとは違ったようだが、それでも俺が話す内容は魅力的だったようで、月ちゃんはケーキを切っていたフォークとナイフを皿の上に置いて期待を込めた視線でこちらを見つめてきた。


多分ネットで探せばすぐに見つかるような方法ではあるけど、それでも知らない人から聞くのと知人から直接聞くのとじゃ、印象が違うだろう。


「例えばダイエットなら『痩せたい』が理由だよね?でも、『痩せたい』だけじゃ限界が来る。だから大抵の人はダイエットの方法を楽にするか、逆にダイエットそのものに楽しみを見出そうとする」

「運動を楽しむ、とか?」

「そう。ただ、前者だと楽な方法にしてもそれがまた面倒に感じてきちゃったり、後者だと……出来る出来ないは置いといても、そもそも月ちゃんはこれをやろうと思わないよね?」

「絶対」


たった一言しか発していないというのに、月ちゃんからはなにがあっても頑張らないという強い意志が伝わってくる。


正直その意思を他のことに回してもらいたい。


「だから、あとやれることとしたらモチベーション自体をどうにかして保つことなんだけど……一番簡単な方法で前向きなのは、ダイエットで効果があった時のことを考えることかな」

「効果が……あった時……」

「ダイエットの理由は『痩せたい』から。でも、『痩せたい』理由も何かあるはずだし、そっちにフォーカスを当てるのもいいんじゃないかな」


俺なりのモチベーション維持の方法を伝授し終える。これはダイエットに限らず大概の『努力』するものには使用できる方法だ。


俺からの伝授を受けた月ちゃんは、目の前のケーキと俺を交互に見る。

その瞳はなにかに揺れているようだった。


「……今日だけは、食べていい?」

「ま、まあこれから頑張るんならなにも問題ないだろうけど……なんで俺に聞くの?」

「そこは、気にしないでいい」

「ええ……気になる……」


乙女の秘密ほど気になるものもない。気を使って詮索はしないようにしているが、それでも気になるものは気になる。


でも、乙女の秘密って大体知りたくなかったことばっかりなんだよね……。


「ところで、今のは前向きな方法って言ってたけど、後ろ向きな方法もあるの?」

「あるよ。乱用すると本気で心が重くなる方法が。……聞く?」

「き、聞く……」


ごくりと生唾を飲み込みながら、俺から視線を離さない月ちゃん。

俺もそれっぽい雰囲気を作るために机の上に少しだけ身を乗り出し、声を低くしながら告げる。


「さっきの真逆。失敗した時のことを考えるのさ。それも一番考えたくないことをすっごいリアルに」

「ざ、残酷すぎる……!」


俺の話した内容に、月ちゃんが戦慄している。

どうやらこの内容がどれだけ残酷か理解してくれたらしい。


俺を例に挙げてみよう。

勉強、運動、会話の練習……その他諸々もいろいろやっていたが、これを全部やり続けてかっこよくなった俺が月ちゃんにベタ惚れされる……というのが最初に言った前向きなやり方。


後ろ向きなやり方とはこの真逆。俺が努力を怠り、月ちゃんに振り向いてもらえなかった未来の想像。


……ただそれだけじゃまだ生ぬるい。もっと絶望が必要だ。


そう、こんな感じに。


――自分磨きを怠り、俺は高校でもただの一生徒。ただの背景となって生きていき、そのまま進級。月ちゃんとは別クラスに。

月曜の朝にもたいした話をできなかった俺は、クラス替えから数日程度で彼女に忘れられる。

一方、彼女の隠れた美少女性が少しずつ周囲に広がっていき、俺しか知らない月ちゃんの魅力に男子生徒が気づいていく。

やがて俺と同じくらい月ちゃんを好きになった生徒が現れ、俺とは違いひたすら努力しかっこいい男へ成長。

月ちゃんはそのひたむきさに心打たれ、やがてその男と……男と……!!


「う、うぐぅ……!」

「曜くん……?」

「節度を守ってやらないと、こうなるから気を付けて……」

「なんで、今実践したの?」


どこかの誰かに向けて実際の例を見せてあげようとしただけなんだ……と言っても意味は分かってもらえないだろう。俺も分からないしな。


ただ、疲労困憊な俺の顔を見て効果はだけは分かってくれたらしい。

さっきと同じようにケーキを見て俺を見て、またケーキを見て俺を見て……またケーキを――


「そんなに悩まなくても大丈夫だから!思いつめるのは良くないって!明日からで大丈夫だよ!」

「ほんとに?カロリー大丈夫?私のウエストに誓える?」

「ウエストに誓うって何!?ま、まあ誓うよ誓う。大丈夫。もし月ちゃんのウエストが太くなっちゃったら、俺が責任を取って――」

「せ、責任を取って?」

「容赦なくダイエットさせる」


月ちゃんが、珍しく口の端を引きつらせていた。俺の熱意が伝わってくれたのかな?


まあもともと『ダイエット』の本来の意味は『減量』ではなく『食事療法』だ。

月ちゃんが想像したであろう激しい運動なんてせずとも、日ごろの食事にさえ気を付けてればなんとかなる。


………………多分。


「とりあえずダイエットはともかくさ、頼んじゃったんだし食べよ?どうしても気になるって言うなら、少しくらいなら食べるから」

「大丈夫。自分で頼んだんだから自分で食べる。ただ、一個だけお願いしていい?」

「できることなら」

「……私のこと、『デブ』って罵って」

「……は?」


月ちゃんの突然の罵倒希望の宣言に、思わず気の抜けた声が口から漏れてしまった。


呆然として動かなくなってしまった俺に、月ちゃんが催促を入れる。


「だから、罵って。心が折れそうになったら、それでへし折るから」

「それダメじゃない!?自分で自分にとどめ刺してるよね!?」

「いいから、早く。言われたら今日一日口きかないけど、早く」

「なにも良くないんだけど……分かった、分かったよ。言いたいことは分かりたくないけど分かってるつもりだから……はあ」


さっき俺の言ったモチベーションを保つ最悪の手段。

それを使う時、具体的なイメージがあった方が効果は倍増する。


……俺も今度なんか罵ってもらおうかな。いや趣味的な意味合いじゃなく。


「……じゃあ行くよ?行くからには本気で行くからね?」

「どんと、来い」


月ちゃんの表情からは強い覚悟が感じられる。俺もその覚悟に飲まれないよう心を強く持つ。


余計な思考は全部捨てる。

全国の自分をデブと思ってる人ごめんなさいとか、そういえばデブって具体的にはどこからなんだろうとかどうでもいいことは思考の最果てへと追いやる。


全力で、躊躇なく、侮蔑と憐憫と同情と軽蔑と他にもいろいろ思いつく負の感情をごちゃ混ぜにして――


「――このデブが」


……思った以上に、心にくるトーンで声が出た。


これはかなりいいんじゃなかろうか。全国罵倒選手権があったら優勝ものだ。


果たして、この最高のパフォーマンスに対して月ちゃんはどんな反応をしてくれるのか。


「う、うぅ……」


……涙目になっていた。


「る、月ちゃん、大丈夫?」

「……ユルサナイ」

「すごい怨嗟の声が聞こえて気がするんだけど!」


うるんだ瞳で俺を親の仇かのように睨みつけ、ブツブツと俺への恨みを呟く月ちゃん。さすがに今回は俺なにも悪くないよね……。


途切れることのない俺への恨み言が数分続く。その間、月ちゃんは一度も手を休めることなく貪るようにデザートを喰らい……ちょくちょく俺を睨むのを忘れて幸せそうに口元をほころばせていた。


ふと、彼女の恨み言が急に途絶えた。


「絶対に、太らない。曜くんが望むままの体型でいる」

「あ、ありがとう……」


相変わらず俺を睨む眼光は衰えないものの、小さく呟かれた言葉には俺への感謝のような気持ちが含まれていた……ような気がする。


それにしても……『月ちゃんが』望む体型じゃなく、『俺が』望む体型のままでいてくれるのか。


「なにを、笑ってるの」

「いや、俺も月ちゃんが望む体型でいないとなー、と思って」

「別に、私は曜くんにそんなこと望んでないよ?」

「……そ、そっか」


いい感じに締めようと思ったのに、思い人にさらりと全否定されてしまった。


ショックを隠し切れないまま、俺もようやく自分の買ったサンドイッチに手を付け始める。


野菜とベーコンの挟まれたサンドイッチを口に運ぶ途中。


「私が望んでるのは、そんなことじゃないから」


そんな言葉が聞こえた気がしたけれど、今の月ちゃんにその言葉の真意を聞けるほど敢ではないので、俺は何も聞こえなかったことにしてサンドイッチを食べ始めた。

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