第59話 模倣者は踊る

Night Side

 私は扉を開けて店に入った。そして声がかけられる。


「あの、もうすぐ閉店なんですが……」

「長くはかからないので」

「!?」


 店員はすこし考え話す。


「何をお探しですか?」

「レアなものを」


「クラシック?」

「ジャズ」


「リーダーは?」

「マイルス・ディヴィス」


「ピアノ?」

「ビル・エヴァンス、ウィントン・ケリー」


 店員は棚から一枚のCDを持ってきた。


「マイルス・ディヴィス。カインド・オブ・ブルー」


 私は受け取る。その際に小声で聞かれた。


「あの、これ、レアっていうか、これ以上ない程売れたアルバムですけど……なんでこんな暗号に……?」


「まあ、こんな買い方する人、今時いないでしょ? レコード愛好家ならともかく、ネット配信全盛の時代にCDっていうのもさ。そこを突いた訳だけど、私もそれほど深く考えていたわけじゃなくて―――


Wolf's Stare

―――――そういうわけで、掃除を頼んだんだ。掃除って、変な意味じゃないぞ。床や窓やトイレを綺麗にしてくれる清掃員さ。彼女は実によく働いてくれた。仕事は丁寧だし、覚えがすごくいい。だから、彼女の仕事も増えていった。


 今思えば、そのころから兆しはあったのかもしれない。彼女が任された職場の人間は少しずつ顔が明るくなっていったような気がする。でも、みんなそれにあんまり気付いていないようだったが。俺にも特別何かをしていたとは思えない。時々、周りの人間の話を聞いているくらいだったか。


 俺のところもなんだかんだ言って、みんなが働きやすくなったように感じた。だから、俺ももっとやれそうな気がしてきたんだよ。そこから色々やってみて、気付いたらこうなってた。周りの連中も話を聞くと、大体そんな感じだった。不思議なもんだ。


 でも、彼女の話が今になって身に染みることもあるんだ。あんな子供がいったいどんな経験をしてきてしまったのか……それを考えると、ちょっと辛くて泣けるな。


 ある時、こんな話をしていた。俺が仕事について散々愚痴を言った後にな。



「ねえ、このチリトリに集めたゴミってどうする?」


 どうするって……そりゃ、ゴミ箱に捨てるな。


「もしも、外に近い場所だったら?」


 そのまま、外へ掃きだすな。


「掃きだされたものって、何処へ行くと思う?」


 さあな……風に吹かれてどっかへ飛んでいくんじゃないか?


「でも、物質は消えないよね?」


 それは、まあ、そうかな?


「私は、潮の流れがどこかへ集まるように、こういうのも何処かに集まることもあるんじゃないかと想ったりしてる。そこはどんな街になってるのかな? とか」


 どんな街なんだ?


「さあ、それはまだよくわからないけど。でもね、なんとなく思ったのは、こういうゴミや燃やされた塵とかじゃなくても、流れに乗ることはあるようだってことで……」


 何が流れているんだ?


「その……感情かな?」


 感情?


「うん。少し世界を見回して思ったんだけど、人間の感情って言うのは、好いものでも悪いものでも、その人が最も出しやすいところへ流れてしまうんだよ。最も出しやすいっていうのは、なんていうのかな……その、意識していないところっていうのか……ちょっとここもまだわからないんだけどね」


 ああ、それでいいよ。聞かせてくれ。


「例えばさ、何かに向かっているとする。戦っている、と言ってもいいかな。その場合、重要と思って考えるのは、向かうべき『敵』とか望みの『目標』とかかな? それと同じくらい重要なのが『自分』や『味方』や『友達』とか、大切な人。その両極端が強くて、そこから離れる毎に想いは弱くなっていく」


 そういうもんかな?


「そうだね……そうじゃないかもしれないね……まあ、いいか。えーと、つまりさ、生きていく上では優先順位を決めて取捨選択をすることは必要だし避けられない。その際に切り捨てるのは、自分にとっての敵でも味方でもない、ほとんど考えることのないものたち……ということにならないか、って思って」


 ふーん……なるほど。


「ただ、この街にもたくさんいるけど、あの、現場で働く人たち。みんながいないと街での生活が成り立たないよね。きっと、いなくなって初めて大切さに気付く。だから、私は今のみんなを大切にしたいと思ってる。でもね、もしも私の感情が彼らに流れて行ってしまうとしたら……?」


 そしたら、この街はもっと楽しくなるだろうな?


「え? そうなの? そうなのかな……? うん、まあ、それを目指している所もあったし。いいか。つまり、私が良い感情をもってそれを誰かに伝えれば、それが世界に少しずつ回って、みんなの笑顔が増えるんじゃないかと―――


 そんな話をしていた。だから、この街が強くなっていくのを見ながら、俺はちょっとだけ祈ったんだ。彼女に幸せを。そして彼女の周りの大切な人々に幸せをって。俺に出来ることはそれくらいだった。


 彼女がこの街に留まったのはほんの少しだった。俺の企みに協力してもらったこともあったけど……それは……ああ、すまない。その間にも、あの娘は色々な人の話を聞いて回っていたな。なんでそんなに?って聞いたことがあった。そうしたら


 将来、小説家になった時の参考に


 だってさ。


 スタイルの参考は「ミブギシデン」とか言ってたな。


 彼女が去ってから少し経ったある日、手紙が送られてきた。それに、ディスクが一枚入っていて、それを隠してほしいと書いてあった。俺は言われた通りにした。その時には、店を一軒出せる余裕もあったしな。


 それにしても、ずいぶん懐かしい感じがするな。あんたに話しているからなのか。もしかしたら、今彼女がこの街にいたりするんだろうか……俺の事を覚えているかな?

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