10週目 ヘビートーク

窓から入る風が前髪を揺らす。

俺は窓枠に体を預けながら、一人黄昏ていた。

……そう、一人で、である。先生によって決められている集合時間はとうに過ぎているが、るなちゃんはまだ来ていない。

初の遅刻である。


「意外と早く終わったな……」


掃除はほぼ終わっていた。あとは机を元の位置に移動させればミッションコンプリートだ。


このまま掃除を終わらせてしまうのもなんとなく嫌だったので、月ちゃんか、あるいは他の生徒が来るまで思案に暮れてみる。

考えることは……そうだな、月ちゃんの遅刻の理由について考えよう。


考える、とは言ってみたものの、十中八九寝坊が理由だろうと思うけどね。それでも『もしかしたらなにかあったのでは』という不安は拭いきれない。

だって月ちゃんめっちゃ可愛いもん。……そう考えると本当に不安になってきた。大丈夫かな。メアドくらい聞いとくんだった。


一つ目寝坊、二つ目なにかあった。理由の候補としては他になにがあるだろうか。

……『俺のことが嫌になってサボタージュ』、とか。


あまり考えたくない。……だが。


「最近、重い話ばっかしてたような気がするしなぁ……だからかなぁ」


重い、というか俺のダークな面ばかり話していた気がする。そんなだから重い男と思われてしまったのだろうか。


おかしい。俺明るい人間なのに。


窓ガラスに映る自分の顔を見てみる。

だいぶ前に人生初の美容院で切りそろえてもらった髪は、ばっちり決まっている。

ランニングのおかげか余計な肉が落ちてきた顔は、入学前よりもきりっとしている。

鏡の前で必死に練習した笑顔は今では自然にできるようになった。


自分で言うのもなんだが、かっこいいと思う。

少なくとも、初めてあった人に『あ、こいつ闇抱えてんな』と思われるような風貌ではないだろう。


中身だって、外見と大差ない。明るく爽やかで誰に対しても人当たりの良い……もちろん多少演じている部分はあるが、無理しているわけでもない。

根っこはこんな感じのはずだ。


でも、月ちゃんと話していて少しだけ分かった。……俺の価値観は、どうにも世間一般からずれている。


それを自覚すらしないまま生きてきた歪みの結果だろうか。月ちゃんと話すときにどうしてもそちら側に話が傾いてしまうのは。

世間一般の常識的な答えが俺には導き出せない。話すたびに月ちゃんに驚かれているような気がする。


俺にとってはそれが当たり前なのに、月ちゃんの周りが彼女に提示する答えとは大きくずれている。


そのずれこそが、俺の『歪み』なのだろうか。

それは悪いことなのだろうか。


「……一人でうじうじ考えても仕方ないか」


沈みかけていた思考を無理やり引き上げる。

というのも、廊下から駆け足でこの教室に近づいてくる、おそらくは月ちゃんのものであろう足音が聞こえたからだ。


そもそも月ちゃんが来るまでの暇つぶしとして考えていたことだし……正直、さっきのことについての答えはすでに決まっている。


歪み上等。それで月ちゃんの気が引けるのならば『どうでもいい』!!


まあそれに嫌われた云々についても、月ちゃんが来てくれたことで悩みは解消されている。

っていうか、先週話したことがゲームのことって時点で可能性はほぼゼロだからね。重い話なんてせずに『ギラブレオス』狩ってただけだからね。


足音が近づいてい来る。荒い息も一緒に聞こえてきた。よほど急いできたのだろう。

ついに足音は教室の目の前に到着し、そこから間を置くことなく扉がすごい勢いで開かれた。


「ご、ごめんひかるくん……はぁ、はぁ……寝坊しちゃった……!」

「大丈夫だよるなちゃん。別に寝坊の一回くらいいいぃ!?」


爽やかに出迎えるつもりが最後の方に変な声を出してしまった。


俺もそうだが、月ちゃんももう夏服だ。上着はなく、男子はワイシャツ、女子はそれに加えてベスト……というのが普通なのだが。


「ちょ、月ちゃん!?ベストは!?」

「急いでたから……はぁ……忘れた」


どうもかなり全力で走ってきたようで、月ちゃんは肩で息をしたまま扉に寄り掛かっている。

当然、6月にそんなふうに動けば体は熱を逃がすために汗をかくわけで。


「あ、あの月ちゃん……?」

「あ、ごめん……ふう。息も整ったし、掃除手伝うね」

「そ、そうじゃなくて!!……あの、ね。ワイシャツがその」

「?」


彼女は俺の言葉で初めて下を……自分の胸元を見た。

そこでは、水色のブラジャーはそれはもうくっきりと透けて見えておりました。


「……っ!!」


バッと腕で胸元を抑える月ちゃん。いつもならそのまま俺を睨みつけてくるのだが、さすがに今日は控えたらしい。床を見つめたまま固定されてしまった。


……やばいな。透けブラしてる美少女が自分の体を抱くように胸元を隠してプルプルしてる構図超やばい。何がやばいって、この場面見られたら問答無用で俺が悪者にされそう。


「きょ、今日の掃除は大体終わってるし、こっち来て汗乾かしときなよ。風気持ちいから……あ!もちろん見ないようにするから!!」


俺の案に賛成した月ちゃんは俺と一定の距離を保ちながら窓枠に体を預けた。ちらちらと俺の方を見ているのは『こっちを見るな』という意思表示だろう。


凝視するわけにもいかないので、苦笑いしながら机の移動を始めた。その間も視線を感じたように思うのだが、月ちゃんの方向を見ないようにしてたので本当のところは分からない。


「へくしゅっ」


もう少しで半分の移動が終わるというころだろうか。月ちゃんが控えめでなんとも可愛らしいくしゃみをした。


それは一回では終わらず何回か連続し、止まったと思ったら数秒開けてまた起こり……。


「月ちゃん?」

「だ、大丈夫。なんでもない」

「なんでもないって……」


……もしかして、体調が悪いのだろうか。


不安に思い、しつこいと思われてでももう一回確認しようとしたところで……月ちゃんが寒そうにしていることに気づいた。


「ごめん月ちゃん!そこじゃ寒いよね!」


いくら夏になったからとはいえ、濡れた服を着ながら風に当たれば体が冷えるに決まっている。


こんな当たり前のことに気付かず窓際に移動させてしまったことも、月ちゃんに気を使わせて大丈夫と言わせてしまったのも俺がちゃんと考えてなかったせいだ。

自分の浅はかさが恨めしい。


「本当に、大丈夫だから……くしゅんっ」

「大丈夫じゃないでしょ!えっと何か着るもの……」


言葉とは裏腹に、月ちゃんは寒そうに腕をさすっている。女の子の体をこれ以上冷やすわけにもいかない。


どちらにしろ汗は乾かさなくてはならないが、せめて上に何か一枚羽織れるものがあれば……。


「あ、そうだ」


箒を床に置き、教室後方にあるロッカーへ向かう。

机を押しのけ無理やりロッカーを開き、中から目当てのものをつかみ取った。


窓際で精一杯大丈夫を演じていた月ちゃんの後ろから、そっとそれを羽織らせる。


「月ちゃん、良かったらこれ使って」

「……ブレザー?なんで持ってるの?」

「今日って夏服への移行期間最終日じゃん?今日逃したら当分着る機会ないだろうし、持ってくるだけ持ってこようと思って……結局、今日暑かったから速攻ロッカーに突っ込んだけど」

「わ、私今、汗かいてて汚い……」

「半年近く着なくなるんだから別にいいよ。どうせ今日帰ったらクリーニングに持ってくんだろうし。……ていうか、渡しておいてなんだけど、俺なんかのじゃ嫌だったかな?」


年頃の女子が男子の服を借りるのにどれだけ抵抗があるのかがよく分からず、不安げに尋ねてみる。


月ちゃんはふるふると小さく首を振ると……なぜか俺のブレザーに腕を通し始めた。


「……あの、月ちゃん?なんでそんながっつり着てるの?そんなことしたら乾くものの乾かなくなるよ?っていうか絶対暑いでしょそれ」

「大丈夫。ちゃんと洗って返すから」

「いやそこまでしてもらうほどのものじゃないから……」


さすがにボタンまではしなかったが、両腕を通し、胸元もしっかりと隠すようにして俺のブレザーで完全な防御態勢に入った月ちゃんは、なぜかちょっとだけ嬉しそうに見える。それ着ても防御力とか上がらないんだけどな。


そんな月ちゃんを困惑しながら見ていると、彼女は嬉しそうな顔を一転させ暗い表情を見せてきた。


「……今日は、ごめんなさい。寝坊して、ほとんど一人でやらせちゃった」

「寝坊の一回や二回くらい気にしないからいいよ。それにいいものも見せてもらったからね!」


サムズアップ、アンド歯をキラーン。

ちょっと沈んだ空気を吹き飛ばすよう、最後の方はあえて無駄にいい笑顔で言っておいた。


根が真面目で責任感の強い月ちゃんのことだ、寝坊なんていう分かりやすいミスをしてしまえばそれを気にしてしまうだろう。


俺はたいして気にしていないし、俺は俺で月ちゃんに寒い思いをさせてしまったからどっこいどっこいだと思うが……月ちゃんはそうは受け取らないはずだ。


なら、これくらいふざけて流してしまった方がいい。

俺のセクハラに月ちゃんが怒って、そのままこのことはスルー……という流れでいこう。


セクハラされた月ちゃんが一体どんな風に怒るのか、リアクションを待つ。

俺の言葉を聞いた月ちゃんは顔を真っ赤にし、肩を震わせながら荒く息を吐いていた。


……おや、予想してたより5倍くらいキレてるような?これもしかして相当怒らせちゃったんじゃ……。


想像していた流れとは違う結果になりそうで恐怖に震えていると、月ちゃんが小さく……本当に小さな声で、覚悟を決めたようにつぶやいた。


「……分かった」

「へ?分かったってなにがぁあぁぁあああ!?」


本日二度目の絶叫。音量はさっきよりも大きめだ。

……月ちゃんが手を震わせながら、しっかりと着ていた俺のブレザーをはだけさせ透けブラを見せつけてきたのだから、こんな反応をして当然だろう!


「何してんの!?」

「だ、だって、遅刻した代わりにこれが見たいって……」

「それは言ってないから!!別に月ちゃんが遅刻しなくたってそれはいつでも見たい……じゃなくて!」


透けブラが見えるように肩あたりまで軽く脱いでいるため、全部脱ぐより余計に扇情的に見える。


俺は理性を総動員してそれから視線をずらし、月ちゃんの手を掴んで無理やり前を隠させた。


「月ちゃん」


真っ赤になった月ちゃんに話しかける。月ちゃんが横を向こうとしたため、顎を掴んで俺の方に顔を向けさせた。


「ひ、曜くん……?」

「女の子が簡単にこんなことしちゃダメでしょ。俺が相手だから良かったけど、男子がこんなの見せられたら理性吹っ飛ぶことだってあるんだから」


月ちゃんの目が少し怯えているように見える。

俺がいつもより乱暴だからだろうか。それとも、いつもの笑顔を引っ込め真面目な顔だからだろうか。

どちらにせよ、俺がちょっとだけ本当に怒っていることは伝わってしまっただろう。


……無防備な女の子っていうのは魅力的だ。隙だらけなところを見ると……言葉を選ばなければムラムラしてしまう。

そんな美少女を見て男がどんな風に動くかなんて、当人ですら分からない。

俺だって、今本当に理性が飛びかけたのだ。そんな俺が月ちゃんに何をしてしまうかなんてあまり考えたくない。


それが俺以外の男であるならなおさらだ。想像しただけで吐き気がする。


だから、今回ばかりは少しだけ怒っている。


「だ、大丈夫」

「大丈夫じゃないんだって。こんなこと簡単に誰にでもしてたら、いつか痛い目に遭うよ」

「……大丈夫だもん」

「だから――」

「こ、こんな姿、曜くんにしか見せないから、大丈夫だもん……」

「……へ?」


月ちゃんの発言に、怒りなど吹き飛んで頭が真っ白になる。

い、今さらりとすごいこと言いませんでしたこの子……。


「あ、あの、今のって」

「い、一回手を離して……」


顔を真っ赤にしながら、ねだるようにこちらを見上げてくる月ちゃん。その真っ赤な顔がすぐ近くにあるのを見て俺が月ちゃんにキスを迫るような姿勢になっていたことを思い出す。


「うわぁ!!ごめん、その、なんかいろいろごめん!!」

「だ、大丈夫、大丈夫だから」


頭の中がごちゃごちゃで、もう何から謝ればいいか分からない。

とりあえず大急ぎで両手を離し、彼女から数歩距離を取った。


「だ、誰にだってするわけじゃ、ない。……それに、曜くんはこれが一番喜ぶと思って……」

「まあすごい嬉しいけど……。それでも、そのこういうのは違うと思う」

「……これがダメって言われたら、なにもできない」

「本当に気にしなくていいんだけど」

「だめ。私の気が済まない」


参ったな。月ちゃんが責任が強いことは知ってたけど、まさかこれほどとは思わなかった。

なにかをしなくちゃ引き下がらないって顔だな。……どうしようか。


「えっとじゃあ……」


倫理を無視して本当に俺のしたいことをするわけにはいかない。かといって投げやりに何かを指示したところで月ちゃんは納得しないだろう。


なにかいい落としどころは……あ、そうだ。


「……ほっぺた、触らせてもらってもいい?」

「ほ、ほっぺ?」

「うん。……ダメかな」

「い、いいけど……それでいいの?」


その質問には答えず、笑顔だけで返す。

首を傾げる月ちゃんに構わず、俺は彼女の頬へ両手を伸ばした。


ぷにっ、と。俺の指がその弾力を味わう。月ちゃんは少し顔を赤らめているものの、本気で嫌がっている素振りでもない。

それなら、このまま続けさせてもらおう。


「おー、すべすべでもちもちしてる。やっぱり俺のとは全然違うなぁ」

「…………」

「むにゅーんむにょーん」

「…………」

「むにょーん。あはは、月ちゃん変な顔になってる」

「……たのひい?」

「最高。……よし、満足」


触ったりつまんだり引っ張ったりと、いつもの月ちゃんにやったら殴られそうなことをやり、十分月ちゃんのほっぺたを堪能できた。

満足げに笑う俺を、月ちゃんはほっぺたをさすりながら見つめていた。


「……やっぱり、曜くんは変」

「えー、女の子の頬を触りたいっていうのは大概の男子の夢だよ」


それが好きな子のならなおさらだ。


「絶対に、違うと思う」

「まあまあ。とりあえずこれで終わりね。もう寝坊したこと気にしなくていいよ」

「……分かった。曜くんがそれで満足なら、私も気が済んだ」


ようやく、月ちゃんが通常運転に戻ってくれた。とはいえ、やはり男子に自分の透けブラを見せるというのは相当恥ずかしかったのだろう。

前を開けて見せびらかそうとしていた先ほどとは逆に、前をしっかり閉じて、ボタンまで閉めていた。


「俺のブレザー、男子用だから月ちゃんみたいにきょ……一部分が大きい人用にはなってないんだけど……」

「今の私は、もういつも通り。セクハラしたら、普通に怒る」

「セクハラにならないように、直接巨乳って言うの避けたのに」

「…………」

「そ、そんな睨まないで。まあボタンはじけ飛ばしたりしなければいいか」

「そんな漫画みたいなこと――」


その瞬間、まるでタイミングを読んでいたかのようにボタンが弾け飛び、俺の額にジャストミートした。


「…………」

「…………」


重い沈黙が、教室を支配する。

ボタンが床に落ちる音がやけに大きく響いた。


月ちゃんの顔が青くなるのに、一秒。

赤くなるのに二秒。

そして、


「わ、わた、私……」

「ほっぺ!ほっぺたをまた触らせてくれればそれ以上は望まないから!!だからブレザーを脱ぎだすのはやめ……月ちゃん!!泣きそうになりながらそんなことしないで!そういうのはまた別の機会にやって!!月ちゃん!!お願いだから俺の話を聞いてぇぇえええええ!!」


拝啓、数分前の俺へ。


月ちゃんとはぜひ、重い話をしてください。じゃないと、ろくなことになりません。たわいもない会話を楽しみたい気持ちも分かりますが、どうかそのことだけは忘れないでください。


追伸

月ちゃんの透けブラを見ると、その日一日何も考えられなくなるので覚悟しておいてください。


敬具!!

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