8週目 色彩
「おはよう
「テンションが、うざい」
テスト終わりからさらに一週間が経った月曜日。
すでに五月も終わりへと近づいており、冬服でいると非常に暑い季節になってきた。
学校に早く着いていた俺に至っては、持て余した時間を使い、一人で机の移動を全部終わらせたのだからなおさらだ。上着はすでに席に放置してあり、長袖のワイシャツもまくってだいぶ短くしてある。
そんな状態で、扉を開けた月ちゃんにテンション高めに声を掛けたのだが、返ってきたのは非常に辛辣な感想だった。
「おはよう。今日はずいぶんと、テンション高いね。嫌なことでもあった?」
「別に辛い出来事から目を背けるための自衛行為じゃないから!……ほら、テスト前に俺と約束したじゃん。『テストが落ち着いたら昼食の場所教える』って」
「……約束が違う。確か『テストの点数が良くなってたら、ヒントをあげる』だったはず」
「あ、あれ、そうだっけ?」
そう言われてみればそうだった気もする。
約束から数週間経ってしまっていたせいで、どうやら俺の中で都合のいい方へ書き換えられてしまっていたようだ。
「記憶力には自信がある。
「それは早く忘れてくれないかな!!」
俺もその部分だけはしっかりと覚えてしまっている。嫌なことはなかなか忘れてくれないものだ。
あの時油断してたんだよなぁ。月ちゃんに『可愛い』と言うことは何度かあったが、意識的に言うのと無意識的に言ってしまうのではこちら側の心構えがかなり変わってくる。
ああ、思い出すだけでも身悶えてしまう!!ロッカーあたりに隠れてしまいたい!
ロッカーから箒を取り出した月ちゃんは悶える俺に少し引きながら、
「昼食場所のヒント、だっけ。点数良くなってたから、ヒントをいいけど……」
そこまで言って月ちゃんは顎に指を当てなにやら考え始めてしまった。
おそらくは俺へのヒントを考えているのだろう。ヒントを出すというのは案外難しい行為だ。すぐに答えが分かってしまうものだとダメだし、逆に答えから遠すぎればヒントでなくなってしまう。
数秒悩んだ末、月ちゃんは提示するヒントを決めたようで口を開いた。
「前に、私がお昼を食べる場所は、雨風の影響を受けない『屋内』って言った」
「うん、言ってたね。だから俺、校舎内探しまくってるんだけど…」
「そこが勘違い。私は『屋内』とは言ったけど……『校舎内』とは言ってない」
「…………ッッッ!!!」
そんな……そんな盲点があったなんて!!
膝から力が抜け落ち、地面に手を付いてしまう。
月ちゃんがぼそっと『オーバーリアクション……』とつぶやいた気がしたが、聞かなかったことにした。
「そ、そんな……あちこち探しまくってたのに」
「どんまい」
「あちこちふらふらしてたせいで初対面の美少女な先輩と仲良くなったり、クラスの女子グループに『居場所ないの?一緒に食べる?』って言われていろんな子と話したりメアドまで交換したのに……!」
「ずいぶんと、楽しそうな昼休みだね」
床をバンバン叩く俺を、月ちゃんは軽蔑した目で見降ろしている。いやどっちかというと見下されている感じだ。
くっ、興奮するな俺!さすがにここで興奮したら純粋だったあのころには戻れない!あ、純粋なころなんてなかったわ……。
「そりゃ普段話さない人と話せるのは楽しかったけどさぁ」
「普段話さない女の子、でしょ」
「うん?……あ、確かにそう言われれば女の子しかいないや。……あれ、なんか月ちゃん機嫌悪い?」
「別に」
月ちゃんの返し方はどこかぶっきらぼうだ。そこに触れると藪蛇になりそうだったので、あえて触れずに話を戻していく。
「それで昼食の場所の話だけど……。校舎外っていうと、どこかに食べに行ってるの?」
「いろんなところに行ってる。ファミレスとか、定食屋とか。たまに、そのあたりの公園で食べたりもしてる」
「ステージ固定じゃなくてランダムセレクトとか探す難易度高すぎない!?……っていうかそっか、弁当じゃなくてその場で買って食べてるのか……」
「なにか、不都合?」
「ああ、いや……」
弁当を自分で作って料理スキルをアピールしようとしていたのだが、そういうことだともうこの手は使えなさそうだ。まあこれから先、料理ができれば間違いなく役には立つだろうし……。
「外食だと、厳しい?」
「……そうだね、探せるとしたら週一かな」
月ちゃんの心配は俺の考えていたものとは違っていたが、それはそれで確かに問題点ではある。
バイトをせず、小遣いとお年玉だけで生活している高校生にとって毎日昼を外食など厳しすぎる。週に一回が金額的に限度だろう。
「くっ、月ちゃんを探しに行くためにバイトするか……!」
「そこまでされると、重い」
「そう言われるともう手詰まり……ちなみに月ちゃんが弁当持ってきて食事場所を学校にチェンジするっていう可能性は……」
「ない。お弁当作れない。それに、学校で食べたくない」
「一人で食べるのもいやなの?」
「学校にいる限り、完全な一人じゃない」
「それならどっかに食べに行ったら……ああ、そうか」
人によって『一人』の定義は違う。
今の月ちゃんのを例にすれば、たとえ周りに誰もいない場所であったとしても、そこが学校である限りどこかに誰かがいる。
それではダメなのだ。近くにいなくとも同じ建物にいるだけで、精神的に一人になれない。
逆に校舎外であれば。
「周りに赤の他人しかいないなら、それは『一人』だもんね」
顔も名前も知らない他人。自分から見た他人が風景でしかないように、他人から見れば自分もまた風景だ。もちろん『人』として認識はされるだろうが、相手にとって自分とは『人』という名の風景であり、『
それなら『一人』と変わらない……という考えなのだろう。
俺は知人だろうと他人だろうと周りに人がいれば『一人』とはカウントしないのだが。
「やっぱり、曜くんは明るいのに暗いよね」
「?そ、そうかな……」
月ちゃんが呟いた言葉の意味がよく分からず、首を傾げる。
月ちゃんはどこか遠い目をしながら俺を見ていた。
「自分の考えとか、近い考えなら、理解できる。でも、私の考えを……全く違う考えを、当たり前のように理解できるのはおかしい。明るくて、暗い。……かっこよく言えば、光と闇を同時に抱えてる」
「そのかっこいい言い方はむず痒いからやめて欲しいな」
すごい能力を持ったバトル物の主人公、みたいな雰囲気を醸し出してしまっている。ただの人間をそう称されてもイタさしか感じない。
闇なんて大層なものは抱えていないし、光なんて立派なものも持ち合わせていない。
「謙遜しなくても大丈夫」
「謙遜じゃないんだけど……昔ならともかく、今は至って普通だよ」
「……昔って、曜くんinダークサイドの頃?」
「俺ダークサイドに堕ちてた頃とかないよ。そんなに俺に闇属性を付与しようとしないで」
「でも一人が好きだったって」
「それは闇うんぬんじゃなく、単純に人と何かするより一人でやるゲームの方が好きだったからってだけで闇なんて……あっ」
一つ心当たりを思い出してしまい、思わず声を出してしまった。とても小さいころのことなので完全に忘れてしまっていたが、昔のことを紐解いていくうちにその記憶を思い出してしまった。
「闇の記憶、思い出した?」
「いや、えっと……ははは」
「…………」
無言の圧をかけてくる月ちゃん。その上、じりじりと近づいてきていた。
こればかりは俺もそう簡単に押し負けるわけにはいかないので無言で見つめ返していたが、遠くにいた月ちゃんが俺を見つめながら近づいてい来るという状況が心臓にとても悪い。
一定以上近づかれたらキスしてしまいそうだったので早々に押し負けることにした。
「さっきの一人でやるゲームが好き、って時より前の、小学校に入るよりも前の話なんだけど」
そこでいったん言葉を区切る。何と言ったものか言葉が見つからない。
うんうん唸りながらもいいフレーズを考えるが語彙力の乏しい俺ではどうやっても月ちゃんを引かせてしまう説明しかできない。
目の前には俺の言葉を待ちわびている月ちゃんの顔がある。可愛い。
そのキラキラした瞳を濁らせてしまうかもとは思いつつも、もう選べる言葉のストックを探しつくしても適切なワードを見つけられなかったため、もうありのままを話すことにした。
「俺、そのころ死にたかったんだよね」
途端、月ちゃんの表情が思いっきり固まる。パッと見ただけで困惑が見てとれる。
だろうね、だから俺もできるだけ言いたくなかったよ。
「その、ごめんなさい。……あの」
「そ、そんな悲しい顔しないで!別にすごい嫌なことがあったとか、辛い過去があるとかそういうわけじゃないから」
「でも……」
「なにかあったわけじゃなくて、なにもなかったから死にたかっただけだよ。……死にたいって言うから重くなるのか。正確に言うと消えたかったんだ」
「なにも、ないから……退屈だったの?」
「うん。子供の世界なんて狭いものなのに、俺はその世界を全てだと思ってたから……なんていうのかな。世界が白黒に見えてて、すごい嫌気がさしてたんだ。今思い返すと恥ずかしいだけなんだけど。まあでも、世界の広さを知らなかったが故の恥ずかしい勘違いだったとしても、その時の考えは俺の根底に残ってるんだと思う。闇っていうなら、それかもしれない」
月ちゃんを見るのが恥ずかしくて、途中から目を逸らしてしまっていた。
自分のうちをさらけ出すのは恥ずかしい。それが好きな人ともなればなおさらだ。
次の言葉を待つことすら嫌で、早々に話を切り上げようと箒をロッカーへしまいに向かう。
顔が熱い。なにが悲しくて自分の黒歴史を見せなくちゃいけないんだ……。
ロッカーに箒を乱雑にしまい、後ろを振り向かないまま手を伸ばす。
足音からして月ちゃんが近くに来ていると予測し、箒を受け取ろうと手を伸ばしたのだが……数秒待っても箒が渡されない。
もしかして意図が伝わっていないのかと思い、月ちゃんへ箒プリーズと口を開こうとした瞬間、手に温かいものが触れた。
……温かいもの?
「月ちゃん?……っ!?」
箒にしては温かいし、そもそも箒はこんなに柔らかくない。
疑問に思い後ろを向くと……月ちゃんが、両手で俺の手を包み込んでいた。
「へ……あ……」
俺には女の子耐性などない。そんな俺への予期していない肌の接触は刺激が強すぎる!
驚きと困惑と言葉にできない喜びで胸が満たされてしまい、次の言葉を考えることすらできなくなっている。
口から声にならない声を出し続けるしかない俺に許されてるのは、手の感触を忘れないよう脳に刻み込むことと彼女が次に言う言葉を聞くことだけだ。
「今は、どう?」
「い、今?」
「今は楽しい?世界はちゃんと色づいてる?」
「うん、そりゃあもう今までの人生で一番色づいてるけど……」
月ちゃんの透き通るような、綺麗な白よりの肌色が。
吸い込まれそうなほど美しい、俺を写した瞳の黒色が。
見ているだけで心をかき乱す、艶めかしい唇の赤色が。
色が、俺の心臓の鼓動を早くしていく。早すぎて、呼吸すら苦しいほどだ。
「本当に?もう、消えたいだなんて言わない?」
「い、言わないよ。その思考回路だったのは本当に小さいころだけの話だから。今は……ていうか小学校くらいのころからそんなことは考えすらしなくなったから」
「でも、たまに死にたいとか言ってる」
「それは完全に冗談なんだけど……。俺のこと、心配してくれてる?」
彼女は小さくこくんと頷いた。こうして話している間も俺の手をずっと握っている。……少しだけ、手が震えていた。
俺の昔話は月ちゃんを心配させてしまったようだ。
実際には杞憂でしかないのだが……それでも人の生き死に関することとなれば、いくら大丈夫だと思ったところで不安は拭えないものかもしれない。
「月ちゃん」
空いていた手を月ちゃんの手に重ね、お互いに両手で握り合う。
不安で揺れる月ちゃんの眼をまっすぐに見つめ、言葉に心を乗せて彼女へ届ける。
「軽率に死にたいとか言ってごめん。月ちゃんが不安に思うならもう二度と言わない。それに、本当に今は死にたいとは思ってないよ」
それでもまだ、月ちゃんが手の力を緩めることはなかった。
ならばと、俺は逆に手に力を込める。腕にも力を込めて彼女を引っ張り、俺に無理やり近づける。
目の前に好きな女の子の顔が迫る。口から心臓が飛び出そうになるのを押さえつけて、俺は彼女の心へ語り掛けた。
「俺の小さな世界は白黒だった。そこに当たり前の楽しさを知ったことで色がついた。そして……月ちゃんのおかげで俺の世界は今、輝いてる。君のおかげで毎日が楽しいんだ。だから死にたいだなんてもう少しも思ってないよ」
俺のありったけを月ちゃんにさらけ出す。恥ずかしいことを言った自覚はあるが、これが月ちゃんを不安にさせた罰なのだと思えば苦にはならない。
彼女の眼をただただ見つめ続ける。ここで逸らしてしまえば不安を取り除くことができないと分かるからだ。
じーっと、それはもうじーっと見つめる。月ちゃんは何も言わず俺の眼を見つめ返すだけ。
十秒ほど経ったころだろうか。
突然、月ちゃんが顔を真っ赤にした。
「うおっ!?月ちゃん大丈夫!?すごい顔色になってるけど!!」
「だ、大丈夫、おやすみ」
「ここで寝るの!?ちょ、起きて!起きてって!!」
「て、手を、手を離して……」
「ああ、うん……あれ、手めっちゃ熱いんだけど!顔も赤いし離した途端に倒れるとかないよね!?」
「大丈夫、大丈夫だから離して。い、今近づかれると、やだ……」
拒絶の言葉を投げかけられ、さすがに手を離す。
近づかれるのが嫌とか、そこまで言われると死に……こほん。辛いんだけど。
「あ、あの月ちゃん。もしかして俺また怒らせちゃった?先週も可愛いって言ったら怒らせちゃったし……あの、あれは本当に、純粋に月ちゃんが可愛すぎて思わじ言っちゃっただけでそれ以外には何もないから。それだけだから!」
「な、なんで、よりによってそれを今……!」
涙目になった瞳で、強く俺を睨みつけてくる。
思わず一歩下がってしまう。お、俺なにしちゃったんだろう……。最低限のデリカシーは持ってると思ってたけど、そんなことはなかったんだろうか……。
俺が自分の無神経さにショックを受けていると、さっきよりもさらに顔を赤くした月ちゃんが、口をパクパクさせていた。何を言いたいのだろうと思いながらも、急かすようなことはせずに、彼女が自然に話し始めるのを待つ。
やがて、たどたどしい言葉で、少しずつ話し始めた。
「か、かわ、可愛いとか、さっきみたいなこととか、そんな、簡単に、
言っちゃダメ」
「い、嫌だった……?ごめんね、それならもう言わないように――」
「そ、それも、ダメ。適度に言って」
「なにそのオーダー!さらりと難しいこと言われてるんだけど!?」
月ちゃんのオーダーの意味が分からない。注文の多い料理店かなにかなの?俺最終的に食われるの?
なにを考えているのか想像が及ばないが、月ちゃんがそこまで言うのならあまり深くは考えずに従っておこう。変に詮索してもっとひどいオーダーを出されるよりはずっといい。
「わ、分かった、頑張って適度に言うようにするよ。……月ちゃん、今日も普通だね」
「5点減点」
「適度が分からねえ!!」
頭を抱える俺を月ちゃんが楽しそうに眺めていた。顔色はさっきよりは普通に近づいており、先ほどまで狼狽もだいぶ落ち着いたように見える。まだ少し様子がおかしいけど。
「私が欲しいと思った時だけ、言って。それ以外はダメ。ふ、不意打ちは絶対に、絶対に、ダメ。減点対象」
「減点され続けるとどうなるの?」
「6点減点で免停」
「なんの免許!?っていうか今さっき5点減点されたよね俺!」
「リーチ。頑張って」
「頑張り方が分からないんだけど!」
いつもの調子で話しているうちに、月ちゃんはいつも通りに戻っていた。
真っ赤になって焦ることも……泣きそうな目で俺を見ることもない。いつも通りの眠たげな月ちゃんだ。
「ふふっ」
月ちゃんが楽しそうに笑う。俺もそれにつられて思わず笑顔になった。
改めて月ちゃんから箒を受け取り、それから机の移動を始める。
机を動かしながらも、俺たちの会話は終わることはなく、ずっと続いていた。
机を元の位置にセットし終える。いつもであれば、月ちゃんはここで自席へ眠りに言ってしまうけど、今日は良いことでもあったのか、俺との会話を優先してくれた。
なによりも寝ることが好きなことが彼女が、今日は
――それがどういう意味なのかを俺が知るのは、もう少し先の話。
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