EX5 ツインテールな木曜
「
「あ、ちょっと待ってね……あったあった、いつもありがとね、
「
「委員長を強調するな、
木曜日の昼休み。早々に食事を終えて『バケモノハンティング』に勤しんでいた俺たちに声を掛けてきたのは、A組の三大美女の一人、
金髪にツインテール。明るい笑顔の似合う女性で、誰とでもすぐに打ち解けられるためクラスのみんなから慕われている。
俺も含めたクラスメイト全員が彼女を
ただしお嬢様ではなく一般庶民である。だからこその親しみやすさというか、話していて安心するような温かさを持っているのが『THE・清楚』という
「明日が提出期限の書類に不備がないか今日中に確認してくれるなんて、
ゲーム機を机に置き、
俺と同じように名前の読みが普通とはちょっと違うことから仲良くなり、昼はこうしてゲームしたり談笑したりしている。
ちなみに名前を違う読み方で呼び合っているのは、あだ名みたいなものだ。言い間違いとかではない。
「ほんとごめんね?委員長は俺なのに……」
「いいのいいの、ウチが好きでやってるんだから」
そういって、俺に微笑みかけてくれるその姿には感謝しかなく、気づけば俺もゲーム機を置いて拝み倒していた。
「よし、あとは白川さんから集めれば終わりっと……あ、二人とも、次の授業理科室だからそろそろ準備しないとだよ」
それだけ言い残すと、
「普通、授業の準備しろって言われたら嫌だと思うんだけどな」
「
「いくらお前でもあそこまで完璧人間にはなれ……いや、お前なら至れるかもな。
「お前は俺や
俺の呆れた声と同時に予鈴が鳴り響く。
他の男子も混ざり、
***
時間は過ぎて、下校途中。
近くに迫った一学期の期末テストに備えて男子も女子も交えて下校時間まで勉強していたのだが……。
「あっ、やべっ」
学校と最寄駅のちょうど真ん中。そこにある信号を渡っていたところで、俺は小さく呟いた。
横を歩いていた
「どうした
「ああ、机の中にゲーム機入れっぱなしだったの思い出した……ちょっと取ってくるわ。先に帰ってて」
「りょーかいー。また明日な」
「おう、みんなもまた明日ねー」
先を歩いていた勉強会メンバーにも一声かけて駆け足で学校へ戻る。最寄駅は学校から5分程度。間にあるこの信号からなら走れば1分程度だ。
駅方面へ歩いていく
下校時間のため、校門前には先生が数名立っていた。
そのうちの一人、生活顧問の佐藤先生が下校時間の学校に戻ろうとする俺に声を掛ける。
「どうした
「教室に忘れ物!すぐ取ってくるんで入っていいですか!」
「すぐ戻れよ、校門閉めるから」
「あざーす!」
心の広い先生におざなりな感謝を伝えながら、急いで校舎へ向かう。
いつもなら靴を履き替えるが今はその時間も惜しい。
靴を脱ぎすて、靴下のまま階段を上って教室へ向かう。
誰もいない階段、誰もいない廊下。
こんなにも静かだというのに、上履きを履かず靴下だけだからか、全くと言っていいほど足音がたたない。
それがなんとなく面白くて、スピードは緩めないままできるだけ音を殺して教室に向かう。
1-Aがある4階にはやはり誰もいない。この時間に残っているのは一部の運動部生徒だけだから、この階に人がいないのは当たり前――
「……?」
――のはずなのだが、なぜか誰かの声が聞こえる。それも1-Aの教室から。
陸上部の
どちらにしろ俺のやることは変わらない。
しなくてもいいのに、無駄に足音を消しながら教室に近づく。
気分は完全に極秘ミッションを遂行中のスパイだ。
本当ならゆっくり中の様子を確認してから侵入を試みたかったが、スパイごっこにそんなにこだわって時間をかけるわけにもいかない。
教室の扉の前まで行くと、そこで遊びをやめていつものように扉を開く。
そこでは、
「あーもう!あいつら書き方間違いすぎなのよ!おかげでこんな時間になっちゃったじゃない!くそっ!!死ね無能!!金だけウチに残して爆発しろっ!!」
いつもの温かい笑顔とは真逆の、憤怒の表情を浮かべた
「…………」
「…………」
お互いがお互いの存在を認識する。俺も
時が止まる教室の中、先に再起動したのは俺だった。
「……こんな時間まで仕事させちゃってごめんね?やっぱり俺も今度から手伝――」
「見たわね?」
俺のすぐあとに再起動したらしい
……おかしい。一瞬前まで机3個分くらいは離れてたはずなのに。
「あの、
「見たの。そう、見ちゃったのね
……おかしい。俺の肩を掴む彼女の手に、ものすごい力が込められている。痛い。
というか、
それ、ちょっと前の土曜日に似たようなの見たぞ。
この展開、すごく嫌な予感がするんですけど。
「曜くん」
「はい」
「……この後、時間あるわよね?」
***
「お邪魔しまーす」
恐怖の笑顔に逆らうことができず、結局俺は
なお、お邪魔しているのは
「……なんで俺の家……」
いったいどこに付き合わされるのかと思えば、行きついたのは俺の家。
こういう時って
「仕方ないじゃない。ウチの家だと妹がいるんだもの。こんなの連れ込んでるの見られたくないし。それより早く部屋に案内してよ。散らかってるっていうならちゃんと掃除するの待ってあげるから」
「図々しいのか優しいのか分からない気遣いありがとう。でも散らかってはないからそのまま大丈夫だよ」
漫画の主人公が住んでるような一軒家に、両親二人と俺の計三人で住んでいる。
俺の部屋は階段を上がった先だ。
なお、両親とも働いているのでこの時間はまだ家にはいない。おそらくあと1、2時間で帰ってくるんじゃなかろうか。
「女の子ってさ、男子の家で二人きりになったらもうちょい警戒するもんだと思ってたんだけど」
「そりゃか弱い女の子の話でしょ。アンタ程度、襲ってきたところで返り討ちにできるわ」
さすがは文武両道系女の子。運動だけではなく武道もできるのか。
「ここが俺の部屋。なんもないけどゆっくり……しないでくれると嬉しいかな」
「こんな美少女を部屋に連れ込めるんだからもうちょっと喜びなさいよ」
部屋にたどり着くまでに、帰ってもらう方法を画策していたが……なにも思い浮かばなかった。
諦めと共に自室の扉を開き、
今日はこれから筋トレしたりいろいろ勉強したりする予定だったのに……面倒だなぁ。
「へえ。もっとイカ臭いものだと思っていたけど、案外綺麗なものね」
さらりと下世話なワードを入れてくるあたり、
ただ、あっちが下ネタが好きなだけ、というのに対し
当然のように俺のベッドに腰かける
俺は定位置にバッグを置き、クーラーの電源を入れてから近くに置いていた座布団の上に座った。
「それで、わざわざ俺の家に無理やり押し入って来て何か用?俺、
「なんで急にゴリラが出てくるのよ。アンタ、学校であれ見たんだから他に言うことがあるでしょ」
あれ、というのは普段とは違う言葉遣いで呪詛の言葉をまき散らしていた姿のことだろう。
あれを見て、俺が言うこと……はっ!確かにある!!
「……本当にごめん!!」
「は?」
彼女の言葉で気づかされる。
そうだ、さっき学校で彼女に言おうとしていたことこそ、まさに俺が言わなきゃいけないことじゃないか!
途中で言葉を遮られ、そのままなんやかんやでここまで案内させられたせいで流れてしまっていたが……俺は彼女に謝らなければならないのだ。
「俺、本当の委員長なのに
いつもは軽い俺だけど、今回ばかりは本気で謝罪する。
「……いやいやいやいや」
呆れたような戸惑っているような声が上から届く。
下げていた頭を戻し
「そうじゃないでしょ。そういうことじゃないでしょ。アンタあれ見てそれしかないの?なに、いい人?いい人なの?」
「そんなことないよ。君の苦労も知らずに全部押し付けてた俺なんて……」
「だから!」
足を振り上げ勢いよく立ち上がると、彼女は俺に顔を近づけ勢いよくまくしたてる。
「そういう話してるんじゃないのよ!それに、あれはウチがやりたくてやってたことなんだから、アンタに謝られる筋合いなんてないわ!」
「え、そうなると俺もう言うことないんだけど……」
戸惑う俺を見て、
彼女は長い足を組みツインテールの右側の毛先をいじりながら、さきほどよりも少し気だるそうに話しかけてくる。
「アンタさぁ、それ本気で言ってる?もっと、ウチを見て言うことあるでしょ」
「……じゃあ、すごく言いづらいんだけど一つだけ」
「まったく、最初から言いなさいよ」
「パンツ見せつけられても困る……」
「見せつけてないわよ!!」
そのおかげでさっきまで見えていた紫色の可愛いパンツはその姿を隠した。
「この……っ!!」
「ご、ごめん。最初に君が座った時から、スカートずれてずっと見えてたからわざと見せてきてるのかと……」
「アンタはウチのこと痴女だと思ってるわけ!?」
「とんでもないそんなことあるわけないじゃないですか。だからじりじり近づくのやめよ?ちゃんと痴女じゃなくて美女だと思ってるから!!」
「ふん、分かってるならいいのよ」
拳をぽきぽきさせながらゆっくりと近づいてきた
彼女はスカートがめくれないよう細心の注意を払いながらベッドに再度座りなおすと、今度は何を言うでもなく俺の顔をただただじっと見てきた。
「……
「本当に、何も言うことないと思ってるの?」
「ごめんなさいと何かあったら手伝うよとしか言えないんだけど」
それ以外、俺から彼女へ言うことは特にない。
だが、彼女はその返事がよほど気に入らなかったらしく、頭に手を当てるとこちらを睨みつけて問いかける。
「念のために聞くけど。ウチが罵詈雑言を並べてたの聞いたのよね?」
「しっかりと聞いたよ」
「……なら、猫かぶってるとか思うものじゃないの?」
「猫被ってるっていうと悪意を感じるけど、仮面付けてるのかなぁくらいは思ったよ」
「そこまで考えてたなら、誰かに言うとかそういうの考えないの?」
「え、そんなこと考えないよ」
どうして俺がそんなことをするというのだろうか。
そんなこと、彼女が『周りに伝えてほしい』とでも言わない限り誰かに話すつもりはない。
「もちろん言ってほしくはないけど……他にもいろいろあるでしょ。どうして猫被ってるのかとか、いつもの完璧人間は嘘でそれが本性なのかとか、言いふらしてほしくなかったら俺の奴隷になってもらおうかとか!!」
「ないかな。特に最後のはない絶対にない」
「なんでよ!?アンタおかしいんじゃないの!?」
何度も質問をしてきた彼女が、ついにヒステリックな叫び声をあげて俺を問い質す。
……なんでと聞きたいのは俺の方なのだが。
「あー、じゃあ頑張っていろいろ説明するから。落ち着いて?」
とりあえず、今の彼女に詳しい説明を求めても期待に応えてもらえるとは思えない。
こういう『お互いに何を言ってるかよく分からない』という場合は、俺の方の意見や考え方を順を追って説明するのが一番だと経験が教えてくれる。
「言いふらしたりしないのは俺に言いふらす理由がないからだよ」
「ないってことはないでしょ。ウチみたいな完璧人間の弱みを知ったのよ?誰かに言いふらしたくな――」
「ならないよ。そもそも俺は君に完璧人間だなんて夢を見てないもの」
俺の言葉で、彼女から表情が消える。それは落ち着いたからというよりは、何かが臨界点を突破したからのように見えた。
「ウチのどこが完璧じゃないっていうの?人当たりもいいし、成績だって
「そういう言い方するってことは、
とはいえ言わなければ彼女の怒りは収まりそうにもない。
以前
完璧の定義。欠点の定義。そして、俺が思う欠点の定義。
「俺にとっての欠点は、俺に合わない部分のこと。俺に合わないってのは能力がどうとか家柄がどうとかじゃない。話すスピード、歩き方、食べるとき何から食べるか、何をどう感じてどんな感想を抱いたか。そういう人となり全てにおいて、俺が一つでも合わないと思えば、その人は俺にとって完璧じゃない」
「なによ、それ」
「自分でもどうかと思うけどね。これが俺なんだから仕方がない。ま、そんな俺にとって君は、人よりできることが多いだけの人間ってことさ。なら、愚痴の一つや二つこぼしてたところでそれを弱みとも思わない。『それくらい言いたくなるよね』程度だ。それをわざわざ人に言って回るほど物好きじゃないよ、俺は」
もともと彼女に対して夢も希望も抱いていない。等身大の人間として見ている。
なら、あの程度を弱みとも思わない。それをどうしようとも思わない。
彼女に伝えることはしないけれど、端的に言えば『どうでもいい』のだ。
「じゃあなに?アンタはウチのあんな醜態を見ておきながら、これを使ってお近づきになろうとか考えないわけ?」
「別に友達以上になろうとは思わな……はっ!も、もしかして、俺って
「……ウチに異性としての興味はないの?」
「興味を持ってほしいの?」
「勘違いしないでよね。別にアンタに好かれたいわけじゃないんだからね」
侮蔑の表情で俺を見下しながら、吐き捨てるように言い放たれるセリフからはツンデレの欠片も感じられない。
金髪、ツインテール、強気な態度にさきほどのセリフ。
これだけ揃っているのにツンデレにならないとは、やっぱりパーツで人を判断するのは間違ってるということか。
「俺に、ってことは他に好かれたい人がいるってこと?」
このまま興味を持たないままだと、彼女の機嫌がどんどん下降しまくってしまうので、あえて
案の定機嫌を良くした
「別にそういうわけじゃないわよ。ただ、いつか玉の輿に乗るために女性として魅力的にならなくちゃいけないの」
「玉の輿か、大きい目標持ってるね。学校で気になってる人とかいるの?それとも大学とか就職してから見つける感じ?」
「さすがに高校で決めるような真似はしないわ。そうね……大学で候補を見つけて、満足いかなきゃ働き出してからって感じ」
「具体的に目標は決めてるの?年収いくら以上とか」
「高ければ高いほうがいいけど……5000万以上かしら」
「億じゃないんだ」
「そりゃ本当は億単位がいいわよ。でも、目標上げすぎると相手がいなくて行き遅れる可能性がね……」
「なるほど……」
興味がどうのだなんて変に気負わず、肩の力を抜いて雑談に興じればこの通り簡単に話をすることができた。
会話の基本は相手に興味をもつこと。だが、そのことにとらわれすぎるのも良くないらしい。これはいい勉強になった。
そのあとも、だらだらと話を続けていく。
どうでもいい話。くだらない話。下世話な話。
休み時間に友達と集まって笑うように、若い男女が誰もいない家で二人きりだなんてことも忘れてただ楽しく雑談を続けていく。
今日はこのまま親が帰ってくるまで駄弁って解散かな、なんてことを頭の端で考える。
だからこそ、彼女の突然の言葉に俺は何も言えなくなった。
「うん、アンタやっぱり異常だわ」
まるで会話の中に滑り込ませるように、ごく自然にそう言われた。
息が詰まる、とはまさにこのことだろう。首筋に氷を当てられたようになにも言えなくなってしまう。
「アンタ今の状況にちゃんと気づいてる?ああ別に、女の子と二人きりなのにドキドキしないなんておかしいって言ってるわけじゃないわよ。そんなのまだマシ」
「いろいろと聞きたいことはあるけど、とりあえず一つだけ言わせてもらえれば俺今普通にドキドキしてるよ?パンツ何回も見えてるし」
油断して緩んでいた足を
咳ばらいで仕切り直し、彼女はさらに続けた。
「まあドキドキしてるならいいわ。ならなおさらそこは普通よ、普通マシマシよ」
「そんなラーメンみたいに言われても……」
「ウチが言ってんのは、ウチとこうして話してることよ」
「……それの何がおかしいの?」
「そこを疑問に思う時点でアンタはなにかがぶっ飛んでんのよ……」
頭をおさえ、呆れていると伝えてくる彼女を冷めた目で見ながら先を促す。
俺の視線に気付いたらしい
「普通、ウチみたいな人間が猫被ってたって知ったら軽蔑するもんでしょ。そこまでいかなくたって警戒したら距離を取ったり……それこそ、さっきウチが言ったみたいに無理に距離を詰めてこようとするもんよ。でもアンタはどう?まるで変わらない。優等生のウチと、本当のウチへの態度がまったく変わらないってかなりおかしいのよ?こんなどうしようもない人間に何事もないように接して、しかもそれがおかしいと全く思わない……なにか大切なものが欠落してるとしか思えないわ」
全部を話し終えると、今度はため息とは違う息を吐き出し彼女は力を抜いた。
その際にまたパンツが見えそうになるが、さすがに今度はちゃんと気づいたらしく足を緩めきる前にきりっと体勢を整えた。
彼女の言葉を聞き、噛み砕き、理解する。
そのうえで、彼女に再度確認した。
「つまり、今の君に対して、クラスでの『優等生
「ええ、おかしいわ。異常も異常よ」
どうやら俺の解釈の仕方に間違いはなかったらしい。
それを確認し、俺は何度か静かにうなずくと、
「ふっ……」
こらえきれずに笑い出してしまった。
「ぷふっ、ふっ……あはははは!!真面目な顔して何を言い出すのかと思えば!!あはははっ!異常だなんて言うからもっと違うこと言われると思ったのに……見当違いだよ!!あははははっ!!」
「なっ、なにがおかしいのよ!!ほんと壊れてるんじゃないの!?」
「そりゃ笑うよ!あはは!笑いすぎて腹筋痛いよもう……あはは!」
目じりにたまった涙をぬぐい、まだ収まらない笑いを頑張って抑えながら彼女に向き合う。
分かりやすく不機嫌な顔をしている
そのまま立ち上がるわけではなく、四つん這いの姿勢になって俺に近づいてきた。
これだけ書くと扇情的にすら思えるが、実際にはガンを飛ばしながら因縁を付けに来たヤンキーの方がイメージ的には正解だ。
「なによ、どこが見当違いだっていうの?自分は普通とでも言い張るつもり?」
「別に俺が普通とは言わなよ。いろんな人におかしいって言われるし、そこらへんはもう認める。俺はどこかおかしい。それでも、今回は俺がおかしいってわけじゃない」
いつでも体を下げられるようにしながら、俺は彼女から目を逸らさず答える。
「ウチが異常だっていうの?」
「異常とまではいかないよ。ただ単に、俺と君の認識の違いだ。
「言ったわ、事実その通りでしょ。表のウチに好意的に接するのは普通だけど、裏のこんなウチと同じように会話できるなんて、異常なまでに他人に興味を持ってないとできないわよ。他にこんな行動ができる理由があるの?」
「俺がどっちの君も好きだから」
言った途端、彼女の頭が下がる。
頭突きか!?と身構えるものの、彼女は俺に頭をぶつけてくることはなく、そのまま口を閉じたり開いたりしながら俺から離れていった。
窓から差し込む夕日のせいか、彼女の顔が赤く染まって見える。
「人当たりが良くて頭も良くて運動もできて、いつもみんなのことを考えて行動してくれる表の
「え、なっ、あっ……」
ぱくぱくと、さっきと同じように口を開閉させながら、どんどん後退してく
とりあえず顔を遠ざけようとしたのか、彼女は四つん這いの体勢から尻もちをついた体勢へと変えた。
そんな体勢になれば当然スカートの中は丸見えになる。というかもうそれM字開脚だよね?
痴女じゃないとか言ってた
「あの、
「し、知ってるわよそんなこ……片手で数えられる程度ならそういう目で見たってこと!?」
「そりゃそんな何回もパンツ見せつけられれば……ねえ?」
「けだもの!近づかないで!!力づくでウチに乱暴する気なんでしょ!?」
「いやしないよ……。それに俺程度が襲っても返り討ちにするって言ってたじゃん。なら大丈夫でしょ」
自分がM字開脚をしてることに今回も遅れて気付いた彼女は、足を閉じてさらに逃げるようにベッドに上がって腰を落ち着けた。
俺からある程度距離を取ったことで冷静になったのか、腕を組み胸を張って、まるで自分に言い聞かせるように大きな声で宣言する。
「そうよ!ウチは強いの!アンタ程度襲ってきたところで何の問題もないわ!なんなら襲ってみなさいよ、ほら、ほら」
無駄に煽ってくる彼女を最初こそスルーしていたが、どうにもこれは俺が襲わないと会話が進まないらしい。
『はい』を選ばないと延々と会話がループするゲームを思い出す。
「んじゃ、お手柔らかに」
ベッドに座った
折れてしまいそうな細さにドキッとしながらも、あまり適当にやると後で何を言われるかわかったもんじゃないので少し本気を出して彼女を押し倒した。
……押し倒せてしまった。
「え……」
弱っ。
あまりにも簡単に行き過ぎて、思わず声が漏れてしまう。
予想外だったのは彼女も同じだったようで、押し倒されてから気づいたようにジタバタするがもう遅い。
この体勢をひっくり返すには純粋に彼女に筋力が足りていない。かといってとんでもない技を持っているわけでもないらしく、ある程度暴れると途中で力を抜いて諦めた。
「ひ、ひかる……くん……」
怯えるような、けれどどこか求めるような目で彼女は俺を見てくる。
力でねじ伏せ、彼女は抵抗ができないという征服感。
視線を少し下げれば、押し倒した時にはだけたワイシャツから肌色が覗いている。
「あの……」
俺が口を開くと同時、彼女は何かを決意したかのように目を閉じた。
まるで、何かを待っているかのよう。
俺もそれを問いただすほど野暮じゃない。
何をどうすればいいか分からない。
脳内で、さまざま選択肢が浮かんでは消える。
心臓の音がうるさい。
彼女の呻くような喘ぐような声が、俺の意識を現実から引きはがそうとする。
そして――
「
部屋に響くお母さんの声が、俺を一気に現実に引き戻した。
「母さん、だから言っただろう。
「そ、そうみたいね。彼女さんもごめんね?ゆっくりしていってね」
「待って二人とも。本当に待って」
先ほどまで赤かった
きっと俺の顔も同じようになことになっているだろう。
そそくさと部屋を出ていこうとするいつの間にか帰って来ていた両親を呼び止め、弁明を試みる。
「違うんだって、今のこれは二人が考えてるようなじゃなくて、ほら
俺が何かを言うたびに、二人の視線が優しくなっていく。特に同じ男であるお父さんは、すべてを察しているかのように頷いている。
「
抑えていた両腕を解放し、肩をゆすって
彼女ははっ!と意識を覚醒させると、いつもの優等生の仮面を被る――ことなく、動転したまま俺の両親に向かって叫ぶ。
「合意の上ですから大丈夫です!!」
「なにも大丈夫じゃねえええええ!!」
***
あの後、二人の誤解を解くのに結構な時間がかかってしまい、
……本当にあの二人の誤解は解けたのだろうか。そこだけがちょっと不安。
「遅い時間になったし、駅じゃなくて家まで送ってこうか?」
太陽はすでに沈み、空には月が浮かんでいる。
大通りに出ればまだまだ人の行き来はあるものの、確かにか弱い女性一人で歩かせるには不安な時間帯だ。
まあ夕飯食べて俺の両親と談笑してからの帰宅なのだからこんな時間にもなる。
「いいわよ。そんな嫌そうな顔して送られたって気が滅入るだけだわ」
「そう?そう言ってもらえると助かるよ。……でも本当に大丈夫?」
「大丈夫よ。ウチの家の最寄駅までママに迎えに来てもらうから」
「それなら安心して俺も見捨……見送れるよ」
「アンタ今なんて言いかけた?」
ギリギリで言葉を止めたと思ったのに耳ざとく聞き取られてしまった。
今度から不用意なことは言わないようにしなければいけない。
そんな感じで雑談をしていると、俺の最寄駅はすぐ見えてきた。
「ここまででいいわ。……今日はありがと」
「送るくらい大したことじゃないよ」
「……それもあるけど」
駅の近くまで付き、改札の前で立ち止まる。
人の邪魔にならないように少し流れの外側に移動しながら、彼女の次の言葉に耳を傾ける。
「送ってくれたことだけじゃなくて、他にもいろいろ……」
「いろいろ?なにかしたっけ?」
「ほら、だからあれよ!」
「……?」
「ウ、ウチのこと、その好きって……」
「ああ……」
ツインテールの右側の束をくるくる弄りながら、彼女は小さく呟く。
だが、俺に向けて話しているというのに
いったいどこを見ているのだろうか……。
「仮面被ったウチを好きって言う人は山ほどいるけど、あっちを好きって言ってくれたのは……ア、アンタが初めてだから」
「そこまでのことじゃないよ。多分、素の
「そんなことあるのよ。普通あんなの受け入れられないわ。……アンタのこと異常って言ったけど、ある意味合ってるたのかも。きっとアンタは良い意味で特別なのよ」
そこで、ようやく俺の方に視線を合わせた
改札前。この時間でも人が多く、行き交う人の声と改札の音声がうるさいくらいに響いているというのに、続く彼女の言葉は嫌というほど良く聞こえた。
「アンタは、人のいいとこを見つけるのが得意なのね」
純粋な、悪意の欠片も感じられないようなその笑顔に、俺は苦笑いしか返せない。
「……そんなことないよ」
「変なとこで謙虚なのねアンタ。謙遜は度が過ぎると傲慢と変わらないわよ?」
「はは、気を付けるよ」
俺にそれだけ伝えたかったのか、彼女は言い終えると同時に俺に手を振って『また明日』と改札へ向けて歩き出した。
彼女の姿が見えなくなるまで見送る。駅の中に入り、完全に見えなくなるのを確認してから家へ向かって歩き出した。
「はは、はっ」
乾いた笑いは、夜の街に溶けてすぐに消える。
それでも一人、人ごみの中を笑みを浮かべながら歩いていく。
無理やり口角を上げ、喉から声を絞り出す。
こうでもしないと気分がどんどん沈んでしまいそうだ。
「人のいいとこを見つけるのが得意、か」
笑えない冗談だ。
そんなことはない。俺にそんな特技はない。
さっきの言葉は、謙遜でもなんでもないのだ。
「ははっ」
無理やり笑う。けれど、そろそろそれも限界だった。
どれだけ笑っても、彼女の言葉が頭から離れない。
何度も何度も頭の中でリピートする。
俺は、そんな人間じゃないというのに。
「ああ、もう……」
小さな笑みを浮かべながら、俺は誰にも聞こえないように口の中で呟いた。
――まったくもって、笑えない。
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