7週目 期待の眼差し
「そういえば、金曜に帰ってきたテスト、どうだった?」
月曜から木曜まで続いたテストも終わり、通常授業に戻り始めた月曜日。
金曜には採点が終わったものから戻って来ている。
途中経過が気になったので机を運んでいる月ちゃんにさりげなく聞いてみた。
「あんまり、できてなかった」
「あはは、そうだよね……今回クラスの平均点も低かったし」
勉強を頑張りに頑張ったおかげで、何もしてなかった中学時代よりは圧倒的に良くなってはいるが、それも比べればの話だ。点数だけで見るとまだまだ月ちゃんにかっこいいと思ってもらえるほどじゃない。
「偏差値的にそこまでじゃないと思ってたんだけど……なめてかかってたよ」
ため息とともに机を運び終える。
ここで頭がいいアピールをして好感度上げたかったのに……残念。
「私も。数学があるとはいえ、平均点が90点に届かないとは思わなかった」
「あはは……ん?」
月ちゃんの発言が気になり俺の笑いが引っ込んでしまった。
んー……と?あれ、おかしいぞー。今の言い方じゃまるで。
「月ちゃん。そんな言い方したら、まるで80点は超えてるみたいじゃないか」
「超えてるよ」
「……確認だけど、月ちゃんが言ってる80点ってあの80点?79の次の80?」
「他に、どの80があるの?」
さも平然のように答えられてしまった。いや確かに当然と言えば当然だけれども。
俺の動揺に気付くこともないまま、彼女は箒を取りに行ってしまう。
……ショッキィィィィング!!!!
え!?月ちゃんこの前勉強苦手みたいなこと言ってなかった!?
80点って……それかなりの高得点じゃん!どれか一個だけならともかく、平均点が80点超えるって頭いい人やん!!
「る、月ちゃん……いや月さん。ちなみに今のところの平均点数はおいくら万点?」
「87だよ」
「ぐぼぁ!!」
さらりと告げられた点数によって腹を殴られたような衝撃に襲われる。思わず膝をついてしまった俺を月ちゃんは心配そうに見つめてくれていた。
「どうしたの?頭おかしくなった?」
頭の心配をされていた。
「ご、ごめんね。現実に心をへし折られただけだから大丈夫……。ところでさ、前に勉強苦手みたいな雰囲気出してなかった?」
「苦手だよ。95はいかないと、得意とは言えないでしょ」
「俺、ギリギリ70いったくらいなんだけど……」
「だって、
「……お姉ちゃん?」
唐突に出てきたニューワード『お姉ちゃん』。
この会話に月ちゃんのお姉さんが登場する意味が分からない。というか、言葉のニュアンスが微妙におかしいことになっている気がする。
まるで、その『お姉ちゃん』の妹には優秀が強いられているような意味を含んでいる。
「月ちゃんは、妹だからいい点を取らないといけないの?」
「取らないといけない、わけじゃない。私がいい点を取ったところで、何にも影響しないから。単に、基準をどこに設けるかの話」
「ここにめっちゃ影響されてる人が一人いるんですけど」
月ちゃんの瞳に暗いものが見えた気がして、場を茶化そうとおどけた調子で返してみせた。
彼女は確かに明るい表情を見せることは少ない。だがそれは明るくないというだけで、決して暗いわけではない。
そんな彼女の暗い部分が垣間見えたのが怖かった。
「それは知ってる。曜くんは、私のことで心を動かしてくれる」
「あ、改めてそう言われると少し恥ずかしいな」
俺の言葉に正面から返してくれる月ちゃんから、目を逸らす。
……踏み込むべきだろうか。踏み込んでもいいんだろうか。
「あ、あのさ」
考える、考える考える考える。
俺は踏み込んでもいいほど、彼女の心に寄り添えてるのだろうか。
分からない。考えても答えなど出ない。
よし、変なことを言って嫌われたくないし、ここは留まっておこう。
せっかく、少しは仲良くなれたんだ。きっと今後もこんな話をする機会はあるだから、今回はブレーキをかけよう。
そう急いで言葉を探し――
「お姉さんとなんかあったの?」
――気づけば、俺のポンコツ脳みそはアクセルを踏み込んでいた。
「え?」
「えっと、ちょっと気になって……い、嫌なら言わなくても大丈夫だから!」
気付いたら口が動いていた。確かに踏み込むのはやめようとしたはずなのに……。
けれどまあ、言ってしまったものは仕方がない。彼女がいいと言えばの話だけど、もしも聞けるのなら聞いてみたい。
俺は彼女のことをなにも知らないのだから。
「別に、なにもないよ?仲が悪いわけじゃないし、何か因縁があるわけでもない。普通の姉妹。ただ、お姉ちゃんは完璧で、私は完璧じゃない。それだけ」
「……?」
話してくれたのはいいが、内容がよく分からない。月ちゃんの表情から察するに誤魔化しているわけでもなさそうだし、単純に彼女の説明が足りていないだけみたいだ。
月ちゃんが返事をくれたってことは踏み込んでもいいってことのはずだし、もうちょっと聞いてみよう。
「月ちゃんのお姉さんがすごい人ってこと?でも、それって月ちゃんが自分に厳しいハードルを設けるようなことじゃ……あ!もしかしてお姉さんが優秀だから、月ちゃんも親にすごい期待されてるとか?」
それなら納得もいく。よく漫画とかで見るやつだ。兄や姉が優秀すぎるせいで、その下の子がすごく期待されちゃって苦労するってやつ。月ちゃんもその類なのだろう。
自分の知恵だけで真実にたどり着いたことが嬉しくて、ほぼ確信しているにも関わらず月ちゃんにこの問題の答え合わせを求めた。
「ううん、違うよ。期待なんてされたことない」
――出題者が示した答えは俺とは真逆のものだった。
「お姉ちゃんは完璧。だから、お姉ちゃんがいれば事足りる。お母さんには、私に期待する意味がない。何かを求める必要がない。いなくても困らない」
当然のようにその答えを述べる月ちゃんには、やはりあの暗い感情が見えていた。
親と言わずに『お母さん』と呼んだのは、父親がいないからなのだろうか。
「だから、私はテストでいい点を取る意味もない。いい子でいる意味もない。何をしても意味がない。むしろ、何かをしたらお母さんとお姉ちゃんの邪魔になるだけ。寝るのはなにも、言われない。だから寝るのは、好き」
そう言って、彼女は力なく微笑んだ。瞳が何かを求めるように揺れている。
違う、俺が好きな笑顔はそんなんじゃない。そんな寂しそうな笑顔が見たいんじゃない。
……ああそうか、分かった。俺が、アクセルを踏み込んだ意味が。
「俺は、月ちゃんがいないと困るから」
好きな子が寂しげに俯いているのに、傍観者ぶってブレーキを踏んでいられるほど冷静には徹せない。
君が寂しがっているのなら、手を差し伸べたい。
誰よりも速く、一番に。
「俺なんかじゃ不満かもしれないけど、俺は月ちゃんを必要としてる。俺は……月ちゃんにいろんなことを求めてる。だから俺は――」
――君が欲しい。
勢いに任せてそこまで言ってしまうところだったが、その言葉にだけはブレーキをかけてしまった。
なぜなら、
「……はあ」
月ちゃんがものすごく呆れた顔で、俺を見ていたからである。
「あの、月ちゃん。真面目に話しているときにその顔されると、控えめに言って死にたくなるんだけど」
「あ、ごめんね。何言ってるんだろうこの人って思ってたら、顔に出てたみたい」
「聞きたくなかった!そのフォローは絶対に聞きたくなかった!!」
死にたい!今すぐ千の風になって消え去りたい!
どうやって風になろうか悩みながら箒を振り回していると、月ちゃんの笑い声が聞こえてきた。
それは初めてあった日に聞いた声とそっくりだった。
「かっこつけた顔なのに、言ってることは普通だから。あんな顔だってしちゃう」
「ふ、普通……?」
「曜くんが私に期待してくれること、会話をしてれば分かる。だから、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。……ちゃんと伝わってるから」
月ちゃんは笑顔だった。さっきみたいなうつろなものではなく、あの日見た笑顔のように。
その笑顔に見とれてしまい、俺はなにも言葉を紡げない。
「どうしたの?心おかしくなった?」
頭に続き、心の心配をされてしまった。
「そ、そこは大丈夫。……そっか、伝わってたか。伝わってるなら何より」
「うん」
それきり、お互い何も話さなくなってしまった。箒を掃く音と、時計の音がいつもより大きく聞こえる。
何か話しかけたいけど、どうにも気恥ずかしくて声を掛けられない。
「曜くん」
「ひゃいっ!!」
無言の空間に響く声に、思わず変な声が出てしまった。
大げさに咳ばらいをして今の声をなかったことにする。
「ん?」
「そろそろ、机運ばないと」
「もうこんな時間か……よし、運ぼうか」
箒とちりとりをしまい、後ろに下げていた机を二人で元の位置に戻していく。これさえ終われば掃除は終わりだ。
……いかん、このままいったら無言のまま掃除が終わってしまう!せっかくのルナタイム(今命名した)が!!
なにか話しかけるネタはないかと頭をひねり……月ちゃんの顔を見て思いついた。
思いついたというより、正確にはさっき気になったけど雰囲気的に言えなかったことになってしまうけど。
「そ、そういえば月ちゃん。なんだかさっきから……ちょうど月ちゃんが俺の話に呆れたときあたりから顔が赤いように見えるけど、もしかして調子悪い?」
もしも病気ならばこんなことをさせずに家に帰さないと。
そんな心配からそう声を掛けたのだが……なぜか月ちゃんに睨まれてしまった。
「曜くんは、もうちょっと女心を勉強した方がいいと思う」
「えー……男女問わず人の心なんてよく分からないのに……。っていうか体調の方は――」
「大丈夫だもん」
「もん?」
思わずその部分を聞き返すと、月ちゃんは耳まで真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
え、なに今の。最高なんですけど。
……月ちゃん可愛すぎ。
「月ちゃん可愛すぎ……あっ」
「~~~っ!!」
可愛さにやられてつい声に出てしまった!
先ほどよりも強く俺を睨みつけてきている月ちゃんへ手をわちゃわちゃさせながら、弁明を試みる。
「い、今のはあんな話し方をする月ちゃんと、それを恥ずかしがる月ちゃんが相乗効果で可愛すぎて!胸の中で抑えられなくてつい口にしちゃって!あ、でもいつも可愛いとは思ってるから!ただ『もん』って話し方がもう可愛さの臨界点を突破してて……あれ、これ弁明になってなくない!?」
「もう!寝る!」
頬を膨らまし、涙目にすらなっている月ちゃんが今までで一番大きな声を出した。その迫力に後ろに一歩下がってしまう。
俺がうろたえてる間にも月ちゃんはどしどしと怒りを全く隠さない歩調で自席へと歩こうとし――まだ自分の机を元の位置へ戻していないのを思い出してまた俺のことを睨みつけていた。
それは俺何も悪くないよね。
自分の席がある列の机だけを運び、早々に自分の席をいつもの位置へスタンバイさせると、そのまま残りの机には目もくれずに机に突っ伏しレッツゴートゥースリーピングタイムである。
顔、すごい真っ赤だし怒らせちゃったかな……。
男らしく詫びたいが何をどう詫びればいいのか分からない。……せめて、誤解のないように思ったことをちゃんと伝えておこう。
その上で、来週なにが原因だったのか聞いて謝ろう。
「えっとね、さっきの可愛いっていうのは馬鹿にしたような可愛いじゃなくて……一人の女の子として、異性として本気で可愛いと思っただけだから。変な意味はないから、そこだけは伝えておこうと思って。以上、弁明終わりです。おやすみなさい」
俺から顔を背けているから、月ちゃんの表情は伺えない。けど、チラチラ見えている耳がさっきより赤くなっている気がする。これ以上なにか言うのはやめておこう。
月ちゃんの代わりに机を全部戻しながら、来週のことを考える。
高校に上がってから月曜日は楽しみでしかなかったけど、月ちゃんの怒ってる理由を聞かなきゃいけないと思うと……。
月曜日が初めて恐ろしい!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます