剣術と幻術

 ヴルカパンは、亜竜ヴルカンが倒されたことを記念して売り出されている新作菓子パンだ。

 外側はヴルカンの甲殻のようにごつごつしていて、かじると中から溶岩スライムのようなイチゴジャムが出てくる。

味とディティールの完成度には倒したわたしも大満足で、中央広場のパン屋さんへ寄るといつも買うことにしている。


 王城の西、住宅街から離れた静かな公園のベンチに座り、わたしはパンをかじっていた。

 いつものようにふたりは設計に夢中だし、南方からまとまった竹材が届くのは明日以降。結局わたしは暇を持て余し、小さな仕事を請けては市壁修繕のためにちょっとした交渉を続けている。

 とはいえ、必死で仕事を探すほど困窮しているわけでもないので、今日も午後からはのんびり休むことにしたのだった。


 「あちゃー……変な本つかまされたなあ」


 パンを食べ終わり、先ほど古書店で買ってきた剣術の本を開こうかと思ったのだが、袋から出てきたのは幻術の本だった。店主のお婆さんはかなり耳が遠そうだったし、そうでなくとも妖精族が剣術を勉強しているとは夢にも思わないだろう。間違えるのも無理はない。

 せっかく買ってきたし、古本を返品するのも気が引けたので、いつものように斜め読みをしてみた。並んでいるのはどれも高度な幻惑魔法ばかりで、わたしがうまく扱えるものは少なそうだ。

 と、ひとつだけ、わたしの腕でも使えそうな魔法があった。


 「『ムートス』ミスティア・ランドグリーズ」


 周囲の認識を操作し、自分を別のものに見せる幻惑魔法。手鏡を見てみれば、そこには今王都で大人気の『亜竜殺し』ミスティアさんの姿がある。

 この魔法でミスティアさんに化けたからといって剣術が上手くなるわけではないし、家具職人としてはなおさら使う機会がない。酒場で年相応に見てもらうためには使えそうだけれど、役に立つ場面は本当にそれくらいだ。


「ディス……ん?」


 そのまま歩いて回るのも恥ずかしいので、自分にディスペルを唱えようとした時。

 遠くから子供の叫び声が聞こえて、若葉のような明るい緑色の飛竜――ワイバーンが市壁の上空を舞った。


 先に断わっておくと、こんなわたしでも人並みの正義感は持っている。軽く剣を振るくらいで救えるものがあるのなら、救ってもいいと思う。


 ただ、亜竜の時のように誰にも気づかれない場所ならいいが、今回は思い切り街中。しかも群衆のど真ん中である。聖剣を振るおうものならすぐさま噂になり、下手をすればミスティアさんのように名前が噂されるかもしれない。それだけはどうしても避けたかった。


 街を救う英雄になんかなりたくもない。ただ、目の前で起きている悲劇を見過ごすのは寝覚めが悪い。

そうとなれば、前のように誰かを英雄に仕立て上げてしまえばいいのだ。


――例えばそう、手鏡の中にいるミスティア・ランドグリーズさんとか。



ワイバーンに襲われた西の市壁周辺は混乱を極めていた。


戦力になりそうなのは、結界魔法の修復に当たっていた魔法使いひとりと、近くを巡回していた兵士が三、四人。あとの大多数は逃げまどったり怯えて立ち竦んだりする市民で。


「ここは私が食い止めます! 戦える方は、ワイバーンを道路の中央へ誘導してくださいーっ!」


どこかで聞いたようなのんびりした声に従い、市民たちが避難していく。ぱっと見た感じ、死者や重傷者はまだ出ていないようだ。


 「ヴァザーリさん、いくらなんでも無茶です!」

 「この兵力ではすぐに突破されます! 今は撤退して、本隊の到着を待ちましょう! 市民の避難はほぼ完了しています!」


 その場に残った兵士たちが言い募るのを抑えて、ヴァザーリと呼ばれた女性がコンパスを地面に突き立てる。


 「人は逃げられても、建物は逃げられませんから。私は、王都のすべてを守りたいんですー!」


――いいことを言ってはいるんだけど、なんだか、すごくキュエリに似ている気がする。

 いや、あの重たそうなローブ姿は、もしかして本当に?


 と思っている間に、ワイバーンがキュエリらしき魔法使い目掛けて急降下する。飛び出そうとする兵士を片手で制して、


 「護りたまえ、『ポーラスタス』!」


 魔法使いに衝突しようかという寸前で、ワイバーンは不可視の壁に激突し、地上をのたうち回りながら市壁側へと後退する。


 魔法には詳しくないが、ワイバーンの突進を防ぐことができるのだから、かなり高位の防御魔法だろう。彼女はそれをいとも簡単に発動してみせた。となると、やっぱり別人じゃないだろうか。まさかあんなに優れた魔法使いがウインドエッジの一発も当てられないなんて……。


 「切り裂け! 『ウインドエッジ』! あれ? 『ウインドエッジ』! ちょこまかとっ! 『ウインドエッジ』! あっ、石畳がーっ!」


 あ、間違いない。あれはキュエリだ。

ちなみにワイバーンは先ほどから全く動いていない。


 「あ、あのヴァザーリさん、今はその、防御に徹した方が……」

 「ううん、残念ですー。運命はどこまでも私をドラゴンスレイヤーから遠ざけるんですねー」


 ワイバーンは成長するとドラゴンになる――なんていう都市伝説はあるが、サイズも強さも違いすぎるので、あれを倒してもドラゴンスレイヤーとは呼ばれない。


 落ち込みながらも再び防御魔法の詠唱をはじめたキュエリだったが、急に言葉を詰まらせる。


――若い母親とその子供が、脇の商店から出てこようとしていた。


 ワイバーンの襲来からずっと、あの場所に隠れていたのだろう。周囲の騒ぎが収まったから、もう安全だと思ったのだろうか? ふたりが出てきた店は、ちょうどワイバーンの眼前で。当然のように、血走った目はふたりの姿を捉える。


 普通の魔法使いだったら、遠距離魔法を放ってワイバーンの注意を引いただろう。けれど、キュエリの魔法はこんな距離では当たらない。

 だから、彼女は走る。重たくて嵩張るローブを揺らしながら、弾む息で防御魔法の詠唱を続け、ワイバーンと親子の間へ滑り込む。


「ポーラス……」


防御魔法はすんでのところで間に合わなかった。猛禽類のように鋭くとがったワイバーンの爪が一切の躊躇なく振るわれ、そして。


「『ソードバッシュ』」


 繰り返すようだけれど、わたしにも人並みの正義感はある。

 羽魔法で跳躍して割り込み、ワイバーンにソードバッシュを一発叩きこむくらいなら、誰だってするんじゃないだろうか。


 「ミスティアさま……!? どうして、あの、えっ?」


 混乱するキュエリを、わたしは極力ミスティアさんに似せた口調でなだめる。幻術は音声にも効果があるらしいので、たぶんミスティアさんの声に聞こえている、はずだ。


 「この間はどうも、キュエリさん。あなたはそこの親子を連れて下がってください。この場は私が引き継ぎます」

 「は、はいーっ!」


 キュエリが安全な場所まで下がっていくのを確認したところで、ワイバーンがよろよろと起き上がる。図体はそこそこ大きいが、グリフォンや亜竜ほど強いものでもない。一流のパーティなら六人くらいでも倒せるだろう。剣術レベル127のわたしが苦戦する相手ではないと思う。ただ、今回はひとつだけ問題があった。


――剣が、抜けないのだ。


 もちろん、物理的には抜ける。ただ、抜けばおそらく、聖剣の力で幻術が解けてしまう。聖剣がどういう魔法を無効化するのかは定かではないが、幻術はぶっちぎりでアウトな気がする。


市民の避難は済んだものの、後方には期待に満ちた目で見つめてくるキュエリや、「あれが『亜竜殺し』のミスティア様……」「尊い……」とか言っている兵士たちがいる。この状態で幻術が解けるのは非常にまずい。


ワイバーンが顎を大きく開き、喉の奥に魔力がきらめく。ワイバーンは火炎のブレスを吐くと本で読んだことがある。確か、吐息はワイバーンの肉体から吐き出されるものなのだが、炎は魔法によって付加しているのだという。つまり。


「『ディスペル』!」


ワイバーンの喉で発動しかけた魔法がディスペルされ、吐き出した突風だけが街路を吹き抜ける。ブレスが無効化されたことを悟り、ワイバーンは石畳を蹴って接近戦を挑んできた。


さて、ここからが問題だ。

幻術のおかげで見た目だけは剣を抜いた状態だが、実際は鞘に納めたまま。この状態で使える剣技と言えば、アレしかない。


 まずは、ノコギリのような歯が並んだワイバーンの顎をパリィし、鞘に納まったままの聖剣を振り上げ、そして殴る。


「『ソードバッシュ』 もひとつ『ソードバッシュ』! おまけの『ソードバッシュ』!」


 ばきっ、めきっ、ごりっ、と壮絶な音が続けざまに鳴り響き、ワイバーンが地面にめり込む。頑丈だと言われる鱗も剥がれて飛び散り、生きているのが不思議な状態だ。いくら魔物だとは言ってもちょっと心が痛む。


 ワイバーンの目からは先ほどまでの獰猛な狂気が失われ、いまはただ怯えが残るのみ。さすがに命が惜しくなったのか、変な方向に曲がった翼をどうにか動かし、遠く北方へと逃げ去っていった。


 「ミスティア様がワイバーンを退治してくださったぞ!」

 「ミスティア様! ありがとうございますー!」


 群衆からの喝采を背に、小声で幻術をかけなおしながらもとの公園へと戻った。キュエリに会ってあわや正体がバレるかと思ったが、どうにかうまくごまかせた。あとはこの幻術をディスペルして、土木事務所に帰るだけ。

 そうやって、人気のない公園の広場で一息ついた時のことだった。


 「あなたは……誰、ですか」


  編み上げられた長く鮮やかな赤毛。きらびやかな銀の髪留め。そして腰に提げたるは細身の聖剣。今日はオフの日なのか、服装は貴族のお嬢様らしい紺色のワンピース。それでも剣をしっかり携帯する剣聖根性は立派だ。


 ミスティア・ランドグリーズさん本人が、信じられないような表情をして立っていた。

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