王女殿下と冒険者たち

王都の北方に広がるなだらかな丘陵地帯を越えると、国内最大の大河トゥオニが横たわり、向こう岸には鬱蒼とした大森林が広がっている。風竜ジラントが棲む台地はこの森の先、北限の魔王の居城はさらなる奥地、解けない氷に閉ざされた山脈にあると言われている。


 トゥオニに架かるケイソン大橋のたもと、フロックス――異世界の言葉では芝桜と呼ぶらしい――の白い花に覆われた広場に、ゆっくりとグリフォンが舞い降りる。その全身は鋲打ちの革鎧に覆われており、胸には金の箔押しで王家の紋章が象られている。いまさらになって気づいたが、あの楕円は破邪の瞳、細長い星型のような図形は聖剣を図案化したものなのだろう。

 整列した冒険者たちの驚きと感嘆の声に包まれて地上に降り立ったのは、サングリーズ王国の第一王女であるアイノ・サングリーズだ。ついでに、護衛のわたし。


 「勇気ある冒険者のみなさん」


 アイノの凛とした声が、戦いのはじまりを告げるラッパのように響き渡る。わたしと話すときの年相応の子どもっぽい声が嘘のようだ。


「こうして王国のために集まっていただいたこと、このアイノ・サングリーズが国王に代わって感謝いたします。そして、みなさんの愛国心に心から敬意を表します」


 アイノの言葉に、居並んだ冒険者たちは揃って頭を垂れる。歳も背格好も種族も様々な集団だが、よくよく見れば先頭の列に立っているのはミスティアさんだ。王族ではなくひとりの冒険者としてこの作戦に参加しているのだろうか。


 「この数週間、北の台地から降りてきたワイバーンがいくつかの群れを作り、近隣の村々を脅かしています。風竜ジラントの襲来から二か月が経ち、王都の市壁も近く再建されることになり、ようやく王国全体が立ち直ろうかという重要な時期。いま、この流れを断つわけにはまいりません。そこで、みなさんの力をお借りしたいのです」


――今回の討伐作戦は、そもそもアイノの発案らしい。


 ワイバーンの群れの討伐くらいなら正規軍を投入すればどうにでもなるのだが、この状況で王都の守りが減れば、国民の不安は否応なしに高まってしまう。

 さらには、次期女王の問題で王国全体が過敏になっている中、アイノ寄りの国軍ばかりを重用するのも都合が悪い。


 その点、冒険者たちは王国の防備にはあまり関係がない――もちろん戦力にはなるのだが、実際の戦いになると守るよりも敵に向かって飛び出していく手合いが多いらしい――し、なによりミスティアさんを支持する者が多い。


 ここで冒険者たちに功績を立てさせ、加えてミスティアさんの英雄性を誇示することで、国内の急進的なアイノ派の動きを制する、というのが今回のねらいなのだという。要はどちらの派閥であれ、拙速に女王擁立を目指す流れを抑えたい、という話だ。


 「みなさんに勝利を、『ルーコス』」


 アイノの指先から、青白い光があふれだし、光のしずくが冒険者たちに降りかかる。なんのことはない、おまじない程度の祝福の魔法。それが王女の手から放たれただけで、ちょっと異様なくらいに冒険者たちの士気が上がる。


 「わたくしは王都から、みなさんの無事を祈っております」


 歓声に送られながら、アイノがグリフォンの隣へ戻っていき、護衛のわたしも後に続く。ここなら巨大なグリフォンが陰になって、冒険者たちからこちらの姿は見えない。


 「『ディスペル』」


 陶器を割るような音がして、アイノに掛かっていた幻術が解ける。ごてごてと装飾の付いたドレスに包まれた王女さまは消え失せて、代わりに現れたのは革の軽鎧を身に着け、髪をポニーテールに結わえた冒険者風の少女。背中には身の丈よりもかなり長い大槍を担いでいる。


 「ふふ、こんな格好をするのは初めてです。似合っていますか?」

 「あー、うん、似合ってる似合ってる」

 「ちゃんと見てくださっています? ほら、ほらー」


 うっとうしい王女さまは放っておいて、幻術をいくつか行使する。まずは姿を変える幻術で――誰にしようか一瞬悩んだが、とりあえずイルマ先生の姿になっておく。ミスティアさんに化けるとまた決闘を挑まれかねない。


 「『ピーロッタ』、『シンティーク』」


 続いて隠密の魔法でアイノとわたしの姿を隠し、さらに身代わりの幻を作る。


 「リントゥ、人目に付かない所まで適当に飛んで。帰る時にはまた呼ぶから、よろしくね」


 幻術で王家のグリフォンに見せかけたリントゥに声を掛け、ふたりの幻がリントゥの背に乗るのを見届けると、わたしたちは冒険者たちの列の最後尾に紛れ込み、隠密を解いた。冒険者たちは羽ばたくグリフォンの姿に夢中なので、誰もこちらを見ていない。紛れ込むのは簡単だ。


 「さあ、ワイバーンなんて軽くやっつけてしまいましょう! お姉さま!」

 「こういうのは王女さまとか職人の仕事じゃないと思うんだけどなあ……」


 そんなわけで、王女さまの気まぐれで散歩に連れ出されたわたしは、なし崩し的にワイバーン討伐に加わる羽目になっているのだった。本当に勘弁してほしい。


 「だいたい、ワイバーン狩りに参加する冒険者なんてそれなりのベテランばっかりなんだから、わたしたちみたいなのがいると目立たない?」

 「そんなことありませんわ。向こうの方だってわたくしたちと同じような背格好ですし」

 「……え?」


 アイノが示す先には、確かにわたしたちと同じような背格好の冒険者がいた。それも知らない相手ではない。


 「亜竜を倒したあたしたちなら、ワイバーンごとき余裕だよね!」

 「さくっと倒して、ドラゴンスレイヤーの実力を知らしめましょうー!」


 そういえば、今日は春の祝祭の日。サングリーズ王国ではこの日を祝日としていて、現場のスケジュールも入っていなかったような気がする。だから、市壁改修工事の現場代理人と施工管理者が外をほっつき歩いていても不思議ではないのだ。ないのだが……。


 「そうですわ! あの方たちと一緒に」

 「いや、待って、やめよう。あのふたりの装備、どう見てもおかしいでしょ。あのハンマーなんて大工が使うやつだし、もうひとりなんて杖じゃなくてコンパスを持ってるのよ? どう見てもベテラン冒険者じゃないわ」

 「ですけど、お二人とも技能レベルはそれなりですよ?」

 「ああもう! 知らない人にステータスを使わない!」


 そうこう言っているうちに、既に先行する冒険者たちが大森林に入ろうとしていた。あまり遅れるとそれだけでも目立つ。こんなことで王女さまのお忍びを気取られるわけにはいかないので、わたしはふたりに近づこうとするアイノを引き戻し、そのまま早歩きで橋を渡る。


 「アルティさん、どうかしましたかー?」

 「あ、ううん。なんだか知り合いに似てる人がいたんだけど……師匠がこんなところにいるわけないし、まあ、たぶん気のせいだよね」


 そんな不穏な会話を背に、わたしたちは大森林へと足を踏み入れたのだった。

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