EX3 モノクロな火曜

「おお……予想通りの場所だ……」


屋上への扉を開けると、そこには誰もいなかった。

緑色の高いフェンスに囲まれた屋上はさして広くもなく、若干の閉塞感を感じる。けれど、フェンスの向こうに広がる街並みを見ればそんな気持ちも吹き飛び、高いところ独特の高揚感に包まれる。


――今日が雨でなければ、だが。


傘をささず屋上へと足を踏み出す。雨と言ってもパラパラとした小雨だ。体は濡れはするが、気にするほどのことでもない。この時のためにタオルも持って来てある。


いい天気とは言えない曇天の中、どうして俺がここに来たかと言えば――一度でいいから屋上を独り占めしたかったからである。


火曜日の放課後。いつもであればこの時間は暇を持て余した生徒のたまり場となっている。だが、こんな天気の日に時間を割いてまで屋上に来ようとした生徒は俺を除いて一人もいなかったらしい。予想通り、屋上を独占できた。


――と、思ったがどうやら違ったらしい。


ジャリっと、靴がコンクリートの床とこすれる音が上から聞こえた。屋上のさらに上といえばもう給水塔しかない。


後ろを振り返れば、屋上への入り口の横にあるはしご――それを登り切ったところに、一人の女子が立っていた。


染めているのか地毛なのか、髪は真っ白。肌は透き通るを通りこして不健康に思えるほど白い。

黒い制服と彼女自身の白が美しいコントラストをなしており、思わず目を奪われてしまう。


なにか声を掛けた方がいいのか、対応に困り声が出せない。


意を決し何か声を掛けようと口を開く。けれど俺が声を発する寸前に――風が吹いた。


少し強めの風が俺を後ろから押すように吹く。俺を乱暴に撫でた風は、勢いそのままに白い少女へも平等に吹き付けた。


ただ一つ、風が不平等だったことがあると言えば……彼女に対しては下から上へと吹き上げたことだ。


「きゃっ!」


雨に濡れて重くなったはずのスカートをいたずら好きの風が強めにめくりあげる。

彼女のことを見つめていた俺の目は、いつもは閉じられている桃源郷スカートの中を余すところなく捉えてしまう。


体が細い印象は最初に受けたが、スカートに隠されていた足もやはり細く、簡単に折れてしまいそうだった。

そしてその根元、俺たち男子が求めてやまない部分は……赤い布で覆われている。


簡単に言ってしまえばすごい大人っぽい赤いパンティが見えた。


「え……あ……」


足、めっちゃ綺麗。パンツ、赤。なんか蝶の模様があった。めっちゃ大人びてる。


突然の出来事に脳が働かず、体が完全に固まってしまった。その間にも彼女のスカートはめくれあがっている。


風が止み、スカートが隠すべきものを隠すために再度仕事をし始めたころ。

俺と謎の少女は完全に目が合っていた。


「い――」

「落ち着こう赤い人!蝶のマークとかなんも見てないから!だから振り上げたバッグを一旦下に置こう赤い人!!!」

「いやああああ!!」


彼女が手に持っていたバッグを何の躊躇もなくこちらへぶん投げてきた!


簡単に避けられるくらい距離は開いているが、今日は雑念がいろいろと混じり過ぎて、顔面で受けてしまった。


***


「あ、あの!ほ、ほほ、ほほほほんとにごめんなさいです!!」

「い、いえ……こちらにも過失はありますので……」


俺が彼女のバッグを顔面キャッチしたすぐあと、正気に戻ったらしい彼女が屋上に倒れこんだ俺のもとに梯子を下りて駆け寄ってきた。

俺の方は倒れた時に少し肘をすりむいていたが、特にそれ以外酷い怪我ないし、パンツを凝視してしまった罪悪感もあったのでどうこうするつもりはなかったのだが……肘の怪我を重く受け取ってしまった彼女から引くほどの謝罪を受けていた。


少し狭いが、屋根で雨に濡れないところへ移動してから落ち着いて話を続ける。


「えっと、なんであんなとこに傘もささずにいたんですか?」

「じ、じ、自分は一年なので、け、敬語なしで大丈夫です」

「ああ、なんだ、同級生?俺も一年生だよ。A組の紅野あかのひかるです。……えっと」


そこで続きの言葉に詰まってしまう。彼女の名前を聞いている……わけではない、彼女の名前ならすでに知っているからだ。


正確に言えば漢字だけ、だが。


彼女が投げつけてきたバッグはチャックが全開になっており、俺が顔面で受け止めた際に生徒手帳が出てしまい、俺はちらっとだがそこに書かれている内容も見た。


書かれていた名前は『火神 愛色』。……読み方が分からない。


火神かがみ……あ、あいいろさん?」

「っ!!」

「あっ、違うよね!ごめんね!俺、あの、センス無いんだ!!」


一体なんのセンスが無いのか言っている自分でも分からないが、火神さんの表情をこれ以上悲しそうにするわけにもいかない。


本当はもう名前に触れないようにした方がいいのかもしれないが、ここでわざとらしく避けてしまうのもそれはそれで気まずい。


……どうしよう。


「か、からふる……です」

「ん?」

「わ、私の名前……愛色からふるです」


雨音に負けそうなほどの小さな声だったが、彼女は名前を呟いた。


「愛の色はカラフル……か。深い名前だね」

「ふ、深くなんてないです……。親の頭の悪さの滲み出た馬鹿な名前です……。私に色なんてないのに」


火神さんの表情が陰る。そのまま下を向いてしまい、今どんな表情を浮かべているかは想像で補うしかない。

彼女の前髪はとても長く、俯かれてしまうと目が完全に隠れてどこに視線を向けているのか分からなくなってしまった。


色がない……。なんかつい最近聞いたばかりの言葉だな。できれば思い出したくない感じの記憶なんだけど。


小さいころの記憶が思い出したくないというのに蘇ってくる。この前、るなちゃんと話したばかりだから簡単に思い出してしまう……恥ずかしい、誰に迷惑かけたわけでもないのに無性に恥ずかしい!


「……あ、急に変なことを言ってごめんなさい。その、屋上に居た理由……ですよね」

「うん……雨降ってんのに傘を差さずにあんなとこいるなんて……その、なにかあったの?あ、もちろんいやなら言わなくても大丈夫。自分で言うのもなんだけど、悩みとか聞くだけしかできないと思うから。解決とか多分できない」


小雨とはいえ、雨が降っている中で傘も差さずに屋上にいるなんて普通じゃない……と思う。もしもそれがなにか悩んだ末の行動であるなら、話すだけでも案外楽になるものだ。当然悩みの種類にもよるが。


なお、特に理由があるわけでもないのに同じことしてた俺のことは棚に上げていく方向で行きます。


「…………」


ちらちらと俺の方を見る火神さんをじっと見つめる。


彼女を見ていると、どうにも胸がざわつくというか、気になるというか。

その正体を掴むために、見つめて見つめてじーっと……。


「ひ、ひぅ……」

「ちょ、泣かないで!別に睨んでいるわけじゃないから!」

「でも、さっきから私から視線を外さないじゃないですか……」

「ああそれは……。えっと、火神さん。俺のことを見てくれる?」

「?」


意味が分からない、と言った様子で首を傾げながら、それでも火神さんは俺のお願いを聞いてくれた。

俯いていた顔を上げ、瞳が俺の方へと向けられる。


やっぱりだ……謎が解けた。


「あのさ、火神さん。違ってたら俺のこと馬鹿にしながら大笑いしてくれて構わないんだけど」

「はい?」

「世界が、白黒で見えてる?」

「――!!」


彼女の顔を見れば、俺の言ったことが間違っていなかったことがよく分かる。

良かった。これで間違って本当に大笑いされていたら泣きながら帰るところだった。


「な、なんで分かって……」

「だって――」


彼女の目が全てを物語っている。

俺の方を見ている火神さんは――けれど、俺を一度も見ていない。

かつて、俺が毎日鏡で見ていたものと同じように、彼女の瞳は――濁っていた。


「――昔の俺と、同じ目をしてたから」


彼女の瞳が、ようやく俺を見た。

そんな彼女に、俺は優しく微笑みかける。


同じ学校に俺が昔抱えていたものと同じことで悩んでいる人間がいるなんて考えもしなかった。

同年代の女子だけど、なんだか後輩を見つけたような気分だ。


「あ、紅野さんと、同じ目……?」

「うん。人と話すとき、人のことを見ない……って言うと礼儀知らずなだけの人に思えるけど、俺や火神さんの場合そうじゃない。ちゃんと相手の方を見てる。その人に向けてしっかりと声も出してる。でも……焦点が合ってない」


濁っている、というのはそういうことだ。

あくまで彼女が見ているのは俺がいる方向だけ。彼女の視界に俺は映ってはいるのだろうが、おそらくピントは合っていないだろう。


それはまさに、かつての俺――死にたいと考えていた時の俺の目だ。


人と向かい合うのが面倒で、相手の方を向いてもちゃんと見ることはしなかった。

世界が白黒で、他人と言う存在が空虚なものに思えて仕方がなかった。


「そ、そんなわけないです。わた、私はこんなだけど、紅野さんはB組の私でも顔を知ってるくらいの明るい側の人間なのに……」

「まあ、B組にも友達いるから遊びに行くことあるけど……」


顔を知られているとすればそれが理由だろうが、それだけで明るい人判定されても困る。


「あ、明るいだけじゃなくて、頭もよくて、運動もできて、優しくて……」

「いやぁ、そんなことないけど」

「女の子にモテモテで、毎日女の子の家に遊びに行きずっこんばっこんしてて……」

「いやそんなことないけど!!」


前半べた褒めされてたのに後半どうしてそうなった!!

明るいとか頭がいいとかははかっこいい男になるために意識してやってるから否定したりしないけど、後半のはそんなイメージ作りはした覚えないんですが!!


「え……だ、だって、よく私のクラスの女の子とも話してるじゃないですか……そ、それってつまり、手が早いってことですよね?」

「そういうことじゃないけど!?普通に友達として仲良く話してるだけだよ!」

「と、友達……ああ、セフレですか」

「さらっととんでもないこと言ったね!君のキャラが一気に分からなくなったんだけど!」


なにが後輩を見つけた気分、だよ!!こんなの後輩でもなんでもねえ!!

白黒時代の俺はこんなに卑猥じゃなかった!もっと無気力で気だるげで、痛くない死に方を考えるようなそんな……そんな……ろくな子供じゃないな。火神さんの方がまだマシだ。


「とりあえず、火神さんが俺をどう思ってるかは置いておいて……火神さんの話をしようか」

「わ、私のスリーサイズなんて聞いても面白くないですよ……」

「そんな話する予定ないけど!?」

「そ、そうですよね。紅野さんほどの人が私程度に欲情しないですもんね」

「……そ、そりゃそうだよ!!しないよ!!してないよ!!ほんとしてないから!!」


雨に濡れしっとりとした長い髪や、ワイシャツの袖の部分が肌にぴったりとくっつき少しだけ肌色が見えていたる少しドキッとするところはあるけど、欲情はギリギリでしていない!はず!!


彼女が冬服であればもっと冷静に言い返しもできただろうが、あいにく今の火神さんは夏服で少し薄着だ。


……彼女がベストを着てくれていて本当に良かった。ベストなしで透けブラしていたらと思うと……あ、やばい、るなちゃんのことを考えるのはやめよう。ちょっと心がざわざわしてきた。


「あ、あの、なんで黙り込んでるんですか……?ま、まさか、本当に欲情して――」

「してないから!!本当にしてないけどちょっと距離取らせてね!」


一歩、彼女から離れた位置に移動する。うん、これなら大丈夫。


「…………」

「そんなに警戒しないで。じゃあ本題に入ろうか」

「……本題……つ、つまり、紅野さんの性癖について……」

「どのあたりが本題!?……あのさ、火神さん」


少しだけトーンを落として、真面目な話をしたいと暗に伝える。

さすがに雰囲気を察したのか、火神さんは余計なことは言わずに俺の話に耳を傾けてくれた。


「悩みについて話すのが嫌なら、嫌って言ってもらえれば俺はもう踏み込まないよ。同じ悩みを抱えてた仲間だからだって、無理やり話をさせようなんて思ってない。だから、俺が聞いてるのに申し訳ないけど、嫌なら嫌だって言ってほしい」

「い、嫌……ではない、です。ただ、怖くて」

「怖い?」

「お、同じ悩みでも、この悩みは人によって答えが違うから……もしも、私には答えがないってわかったら……私には、白黒な世界でしか生きる資格がないと言われたら……わ、私は本当に生きることが出来なくなら……そ、それが怖いんです」

「…………」


彼女の恐怖は俺にも身に覚えがある。

白黒で、退屈で、窮屈で、息苦しくて。

この色褪せた世界で、俺は死ぬまで生きなければならないのかと、怯えながら過ごしていた。


俺はその苦しみから早く抜け出せたけど、彼女はそうじゃない。

高校生になるまでずっとその恐怖を抱えて生きてきた。きっと彼女の感じる恐怖は、俺がかつて感じていたものとは比べ物にならないほど大きいだろう。


俺は、それをしっかりと理解したうえで、


「別に、大丈夫じゃない?」


軽々しいとすら思えるような口調で、そう言ってのけた。


「これは、同じ悩みを持ってた先輩としてのアドバイスだけど、君が思ってるより世界は広いよ。特に、君や俺みたいな目をしたやつは、人だけじゃなく世界すら見てない。すぐそこにある感動を毎日見落としてる」

「か、勝手なこと言わないでください!!わ、私が、ど、どれ、どれだけ色を探してるかも知らないのに!!」


俺の言葉に返ってきたのは、怒り。

俺を見ている瞳に、怒りの炎が燃えている。


突然の大声に少し驚いてしまったが、俺は彼女から目を逸らさない。彼女もまた俺を見ながら――睨みつけながら、思いの丈をぶつけてくる。


「こ、こんな誰もいない屋上で、高いところから見たら違うものが見えるかもなんて、馬鹿馬鹿しい考えで雨の中こんなとこまで来たりして……それでも、なにも見えなかった!!これだけ遠くまで見えるのに、全部色褪せてるようにしか見えない!!」


火神さんの怒りを流すでも躱すでもなく、まっすぐ正面から受け止める。

先ほど、どうでもいい理由で距離を取ったのは正解だった。さっきの距離だったら胸倉をつかまれていたかもしれない。

まあ、長年を自分を苦しめた悩みを……いや、今もなお苦しめている悩みをあんなふうに言われれば無理もない。


だってそれは、今までの人生全てを嘲笑されたようなものなのだから。


「わた、私が、私がどれだけ……!!」


……俺たちの悩みの答え自体は簡単だ。

世界が色付くほどの『楽しい』を見付ければいい。

難しいのは、その『楽しい』がいったいなんなのかが分からないことだ。


だから、悩みを解決するには『楽しい』を探し続けるしかない。

白黒の世界でそんなものを探すのは、暗く深い水の中でもがくことと変わらない。

どこが上でどこが下で、自分が今進んでいるのが正しい方向なのか分からないまま、それでも止まれば自分が終わってしまうことを知っているから止まれない。


かなり昔のことだというのに、それが苦しかったことはよく覚えている。


「火神さん。おれにとっての『それ』がなんだったか、分かる?」

「わ、分からないですよ、あなたのことなんて……女遊びかなにかですか」

「ゲームだよ」

「……は?」


こんなに偉そうに語るんだから、きっとかっこいいことでも言ってからご高説でも垂れてくる――おおかたそんなことでも考えていたのだろう。

怒り一色だった彼女の顔が、予想外の回答にポカンとした顔へと変わった。

予想通りの反応に苦笑しながら、俺は自分の話を続ける。


「親戚に貸してもらった『ポケポケモンスター』ってゲームがそれはそれは面白くてね。貸してもらった時間は少しだったけど、俺がそれを『楽しい』って感じるには十分だったよ。それからすぐにそれを親に買ってもらってさ。いつもならお菓子とかおもちゃとか全然買ってくれないのに、『幼稚園の友達と遊びたいから買って』って言ったらすぐ買ってくれたよ。まあ本当は一人で遊んでたんだけどね。はっはっは」

「……ゲーム、なんかで」

「そう、ゲームなんかで俺の世界は色づいた。正直俺もびっくりだったよ。こんなので良かったのかって」


初めてゲームをした時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。

色のある世界にも驚いたが、それ以上にきっかけがこんな身近にあったことにこそ驚いていた。


「俺は結局、実際にプレイするまで知ったつもりだったんだ。知ったつもりで、勝手に違うと決めつけてた。……火神さんもそうじゃない?」

「……っ!」


心当たりがあるのか、彼女は俺から目を逸らした。


「『楽しい』を見付けるコツは実際に触れてみること。それだけで世界は広がる。……俺からできるアドバイスはこれくらい。あとは火神さん次第だよ」

「私、次第?」


困惑に揺れる瞳が、俺に答えを求めてくる。

髪に隠れてほぼ見えないけれど、彼女の不安だけはその目から伝わってきた。


「俺と火神さんは違う人間だもの。『楽しい』と感じるものだってもちろん違う。だから、君は君で自分の『楽しい』を探さなきゃいけない。……まあ、なにかしらお勧めするくらいはできるかもだけど、基本的には火神さん次第だよ」

「で、でも私は、な、なにをすればいいか……」


すがるように、助けを求めるように、火神さんが俺に一歩近づいてくる。

一歩、また一歩と、俺に近づいて、ついに彼女の手は俺に届いた。


「だ、だから……助けて、ほしいです」


冷え切った手で俺の手を握った火神さんは、それきり下を向いたまま黙ってしまった。


……手を握り返すのが優しさなのか、振りほどくのが優しさなのか、分からない。

いや、分かっているのに、分かっていないふりをしているだけだ。


俺と彼女が今後も交流を持つとは思えない。ならば、彼女が一人でも生きていけるようにしていくことこそが思いやりだ。


だから、俺のやることは決まっている。


「火神さん」


彼女に優しく、呼びかける。俺の次の行動が分かるのだろうか、彼女は俺の呼びかけに肩を震わせ、さらに強く俺の手を握ってきた。


彼女が掴んでいる手とは逆の手で震える彼女の手を掴み、ゆっくりと離す。

火神さんが泣きそうな目でこちらを見てきた。……俺の拒絶に耐えられないのだろう。


「……や、お願い……」


彼女にとって、俺は唯一の道しるべ。手を離されてしまえばまた迷い続けることになるかもしれないという恐怖が、彼女を襲っているはずだ。


俺は、懇願する彼女に苦笑いをしながら、それでも手の力を緩めずに――


――その手に、ゲーム機を握らせた。


「……………………」


沈黙。

火神さんも俺も、口を開かない。雨の音以外なにもない世界で、時間だけが過ぎていく。


数秒か数分か。あまり長くはない時が流れて、火神さんが死んだ目を俺に向けながらようやく声を出した。


「……は?……な、なんですかこれ」


あと少しで泣きそうという感じだった火神さんが、一瞬で顔から表情を消して真顔で『は?』と聞いてくる。

さっきの顔とのギャップがすごい。


「あ、見たことない?PLPっていうゲーム機だよ」

「いやそうじゃなくて」

「ああ、中身?今入ってるのは『バケモノハンティング』っていうアクション—―」

「そうじゃなくて!」


抑えられなかった、と言った様子で火神さんは俺の言葉を遮った。さっき怒った時とは違い、すぐに素に戻ると咳ばらいをしながら手に持ったゲーム機を俺に突き出した。


「い、今のシリアスな流れから、なんでゲーム機が出てくるんですか!」

「俺の楽しいって思ったものなら火神さんの『楽しい』になれる可能性あるかなって」

「可能性って……」

「ワンチャンあるかなって」

「言い方の問題じゃないんですけど!!」

「まあ、冗談はこのくらいにして」


彼女の瞳に恐怖心がもう見えないことを確認してから、真面目な話へと戻る。彼女も俺の表情からそれを読み取ったのか、ゲーム機を引っ込め視線で俺に先を促す。


「……火神さんも気づいてると思うけど、本当に君のためを思ってたら、見捨てるべきだったんだと思う」

「わ、私も、そ、そう思います。……だ、だって紅野さんはもう、私に構ってくれませんから。こ、今回だけ助けたって……」

「うーん、何かニュアンスが違うんだけど……まあ大方そんな感じ」

「そ、それが、どうして……私、今助けられたら、また頼っちゃいます。『楽しい』が見つかるまで、き、きっと紅野君に迷惑を……」

「いいよ、かけても。パンツ見ちゃったし」

「どどどどうしてそれが関係あるんですか!!」


突然話が俺と火神さんの出会いまで戻ったことに、火神さんは分かりやすくうろたえていた。


まあ、今のは半分冗談だ。……けど、残り半分は本気で言っていたりする。


「火神さんと真っ赤なパンツってのが、どうにもしっくりこなくて。最初のうちは、『下着の趣味なんて人それぞれだろう』ってことで気にしてなかったんだけど……話してくうちに、もしかしてって思って」

「もしかして……なんですか」

「白黒な世界で、せめて下着だけでも明るい色を、って考えなのかな……って」

「っ!」


火神さんの顔が、パンツよりも真っ赤になる。俺はあえてそれには触れずに、視線をそっとそらした。


「そう思ったらなんかもう、見捨てるとか無理だよ。迷惑かけられても、力になりたいって考えちゃう。だから助ける。馬鹿馬鹿しい理由でごめんね?」


さすがに理由がアレすぎるので、最後に謝罪しておいた。

数秒待っても、彼女からは何も返ってこない。頬を掻きながら、さてどうしようかと考えていると、彼女は無言でゲーム機を再度突き出してきた。


「火神さん?」

「や、やり方……教えてください」

「……いいよ、じゃあやろうか」


恥じらいながら教えを乞う火神さんに、俺は満面の笑みを返す。

こんな一発目で火神さんの世界に色が付くだなんて思わないけど、それでも一歩を踏み出すっていうのは大きいことだ。


例え色がつかなくても、これで火神さんの何かが変わると信じて、俺はPLPの電源を入れた。


***


「なんでですか!一撃で死ぬっておかしくないですか!!このゲーム『ギラブレオス』を贔屓しすぎじゃないですか!?」

「あ、あの、火神さん?」

「きいい!!もう一回!!もう一回です紅野さん!いえ、勇者ひかる!」

「ゲームの名前で呼ばないでくれる!?それなら普通にひかるって呼んでくれないかな火神さん!」

「い、今の私は火神ではありませんよひかるくん!バケモノから世界を守る、勇者愛色からふるです!!」

「めんどくせえ!!見捨てたい!!」


ゲーム機の操作を教え、20分ほど。

『バケモノハンティング』を『楽しい』と感じてくれのめり込んだ火神さん……勇者愛色からふるは、『ギラブレオス』に挑んでは即死し挑んでは即死しを繰り返していた。


「ふっ……どうやら、ここで一人で頑張っても簡単に倒せる相手じゃないみたいですね……」

「やっと分かってくれたか……。うん、勇者愛色からふるがやってるのって何人かでプレイするのを前提にしてるから、一人で討伐するとなると……モーション完全に見切るくらいじゃないと」

「やっぱりそうですか……分かりました。であれば!」

「よし、今日はひとまず帰っ――」

「今からゲームを買いますから、ひかるくんは私の家にお泊りして手伝ってください!」

「今日あったばかりの同級生を家にお泊りさせるっておかしいよね!!」

「大丈夫です!今日は両親帰ってこないので二人きりです!居心地悪くはさせません!!」

「そういう問題じゃないんだけど!?」


彼女の男に対する無防備さに、数週間前のるなちゃんを思い出す。

月ちゃんは『相手が俺だから』と嬉しいことを言ってくれたが、愛色からふるの場合は俺のことをろくに知らないのだから、問題がある。


「あのさ勇者愛色からふる。俺のこと知らないのにさすがにそれは危機感なさすぎだと思わない?」

「私だって本当によく知らない人なら家に呼んだりしないですよ。ひかるくんは優しいから呼ぶんです」

「どうして俺が優しいなんて言い切れるのさ」

「私のバッグを受け止めてくれたからです」


思いもよらなかった言葉に、俺はなにも言い返せなくなる。

愛色からふるはPLPの電源を切って俺に手渡しながら続けた。


「あ、あの時は、本当に反射的に投げてしまったので、バッグのチャックが全開だったんです。だから投げた後は焦りでいっぱいでした。だって、あの距離なら絶対に避けられる。避けられたらバッグから出てきた私の荷物が、フェンスの隙間から校庭に落ちてしまう。もちろん全部が落ちるとは思いませんが、それでも鍵みたな大切な小物が落ちちゃう可能性は充分ありました」

「……うん、そうだね」

ひかるくんが避けるために動こうとしたのも、途中でそれをやめたのも知ってます。それだけじゃなく、ひかるくんはバランスを崩して倒れてしまったせいで服がずぶ濡れなのに、私のバッグがたいして濡れてないのも、曜くんが雨で濡れた床に落とさないよう気を使ってくれた結果です。唯一出てしまった生徒手帳も、曜くんがすぐに拾ってくれたおかげであまり濡れていませんでした。……これについては、ついさっき気づきましたけど」

「…………」


全部バレていた。こういうのは人知れずやるからこそかっこいいのだが……余すところなくバレているうえに、こうして全部改めて言われるとめっちゃ恥ずかしい!


「だから、曜くんのことは会ったばかりですが信じています」

「そ、そうですか」

「曜くんが私を襲わないって信じてるし、もし襲ったとしても夜のハントスキルでメロメロにしてくれるとも思ってる」

「二つ目の信頼だけ捨ててもらっていいかな」


落ち着きを取り戻したと思ったらこれだ。

童貞がそんなスキル持っているわけないだろう。


俺の突っ込みを聞き流している火神さんは、俺へセクハラ発言を行いながら帰る準備をしていた。


「いやぁ楽しみです。曜くんが固くて太いアレを振り回しながら、私にいろんな初めてを教えてくれると思うとドキドキが止まりません!」

「俺の使ってる武器の話だよね!」

「そうですよ?黒くて脈打ってるアレです。……他にナニを想像したんですかぁ?」


くう!このセクハラ赤パンツめ!

いよいよ準備を終えた愛色からふるが、俺の心境も知らずに元気に話しかけてくる。


これは純情男子代表として、少しやり返さなければ。


「それでは帰る準備も整いましたので行きましょうか!」

「本当に行くんだ……いや俺もゲーム仲間が増えるのは嬉しいけど、せめて泊りはやめない?」

「むう、そんなに嫌ですか?」

「いや明日も学校あるし……一晩一緒に過ごしたら理性がもたないかもしれないし」

「待ってください、今なにかすごいこと言いませんでした?」

「じゃあ俺、教室にバッグ置きっぱなしだから取ってくるね。その間にタオルかなにかで髪とか乾かしておいてもらえると助かるな。妙に色っぽくて正直さっきから欲情しちゃって困ってたから」

「なんで急に性欲に素直な発言し始めたんですか!セクハラしてた私への仕返しですか!!」

「……ふう。じゃあ後で下駄箱で待っててね」

「どうして私を凝視したんですか!!え、ちょっなにも答えないまま行くのはやめてください!!私これからどういう気持ちであなたを家に招けばいいんですか!?ねえ!!」


後ろから聞こえてくる愛色からふるの叫びを聞いて、俺の大人げない仕返しが成功したことを確信する。


ふはは、純情な男子にセクハラ発言するからだ、少しは反省するんだな!!


「……あ」


火神さんの声が聞こえなくなるほど彼女から離れたところで、俺は彼女に大事なことを聞くのを忘れていたことに気付く。


完全に火神さんのペースに飲まれていた……と、反省する。今後はもうちょっと俺のペースで会話できるようにしよう。


まあそれに、焦る必要はない。後で聞いても問題ないことだ。

なぜなら、


「色のある世界が綺麗かどうかなんて、聞かなくても分かるもんね」


彼女の目を見れば分かる。きっと、今の彼女は目に映るものすべてが美しく見えていることだろう。


だから、聞くのはゆっくりでいい。時間はたくさんあるのだから。


誰にも気づかれないよう静かに微笑んで、俺は教室へと歩く。

いつか、その美しさを笑顔と一緒に語ってもらえる日を楽しみにしながら。

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