16週目 一学期最後のラブコメ
「おはよう
暑さで体が溶けそうな月曜の朝。エアコンで気温を下げまくった教室に入ってきた月ちゃんは、いつもよりちょっとだけテンションが高かった。
文字だけじゃ伝わりそうもないけど、微妙に早口……に思えなくもないし、動きも軽やか……に見えなくもない。トータルでいつもより10%くらい元気に……感じなくもない。
「おはよう
俺の観察眼が正しいことを証明するため、直球で月ちゃんに質問をしてみた。
月ちゃんはやはり軽やかに見えなくもない動きでバッグを置くと、箒を取りに行きながら答える。
「今週から夏休み。元気にもなる」
「ああ、そっか……」
もう7月も中旬だ。今週の木曜日には夏休みに入る。
夏休み。それが学生にとってどれだけ大きなものかは詳しく説明しなくても伝わるだろう。というか、1か月以上の休みなんて学生じゃなくても大きいはずだ。
毎回夏休みになるたびに『そうか……お前はそんなに休めるのか……』的なプレッシャーをかけてくる両親を見るたびにその大きさを実感する。
「……曜くんは嬉しくないの?夏休みになれば、たくさん寝れるのに」
「いや嬉しいけどさ」
自由に使える時間が増えればそれだけいろんなことができる。
今までは運動・勉強・人当たりといったメジャーどころしか鍛えられなかったけど、夏休み中にもっとピンポイントな……例えば、楽器や日曜大工みたいなものにも挑戦しようと思っている。
今からそのスケジュールを組むだけでワクワクできるが……。
「……あのさ、月ちゃん」
夏休みは学校がない。
もちろん部活動や補習なんかで来る生徒はいるが、帰宅部で頭のいい俺はどちらにも当てはまらない。
それはつまり――1か月以上、月ちゃんに会えないということだ。
「夏休み中も、たまにでいいから会えないかな?」
その事実は夏休みが近づくたびに俺の心を蝕み、ついにはこんなセリフをいつも通りのテンションで言えるまでになっていた。
いつもの俺なら、動悸がひどいことになったり呼吸が浅くなったりを乗り越えて、ちょっと噛みながらたどたどしく言うようなセリフなのに……今日はすらっと言えたし、言った後に恥ずかしさで逃げたくなる感情にも少ししか襲われてない。
まあそんな感じで、ほんの少しだけそわそわしながらも月ちゃんがどう答えてくれるか待つ。
「その発想はなかった」
「……えー」
ある意味断られるよりもひどい回答に、分かりやすく落胆する。
そ、そうか……夏休みというあまりにもビッグなイベントの前に、俺みたいなちっぽけな存在は完全に消えていたらしい。
思わず膝から崩れ落ちそうになる俺に気付かないまま、月ちゃんが補足を付け加えた。
「休みの日に、誰かと遊ぶなんて発想がなかった。私を誘う人なんて誰もいなかったから」
「あ、ああそういうことね……遠回しに断られたのかと思った……」
「べ、別に断らないよ。嫌じゃないもん」
良かったー!!さらっとオーケーももらえたー!!
崩れ落ちかけた膝が一瞬で回復しただけにとどまらずタップダンスをしそうになる。踊れないけど。
膝をむりやり抑え込みながら、テンション高めに月ちゃんへ確認しておく。
「ほ、ほんとっ?ほんとにほんとにオーケー?ここでエイプリルフールとか言わないよね!?」
「今7月だよ。嘘なんてつかない」
「よっしゃああ!!!」
柄にもなく大声を出し飛び跳ねる。5回ほど跳んだところで月ちゃんからの視線に気付いてしまった。
……めっちゃ生暖かい目で見られてる。
「こほん」
咳ばらいを一つ挟み、何事もなかったかのようにきりっとした顔で月ちゃんに向き直る。
そう、なにもなかったのだ。
飛び跳ねたりなんてしてないし、実はエアギターしてたなんてこともない。ないったらない。
「じゃ、じゃあ早速次の約束しよう!俺はいつでも空いてるから月ちゃんの都合のいい日教えて!」
「……本当に、曜くんは予定ないの?女の子と遊ぶ約束してない?」
「前々から俺が不特定多数の女の子と不純異性交遊してるみたいなこと思ってない?別に女の子との予定なんて……」
そう言って脳内にカレンダーを思い浮かべる。
夏休みは木曜から。木曜はなにもないはずだし……あ。
「木曜はじゅえ……ゲフンゲフン。友達に愚痴聞いてくれって言われてたなぁ……」
「女の子?」
「……はい」
「ふーん……」
月ちゃんの目の温度が下がっていく。
お、おかしいな。エアコンの温度下げすぎたかな?なんだか寒気がするぞ?
「い、いやでも金曜は!!」
「金曜は?」
「……とある先輩にご飯に誘われてました……」
「…………」
「女子です……」
は、ははは。エアコンぶっ壊れてるみたいだなぁ!!震えが止まらないぞ!!
「ほ、ほら土曜は!……土曜はリトルケルベロスに……えっと、クラスメイトの女子のペットに会いに……」
「……………………」
「日曜は……日曜は……。あ!日曜はなんもない!一日暇だ!!」
「……ごめん。日曜は私がお姉ちゃんとお買い物に行く日だから……」
「そ、そっか……じゃ、じゃあ月曜は!?」
気まずい沈黙が場を支配しかけるが、負けじと声を張り上げる。
一週間は7日もあるのだ。そのうち4日くらいがダメだったくらいで諦める理由にはならない。
「……月曜なら、大丈夫」
返ってきた月ちゃんの言葉は、俺の気のせいかもしれないけどちょっとだけ嬉しそうだった。
「なら月曜で決まりだね!」
「うん。……待ち合わせについては、また今度でいい?」
「いいよ。じゃあもうちょっと近くなってから決めよう。……って、今度!?ま、まさか月ちゃん、この時間以外のどこかで起きるつもり……?」
「……そこまで戦慄されることじゃ、ないと思うけど。今回はそうじゃなくて」
驚く俺をよそに、箒を持ったままとてとてと自分の席へと走ったかと思えば、月ちゃんはバッグの中からなにやら四角い物体を取り出してこちらへ戻ってきた。
「アドレス、交換しよ?」
「……その発想はなかった」
月ちゃんとケータイという組み合わせがうまく結びつかず、気づけばついさっきの月ちゃんと同じことを口走っていた。
そして、さっきの俺と同じようにその言葉を遠回しな拒否と受け取ってしまったのか、月ちゃんの瞳が揺れる。
「い、嫌なら別に……」
「嫌じゃない嫌じゃないむしろこっちからお願いしたいくらいだよ!!」
月ちゃんがケータイを持っているということをもっと早く知っていれば、今日までのどこかでアドレスと、あと電話番号も一緒に聞いたのに!!
ただそれをしたらしたで、毎日メールや電話をするか悩みまくってまともに眠れなくなりそうで怖い。しかもなんだかんだ言い訳をして結局何もしないまま終わりそうだ。
「ちょっと待ってね……」
緊張で指が震えるせいで、メールアプリを起動するだけでも苦労してしまう。
たっぷり一分かけてアプリを起動し、月ちゃんのアドレスを入力する。
まずはそのアドレスを俺のケータイに登録し、そこに空メールを送って次は月ちゃんのケータイに俺のアドレスを登録してもらう。
これでめでたくアドレス交換完了だ。
俺も月ちゃんもスマートフォン。赤外線機能はないから手打ちする羽目になったが、月ちゃんとだとその作業すら楽しくて終始笑顔だった。
ニヤニヤしながら女の子とアドレス交換する男とか傍から見れば気持ち悪いだけだが、そこは相手が好きな女の子だったからということで許してほしい。
あるいは、俺イケメンだから見た目補正でなんとかならないだろうか。無理か……。
「すごく、嬉しそうだね。女の子のアドレスなんてたくさん持ってるでしょ?」
「そりゃたくさんあるけどさ……ほら、あの……うん。ところで、他に予定がある日ってある?」
月ちゃんへの理由説明を露骨に避けながら、夏休みの予定について質問する。
……ここ最近、月ちゃんの言葉の節々にトゲがあるように思えるのだが、それは気のせいだと信じよう。
そこに踏み込んでしまうと、とてもややこしいことになりそうだし。
「日曜は毎週お買い物。それ以外の予定はない。家で有意義に寝てるだけ」
……有意義に寝るなんてフレーズ、人生で初めて聞いたぞ。
まあ寝ることは体にとって重要な行為ではあるし、本人が有意義だと思えば有意義なのだろう、そこは俺の深く突っ込むところじゃない。
「そっか。じゃあもし月曜以降も会うとしたら、日曜は避けないとね」
「……曜くんは、他に予定は?」
「んー、さすがにあれ以外は……」
夏休み開始から、とりあえず一週間の予定を確認する。木曜から月曜まではさっき言った通り。
ここに来て火曜と水曜まで予定があるなんてことは……。
「火曜は……その……隣のクラスの女子と、ゲームをする約束が……」
「……そう、良かったね」
なにも良さそうじゃないんですけど!!なんかまた気温下がったような気もするし!!
「水曜は?」
「…………」
「…………」
「答えるから箒構えないで。……えっと、はい。予定あります。日課のランニングについて、いろいろ本格的なことを教えてもらいます。……陸上部の……女子に」
エアコン!!気温上げろよ仕事しろよ俺を温めてくれよ!!さっきから体の震えが止まらないんだよ!!
なのに冷や汗はこれでもかってくらい出てて……これもうエアコンじゃなくて俺が壊れてるな。
「ずいぶんと充実した毎日をお過ごしのようですね
「急に他人行儀にならないで!」
精神的に距離を取り始めた月ちゃんは箒をしまいに行きながら、着実に俺と物理的にも距離を取っていた。
机を運ぶのにこじつけて俺から遠ざからないで。そういうの思春期男子の心にクリティカルヒットするんです……。
「……曜くんは、モテるよね」
「えー、あー……うん。モテます」
「なのに、どうして私に構ってくれるの?」
「えっ……」
思わず声が詰まる。
その意味を、どう受け取ればいいか迷ってしまう。思わず深く考え込む。
なぜ月ちゃんに構うのか――そんなの、好きだから、好きになってもらいたいから。ただそれだけだ。
でも、月ちゃんが聞きたいのは本当にそこだろうか?
そう、例えば――好きな理由、とか。
「そ、それはね……」
好きな理由。まあ、それも言ってしまえば『笑顔に一目惚れ』なんだけど。
ただしそれはもっと詳しく話していくと、俺のあまり話したくない部分にも繋がっていく内容になる。
……つまりはどんな意味であれ俺はそれを答えることができない。
うん、深く考える必要なかったな!結局誤魔化すしかないわけだし!!
脳みそをフル回転。月ちゃんの質問がどっちの意味だった場合でも大丈夫なように、当たり障りなく、かつ嘘でもない説明を考える。
「る、月ちゃんに構うのは……月ちゃんと話してる時が一番楽しいから?みたいな?」
「…………」
「うん、そう。そうなんだよ。俺、月ちゃんと話してる時が一番楽しいっていうか幸せでね!月ちゃんと話すのを楽しみに学校来てるみたいなね!これからもずっと月ちゃんとお喋りできたら幸せだろうな、うん!理由としてはそんな感じです!」
よし誤魔化せた!誤魔化せたよ!!これなら完璧だ怪しまれない!!
俺の誤魔化した内容の何かがハマって笑いを堪えてるのか、月ちゃんは下を向いてプルプルと震えていた。
顔も真っ赤だし、この前みたいに俺の予想外のところが彼女のツボにハマったのだろう。
……あれ?本当に笑ってるのか?仕草からそう予想したけど、なんだか様子が変だ。
いくら堪えてるとはいえ、まったくもって笑い声が聞こえてこないんだけど……。
「……スケコマシ……!」
「スケコマシ!?」
月ちゃんに予想外の言葉で罵倒される。
スケコマシって甘い言葉で女性を騙したりする人のことだよね!?俺そんな言葉囁いた記憶ないんですけど!?
「自覚ない顔して、本当にもう……もう……!!」
「なんで急にキレられてるの俺!?普通に月ちゃんに構う理由説明しただけだよね!なにか気に食わなかったの!?」
「その態度が気に食わない」
「すごい面倒なこと言い出した!」
なにその悪質クレーマーみたいな理由!まるで説明になってない!!
俺の困惑をよそに、月ちゃんは箒をぶんぶん振り回して怒りをあらわにする。
……本当に怒ってるのかあれ。それにしては口元がニマニマしてる気がするんだけど……。
「月ちゃん、笑ってない?」
「笑ってない。怒ってるもん」
「そうですか」
表情を見られないようにするためか、そっぽを向かれてしまう。
形だけでも箒を掃き始めたあたり、ある程度冷静さはあるんだろうけど……理由が分からな過ぎて対処のしようがない。
これが乙女心の難しさってやつか……!
「他の子にも、今と同じこと言うの?」
「いや、言わないよ?」
頭を掻きながら打開策を練っていた俺に、月ちゃんが小さな声で訊いてきた。
またまた予想外の言葉ではあったが、簡単な質問だったのでノータイムで返す。
……ああそういえば、さっき態度が気に入らないとか言ってたなぁ。ノリで押し切ろうとした軽薄な態度が嫌だったんだろうか。
なら、今度は真面目な態度で答えよう。
さっきの補足を、真摯な態度で伝えるために月ちゃんに近づいていく。
背を向けながらもチラチラこっちを見ていた月ちゃんの瞳に焦点を合わせる。……視線を逸らされてしまったので、立ち位置を変え月ちゃんの正面の前に立つ。膝を曲げ視線の高さを合わせる心遣いも忘れない。
話す声は少し低めに、真面目さを前面にアピールしながら彼女に話しかける。
「俺にとっての一番は月ちゃんだけだ。だから、今みたいなことは他の誰にも言わないよ」
これでどうだ!と言わんばかりに月ちゃんの目を見つめ続ける。彼女は視線を逸らしまくるが、ここで俺まで逸らしてはまたさっきみたいに気に食わないとか言われかねない。
「あ、あの……」
月ちゃんがようやく口を開いた。
正直好きな子を近くから見つめまくって少し恥ずかしくなってきてたので良かった。
「ふふん。これだけ真面目に言えば文句ないでしょ?トーンも姿勢も完璧だったしなにより……本当のことしか言ってないからね!!」
「うううぅぅぅぅぅ!!」
またもや俺の態度が気に食わなかったのか、月ちゃんがついに唸りだしてしまった!
狼狽することしかできない俺を、月ちゃんが睨みつける。……ただし、口元はさっきよりも緩みっぱなしだ。
「ひ、曜くんのスケコマシ……」
「そこに戻るの!?」
とはいいつつも、月ちゃんの表情を見てみればそれが怒りから来る罵倒ではなく照れからなのだとすぐに分かる。
まあ怒ってる理由も照れてる理由もよく分からないけど、いい方向に向かってくれたみたいだから良し!!
一仕事終えたかのように汗をぬぐい、今までのやり取りで散ってしまった床のごみを手際よく集めていく。
パパパッとちりとりに回収しごみを捨て、掃き掃除についてはこれで終了だ。
月ちゃんはといえば、さきほどの罵倒からずっと黙っている。
だが、俺のことをやけに見つめたり、かと思えば急いで俺から視線を外したりと謎の行動をとることが何回か……いや何十回かあった。
その行動の意味を聞いたところで答えてもらう気がしないので、気にしないようにする。
「ふう……」
掃き掃除が終わったので俺と月ちゃんの箒やちりとりを掃除用具のロッカーへとしまう。
一学期最後のこの時間も、あとは机を戻し終えればおしまいだ。来週も月ちゃんに会えるというのに、なんだか少しだけ寂しい気持ちになってしまう。
そんな感情を抱きつつも、作業は黙々と進めていく。手慣れた手つきで俺も月ちゃんも机を戻していき、後ろに下げられた机はあっという間に数を減らしていった。
「ねえ月ちゃん」
後ろに下がったままの机が最後の一個になったところで、俺は口を閉ざしたままだった月ちゃんに声をかけた。
彼女はやけに大げさに肩を震わせ反応する。
そ、そこまでびっくりさせるようなことだったのかな……。
「……なに?」
「この一学期、どうだった?」
俺の質問に、月ちゃんはすぐには答えなかった。
彼女が悩んでいる間に俺は最後の机を元の位置に移動させる。
……これにて掃除は終了だ。でも、この時間を終わらせるにはまだ早い。
彼女の答えを聞かなければ、きっとこの時間は終わらない。
「一学期は……ずっと寝てた。だから、今までと変わらない」
「そっか……」
「でも、この時間は楽しかったよ」
しれっと付け足されたセリフを脳が理解するのに、十秒ほどかかってしまう。
言葉を理解してから月ちゃんを再度見れば、まるでイタズラが成功した子供のような笑顔を浮かべていた。
「曜くんは、どうだった?」
俺の口から彼女への言葉が飛び出すよりも先に、月ちゃんに質問をされてしまう。
内容は俺がしたのと同じものだ。
……自分でしておいてなんだけど、この質問だいぶアバウトで答えに困る。
「俺は……」
どうだっただろうか。
この一学期は今までとはだいぶ違うものだったように思う。
時間の流れるままに生きてきた中学までのころとは違う、成長しようと努力し始めた自分。
それの影響か、周りからの評価はずっと高くなり、ついには女の子に告白されるなんてイベントまで発生した。
「いろいろあって、いろんな人とも知り合えて、すごく楽しかったよ。……それと」
今までの人生の中でもっとも輝いていると言っても過言じゃない。
時間に流されるのではなく、しっかりと両の足で歩いているような感覚。それが俺にもたらした充実感は計り知れない。
そしてなにより。そのすべての中心にあるのは、たった一人の女の子への淡い初恋で。
だからこそ、俺もこう付け足そう。
「月曜の朝が最高だったよ」
お互いの感想を言い合い、理由もなく笑い合う。
そんな優しい時間がこれからもずっと続けばいいと、強く願った。
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