第65話 受け継ぐもの

Ziggy's View


 敵と味方について


 言葉により想いは形となり、それはテリングによってまとめられていく。そして時代と共に様々な手法で運ばれた。歌は歌い継がれ、仕草は演じられ、様々な物語は石板、竹、紙で残され、渡されて行く。印刷の手法、工業化、通信技術、ラジオ、テレビ、インターネット、SNSなど。これらによって、戦略が立てられてきた。広告から思想統制まで様々だが。


 詐欺師の戦法の一つだろうが、相手を騙す、ということを目指す場合、自分の意図を隠すことは重要だ。相手に悟らせずに自分の目的を達すること。そして目的を達してもそれを喧伝しないこと。私が見出した『巨大な何か』がやっているのはこれと、これの応用、発展型の行為だろう。


 いくつかの世界を見て少し疑問が湧いた。ジョージ・オーウェルが著した『一九八四年』についてだ。


 その世界で行われる思想統制のやり方だが、彼は本当に未来を憂いてあれを書いたのだろうか? もしも、その手法で記すと読み進めて貰えるのではないか? と考えていたら? 彼が描いていた世界は、存在していたのではないのか?


 これ以上は止めておこう。偉大な先達がやってきたことの一つ。あえて答えを書かない。それを私が壊してしまう事になっては申し訳ない。ただ、創作についてはその点に踏み込まざるを得ない。もしも、お金が入ってきたら後に続く者に少し投資するので、それで許していただこう。


 私が自分の生き辛さを感じたのは、伝える手法、手段が氾濫し、自分の考えを持てなかったからだろう。これも、多くある原因の一つに過ぎないだろうが。


 だが、辛さから抜け出すヒントを得たのも伝える手法からだった。その多くはテレビから。


 テレビから伝えられる物語の数々。民話や童話の朗読。子供向けの特撮シリーズ。アニメ。テレビドラマ、映画、国内のもの、海外のもの。それらから様々なものを教えられた。


 数多くあるフィクションや創作物の中で、一つだけ突出して急激な進化を遂げているものがある。それは『ゲーム』だ。


 初めは文字を動かすだけだったものが、半世紀ほどで映画に匹敵するほどの映像を表現するまでになった。考えすぎかもしれないが、これは私が辛さから抜け出すことが出来るヒントでもあったのだろう。


 ゲームの場合、ストーリーを受け取るだけではなく、自分がそのストーリーに参加できることが特徴だろう。そして、技術の進歩とと共にその度合いは増す。(場合によっては減るが)


 ある敵を倒すことが目的の場合、何度も失敗を繰り返し、その果てに目的を達する。失敗が多く、自分が考えた分だけその時の喜びは大きい。これが大きなヒントになった。


 仰々しい言葉で言うと、これは科学的思考の一端なのだろう。いつの頃からか出て来たPDCAサイクル、というものを教えられもせずに行っていた。


 ここまで考える子供もいないだろうが、少し整理すると、


 目標を見定め、計画を練る

 実行してみる

 見直してみる

 改善して、もう一回やってみる


 こんなところだろう。これを繰り返していく。面白ければハマる。


 そして、いつしか自分の日常へ還元されることとなった。好い事と悪い事、両方だが。


 つまり、面白いものは楽しい。楽しい時は苦しみを忘れる。これは何処でも使える。


 きっと、私にも出来る。


 また妙な方向へ行ってしまった。つまり、自分で何かをやってみるのは面白い、ということだ。酷い言葉を浴びせられることもあるが、きっと大丈夫だ。私もそういうことを言われてきたし。どこかであなたの作品を見たら、何よりもまずそれを作り、世に出したことを称賛しよう。その先の評価は内容にもよるけど、あんまりひどい言葉は使わないよ(きっとね)。だから、いつかどこかで会おう。友よ。

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