シーフードカレーのジレンマ

やおいやおい

シーフードカレーのジレンマ

 二一一五年五月一日、労働者の日。俺は食堂のメニューも見なかったことを悔やんだ。


 ガキの頃、五月の頭は学校が休みだから嬉しかった。当時は休みになる理由なんか知りもしなかったが、あれは誰も働かないために休みだったんだな。けれど、働く今じゃカレンダーを見るまで気付かない。どうせ宇宙には休みなんかありやしないんだ。

 宇宙船が、科学者だけの乗り物でなくなって幾十年。先進国の乗り物でなくなって、もう幾十年。ここ長距離貨物宇宙船ツァン・フェンイン号の食堂も、アジア系の労働者でごった返している。


 今日のメニューはスペシャルフード。意見投票の結果でエスニック。魚肉のタイカレーとパパイヤのサラダ。けれども、食べる気がしない。


 地元なのか、タイ人のパサナーさんとベトナム人のメンさんとがやたら喜んでいる。

「日本人、食わんのか?」

「食物繊維の再利用」

「なんだ、それは」

「このカレーにも、食物繊維が再利用されてんだよ」

 大型宇宙船は、水を再利用する。トイレの水だって例外じゃない。それどころか、ゴミ箱やトイレで回収されたブツも再利用される。高分子は生成にコストがかかる。食物繊維のような高分子、みすみすゴミになんかしない。

 高分子の多くは、撹拌分離装置で分離・生成され、元の姿なんか分からないようにしてから、それぞれの用途に再利用される。不水溶性食物繊維は、トイレットペーパーにされ、後から生まれた兄弟を拭う役割を担う。

 だが、それだけじゃない。俺らの食べるグルテンにも、食物繊維が練りこまれている。特に魚肉に多いらしい。

 シーフードカレーを見ると、カレーの味と、ウンコの味の話を思い出す。「どっちを食べる?」って迫るアレだ。だが、アレとは違う。だって現実に入っているんだ。

 衛生的だってことは分かっている。バラバラにされて組成されたんなら、肥料と野菜の関係と変わらないことも分かる。ウンコは固いし、カレーは水っぽい。見た目は似ても似つかない。いや、ウンコも下痢すりゃ水っぽくなるか。いや、そうじゃなくて、だからさ、ほら、落ち着かないんだよ、きっと。

「つまり?」

「カレーにはトイレットペーパーが入ってる」

「よくカサ増しに使うじゃん」

「うちのお袋もやってたわ」


 二人は呆れた顔でこっちを観ている。

「日本人の、穢れの意識ってヤツかねぇ」

「俺が話しているのは、気持ちの問題だよ」

 隣のテーブルにいたミャンマー人のモンさんも割って入ってきた。

「日本人、それは差別ってヤツだよ」

「うちの国の僧侶も言っていた。小便を入れたコップを綺麗に洗ってからでも使いたくない気持ちは、差別だって」

「俺も、頭じゃ分かってるんだよ」

「じゃあ食おう」


 モンさんがモリモリとカレーをかき込む。俺は、ホロホロの魚をみて、水に溶けるトイレットペーパーを思い出していた。

「魚って、ツナみたいで美味しいじゃないか」

「ツナみたいっていうか、ツナだろう」

「ツナ缶の?」

「モンさん、ツナって何だか知ってるか?」

 みんなは顔を見合わせた。

「あれ何?」

「缶開けると、木みたいなん入ってるよな」

 大型の魚類なんて、博物館以外で見ることはない。その博物館だって、今どき先進国にしか残っちゃいない。

「ツナは、元々は魚なんだが、海に魚がいなくなって」

「もう知らねぇよ、いいから食えって」

「お前らの大好きな寿司にカレーが掛ってるもんだろ」

「……それ、美味しくないよ」

「試したのか?」

「いや、試したことはないけど、だって、ほら」

「食べたこと無いのに分かるのか?」

 俺は言葉に詰まった。


 あんまりにも俺らがギャーギャー話してばかりなんで、食堂班長が呆れて巡回してきた。

「おいおいおい、片付かないからさっさと食えよ」

「分かってる!」俺は返した。

「トイレットペーパーが何だってんだよ」

「トイレットペーパーひとつで宇宙戦争だって起こりうるんだぞ?」

「戦争どころか、戦争が終わるよ、カレーがあれば」

「カレーは世界だ! 宇宙だ! 銀河だ!」

「全てを包み込んで、調和させるんだよ!」

「ガキの胃袋満たせば世界は平和だ!」


 その言葉で、俺は地球で過ごした学生時代を思い出した。学食のやっていない日曜の昼に、肉を食うのは難しい。牛丼は特盛でも飽きたらず、お腹いっぱいご飯をかきこみたい男子の欲望は、果たしてどう解消されるのか。

 俺ら貧乏学生に残された最後の希望は、鶏胸肉のカレーだった。色んな具材を一度に食べられた。おふくろのカレーも、研修所のカレーも、残った材料を全て包んで、俺らの胃を満たしてくれた。

 俺は二人に返す言葉が見つからなかった。たしかにカレーは、俺らを包む銀河かも知れない。


 アルミプレートの皿に無造作に盛られた米と、カレーを満たした椀。パラリとした米に、スープが染みわたる。ほんのひとすくいに、ココナッツミルクの濃厚さとなめらかな舌触り。魚の身が、口の中でホロリと解ける。

 カレーとはこんな味だったか。ただただ驚かされ、俺は確信した。これが、本当に魚の身でなくたって良い。かつて誰かの尻を拭いた物質でも構わない。



 それでも銀河は瞬いている。

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シーフードカレーのジレンマ やおいやおい @yaoi801

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