13週目 悩み

月曜日の朝……そう、いつもは俺の人生を癒すオアシス。るなちゃんとの憩いの場。


だが俺は今日、あえてその平穏を壊そうと思う。

男を見せろ、紅野あかのひかる

今日こそ、月ちゃんに今まで聞けなかったことを聞くのだ!!!


「る、るるるるなちゃんてさー、すすすっすす好きな人ととかいるの?」

「……壊れたラジオみたいになってるけど、大丈夫?」


正直言えばまったくもって大丈夫じゃない。心臓が口から出てきそうだ。いやむしろバクバクうるさいし出てきてくれた方が楽かもしれない。


この回答次第で、俺の未来が決まるようなものだ。

一応どんな回答が来ても諦めない、という覚悟はしてきている。

だが実際に『いる』と回答が来たらこんな覚悟など風の前の塵に同じ。


それでも聞かなきゃいけない気がした。

どのみち告白すると決めているのだから、聞いたって意味がないかもしれないけど……心構えというか、そのあたりが変わってくる。


「……気になる人は、いる」


顔を赤らめた月ちゃんが、注意しなければ聞き逃してしまいそうになるほどの声音で呟いた。その仕草は完全に恋する乙女で、俺に現実を叩き込んでくる。


心が折れそうになる。めまいがするし、床に倒れ込んでしまいそうだ。

……だが、ギリギリで堪えた。


好きな人、ではなく気になる人だったのが幸いした。ほんとはこれっぽっちも幸いなんかじゃないけど。


「そ、そう……へえ気になる人ね、いるんだ、気になる人」

「うん……本当に、大丈夫?生まれたての羊みたいになってるけど」

「大丈夫、生まれたてっていうよりは死にかけだから」

「全然大丈夫じゃない。死なないで」


月ちゃんがとてとてとこちらに駆け寄ってきた。

……しまった、月ちゃんは死ぬとかそういう言葉に過剰反応してしまうんだった。気が動転して完全に抜け落ちてしまった。


落ち着くために深呼吸する。

イメージするのはいつもの俺。


吸って、吐く。

無理やりでもいい、とりあえず笑顔を貼り付けろ。


「ご、ごめんごめん。死ぬは言い過ぎた。ちょっと眠気がひどくてめまいがしてるだけだから気にしないで」

「……それも大丈夫じゃなさそう」


不安げなままではあるが、さきほどよりは落ち着いた様子の月ちゃんを見て、ばれないように一息つく。


俺の方もだいぶ落ち着いた。まだまだ絶望感は感じているが、ここで止まったら自傷行為と何ら変わらない。

もっと踏み込んでいけ!!


「き、気になるっていうと……好きとは違うの?」

「……うん。好きが分からない」

「あー。なるほどね」


今まで恋愛をしたことがない人間は、恋をしてもそれが恋か分からないことがある……というのを聞いたことがある。


俺も月ちゃんが初恋だが、すぐに恋だと確信できた。だが、月ちゃんの場合は違うようだ。確かに、俺も誰かのことをゆっくりゆっくり好きになったらそれが恋だと気づかなかったかもしれない。


「異性として好きなのか友達として好きなのかって難しいところだよね」

「曜くんは、どう?」

「どうって?」

「曜くんは恋に落ちた時ってどうだった?」

「俺は……ちょっと待って月ちゃん。なんで俺が恋したことあるって知ってるの」


正確に言えば現在進行形で恋しているのだが。


俺、月ちゃんに好きな人がいるって言った記憶ないのに……覚えてないだけでどっかで言ったか?だめだ、思い出せない。


「……察しただけ、気にしないで」

「無理だけど!?特に月ちゃん相手にそれは無理なんだけど!!」


月ちゃんが察しちゃったらアウトだよ!!俺の恋心本人にバレてるってことじゃん!!


今までにないほど動揺する俺に対し、月ちゃんはあくまで冷静さを崩さない。ちょっと顔が赤いけど、表情はいつも通りを維持している。


「それは置いといて。とにかく……なにが恋なのか、教えて」

「それをよりによって俺に聞くか……」


絶望すればいいのか恥ずかしがればいいのか分からない。えっ、ていうか月ちゃんが全部知っている上でこの会話してるんだとしたら月ちゃん小悪魔すぎない?

やだ、手のひらの上で弄ばれたい……。


じゃなくて。


「ええと……俺も別に恋愛マスターとかじゃないんだけど」

「でも、曜くんにしか聞けない」

「月並みなセリフだけど、恋だと思ったらそれが恋、としか……」


この回答に、月ちゃんはあからさまに落胆した表情を見せる。

そのくらいの回答はすでに予想していたのだろう。だがかといってこれ以外に回答を持ち合わせていないのだから、俺としてはもうこうとしか言えないのだ。


「……ネットでも、似たようなことが書いてあった」

「まあ恋とか愛とかそのほか諸々人間の感情なんて人それぞれだからね。こういう定義でもしないと恋かどうかなんて決められないんだよ。俺が今抱いている恋心と世間一般の恋心がもしかしたらまったく違うなんて可能性も充分あるんだし」

「なのに、どうしてそれを恋だと言えるの」

「俺がこれを恋だと思いたいからだよ」


恋についてもっと詳しく調べれば、おそらくは『性的欲求を感じるか』とか『嫉妬するか』みたいな、少なくともさっきの俺よりはまともな答えがたくさん書いてあることだろう。


でも、俺は最終的にはすべてさっきの回答に行きつくと思っている。

ちょっと前に姫冠てぃあらと話したばかりのことを思い出す。


――世界なんて、自分の主観でしかない。


もちろん自分の考えが物質的に作用するわけではないけど、感情なんてものは自分の考え方次第でいくらでも変わる。


自我を自分の判断でラベリングしたものを、俺たちは感情と呼んでいるのだ。


だから、俺が恋だと思いたくて、その感情に恋というラベルを貼り付けたのであれば、誰が何と言おうとこれは恋だ。


「そんな理由で、いいの?」

「俺にとってはそれが全てなんだよ。自分の感情くらい自分の思いたい風に思えばいい」

「……自分がなにをどうしたいのか分からない。そこで立ち止まってる人間は、どうしたらいいの」

「そういう時は、徹底的に深く考えればいいと思うよ」

「深く?」


月ちゃんは俺に一歩近づいて、見上げるように俺を見つめ問いかけてきた。

俺は人差し指を立てる。


「なにかをしたいと思う時もしたくないと思う時も大概理由があるよね。もちろん『なんとなく』ってこともあるだろうけど、今回の月ちゃんみたいにめちゃくちゃ悩むほど考えてるなら、まず間違いなくなにか理由があると思う。だから、その理由をさらに掘り下げていくんだ」

「……そうすれば答えが出るの?」

「多分だけどね。掘り下げ続けていくうちに、どっちかの理由が大したことないって気付いて答えが出ることが多いんだけど……これでも答えが出ない厄介な悩みもいくつかあるからなぁ……」

「そ、そんなときは……」

「そんなときは諦めよう」

「えっ」


にこっといい笑顔で答える。

俺が教えられるのはここまでだ。これ以上はもう俺もなにも答えを持たない。


「あ、諦めるって」

「今教えたような手法を使わず、もうひたすらに悩み続けるの。寝ても覚めてもそのことしか考えられなくなるだろうけど、それでもずっと考える。いつ答えが出るのかなんて分からないし、もしかしたら一生答えが出ないかもしれないけど、悩むしかない。……というのが俺の持論です」


……あれ、月ちゃんからのお悩み相談だったから真面目に答えたけど、これ俺にとってすごい不利なことじゃない?

顔も知らない恋のライバルに塩を送りまくってしまった……。


「悩み続けるのが辛いから、相談したのに」

「そんな拗ねたような顔されても……俺じゃなくて、お姉さんにも聞いてみたら?すごいお姉さんなら、俺以上の答え出してくれるんじゃない?」

「……多分、出せない。お姉ちゃんは恋したことないから」

「そっか……そういうもんなのかな」


さぞや言い寄ってくる人も多いのだろうと思っていたのだが、イコールで経験豊富となるわけじゃないのか。

お姉さんに見合う人間がそうそういないということだろうか。難しいね、恋愛は。


「ま、とにかく結論としては悩め若人よって感じだね、がんばって!あ、でも結論はあんまり急がないでいいと思うよ!ゆっくりいこう!!」

「なにか焦ってる?」

「焦ってない焦ってない」


俺の心の焦りが言動に出てしまっていたようで、月ちゃんに怪しまれる。


そりゃ焦るよ!気になる人から好きな人にランクアップされると俺がすごく不利になる!!


それは避けないといけない。男らしさとかないかもしれないけど、なりふり構っていられない。

どんどん踏み込んでいって俺に惚れさせる!


……でもその前に。


「ところで月ちゃん?最初の話に戻るんだけど……俺の恋愛事情どこまで察してるの?それ次第で今日これからお家帰ることになるかもしれないんだけど」

「大丈夫、うん大丈夫、大丈夫」

「五七五で綴られても安心できないけど!!バレてるの!?俺弄ばれてるの!?」

「弄ばれてるかなんて、私の方が聞きたい……!!」

「ここで月ちゃんがキレる意味がよく分からないんですけど!?」

「いろんな女の子と、仲良くしてるくせに……!!」


ギリギリと歯をかみしめて睨みつけられるが、今回ばかりは俺も退けない!

確かにいろんな女の子と仲良くしてるっていう自覚はあるけどそれでも俺は月ちゃん一筋だよ!!


「曜くんは、分かりづらい」

「だからこの前分かりやすい人間だよって言ったじゃん!俺単純だよ!分かりやすい人間だよ!!」

「笑止千万」

「急にどうした!?」


お互いに退けないのに押せないもどかしい戦いは結構長い間続いた。


口論をしながら掃除をしたせいで『紅野あかのひかるは分かりやすい人間』という結論を出すころにはもういい時間になってしまっていた。

掃除も急いで終わらせ、ちょうど人が来る頃に終わらせることもできそこだけは一安心。


廊下から足音が聞こえるし、これはそろそろ綺星きららが来るかな――


「おはようございます。曜くん、白川さん」

「おはよう姫冠てぃあら。今日はずいぶん早いね?」

「むーちゃんが朝からやけに吠えたもので、早く目が覚めてしまったもので。そうそう、じいやがあなたのことを大層気にっておりましたよ。私を口説きたい曜くんにとってはとても良いことではないですか?」


クラスメイトのゴリラが最悪のタイミングで爆弾をぶっこんできやがった。


寝たはずの月ちゃんからとんでもないプレッシャーが放たれる!

超怖い!月ちゃんの方見れない!!


「ちょっ、だから姫冠てぃあらのこと好きってわけじゃないって前言ったよね!?」

「照れなくていいですよ。私にあんなことまでしたのですから、認めたらどうですか」

「あんなことっていうかゴリラだよね!」

「……ゴリラ死すべし慈悲はない」

「あの、白川さんがさらりと怖いことを呟きになられたような……」

「自分の胸に手を当ててみなよ」

「わ、私の胸に手を当てたいだなんて……順序というものがあるでしょう!」

「曜くん死すべし」

「ドラミングしろってことだよこの美少女が!!」

「馬鹿にしてるのか褒めてるのかちゃんとはっきりしてください!ちゃんと口説いて頂かないと私も返事ができないのですよ!!」


絶叫する俺、憤慨する姫冠てぃあら、そして寝言で呪詛を呟く月ちゃん。


この数分後に教室に入ってきた綺星きららも加わり、まさに地獄絵図といった形になるのだが……できるだけ早く忘れたいので、俺の心の中だけに留めておくことにする。

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