第132話 外伝37.1968年 名古屋オリンピック

――1968年 名古屋 某所 オリンピックスタジアム

 1944年以来二度目の日本開催となるオリンピックの開催がまじかに迫り、日本はオリンピックムード一色になっていた。日本二度目のオリンピックは名古屋で開催され、メイン会場となるオリンピックスタジアムが新たに建築された。

 オリンピックスタジアムの建築に手をあげた著名な建築家は多数いたが、選ばれたのはドイツ人のアルベルトだった。アルベルトは幼い頃、数学の成績が優秀で数学者を夢見ることもあった。

 しかし、彼の父、祖父ともに建築家として名をはせた実績があったことから、アルベルトにも建築家になるよう求めた。

 

 彼の家は建築家の父と祖父が築いた財産があり裕福な家庭で、幼い時に彼の家には自家用車があり、彼は自動車に夢中になっていた時期もあったが結局建築家への道を歩むことになった。

 ベルリン工科大学で著名な建築家の知己を得た彼は才能が開花し、大学卒業後メキメキと頭角を現していく。

 彼はギリシャローマ建築に傾倒していたが、日本とドイツの関係性が深まると他の多くのドイツ人と同じで彼も日本へ興味を示すようになる。そして、彼は日本の京都、大阪、東京と主要都市を巡りある種の衝撃を受ける。

 彼の持つ独特の理論「廃墟価値の理論」というものがあるが、古都京都の古から残る建築物は彼にとって衝撃だったようである。

 

 廃墟価値の理論は今後建築される建築物は数千年先において、美術的に優れた廃墟になるべきだ。また、そのように建築物を作らねばならないという理論である。

 古代ローマの建築物は世界各地に廃墟として残っているが、その全ては美術的に優れたもので、建物はいずれ壊れ廃墟になるが、そうなっても美しい美術的価値を保持できるものを目指そうということだ。

 

 日本の古い仏閣は何度も改修工事が行われ、その外観をずっと保っている。アルベルトの考え方と異なるが、これもまた一つの答えだと彼は感じ入るものがあったという。一方で東京の近代的なビル建築群はいくつかの建物を除き「芸術性」が無いと落胆したという。

 その後何度か日本で建築の仕事を行うことがあり、日本国内でも知名度が上がった彼に名古屋オリンピックのオリンピックスタジアム建築の依頼が舞い込む。


 彼はオリンピックスタジアムという後世に語り継がれる偉大な建築を任せれたことに歓喜し、どのようなデザインにすべきか半年ほど悩む。

 しかし突如天啓が訪れる。彼が古都京都を散策している時に、旅行に来ていたとある日本人とドイツ人との出会いが彼にアイデアをもたらしたのだ。


――少し前 京都某所

 アルベルトがアイデアを求めて京都を散策していると、老齢のドイツ人と日本人とその子供らしきグループが目に入る。 日本人とドイツ人の国際結婚は今となってはそう珍しいことではないが、アルベルトは彼らに不思議な引力を感じる。

 そのため、彼は恐らく年のころは七十前に見える丸眼鏡のドイツ人に話しかけてしまった。

 

「こんにちは」


 彼が話しかけると、丸眼鏡の老年のドイツ人も気さくに彼に答える。

 

「こんにちは、あなたはどこかで……」


 丸眼鏡のドイツ人がアルベルトをじっと見つめると、アルベルトも彼の顔を見たことがあることに気が付いた。確か、この老人は環境保護で有名な……

 

「ひょっとしてあなたはハインリヒさんですか?」


 アルベルトが少し驚き尋ねると、丸眼鏡の老人も同じく驚いたように彼に言葉を返す。

 

「そういうあなたはアルベルト氏ですよね?」


「ええ。そうです。ハインリヒさん、あなたの噂はいろんなところで耳にしますよ」


「おお。偉大なる建築家にそう言ってもらえると私も鼻が高い」


 二人は笑顔で握手を交わすが、アルベルトはハインリヒと並ぶように歩いていた長身の日本人の男と十代前半くらいの少女が目に入る。少女はドイツ語を理解している様子で、何か言いたそうにじっとアルベルトを見つめている。

 

「これは失礼いたしました。フロイライン。はじめまして、アルベルトです」


 アルベルトは少女へ紳士的な礼をすると、少女も戸惑ったように日本式のお辞儀で返す。

 

亜希あきです。はじめまして」


 流ちょうなドイツ語で少女はアルベルトに挨拶をする。ひょっとして、この大柄な日本人は牛男氏ではなかろうか……アルベルトは横目でチラリと挨拶をする少女を微笑ましい笑顔で見守っている大柄の男に目をやる。

 

「あ、ああ。牛男さんはドイツ語が分かりません。亜希あきちゃんに通訳になってもらっていたんですよ。彼女は牛男さんのお孫さんなんですよ」


 ハインリヒは何でもないことのように言うが……まさかハインリヒだけではなく、有名な一家に出会えるなんて思ってもみなかった。彼はたじろき一歩後退する。

 

「まさか牛男さんだったとは。お二人は親しいんでしたね。ということは……フロイラインの父親はあの宇宙飛行士の」


 アルベルトは亜希あきの様子を伺いながら確認するように述べる。


「その通りです。牛男さんと宇宙飛行士の響也きょうやさんの父である藍人さんが親しい間柄でして、そのご縁から牛男さんの娘さんと響也きょうやさんが結婚したんですよ」


 ハインリヒは牛男と宇宙飛行士である響也きょうやの関係性を簡潔に説明してくれた。なるほど。月に向かった三人の宇宙飛行士はみんな親しいと聞く。恐らく、残りの二人の繋がりからフロイラインはドイツ語を学んでいるのだろう。とアルベルトは推測する。


「なるほど。まさかこんなところでハインリヒさんだけでなく、牛男さんにもあえるなんて。そのお孫さんにまで」


 アルベルトは少し感動し、改めて三人を見やると牛男の姿が見えない。はて、彼はどこに?

 周囲を見渡すとすぐ彼の姿を確認することが出来た。彼は日本だけではなく、世界でも良く見る黒い鳥……カラスを目で追っていた。

 

「牛男さん、本当に動物が好きですね」


 ハインリヒは肩を竦め、牛男の様子を笑顔で見ている。

 

「カラスがそれほど魅力的なんですか?」


 アルベルトが首を傾げると、ハインリヒはそんなことはないと思いますよと彼に返す。

 

「アルベルトさん、でも、カラスだって捨てたもんじゃないですよ。神話にもなってますし」


 亜希あきがカラスを擁護するように話に割って入る。

 

「なるほど、神話ですか……ギリシャ神話でもカラスは有名ですね……確か日本の神話でも。なるほど。これだ!」


 アルベルトは何か思いついたように、空想の世界へ入っていきブツブツと何事か呟いている。

 ハインリヒと亜希あきはアルベルトの様子を見て、軽く彼に会釈をし牛男の方へと歩いて行った。

 

 アルベルトは天啓が降りて来たようにスタジアムのデザインが次々と浮かんでくることに体の震えが止まらなかった。オリンピックスタジアムのイメージは――

 

――八咫烏やたがらす。これだ。

 

 ホテルに戻ったアルベルトは思いついたアイデアを形にし、オリンピックスタジアムのデザインを完成させる。

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