冒険と、意地
キュエリのバルーンライト――楕円形の灯りを点す照明魔法――が、竪穴の中をぼんやりと照らす。先ほどまでのごつごつとした岩肌とは打って変わって周囲の壁は滑らかで、色合いを無視すれば生き物の体内のように見えないこともない。
「ねえ、さっきからずっとぐるぐる歩いてるだけじゃない?」
「目指す場所はこの竪穴の真下ですけど、話によれば大分遠回りをさせられるらしいんですよー」
「キュエリ、ちょっと下照らしてみてくれる?」
キュエリのバルーンライトが竪穴の中心に向かう。穴は吹き抜け状になっていて、わたしたちはその周囲をぐるぐると降りてきている。先を見れば、歩ける道はかなり複雑に分岐しているようで、小さな横穴に入ったり出たり、たまに行き止まりになったりしているようだ。
王都から出てきた時間も昼近かったし、真面目に攻略していたら本当に日が暮れてしまう。
「アルティ、これくらいの高さならなんとかなるわよね?」
「む、無理無理無理! まかり間違って落ちたらどうすんの!?」
「骨折くらいなら治してあげるから、大けがしないように気を付けてね」
「骨折も十分大けがだよ!?」
アルティのわめき声を無視して、キュエリの手を握らせる。
「わたしが先行するから、聖剣が浄化する範囲から出ないように付いてきて」
「これだから最近の若者はなあ、ダンジョン探索のわびさびがわかってないっていうか、洞窟の風流を解する心がないっていうか」
「黙って付いて来なさいよ。今回のは遊びじゃなくて仕事でしょ」
「へいへーい、わかってますよっと」
準備を終えていざ行こうというところで、キュエリが怯えた声を上げた。
「あのー私どうしてアルティさんと手を繋いでるんですかー? まさか、まさかですけど、飛ぶとか言いませんよねー……?」
「いや、飛ぶわけじゃないよ。落ちるだけだから、死にはしないよ」
「お、落ちっ!?」
次の瞬間にはもう、全員が落ち始めていた。どんよりとした瘴気の澱をかき分けながら、わたしたちの身体はまっすぐに自由落下する。
妖精族の飛行は、突き詰めると滑空である。多少は羽ばたいて飛び上がることもできるが、鳥のように長時間の滞空を実現することは難しい。落下の動きを羽魔法で制御して、着地寸前に大きく羽ばたいて勢いを殺す。それこそがわたしたちの飛行だ。軟着陸する墜落とも言う。
「ああ、まだ魔王とも戦ってないのに―、ドラゴンも倒してないのにー、私はここで終わるんでしょうかー」
「キュエリまでアルティみたいなこと言わないでよ……」
やがて地面が目前に迫り、わたしとアルティはすぐさま羽魔法を展開した。ほのかに青く薄いガラス板のような一対の羽がわたしの背から伸び、風を捉える。
ふわりと全身を包み込むような浮力が生まれ、階段を下りるような緩やかさでわたしたちは地面に降り立った。
「ふふ、落ちたー、ふふー……」
落下から着陸までの時間はほんの数十秒だったが、キュエリは虚脱した様子で竪穴の上を眺めている。瘴気よりもよほど精神ダメージが大きかったらしい。
「うわ、なにこの模様。なんかぞわぞわする」
「あんまり気持ちのいいものじゃないけど、呪術系の魔法かな?」
竪穴の底を埋め尽くすようにびっしりと、赤紫色の禍々しい文様が刻み込まれていた。文様は生き物のように脈打ち、膨大な魔力を循環させている。
「知者の毒杯!? どうしてこんな呪いが……?」
我に返ったキュエリがいそいそと地面の文様をなぞり、構造を確かめはじめた。
「知者の毒杯、って?」
「対象の生命力を奪って作動して、じわじわ弱らせていく呪いです。かなり高位の魔物――魔王の眷属なんかがよく使うらしいですねー。本来は生き物に寄生するタイプの呪いですから、床に刻んであるのはおかしいんですけども」
「なんにせよ、よくないものなのね?」
「もちろんです。そうとなれば、王都から解呪技術者を派遣してもらって……」
「『ディスペル』」
ぱりん、と魔法が砕ける音。
「まあ、呪いならこんなもんよね」
どんな大魔法なのか知らないが、ディスペルに関しては剣技よりもよっぽど自信がある。瘴気を発生させる程度の呪いなんて砕けて当然だ。
キュエリは驚くのを通り越して唖然としていたけれど、やがて吹っ切れてたように笑い出した。
「ふふっ、ふふふっ」
「ど、どうしたの? 瘴気にでもあてられた?」
「いえ、私、ずっとこんな冒険に憧れてたんだなーって、思い出して。仲間と一緒に洞窟やダンジョンを探索して、強い敵を倒して、邪悪な魔法を解いたりして……なんだか今、すごく楽しいんですー」
「冒険、か。わたしにはちょっとわからないな。敢えて危険なところに飛び込まなくたって、大抵のことは誰かがなんとかしてくれるじゃない?」
「あたしたちは、その『誰か』になってみたいんだよ。どこかに適役がいて、あたしよりもずっとスマートに解決できるとしても、やっぱり譲りたくないんだよ」
「いわゆる、職人の意地みたいなものですねー」
「それは、まあ、わからないでもないかな……」
どこかに英雄がいるなら、別にわたしは英雄にならなくてもいいと思う。
でも、どこかに最高の家具職人がいたとしても、あるいは最高の建具士がいたとしても、わたしは自分の仕事を投げ出したくない。たぶん、冷静に見ればそれは非効率なことだけれど、職人は誰しもそんな意地を張っている。
その意地が、職人を職人たらしめていると言ってもいい。
「さてさて、そろそろ目的地ですよー!」
短い通路を抜けると、外に出たかと勘違いするほど広い場所に出た。見渡す限り、白みがかった砂か灰のようなものが堆積し、砂漠のような景観を生んでいる。ところどころに剣のように岩が突き出していて、いくつか大きな岩塊も見受けられる。岩が発光しているのか、どこかから光が差し込んでいるのか、地下だと言うのに辺りはぼんやりと明るい。
「これが巨獣の灰――石灰石などを含んだ、コンクリートの主原料です。あとはこれを持って帰るだけですねー」
「ねえ、亜竜の話って結局なんだったの? ここまで一本道だったし、どこかで出会ってないとおかしくない?」
「亜竜はこの場所で眠っているんですー。最近はたまーに暴れることもあるそうですが、いまは起きそうもないですし、ぜったい大丈夫ですよー」
「キュエリ、それは……ダメなやつじゃ……」
わたしたちがそんな話をしている間に、アルティはもう随分と先へ行っていた。灰色の砂漠の中でもひときわ大きい岩塊の近くで、ハンマーを高々と振り上げていて……。
――ものすごい轟音が鳴り響いて、洞窟全体が吼えるように震えた。
地上部よりは構造的に強固なのか、これほどの振動でも天蓋からの落石はない。岩塊を思い切り叩いて揺れを引き起こした張本人は、なおもハンマーで巨岩を軽く小突いている。
「いやー、やっぱり丈夫だなあ。どんな形にでも成型できるし、現場で練れば取り回しも楽だし、原料の問題さえ解決できれば最高の材料なのになあ。施工性はこれから検証する必要が」
「あ、アルティ、後ろ! 後ろ!」
「えっ? う、ええ!?」
小刻みな振動が砂漠を揺らし、あちこちで川のように砂が流れ出す。目の前の岩塊はがりがりと不快な音を立てて膨らみ、やがて、四本の脚で立ち上がった。
コンクリートの甲殻、その間からのぞく肉体は紅蓮に燃えている。長い尾を怒りに震わせながら頭を高々ともたげ、ゴーレムよりも空ろな闇がにじむ瞳でこちらを睨んでいる。
魔物の中には、他の生き物に擬態するものがいる。なぜそんなことをするのかと言えば、自分より強い生き物に姿を似せることで敵を減らすのが目的で、つまりゴーレムは自らが人間よりも弱いと認識しているわけだ。
だから、亜竜はドラゴンよりも弱い。ドラゴンは人間よりも強い。比べるのもおこがましい。
結論として、亜竜は人間よりも圧倒的に強い。
「うわー、ここからだと顔も見えない……」
さすがのアルティも青ざめて亜竜を見上げていたが、決心したようにハンマーの柄を握りなおした。
「よし、やるか!」
「はいー!」
「なんで逃げないのよっ!?」
キュエリまで乗り気でコンパスを構えている。出口はそんなに遠くないのに、ふたりは逃げる素振りも見せない。
「洞窟の奥まで来て、ヌシっぽいやつがいたらさ」
「とにかく倒すのが、冒険者ってものなんですー!」
「ああもう、どうなっても知らないわよ!」
がけ崩れのような亜竜の咆哮とともに、わたしは聖剣を引き抜いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます