第145話 外伝51.1960年 著 「日本が日露戦争後大陸利権に固執していたら?」 その1

――1960年 アメリカ フィリップ著 「日本が日露戦争後大陸利権に固執していたら?」

 1960年アメリカで最も話題になった架空歴史作品と言えば、「日本が日露戦争後大陸利権に固執していたら?」だろう。アメリカの架空歴史は作品数が多いものの、精密に歴史をシミュレートした作品は少ない。

 本作は日本が日露戦争後方針を転換せず、大陸利権へ固執していたらどうなっていたのか? という世界を空想している。

 

――日本が日露戦争後大陸利権に固執していたら? あらすじ

 日本は日露戦争の和平条約ポーツマス条約を締結し、満州と朝鮮半島の利権を獲得する。日本は獲得した利権のうち、利益が少ないと判断した朝鮮半島利権についてはイギリスとアメリカへ日露戦争の借款利率を低減してもらうことと、多少の金銭を取得することで売り渡す。

 朝鮮半島はアメリカとイギリスによって分割統治されることになるが、イギリスは北部の鉱山地帯を含む朝鮮半島全体の上部三割。残りの七割はアメリカが持つことになった。

 

 一方満州であるが、こちらは日本からアメリカに呼びかけアメリカ資本の受け入れを行う。日本は一見イギリスとアメリカへ譲った形に見えるが、史実同様これは日本の迂遠な計画の一つだった。

 日本は史実同様にロシアの進出と当時の日本の国力を顧みて、日本のみで利権を十全に活用することは不可能と判断し、アメリカとイギリスを誘い自身の持つ利権の最大活用を検討した結果、このような形になった。

 

 事実この戦略により、日本の米英間との貿易額は増大し、米英技術者が日本へ協力するよう取り計らわれた。

 日本の経済力と技術力が急速に伸びた後、欧州大戦が起こる。日本は欧州大戦へイギリスの依頼を受け参戦する。中国大陸のドイツ租借地を占領し、ニューギニア島を含む南洋諸島も占領下に置く。

 欧州大戦の結果、現地住民の日本へ対する反発が強かった中国大陸のドイツ租借地を日本はアメリカに売却する。この辺りの損切りの速さはいかにも日本らしい。

 

 欧州大戦後、史実同様日本はドイツとオーストリア連邦との結びつきを強め、続いてトルコとの連携も構築する。一方、中国大陸ではドイツ租借地を獲得したアメリカとの結びつきを強め、満州の支配を進めていく。

 ロシア革命は史実と同じくロシア公国が成立するが、成立に関わった国は日米のみでイギリスは参戦しなかった。

 

 日米独墺の結びつきを見たイギリスはフランスと接近していく。

 1929年世界恐慌が発生するが、日米独墺は迅速に世界恐慌へ対応しアメリカの経済が受けたダメージは軽微なもので済んだ。恐慌で苦しんだ英仏はお互いに経済的な結びつきを強め、英仏ブロック経済を成立させる。

 

 時代が進み、ソ連が力をつけてくると孤立したソ連へ日米独墺に比べ国力で劣る英仏が接近し、英仏ソ同盟へと帰結する。一方日米独墺の経済は繁栄を極め、英仏と年々経済力で差を広げていた。

 中国大陸では国民党と共産党の対立が深まり内戦に至ったが、彼らの背後にいるソ連と英仏が蜜月状態になったこともあり、停戦し華北と華南に勢力圏をそれぞれ構築することになった。

 

 しかし、史実同様に国民党はやはり暴走し共産党勢力圏へ北伐を開始。共産党政権は国民党を撃退する。この戦いは史実と異なり、背後の大国がどちらも支援しなかったため、決定力に欠ける国民党は勝ちきれなかったとされた。

 国民党は北伐により求心力を失くし、華南では諸勢力が入り乱れての混戦模様となり、民国党が優勢となって来るが、華南の混乱を見た華北の共産党政権は華南へ攻め込み、占領に成功する。

 華南と華北の統一に成功した共産党政権は中国大陸の統一を指向し、南部のチワンへ手を広げようとするが、彼らを指導するソ連からフランスの勢力圏であるチワンへ手を出さぬよう待ったが入る。

 

 そんな折モンゴル人民共和国と満州の間で国境紛争が起こり、一触即発の状態に陥る。ここに中国共産党政権が手を出しついに国境紛争が起こる。

 国境紛争が起こると、日米は満州との防衛条約に基づきモンゴル人民共和国と中国共産党の人民解放軍を鎧袖一触、撃滅する。

 

 この動きにソ連が撃滅された両国へ軍事支援を行い、ソ連赤軍を出動させ日米両軍と睨み合う。国境紛争に対して、モンゴルと満州の会談が行われたが史実同様モンゴルは頑強で引く様子を見せなかった。

 そんな緊張状態の中、中国共産党の人民解放軍と満州軍の間で発砲騒ぎが起こり、両軍が支援国の了承なしに戦闘を始めてしまう。

 

 ソ連はこの戦闘で不利に陥った中国共産党の人民解放軍を救うべく軍事出動を行ったが、これを見た日米軍もソ連に対抗すべく現地へ軍を派遣する。

 この結果、両軍が衝突し、なし崩し的に戦争状態に陥る。

 

 翌日にソ連は対日米宣戦布告を行い、同盟条約に基づき英仏も対日米宣戦布告を行う。同じく日米独墺ロシア公国も英仏ソへ宣戦布告を行う。

 欧州ではフランスとドイツの戦争がはじまり、イギリスがフランスを支援する。しかし、東側はポーランドが間に挟まっているため、ドイツ領東プロイセンでソ連とドイツ間で戦争が発生するに留まる。

 ポーランドは中立宣言を行い、戦争に参加しないことを決めた。なぜなら、ポーランドは左右を超大国に挟まれ、どちらに与しても自国が戦場になることが目に見えていたからだ。

 

 ドイツは東プロイセンを放棄しフランス戦に集中するが、戦争初期は苦戦を強いられる。独墺は再軍備を行ったばかりで兵器の質はともかく、兵力が少なかったためイギリスの支援を受けたフランスの攻勢を凌ぎきれなかった。

 しかし、日米軍がドイツに到着すると戦線を盛り返し、ラインラントを挟み両軍は睨み合うことになった。

 

 中国大陸戦線は満州を拠点に日米ロシア公国軍とソ連、中国共産党、モンゴルの連合軍の対決が始まるが、装備も兵力も勝る日米ロシア公国軍が圧倒する。結果、華北華南を追われた中国共産党人民解放軍はモンゴルへ逃げ込む。

 モンゴルで防衛線が敷かれソ連は防戦に徹することで、日米ロシア公国軍を押しとどめる算段であったが、情勢は非常に厳しいものだった。

 

 世界的な戦争に発展するかと思ったが、利害関係の面から中国大陸と欧州以外で戦争は起こらず英仏植民地は沈黙を保った。そういった背景があるのか、中国大陸においても日米軍はチワンやチベットへ手を広げず防衛網を築くにとどまった。

 

 戦争開始から半年後、睨み合うラインラントで均衡が崩れる。ドイツがラインラントを突破しベルギーを通過してフランス本土に攻め寄せる事態に至ると、元より紛争焦点が希薄だった英仏は講和へ動く。

 講和条約は史実の独仏戦争と同じで、ドイツがフランスへ寛大な講和条約を提示し和平が締結された。

 

 西部戦線が終結したドイツは日米軍と共に東プロイセン反攻作戦を実施し、瞬く間にソ連赤軍を撃滅していった。モスクワまで攻めあがるに至ってソ連の現政権が崩壊し、講和へと至る。

 ソ連はバルト三国の独立承認、フィンランドへ領土返還、中国大陸へ干渉を行わない事などを盛り込んだ平和条約に締結し大国間の争いはここに集結した。

 

 残る中国大陸戦線でも日米ロシア公国軍がモンゴルを占領し、原因となったモンゴル、内モンゴル、中国共産党を解散させ占領下に置く。こうして、中国大陸は東トルキスタンを除き共産系国家は排除されることになった。

 

 続きます。

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