第61話 傷跡
Night Side
私は扉を開けて店に入った。そして声がかけられる。
「あの、もうすぐ閉店なんですが……」
「長くはかからないと思います」
「!?」
店員は少し考え話す。
「何をお探しですか?」
「珍しいものを」
「クラシック?」
「ジャズ」
「トリオ? カルテット?」
「ソロ」
「オリジナルやスタンダードは?」
「全編即興」
「うめき声は?」
「エッセンス」
店員は棚から一枚のCDを持ってきた。
「キース・ジャレット。ケルン・コンサート」
私は受け取る。その際に小声で聞かれた。
「あの、これ、珍しいも何も、これ以上ない程有名なアルバムですけど……なんでこんな暗号に……?」
「うん。つまりこんな買い方をする人は今時―――
Wolf's Stare
―――――そんな風にして、俺はこの公園を作ったんだ。それが始まりだった。もう何でもできる気になってしまって。やれることをやり尽くそうと思ったんだ。
出会った時のことを思い出すと、今でも不思議なんだ。俺がテロリストまがいのやり方であいつらに復讐しようとしていたところに彼女は現れた。それで、俺を止めたんだ。でも、俺の話を聞いたら「やっぱり協力する」なんて言い出して、俺と一緒に作戦を立て始めたんだ。俺の方は少しやる気が失せてしまっていたんだが。
彼女は仕事をしながら企みを進めたんだ。慎重で粘り強かった。あいつらを徐々に自分の企みへと誘い込んでいった。彼女の作戦は複雑すぎてどれが真実なのかわからないが、あいつらを『楽しみ』へと導いていったんだな。あいつら自身が心底やってみたいこと……と言っても、遊びの類だ。生涯をかけて成し遂げたい仕事ってもんじゃない。一時的な享楽だが、それを彼ら自身に見つけさせて、安全な場所で楽しむことが出来るようにする。そうやって誘い込み、そこを襲う。
その作戦は達成されたも同然だった。あとは奴らを襲うだけ。でも、その時、彼女は止まった。そのまま走って何処かへ行ってしまった。俺が追いついてから話を聞くと、あいつらの顔を見たら、動けなくなってしまった、と言った。
確かに奴らは無邪気に笑っていた。俺からすれば憎たらしい限りだが、彼女にはブレーキになったんだろう。そのまましばらくふさぎ込んでいたな。立ち直ってからは掃除の仕事に戻った。働きながらたくさんの人の話を聞いていたよ。相変わらずな。
俺と彼女は時々この場所で話したんだ。ここは以前には複雑な場所で、様々な権利が絡んだりそれに託けて大きな声を出す連中が溢れていた。彼女が掃除した場所を汚すだけ汚して去って行く。俺はそいつらに腹が立って何かを呟いてしまったんだろう。彼女はそれを詳しく聞きたい、と言って俺にもっと話すように求めたんだ。
そこからまた俺たちの共同作戦が始まった。この土地に絡むものを全部すっきりさせよう、というのを目標にして。
それまでは気付いていなかったが、探っていくと……といっても、隠されていたわけじゃなかった。俺が見ていなかっただけだったんだ……この街で見かけるもの。さらに国全体に見るもの。そこで俺が嫌な感じをもつものがこの土地に凝縮されていた。それを彼女と一緒に辿っていったんだ。
これにはもちろん、違法な行為も含まれる。企業や役所の書類を盗み見たり、実際に盗んだり。闇社会のアジトに潜入したり、法律上の問題を指摘されて脅されたり色々な。でも、彼女はその点を上手くやってのけた。俺には金も技術も設備も無かった。でも彼女はどうにか策を考え出していた。どうやってそんなものを学んだんだ? って聞いた。返ってきた答えは「大脱走」だった。
徐々に俺たちには味方も増えた。それを快く思わない者たちも多かったが、彼らが俺たちを攻撃するほどに彼ら自身の首を絞めることになった。この辺りはどうにも……ああ、いいのか? すまない。
それで、ある時、俺と彼女が『抵抗勢力』の首魁、その仲間たちと交渉をする場が得られた。そいつらは俺の想像以上に大物だった。そこで彼女が言ったのは―――
これが、あなたたち全員の『経歴』です。証拠も確保済み。もちろんこれはコピーがある。それも無数に。
この街の一人に、あるスイッチを持たせました。そのスイッチが押されるとこれがあらゆるところに流れます。マスメディア、インターネット、自治体、国、人々の口へ。
そのスイッチを持たせた人にはあるお願いをしてあります。あなたたちの誰かがある行動をしたら、それを押せ、と。その人はあなた方に相当嫌な思いをさせられたので、それに対応する行動にしておきました。
教える義理もないですからね。だから、精々、誠実に仕事を全うすることをお勧めします。
……まあ、これは、通りすがりの部外者だから言えることだけどね。言わせてもらおうか。
私は少し腹を立てているんだ
お前たちは邪魔なんだ
私たちは面白おかしく仕事が出来たらうれしいんだ
一日を終える時くらい安心して眠りたいんだ
だからもう、あまりしつこく邪魔しないでくれ
自分の存在価値を示したいなら
他人に求めすぎるんじゃない
私はお前たちの悪さを見逃す
だから私の悪さも見逃せ
あんまり締め付けをきつくすると
お前たち全員を酷い目に合わせてやるからな
―――少し狂気が入っていたように思うが……彼女のどこにあんなものが眠っていたのやら。
実際のところスイッチなんて無かった。彼女がその時思いついたものだそうだ。これもアイディアは映画や小説だそうだ。俺たちは時々それが実在するかのように仄めかした。それも結構効果的だったな。
俺は例の土地を公園にしたいと思った。彼女が眺めたら微笑んでくれるような場所にしたかった。俺はそれに向かって走り始めたんだ。でも、いつの間に彼女はいなくなってしまった。
公園が完成するのと同じ時期に、ある条例が制定されたんだ。こんなものが作られること自体おかしいんだが、ちょっと笑えたな。大まかに言うと、
汚職をした政治家や役人は、給料をストップする。
その上で、悪事を働いて稼いだ分だけ、自分で働いて返せ
全額払い終えたら元の職場に戻すことを確約する。
というものだ。
変だろ? でもな、これが出来てからこの街は、なんだか強くなった気がしたんだ。もちろんこれをさらに悪事に利用するものもいたけど、どうにか上手くやってこれたんだ。例のスイッチの話が嘘だとバレたのに、俺の命は繋がれているしな。
だから、俺は毎日少しだけ願った。彼女に幸せを。そして彼女の周りの人々にも幸せを。って。
それにしても、懐かしいな。あんたに話しているからなのか。もしかしたら、今彼女がこの街にいたりするんだろうか……俺の事を覚えているかな?
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