第66話 その 守りたいものに…
Night Side
ドアを開け、店に入ると声がかけられた。
「あの、もうすぐ閉店なんですが……」
「長くはかからないと思います」
「!」
私は店員に歩み寄る。
「何をお探しですか?」
「レアなものを」
「ジャズ?」
「クラシック」
「オーケストラ?」
「ピアノ」
「ベートーヴェン?」
「バッハ」
店員は私にCDケースを差し出す。
「グレン・グールド。ゴルドベルグ変奏曲(1955)」
私は受け取り、お礼を言った。それから……
「あの、これ、レアっていうか、これ以上無いって程有名なアルバムですけど……なんでこんな暗号に?」
「えーと、つまりね―――」
これで、全部そろった。それにしても、みんなが守ってくれているとは。信じられないけど、嬉しい限りだ。ありがとう。
これで扉は開けられる。その先は、彼の意志を尊重するしかない。きっと私たちは大丈夫。そう信じる。新たな罪を背負うとしても。
向かう先は、ヴェロニカとエドアードが道を示したところ。中央ヨーロッパのとある場所。
「あ、すみません。もう一つあって」
「もう一つ?」
「あなたが来たら渡してほしいと頼まれていました。これです」
店員は封書を差し出した。正確には封書が何重にも透明な袋に覆われているもの。
「何ですか、これ?」
「ヘンリー・ロマックス氏の遺言書だそうです」
「遺言書……そんなものがあったのか。これ、どうしよう。開ける時は弁護士と一緒じゃないとダメだったような……」
「あ、私、弁護士の資格持ってますけど」
「え、そうなの? うーん……」
少し考えていると、一つの考えが浮かんだ。なるほど、そういうことだったか……でも、意図していたわけじゃないだろうな。
「ちょっとお願いなんですけど、私がこの遺言書の存在を知ったのは、今日この時が初めて。それを文書として残しておいてほしいんですけど、出来ますか?」
「ええ、出来ますよ。私もその点は想定してましたから」
「そう、ありがとう。それと合わせてもう少し保管しておいて欲しいんです。お願い出来ますか?」
「大丈夫ですよ」
顔を近づけて小声で聞いてくる。
「……あの、どういうことか、少しだけ教えてもらえません?」
私も小声で話す。何の意味があるのか自分でもわからない。周りには誰もいないし。
「えーと……ある街でスーパーコンピュータとクラウド上のストレージに人格を委嘱した人と出会ってね。彼と一緒に色々やって来たんだ。その成果と娘を助けてくれたお礼ということで報酬を貰った。
『行く先々で手助する……ための努力をする』だって。
あれは本当にAIかと思うようなものだったけど。
私と彼とで人々の手助けをするシステムを創ろうとしたことがあった。
そのシステムの名前はStand Alone Cooperative(孤立しながらの相互扶助)
例えば大規模な検閲が横行するようになったとして、それを回避しつつ助け合う事は出来ないか、というようなものなんだけど。
それを創ろうとして世の中を探ると、すでに存在しているような気がしてきた。そして、システムを構築しつつ、そこから得られたものを加味してさらに探っていく。そうすればするほど、もうすでにそれが稼働しているかのような様相が見える。結局、私はそれが完成する前に街を去ったけどね。
だから、それが完成したことの報告と、起動するかどうかの選択権を私に託しているんだろう。
それを生前に残していた遺言書と合わせて持って来たんじゃないかな。あの性格からして、確定できることをほとんど書いていない文書の気がする。いい意味でとれば、残したものを好きに使えと読めるかもしれないけど、それだと法律上は無効になりそうだし。
まったく、どうしろというのか」
「そ、それで……文書としてっ……残す理由はっ……!?」
「これをルドビコに、私の友達の名前ね、託せば、彼女に選択権が発生する。財産云々よりもそれが大事だと思うんだ。放棄することも含めて、彼女に決めてもらいたい。そういうことなんだ」
Wolf's Stare
彼女は掃除をしながら私たちの話を聞いてくれた。ただ、それだけだったのに。私はすごく助けられた。だんだん、彼女の周りに人が集まってきてね。そんなことを繰り返していたら、日々の仕事も楽しくなっていった。そうしていくうちに、何て言うのかな、面白くなっていったのよ。そうなると、なんだか仕事のヒントとかアイディアが自然とわき上がてくるようになって、気付いたら、私たちが無理だと思っていたことを乗り越えてしまっていた。
彼女は言っていた。ヒントは全部『仲間たち』に教えてもらった、と。
私たちの状況を見て彼女は何かの物語を思い出したようだった。確かその話の主人公はエメリアだったか、エメリヤンだったか、そんな名前で……
あなたたちを苦しめている上の連中は、あなたたちが苦しんでいるのを見て楽しんでいるのよ。彼らにしてみれば他に楽しみが無いんだよね。
だから、あの話のあれだよ……
「何処だかもわからない所へ行って、何だかもわからないものを持ってこい」
と命令する。で、何かを持ってくると、
「これは違うぞ」
と言えばいい。これでずっと命令し続けられる。
初めはまさか、て思ったけどね。でも、徐々に彼女の言葉は私の中へしみこんでいった。だんだん疑う気持ちが強くなった。周りのみんなもそんな感じだった。それで、ある時弾けた。正確には弾けそうになった、なんだけど。彼女がその直前に一つの提案をしてきた。これが上手く行ったら『蹶起』を思いとどまって欲しい。上手く行かなければ好きにして、と。私たちはそれを呑んだ。
後になって知ったことだけど。その頃私たちは結構注目されていたみたい。直接じゃなくても実有の行為は世界中に広まっていった。彼女は『裕福な人々』を集めて自分たちを蝕みつつあるヴィトリオルに対する対抗策を話したの。『裕福な人々』っていうのは、詳しく話すと長くなってしまうけど、そのヴィトリオルの対応策をほぼ全て人任せにしている人々かな……
実有は―――
何の心配も要りません。簡単なことです。ヴィトリオルは物質として現れている。ならば物質による盾で防げばいい。現在、地中の奥深くにはヴィトリオルは浸透していない。今のうちに深く穴を掘り、そこを強固に固めて居住区を確保する。そこからはあなたたちの知識と経験と知恵が生かされるでしょう。ヴィトリオルの浸透を防ぐための設備を強固に敷設し続け、居住区を広げるために穴を掘る。あなたたちの成果である数々の知恵や技術がその助けとなるでしょう。地上からの援助は私が確保しています。これが確約の念書です。不安なら確認してください。
えー、よろしいですか?
地下へ行く人々ですが、これも万全です。しっかりとしたシステムで機能するコンピュータと人間が決定します。私共が事業を企画し、請負先の委託先の業務を派遣労働者たちが信頼のおけるソフトウェアを使ってはじき出します。彼らの詳細なデータはこちらです。確認に要する作業員も確保しております。彼らとその関連企業や設備に関する資料は隣の部屋にあります。どうぞご確認ください。
私共の予測では、ヴィトリオルを根絶する方法は50年ほどで実用化に至ると推測しています。どうぞそれまで健やかにお過ごしください。
―――とかなんとか……あること無い事含めて結局、そいつらを丸め込んでしまった。
あれよあれよ、という間に厄介事をもたらす者たちはみんな地下へ潜ってしまった。頼れる上司や仲間が残り、私たちは結構好きにすることが出来た。もちろんその後も問題はたくさんあったし、困難も山積みだったけど、なんていうか、やってて楽しかったのよ。だから、私は今日まで生きられた。そんな感じかな。
だからちょっとだけ願ったんだ。何かいいことがあったら、そのうちの少しが彼女にも与えられますように、みたいにね。私が何かを一生懸命やったら、どこかで彼女の助けになると思えたのよ。
それにしても、今日はずいぶんと懐かしい感じがする。あなたに話しているだけじゃないような気もする。もしかして、今彼女がこの街に居たりするのかしら? 私たちのこと、覚えてくれてるのかな? また、会えるかな?
そういえば、地下に向かう人々を見送った後、こんな風に叫んでいたっけ……
職業がなんだ!?
財産がなんだ!?
自分が欲しいものくらい自分で選べ!
無けりゃ作れ!
私は自分の感受性を守るからな!
お前らも何かやってみろよ!
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