着工、トゥルク市壁改修工事(北面)

 中央土木事務所、二階大会議室。

 樹齢数千年かという巨大な精霊樹の一木造のテーブルに、工事関係者がずらりと並んでいる。この二週間ほどの間、小さな仕事で一緒に働いてきた人々。知らない顔はひとつもないが、おそらくアルティやキュエリにしてもそれは同じことで。

 とはいえ、施工前の初顔合わせなのだから、まずは自己紹介からだ。


 「今回のトゥルク市壁改修工事、発注はご存知の通りサングリーズ王国、請負人はスバントラ建築事務所・ヴァザーリ設計事務所共同企業体です。こちらの所長はそこにいるアルティ・スバントラ。本人が現場に常駐しますので、現場代理人は置きません。工程管理については、わたしフリデリシア・スバントラが対応します。みなさん、よろしくお願いします」

 「……スバントラ建築事務所、アルティ・スバントラです。よろしく」


 ぶっきらぼうなアルティの挨拶。

 職人一同はしんと静まり返っているが、みんな口の中をもごもごさせている。アルティもそうだが、言いたいことがあるならとっとと言えばいいのに。

 今は大事な施工前打ち合わせなので、そんな話をしている場合ではないけれど。


 「設計者はキュエリ・ヴァザーリさんですが、彼女には魔法技師として仕事をしてもらいますので、工事監理は彼女の父であるユルギス・ヴァザーリ卿にお願いしました」


 名を呼ばれ、ひとりの巨漢が立ち上がる。

 彼――ユルギス・ヴァザーリ男爵は、例えるなら高貴な熊だ。体格はまさに熊そのもので、こげ茶色に金の刺繍が施されたローブは毛皮に似ている。整った髭に眼光鋭い瞳。彼の代で叙爵されたとは思えないほど、伝統ある貴族の風格を醸し出している。


 「只今ご紹介に預かった、ユルギス・ヴァザーリだ。諸君には普段から娘ともども世話になっている。市壁は我らの暮らす王都を守る最大最強の壁だ。前線に立つのは兵士だが、我々職人もこの王都を守っているのだと、子々孫々に至るまで語り継ぐため、最高の壁を作り上げたい。この誇りある事業の成功のため、諸君にも力添えいただきたい」


 「もちろんだ!」「頼みますぜヴァザーリ卿!」「やってやろうぜ!」と職人たちが勢いづく。

 ヴァザーリ卿は王都の建築業界の顔と言ってもいい。王城の設計をはじめ、王都の主だった建築物にはほとんど関わっているし、緻密な設計と的確な監理により、職人たちからは厚い信頼を集めている。

 今回の設計は単純なので、ヴァザーリ卿を持ち出すのはいささか大げさなのだが、職人たちをまとめ上げるにはこの人しかいなかった。キュエリにも能力はあるし、アイドル的な人気もあるのだが、最初から不協和音がある現場を問答無用で束ねるには役不足だ。


 各業者の自己紹介が終わり、いよいよ内容の打ち合わせに入る。


 「みなさん、こんにちはー。設計者のキュエリですー」


 キュエリが黒板の前に立つなり、「キュエリちゃん、可愛いよー!」「嫁に来てくれー!」と職人一同から歓声が上がる。事態を収拾できずにキュエリが戸惑っていると、机を強く叩く鈍い音がした。


 「諸君、我々は同じものを作り上げる仲間だ。仲間だが……娘に手を出した者は一人残らず焼く。ゆめゆめ忘れるなよ」


 口を縫われたように職人たちが黙る。ちなみにヴァザーリ卿は子煩悩である以前に優れた魔導士でもあるので、本気で焼かれると塵すら残らない。


 「もう、お父さまやめてくださいっ! では、気を取り直して説明を続けますねー」


――まずは市壁の現状把握から。


 前回、風竜ジラントは王都北壁から攻めてきた。当初、王都守備隊は城壁塔に設置したバリスタで迎撃を試みて、ジラントに軽い手傷を負わせる。これに激高したジラントは北側城壁塔と楼門の矢倉をすべて破壊。城壁塔三つが基礎を残して全壊した。


 バリスタが全滅したことにより、続けて騎兵を主体とした守備隊が出門し、ジラントと交戦。猛毒のブレスにより重傷者が続出したが、ここでジラントは剣聖ミスティアさんに鼻っ面を突き刺され、大きく消耗する。


 窮したジラントは城壁への突撃を敢行。城壁塔という支えを失った幕壁はあっさり崩壊し、王都を守る結界も同時に突き破られた。結界とは、本来は短期間しか保たない防御魔法を構造体に浸透させることで安定させるもの。構造体が破壊されれば自ずと結界も解けてしまうのだ。


 かくして王都は絶対の防御を失ったが、城内守備隊の決死の働き――キュエリもその場にいて、例のごとくドラゴンスレイヤーになれなかったことを残念がったらしい――でジラントの侵入は防ぐことができた。


 攻めあぐねたジラントは上空へ飛翔。攻撃魔法の到達限界高度を超えたジラントは、残る魔力のすべてを風魔法に費やし、その狂風は結界を失った王都を襲った。この一撃が致命打となって、王都全域の建造物に甚大な被害をもたらす。その後、ジラントはさらなる攻撃を諦めて北の台地へと引き返していったのだという。


 「そういう状況ですから、北側市壁は楼門を含めてかなり傷んでいる状態ですー。崩壊部分の修復だけでは意味がないので、北側全面を作り直すことにしましたー!」


 実際、改修なんて悠長なことを言っている場合ではないのだ。

 市壁は全体が老朽化しているし、風竜の襲来によって破損した箇所も数えきれない。本当ならすべて取り潰した後で再建すべきなのだが、風竜の脅威が除かれていない今、市壁をなくすのは自殺行為だ。


 「北側全面って……何年掛かるんだ?」

 「どんなに急いでも一年は掛かるだろ。そもそも石材が足りないらしいし」

 「いくらなんでも無理があるんじゃないか」


 職人たちがざわつき始めたところで、アルティが表情も変えずにぴしゃりと言い放つ。


 「工期は一か月だよ」


 氷の魔法を放ったかのように、室内が冷たく静まり返る。


 「おい、アルティ。お前、それ本気で言ってんのかよ」


 石工のブルーネさんが立ち上がってアルティに食ってかかる。彼女は王都には珍しい地精族ノッカーで、わたしたち妖精族と同じく背格好は子どものようだが、身体は筋肉質で引き締まっている。とはいえこの道三十年の名工らしいので、実年齢は聞かぬが花かもしれない。

 喋りは軽薄そうだが根は真面目な人で、仕事にも真剣だ。だからこそ、筋の通らないことには黙っていられない。たぶん、性格だけならアルティによく似ているのだと思う。


 「お前な、こんな時に言いたかないが、自分がどうして王都から出ていく羽目になったのか、わかってないわけじゃねえだろ。あたしたちとお前じゃ仕事のスケールが違うんだよ。一か月で北側市壁を作り直すだあ? みんながお前と同じじゃねえんだぞ」

 「わかってる。あたしだって前と同じ轍を踏むつもりはないよ、ブルーネ。みんなの力を借りて、確実に完成させられるライン――それが一か月なんだ。別に力に驕って無理な工期を設定してるわけじゃない」

 「工期については、私からも保証しよう」


 それまで黙っていたヴァザーリ卿が口を開く。


 「提案のあった新しい工法――加えて、スバントラ建築事務所の協力があれば、工期は確実に短縮できる。一か月は高い目標だが、高すぎるほどではない。諸君ならば充分に実現可能だ」


 かのヴァザーリ卿の威光はすさまじく、その言葉だけで職人たちの疑念は払拭されたようだった。ブルーネさんはひとり納得のいかない様子だったが、


 「信じていいんだろうな、アルティ」

 「もちろん」


 一瞬の目配せがあって、ブルーネさんは鼻を鳴らして不満げながらも席に着いた。


 出だしから若干の不安はあるものの、こうしてわたしたちの市壁修繕は晴れて着工に至ったのだった。

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