18週目 へたれ
8月に入って最初の月曜の朝。
俺たちは先週も来たカフェで向かい合って座っていた。
前回の反省からか、向かいに座る
……どうやら、あーんはしてくれないらしい。
それはさておき、いつもであれば俺の小粋なジョークに月ちゃんがHAHAHA!と笑う楽しい時間を過ごしているのだが、今日はちょっとだけ違う。
夏休み。そう、俺たちは確かに夏の休みに突入している。
……だが、いつから休めると錯覚していた?
「
「なに?」
「宿題飽きた」
俺たちは学生。勉強こそが俺たちの仕事である。
各教科それぞれ大量の宿題が出されており、その量はもはや俺たちから勉強へのやる気を全て奪おうとしているようにしか見えない。いやマジで。
そのため、月ちゃんは俺たちのほのぼのタイムに宿題を持ち込んできた。
俺と一緒に宿題をやり、あわよくば宿題の進行を手伝ってもらおうという目論見だったようだが……。
「なんで、曜くんは、宿題を、終わらせて、るのっ……!」
読点ごとにシャーペンを叩きつけながら、月ちゃんは優雅にコーヒーを飲む俺を睨みつける。
月ちゃんの言う通り、俺は嫌がらせのような宿題を一週間で全て終わらせた。
読書感想文はどっかで見たことがあるような言葉を並べ立て、問題集は答えを写して適度に間違える。
自由課題はネットで集めた情報を適当に寄せ集めた「ゴリペディア」だ。
内容は想像にお任せするが、これだけは相当な出来になったと自負している。
「あんなの残したところで邪魔になるだけだし」
「……曜くんは、答え丸写しなんてしない人だと思ってた」
「それを現在進行形で写してる人に言われてもねぇ」
俺に文句を言ってくる月ちゃんは、机の上の半分以上を占領し右側に数学の問題集、左側にその答えを広げている。
数日前に俺がやっていたことと全く同じことをやっていのだ、月ちゃんの否定は全部自分に返ってきてしまう。
「とはいえ、言いたいことも分かるけどね。良い顔されないってのは分かってるから自分から言うことはあんまりしないし」
「……私も、罪悪感がないわけじゃない。でも、これに時間を取られるのは気に食わない。……だから、曜くんもやったの?」
「うん。月ちゃんの言った通り、こういうのに時間取られたくないんだ。だって無駄なんだもん」
生徒のことを考え先生が出してくれた宿題をなんのためらいもなく無駄と切り捨てた俺を、月ちゃんが答えを写す手を止めてじっと見つめる。
……今回は、というか今回もなのだが、特に変なことを言った記憶がないので首を傾げる。
「曜くんって、学校本当に好きなの?」
「好きだよ?月ちゃんがいるから」
あれは確か一学期の中間テストあたりだったか。月ちゃんとお勉強会をして、その際に学校が好きかどうかの話をした気がする。
その時も俺は今みたいなことを答えたはずだ。『君がいるから学校は好きだ』と。
……これって、告白じゃないよね。ノーカンでいいよね。
俺の不安が当たっているのか、月ちゃんは顔を赤くしてシャーペンを机に叩きつけている。
やめてあげて!シャーペンにそれ以上ひどいことしないで!!
シャーペンのためにも俺の心の平穏のためにも!!
「学校は好きでも、勉強は嫌いなの?」
ひとしきりシャーペンを痛めつけ終えた月ちゃんが、だいぶ落ち着いた様子で聞いてきた。
「勉強?大嫌いだよ」
当然のことを聞いてきた月ちゃんにそう返すと、彼女は可愛らしい唇を開けたまま呆けた顔になってしまう。
ほっぺたをつんつんしたい衝動を必死に抑えながら、とりあえず彼女の顔の前で手を振ってみる。
うおお……鎮まれ俺の右腕……!正確には右手の人差し指……!!
「る、月ちゃーん。どうしたの?」
「……はっ!どうもしてない。大嫌いって言われたことに、ショックを受けたりなんてしてない」
「そ、そう?」
「それより」
ずいっと、彼女は身を乗り出してきた。
当然顔が近づくため、俺は心拍数がやばいことになっている。
「そのあたり、イメージが合わない。……曜くんは、私の中で優等生になってたから」
「買い被りもいいとこだよ。俺はできることが多いだけで、根はどこにでもいる普通の高校生なんだから」
「ダウト」
「即ダウトはひどくない!?」
さらっと全否定喰らったんですけど!
ノータイムで否定しなくてもよくない!?。
「普通の男子は、美少女ととっかえひっかえしたりしない」
「した記憶ないけど!?」
「うそつきは、モテモテの始まり……!」
「そんな夢みたいなことわざ初耳だよ!」
なんだかとんでもない勘違いをされている。
た、確かに日ごとに違う女の子と遊んでる自覚はあるけど、別にとっかえひっかえなんて……なんて……。
「……俺、とっかえひっかえしてるのかな……」
やばい、ちょっと心が折れそう。
俺は月ちゃん一途なはず。そうそのはず……。
確かに夏休みに入ってからも、
「曜くん?……もしかして」
「もしかしないから!セーフだから!ちゃんと犬が入ってるから!!」
「なにがセーフなの」
よく分からないけどセーフなのだ。女の子だけと遊んでるわけじゃないと分かっただけでセーフなのだ。セーフなのだ!!
まあとっかえひっかえ云々は置いておくとしても、昔に比べればずいぶんと変わったなと思う。
中学の頃は本当にどこにでもいる男子だった。
中学を卒業してから4か月ほど。
まだ半年すら経っていないのに、こんなに女の子と接点を持つようになるだなんてあのころの俺に言っても信じないだろう。
いやそもそも、月ちゃんと出会うまでは誰かを好きになること自体想像しなかった。
「変わったなぁ……」
「なにが?」
「俺が、中学のころと比べると変わったなと思って……月ちゃんって中学時代はどんな子だったの?」
「……別に、今と同じ」
今と同じ……ということは中学時代から天使だったのか。さすが月ちゃん。略してさすルナ。
「でも、少しは変わったと思う」
「どのへん?……って言っても中学時代の頃の月ちゃん知らないし聞いても分からないか……」
「曜くんに会ったばかりの私は、中学のころと変わらない。変わったのは、そこから」
「そこから……確かに、初めて会った時とは少し変わったような気も……」
言葉にしようとしてみるが、うまくまとめられない。
つまりはそういう雰囲気のようなものが変わったと思えばいいのだろうか。
根っこは変わっていないのは、月ちゃんの笑顔を見れば分かる。
俺はそこをしっかり認識していればいい。
「中学の頃の俺だったら、今頃どうなってたのかな」
「中学時代の曜くんを知らないから、何とも言えない」
「俺も月ちゃんと同じで、初対面の時の俺がそのまま中学時代の俺だよ。高校デビューとかも目指してなかったから、制服を中学のに変えれば中学生バージョンの俺の完成」
どこにでもいる男の子。
元気で明るくて友達も何人かいて。
勉強は得意なものと不得意なものが何個かあって、運動は得意じゃないけどビリでもなくて。
ただ、それだけの人間。
表層だけを取り繕った、安っぽいキャラ設定だけの人間だった。
「……なら、あんまり変わってないと思う」
「え?」
そんな昔の俺をよく知っているからこそ、月ちゃんのその言葉に反応できなかった。
「初対面の頃が、中学時代の曜くんなら、今とそんなに変わらない」
「い、いやでも、昔の俺はこんなに勉強できなかったし、運動もできなくて……全然、なんにもない、ほんとにどこにでもいるような……」
「さっき、根はどこにでもいる普通の高校生って言ってた」
「それが……?」
「昔もどこにでもいる人間だったなら、曜くんはなにも変わってないってこと」
「っ!」
言われて初めて気づかされた。
俺は今の自分を『できることが多いだけの、どこにでもいる人間』と評価している。
そして昔の俺を『なにもない、どこにでもいる人間』と評価している。
それはつまり、俺の根っこは何も変わっていないということだ。
何も、成長なんてしていないということだ。
「そっか……俺、昔からなにも成長してないんだ……ただの、どこにでもいるつまらない人間のまま……」
「……その評価に対して、私がなんて言ったか覚えてる?」
……なんだっけ。ノリと勢いでツッコんで流しちゃってあんまり覚えてないや……。
「ダウト。私はそう言った」
「……ああそうだ。そう言ってたね。でも……俺が昔と変わってないなら、嘘でもなんでもないよ?」
「だから、そこから違う」
「どこから?」
「曜くんは、今も昔も『どこにでもいる人間』なんかじゃない」
思わず、下げていた視線を一気に上げてしまう。
視界に写るのは、優しく微笑む月ちゃん。
……月ちゃんの瞳に写る俺は、どれだけ情けない顔をしているのだろうか。
「普通の高校生は、初対面の女の子に運命を感じるなんて言わない」
「その話引っ張り出すのやめよ!?」
月ちゃんに俺の恥ずかしい過去を掘り返されてしまう。
まさか覚えられてるとは思わなかった!そういや月ちゃんて記憶力いいんだった!!
「あの時は、本当に驚いた。まさか初対面でそんな……そんな……ふふっ」
「思い出し笑いとかしないで!俺にとどめを刺しに来てるの!?」
「……ふっ」
「だからって鼻で笑うのもやめようか!」
なんだこれ、なんだこの羞恥プレイ。俺にそんな趣味はあんまりないぞ。
俺が顔を真っ赤にしているのを知っているだろうに、月ちゃんは優しく微笑みながらさらに追撃してくる。
……優しく微笑みながら?この状況で優しく笑ってるとか悪魔か。天使で悪魔とか最強かよ勝てる気がしねえや。
「その後も、可愛いとか言ってくるし」
「ほ、ほんと勘弁して……」
「真剣な顔で『君のおかげで世界が輝いてる』なんて言ってくるし」
「言った……確かに言った……今考えると何言ってるんだ俺……」
改めて省みると俺の言動って黒歴史ばっかじゃねえか!
「……それに、変なところで考え方がずれてる」
「それは……褒めてるの?」
「とっても褒めてる。だって、それが曜くんの素敵なところだもの」
そう口にした月ちゃんは照れたように視線を逸らして、小さめな声で続けた。
「曜くんの考え方は、大切なところがずれてて、普通じゃない。普通になれない。でもそれは悪いことじゃない。普通じゃない考え方をしてるから、普通じゃない誰かの支えになれる。それは曜くんにしかできないこと」
「俺に、しか……」
「だから、曜くんは『どこにでもいる人間』じゃない。そんなレッテルを自分に貼らなくたっていい。……曜くんは、素敵な人間だよ」
最後だけ俺のことをしっかり見つめてきて、まっすぐに思いを届けられる。
……そういう言い方は、ずるいよ。泣きそうになるじゃないか。
「……ありがと」
「お礼なんていい。これはただの恩返しだから。それより」
恩返し、というワードが気になったが、月ちゃんが話を変えてしまったのでそこには触れられなかった。
まあ、わざわざ話を戻してまで聞くものでもないしいいんだけど。
「曜くんは人はそれぞれ違うって考え方なんだよね?なら、『どこにでもいる人間』なんて括り方は、普通しないんじゃない?」
「それは……あれ?そう言われれば確かにそうだ」
人間は一人一人が別の生き物。
育ち方によってそれぞれ違う世界観を持っている。
それはつまり、人はそれぞれその人にしかないオリジナルを持っているということのはずだ。
なのに、俺はどうして俺だけを『どこにでもいる人間』なんて風に評価したんだ?
「俺は、俺が思ってるよりも俺のことが嫌いなのかな」
「……そうかもしれない。人は、自分のことを正当に評価できないものだから」
「正当がどこなのか分からないからね。そのせいで無駄に自分のことを好きか、あるいは自分のことが嫌いか。どっちかになっちゃう」
「……私も、自分のことが嫌い。でも、他人に自分を否定されるのは、気に食わない」
「難儀だねぇ」
その気持ちも分からないでもない。
自分で自分を否定するのは何も問題ないのに、自分以外の人間に言われると無性にイラッとする。
ただ、俺のことをよく知ってる友達とかに言われると普通に傷つく。1~2日くらい頭から離れなくなったりする。
……我ながら面倒な人間だなぁ。
「否定されるのが嫌な分、好きって言ってもらえるのは嬉しい。特に、言葉してもらえるととても嬉しい」
「それも分かる。そう言ってもらえるのはかなり嬉しいよね」
「うん。……言葉にしてもらえると、とても嬉しい」
なぜか月ちゃんが同じことを二回言った。大事なことなんだろうか。いや大事なんだろうけど。
その言葉を繰り返した後、月ちゃんは俺のことをジーッと見つめてきた。
……あれ、これもしかして求められてる?
「えっと……」
「好きって言葉にしてもらえると、とても嬉しい」
求められてるって受け取っていいよね。好きって言うことを強制させられてる感じだよねこれ。
「す……す…………」
月ちゃんにものすごく見つめられる。『情熱的に』と言ってもいいほどに見つめられてしまっている。
たった二文字の言葉のうち、一文字目はなんとか口にできた。
だというのに残り一文字がどうしても出てこない。
だって女の子に面と向かって『好き』って伝えるなんてそんなのもはや告白じゃねえか!!
……前にやったことある気もするけど、それは置いておいて。
「…………」
俺がどれだけ言いよどんでも、月ちゃんは何も言わない。俺がその続きを言葉にするのを静かに待ち続ける。
行くしかないのか!こんななんの変哲もないカフェで告白っぽいことしちゃうのか!?
「す、す……」
「…………」
「……数学の宿題、やろ?」
…………。
二人の間に重い沈黙が降りる。
カフェに流れる陽気なBGMだけが聞こえる中、二人とも互いを見たまま動かない。
ただし、俺は曖昧な笑顔で、月ちゃんは冷めた表情で、だけれど。
「……はあ」
先に動き始めたのは月ちゃんだった。
小さくため息をつきながら、ゆっくりとコーヒーへ手を伸ばす。
今のリアクションはかなり胸に刺さったが、この針のむしろのような時間から解放されるなら良かった……。
俺も緊張で乾いてしまった喉を潤すためコーヒーを手に取る。今ばかりはガムシロップが欲しいと思ったが、ぜいたくは言ってられない。
とりあえず、なんでもいいから飲もう――と、思ったのだが。
目の前から、ぶくぶくぶく!!という変な音が聞こえた。
「る、月ちゃん?……月さん?」
……その音の発生源は月ちゃんの手元のコーヒーである。
月ちゃんの小さな口にくわえられたストローから猛烈な勢いで空気が送り込まれ、月ちゃん特製のミルクたっぷりコーヒーがものすごい勢いで泡立っている。
理由についてはまあ……言わずもがな、だろう。
「……へたれ」
「うぐっ……い、いやでもさ、ほら、そういうのって軽々しく言わないものじゃん?」
「……へたれ野郎」
月ちゃんから口汚く罵られるというレアイベントを体験するも、心の中は不甲斐なさ申し訳なさとほんの少しだけの興奮で埋め尽くされる。
「……あのさ」
「なに」
「いつか、ちゃんと言うので……もうちょっとだけ待っててください」
今の俺に言えるのはこれだけだ。
まだ勇気が足りない。自信が足りない。
……怖い。この恐怖を乗り越える術を、俺はまだ知らない。
でも、いつか絶対に伝えることだけは決めている。
なら今の俺にできるのは、その『いつか』を早く手繰り寄せることだけ。
月ちゃんが素敵だと言ってくれた俺を、もっと素敵にすることだけだ。
「……へたれ」
また同じ言葉で罵倒されてしまう。
月ちゃんはそのあともコーヒーをぶくぶくし続けていた。
……口元を緩みっぱなしにしながら。
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