15週目 信念
「ふわぁ……おはよう
「……?おはよう
「あははそれはない……よ…………」
「起きて」
月曜の朝。若干の寝坊でいつもより少しだけ家を出るのが遅くなった俺は、遅刻こそしなかったものの月ちゃんより遅く登校していた。
おれがこんな眠そうなのも少し寝坊したのも原因は同じところにある。
「ちょっと……今日はほぼ寝れなくて……」
「テスト勉強?」
月ちゃんがまさにその原因を言い当ててくれたので、こくりと首を縦に動かした。
中間テストから2か月ほど。そろそろ夏休みも間近というこの時期に控えるのはみんな大好き期末テスト。
それが今回は火曜日から金曜までの4日間で行われる。
勉強はほぼ毎日しているので一夜漬けなんてする意味はないのだが、前回の出来が思っていたよりも良くなかったことが妙にひっかかり、あと少しもう少し先っぽだけ……!と教科書を読みふけっているうちに気付いたら5時になっていた。
そこから急いで就寝。
目覚まし時計、ケータイの目覚まし機能、そして特殊権能『母の呼び声』を発動したにも関わらず、いつもより10分遅れでの起床となった。
「そういう
「八つ当たってない。正当な当たり。……今回は前回より勉強してないから、寝る時間を減らしてない。それに、周りの子がうるさくなかったから……」
「ああ……」
前に話していた、俺のことが好きだという月ちゃんの周りの子たち。以前は彼女たちの会話がうるさくて月ちゃんの学校での眠りが浅くなっていたようだが……。
「水野さんも、周りの子たちももう
言葉にせずとも、彼女の言い方が遠回しに『なにかあった?』と聞いてくる。
まあなにかもなにも、そのグループの一人に告白されて振ったのが理由だろうけど。
これまでの人生で告白なんて一度もされたことがなかったのでその時は大層焦ったが、嘘をついてもしかたないので『他に好きな人がいるから』という理由でお断りしておいた。
それがグループ内で広まれば、わざわざ俺の話などしないだろう。
「そっか。なんでだろうね」
でもそれを伝えることはしない。それは告白してくれた大橋さんに失礼だと思ったからだ。
……振った後、すごいあっけらかんとした感じで『そっかー、じゃあ次は誰にしようかなー』とか言ってた気がするけど俺は何も聞いてない。
童貞のわがままだとは分かってるけど、女の子に夢を見続けていたいんだ……。
「……まあ、いいけど」
そんな俺の意を汲んでくれたのか、月ちゃんはこの件に関しては追及してこなかった。
胸をなで下ろし、俺も掃除に加わるためバッグを置いて箒を取り出す。
「ところで、曜くんはなんのために勉強してるの?」
「え?なんのためって、そりゃまあ成績のために……」
「そういう意味じゃない。曜くんは、入学当初はそんなに勉強できてなかった。それが、最近はいろんな女の子に教えてあげるくらいにできるようになってる」
「なんか『女の子』って強調してない?」
「入学してから今日まで、成績以外の目的で勉強をしてるように見える。なにか、理由があるの?それとも、高校に入って成績のことを意識しだしただけ?」
……月ちゃんが痛いところをついてくる。
質問をした人間が理由そのものなのだが、これはどう答えたらいいものか……。
さすがに月ちゃんに惚れてもらうためにやれること全部やってるだけ、とは言えなかったので適当な理由をでっち上げて答えようとしたのだが。
そこで、俺の脳内に天啓が!!
「……深い意味はなくて、ただの高校デビュー的なあれでね、勉強できたらかっこいいんじゃないかなって」
「そうなんだ」
「そうそう。と、ところで、このかっこいいについてなんだけど」
さっきまで眠気のせいで思考にもやがかかっていたというのに、緊張のせいで嫌な意味ですっきりしてしまった。
うるさい心臓を押さえつけ、俺はその質問の内容を伝える。
「参考までに、月ちゃんがどんな男の子をかっこいいって思うか教えてもらってもいい?」
意外とスラスラ言葉が出てきたことに、少し驚いた。
好きな男の子がいるかに比べれば聞きやすかっただからだろうか。
……結局、あれがいったい誰のことを指してたのかとか判明してないんだよな……。
今更ながらに焦燥感を覚える。
あの時は俺が分かりやすい人間か否かに話がスライドしてしまったせいで結論を出すことができなかったし、今日の会話の流れ次第ではそっちも聞いてしまおう。
「かっこいいところ……」
「仕草とか性格とか、もっと抽象的なことでも構わないけど。こんなところにドキッとするとかキュンとするとか、こんな男子がいいみたいな」
「つまり、好きなタイプってこと?」
「はいその通りです」
せっかく直接言うのを避けていたフレーズを月ちゃんがそのまま口にしてしまった。
俺の悪魔的頭脳プレーが……俺の話からさりげなく月ちゃんのタイプを聞き出す作戦が……あらためて見てみるとバレバレだなこれ。どこも悪魔じゃない。
俺の凡人的頭脳プレーを見破った月ちゃんはといえば、かなり真面目に考えてくれているのか俺の方をじっと見たまま微動だにしない。
そんなに見つめられると照れる。
「……なんて言えばいいのか、分からない」
「ええ……」
ようやく返ってきた言葉は、とても答えとは言えないものだった。
似たような、というか全く同じ質問を先週俺がされたときは脳みそフル回転で答えをひねり出したのに……。
そんな不満があって、ちょっとだけ欲張ってみる。
「な、なんでもいいんだけど、なんかない?例えばほら……身長は何cmがいいとか、テストでは何点を取ってほしいとかイニシャルはH・Aがいいとか………」
「最後だけ、おかしくない?」
「ははははなんのことやら」
ちょっとだけというか全力で欲望をさらけ出してしまっていた。危ない危ない。
むしろH・Aがいいと言われてもそれはそれで反応に困る。
「……好きになった人が、好きなタイプだと思う。だから今のままじゃ分からない。けど一個だけ、タイプとはまた違うけど、好きな人にこれだけは守ってほしいことがある」
「お、なになに?」
良い答えが返ってくるのを諦めていたところに、一筋の答えが差し込んだ。
守ってほしいもの……確かに、『好きなタイプ』というよりは『最低限のライン』といった感じだ。
まあ、好かれることも大事だけど、嫌われないことも同じくらい大事だ。そういうラインがあるのならぜひとも教えてもらいたい。
適当に動かしていた箒を完全に止め、月ちゃんの回答に向き合う。
だが、月ちゃんはこちらに視線を合わせてはくれず少し下を向いたまま、
「私を、信じてくれること」
沈んだ声で、そう答えた。
「私の言うことを全部信じて、って意味じゃない。私のことを信じて、ちゃんと頼ってほしい。無理をしないで、我慢なんてしないで、ちゃんと私にも背負わせてほしい」
「……ずいぶんとまた、難しい要望だね」
「難しい、の?私はただ、当たり前のことを……」
「当たり前のことを当たり前にするってのは、実はものすごく難しいことなんだよ。……ああでも、ごめん。これは俺の場合の話だった。他の人にも適用されるってわけじゃないから聞き流して」
月ちゃんの要望は簡単に言えば『見栄を張らないで』といったところだろう。
それは俺にとっては難しいし、大概の人にとっても難しいことだとは思うが、それでもすべての人がそれに当てはまるわけじゃない。
月ちゃんがそれを求める人、つまりは先週言っていた『気になる人』がどんな人間か分からない以上、俺がこれ以上偉そうに語るのは間違っている――そう思い話を切り上げたのだが。
「構わない。曜くんの話でいいから聞かせて」
月ちゃんは俺の話に食いついてきた。
なぜそんな真面目な表情でこちらを見ているのか、そこに戸惑いを覚えてしまう。
だが、深く考えても答えは出そうにない。
早々に謎解きを諦め、彼女の求めるまま俺の意見を口にする。
「俺は、好きな人にはかっこいいところしか見せたくないんだ。これはもう信頼がどうのとかそういうんじゃなくて……意地の話でさ」
「……なんで、そんな意地張るの?もし好きな人と付き合ったり結婚することになったら、どうしたってかっこ悪いところも見せることになるのに」
「それは多分……」
「多分?」
「馬鹿なんだよ、俺」
照れたような、困ったような笑顔を浮かべて彼女に答える。
俺がそんな微妙な表情をしたからか、月ちゃんも困ったように首を傾げた。
「月ちゃんが言ってることの方が正しいってさすがに分かるよ。でも、好きな女の子にはいつでも一番かっこいい俺を見てもらいたい。長く付き合えばかっこ悪いところもどうしようもないとこも見せるっていうの分かった上で、それでもかっこいい
言い終わって、本当にまったくもって説明できていないことに我ながら呆れる。
だって、こればっかりはもうどうしようもないのだ。
好きな子にかっこいいところだけを見てもらいたいのは、思春期男子の特性と言っても過言ではないだろう。
それを言葉にしろと言われてもできるわけがない。
「……曜くんが、信頼とは別の理由で、ただ意地を張ってるだけってのは分かった」
それでも俺の伝えたいことはおおまかに伝わっていたらしい。
そのことに安堵しつつ、俺はその言葉の続きを待つ。
「その意地の理由がうまく説明できないのも、だけどどうしようもないのも分かった」
「そ、そっか。分かってくれ――」
「でも、ダメ。これだけは、譲れない」
彼女の拒絶に、何も返せない。
拒絶されたことが予想外――というわけでもない。
月ちゃんがわざわざ『守ってほしい』などと言ってきたのだから、彼女なりに譲れないなにかがあるのだろうとは思っていた。だから、ここで簡単に折れてくれるとも思っていなかった。
俺が驚いたのは――彼女の眼差し。
今までの月ちゃんの中で、一番真剣で、それはもう鬼気迫ると言ってすらいいほどの迫力を持っていた。
「曜くんの理由のない意地で、この主張は曲げられない。曜くんが折れてくれるまで、私にちゃんと背負わせてくれるようになるまで、これだけは絶対に言い続ける」
「……俺も、この意地を曲げられるように善処するよ。ただこれはもう本能みたいなものだから、あまり期待しないでくれると嬉しいな」
「期待なんてしない、力ずくで曲げてみせる」
絶対に消えない炎のような熱を帯びた瞳からは、何があっても折れないという気概が伝わってくる。
確かに彼女の言う通り、言ってることは向こうが正論なのだ。こちらが意地を曲げられるように努力するのが正解だろう。
まあ、正しいだなんて理由で簡単に曲げられるようなものなら、意地だなんて言わないのだが。
……この意地、曲げるの苦労しそうだなぁ。
「あー、ところでさ」
話を切り替えるため、軽く両手を打ち合わせる。
ぱんっと乾いた音が教室に響き、俺はそれを勝手にムード変更の合図にして話し始めた。
「いまだにシリアス目線を続けてる月ちゃんには申し訳ないんだけど……ごめん、俺としてはどうしても気になる部分があるから、空気壊しちゃうと思うんだけど一個聞いていい?」
「なに?私が、今のを譲らない理由?」
「まあそれも追々聞かせてもらえればと思うんだけど。……今のって、月ちゃんが気になる人に求める最低限のライン、みたいなものって解釈でいいんだよね?」
「うん」
「……途中から、完全に俺がその対象みたいな感じになってたんだけど」
「!!」
真剣な眼差しでこちらを射抜くように見ていた月ちゃんが、一瞬にして視線を泳がせ始める。
こ、これは俺も聞いちゃいけないことを聞いちゃったのかな……いやでも気になって仕方なかったし……。
「あ、あれはっ!こ、言葉の綾みたいなので!」
「う、うんそうだよね!会話の流れ的にそうなっちゃっただけ的なあれだよね!!」
「そう!!」
「そっか……そうだよね……」
「この流れで、急に落ち込まないで」
やはり俺の勘違いだったようなので、一気にテンションが落ち込む。
月ちゃんが慰めてくれるものの……上げて落とされるのはきついなぁ。
「曜くんは歪んでるのか真っ直ぐなのか、捻くれてるのか素直なのか、分からない」
「真っ直ぐで素直な純情高校生だよ……」
その後も、月ちゃんが俺をメンタルケアしながらの掃除は続いたが、結局俺のテンションが回復したのはいつも誰かが来るくらいの時間だった。
箒を戻し、二人で机を戻す。
その作業も終わり、今日の掃除の時間は終了となる。
俺はメンタルケアしてくれたことにお礼を言いながらいつも通り席に――
「曜くん。さっきの、私があの主張を譲れない理由だけど」
「教えてくれるの?」
「……そうじゃなくて、もう少し、先延ばしでもいい?」
「?……うん、別に急かしたりしないけど……」
「分かった。……ちゃんといつか話すから」
それだけ言って、月ちゃんは席に戻っていった。
どうしたんだろう。わざわざあんなことを言いに来るなんて。
「……まあいいか」
ここで深く考えてもどうせ答えなど出ない。いつか教えくれると言っているのだから、それを待とう。
そう考え、俺は今度こそ席に戻り、明日から始まるテストに備え勉強を始めた。
――月ちゃんが、わざわざ自分から理由を話そうとした意味の重さを、この時の俺はまだ知らない。
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