破邪の瞳
「アイノ様……! 城下をご覧になるのは構いませんが、少なくとも護衛は付けていただけませんか」
「護衛なんて恰好だけでしょう? わたくしに守られる程度の護衛ならいない方が安心ですわ。それともフィンブル卿が護衛してくださるのかしら?」
「それは当然、ご下命とあらば」
「ふふ、冗談です。そんな無理は申しませんわ。我が国の宰相にはたくさん仕事がありますものね」
「お心遣い、痛み入ります……」
アンテロさんは疲れ切った顔で頭を垂れている。たぶん、普段からこんな感じで苦労しているのだろう。
――アイノ・サングリーズ。
先代女王の娘で、破邪の瞳の持ち主。いずれ王国を継ぐ、この国の象徴と言ってもいい人物。そんなひとが、どうしてわたしを御用建具士に取り立てたいのか。
「えっと、お目にかかれて光栄です。フレデリシア・スバントラと申します。普段は家具や建具の仕事をしていて、いまは市壁の改修に携わらせていただいています。それで、あのー……わたしのこと、誰かと勘違いされてないですか? 覚えている限りでは面識もありませんし」
「いいえ、自慢ではありませんけれど、わたくし目の良さには自信があるんです。市壁を襲う飛竜を叩き伏せ、羽毛のゴーレムを斬り飛ばした雄姿、見まがうはずもありません!」
あれを見られていたんだろうか……? いや、仮にそうだとしても、飛竜を倒したのがわたしだと知っているはずがない。あの時はミスティアさんの姿だったのだから。
「飛竜を倒したのはミスティアさんですよ。羽毛のゴーレムを倒したのだってエイリー……パルタモさんです。わたしみたいな一介の家具職人に怪物の相手はできません」
「お姉さま、わたくしの瞳を見てください」
両手でわたしの手を握ったまま、アイノさまがさらに身を寄せてくる。春の花畑のような香りがして、頭が回らなくなる。こちらを見つめる瞳は優しくも鋭く澄んでいて、どんな虚構も看破してしまいそうだ。
「破邪の瞳、といっても大仰な名前の割には役に立ちません。ただ、例えば幻術であったり、邪な力による擬態であったり、そういったものが見抜ける程度ですわ。あとは、多少夜目が効くくらいでしょうか。『ステータス』の魔法も少し得意です」
アイノさまの挙動に気づき、握られた手を振り払ってディスペルを唱えようとしたが、発動が一瞬間に合わない。
「『ステータス』」
剣術レベル127というのは、およそ人類が到達できるような数値ではない。神さまや魔王だって、ここまで馬鹿げた数値のスキル持ちはいないだろう。となると当然、わたし自身が拒否する限り、わたしのステータスは誰にも参照できない――はずなのだが。
「わたくしの技能レベルは、一番高いものでも70です。この国と民草を守るため、それなりに研鑽を積んできたつもりですけれど……お姉さまには、遠く及びませんわね」
間違いなくステータスを見られている。どうやら破邪の瞳というやつは、幻術を無効化し、暗闇をものともせず、ステータスのような解析魔法の威力も高めるらしい。わたしにとっては天敵と言ってもいい。
「しばらくの間で構いません。どうか、お姉さまの力をわたくしに貸していただきたいのです。市壁の再建でお世話になっておきながら、厚かましいお願いだとは思いますが……」
王国の政争に巻き込まれるのは御免だが、アイノさまをこのまま見捨てるのも忍びない。なにより秘密を知られたからには放っておくわけにもいかないだろう。
「繰り返すようですけど、わたしじゃなくてミスティアさんに頼った方がいいんじゃないですか? アイノさまとミスティアさんが協力すれば、全部丸く収まりそうですし」
話している限りは、アイノさまが変な野望を抱いている様子はない。あれだけ廉潔なミスティアさんに政治的野心があるとは思えないし、ふたりが手を結べばすべて解決するような気がするのだが。
「お姉さま、貴族の社会はとても狭いものなのです。わたくしとミスティ姉さまの間に禍根はなくとも、王族や貴族の中にはわたしたちを対立させたがっている者がいます。閉じた社会の中ではそんな少数の声もよく響くのです。彼らの声がある限り、わたくしたちが共に歩むことはかないません」
「そういう大局的な話はよくわかりませんけど……つまりアイノさま自身は、ミスティアさんと仲良くしたいんですよね?」
「もちろんですわ。そのためにも、お姉さまの力をお貸しいただきたいのです」
「わたし、裏切るかもしれませんよ。王都には特に義理もありませんし、いざとなれば森へ帰ればいいんですから」
「お姉さまはきっと裏切りません。心から信頼できます」
「どうしてそんなことが言えるんです?」
どろどろとした策謀の只中にある王女さまにしては、あまりにも危機感が薄すぎる。わたしは呆れるよりも心配になっていたのだが、アイノさまは堂々と胸を張って答えた。
「信頼できる人間には、いくつか条件があるのです。まずひとつに、過度な名声を求めないこと。次に、自分との間に利害関係がないこと。それから最後に一番大切なのが」
アイノさまは少しはにかんで視線を落とし、次いで思い切ってわたしの瞳を見つめ、頬をほんのりと赤く染めながら笑った。
「いいお友達になれそうなこと、です」
当然、こんなにも無垢な笑顔を向けられて、願いを無下にできる人類なんているわけもなく。半ばなし崩し的に、わたしはサングリーズ王家の御用建具士の職を拝領することになったのだった。
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