第130話 外伝35.1953年頃 英領香港

――1954年頃 香港 藍人 過去

 中国大陸は清朝が崩壊し、中華民国が成立するも各地で軍閥がうごめき、列強諸国の介入もあり戦争も数度勃発したが、1944年以降の中国大陸は小規模な紛争はあったものの、中国大陸にある各国は概ね平和共存ができている。

 日本は日露戦争後ポーツマス条約を締結して以来、中国大陸と直接の接触を避けていた。日本と中国大陸は隣同士ではあるのだが、日本と親密な関係にある国は1954年時点で存在しない。

 

 中国大陸には華北内陸部や北京を持つ中華人民共和国、上海を中心とした沿岸国である上海共和国、華南の中華民国、他に北から満州国、内モンゴル、東トルキスタン、チベット、チワンと合計八か国で構成される。

 その他、イギリスの植民地の香港があるが、実質独立国になっている。独立国としないのは、周辺各国が独立後香港へ野心を持つようなことになると問題なのでイギリスが安全確保の為、名目的にイギリス所有領となっている。

 香港は1954年……つまり来年に完全独立予定ではあるが……

 

 来年に香港が独立するとなり、一番慌ただしい動きを見せていたのは宗主国のイギリスではなく、日本だった。日本は日露戦争以来中国大陸との関わりを避けて来たが、イギリス植民地である香港は例外で現地のイギリス系企業と取引実績があった。

 イギリス植民地ということで取引を行っていたが、独立国となると話が異なって来る。

 およそ五十年近く中国大陸の独立国との接触を避けてきた日本……日本国内の世論はこれまで通りの関係を独立後も続けていくという意見が多くを占めているが、慎重派ももちろん一定数存在する。

 

 対応を迫られた日本政府はこれまで通りイギリス系企業との取引を行うことを認め、独立香港も国家承認を行う方針を発表。しかし、香港へ投資を行うことについては慎重な姿勢を見せる。

 少なくとも独立後五年間は官民共に香港へ投資を行わないと先の国会で決定した。

 

 藍人は数年ぶりに香港を訪れていた。彼は香港にあるイギリス系の貿易会社と新しい取引を交渉するためにこの地にやってきたのだ。彼は通訳と共に、貿易会社を訪問すると現地の壮年のイギリス人マネージャーが彼を迎え入れてくれる。

 

「はじめまして。マーティンと申します」


 壮年のイギリス人マネージャーはビシッとしたスーツ姿の紳士然とした人物で、柔和な笑みを浮かべると藍人と握手を交わす。

 

「こちらこそ、はじめまして。藍人と申します」


「さっそくですが、こちらをご覧ください」


 マーティンが部下に小声で囁くと、扉が開き若い女性が入ってきて、彼女が手に持つお盆には複数の缶詰大の容器乗っていた。

 女性はテーブルに缶詰大の容器を静かに置くと、例をして部屋を出て行く。

 

「おお。全て紅茶ですか?」


「いえ、緑茶に中国茶も持ってきております。どうぞ容器の蓋を開けてみてください」


 マーティンに促され、藍人は端から順に缶詰の蓋を開けて中に入った茶葉の香りを確かめていく。

 正直なところ、藍人は香を嗅いだところで茶葉の良し悪しは分からない。どの商品を輸入するかは持ち帰って専門の者が決めればいい。藍人が確かめなければならないことは別のところにある。

 

「ありがとうございます。いい香りですね」


「そう言っていただけると嬉しいですな」


 マーティンは口元に笑みを称えたまま、藍人の様子を伺っている。

 

「こちらの商品の原産地と品質のチェックをどのように行っているかなど聞かせていただけますか?」


 そう、藍人が確認すべきことは安定した生産力があるのか、口に入るものだから安全に問題はないかどうかの二点だったのだ。

 彼に味は分からないが、この二点を念入りに確認することは可能なのだから。

 

「原産地はチワン共和国ですな。品質は我々の会社が直接審査しております。審査方法もこれからお話いたしましょう」


 マーティンは藍人へ直接品質検査の場を見てもらった方が早いと、彼を会社の倉庫まで案内する。

 倉庫には監督者がついて茶葉の品質をチェックしている人たちが大勢働いていて、茶葉を一つ一つ手作業で丁寧に缶に詰めていた。

 

 藍人はこれなら恐らく日本の通関もパスできるだろうと思い、マーティンと茶葉の輸入について交渉を始めることにした。

 

 その日の夜、マーティンと彼の同僚から夕食に誘われた藍人は通訳を伴って香港のとあるレストランで彼らと酒を酌み交わす。

 

「藍人さん、日本は完全に中国大陸から手を引いた歴史がありますが、今後はどうなると思いますか?」


 マーティンは何気なく聞いたつもりだったが、藍人の顔は酒が入っているにも関わらず少し曇る。

 

「中国大陸に日本は無関心ですね。国内では中華思想が問題視されていましたが、最近では危険視する声も減っては来ました」


 藍人は慎重に言葉を選び、マーティンに応じる。

 

「なるほど。中華思想ですか……華北と華南ではそういった話を聞きますが、他の地域はそうでもないですよ。私たちイギリス人と良くかかわる地域ですと……チベット、チワンではそのような話は聞きませんね」


「チベットは民族が異なるのでしたよね。チベットと場合によってはチワンについては日本の投資が限定的ではありますが、解禁されるかもしれません。といっても民間に限ると思います」


「なるほど。日本は慎重なのですね。私達イギリス人は中華思想の外にある国家ですから、反発はありますが日本に比べれば多少マシなのでしょう」


「私は実際体験してませんから何とも……」


 藍人は頭をかき、正直に自分の気持ちを告げると、マーティンは朗らかに笑い、ビールを口に運ぶ。

 

「あなたは正直な人だ。その正直で誠実なところが会社に評価されているのでしょうね」


「いえいえ……」


 褒められて悪い気はしない藍人であったが、余り持ち上げられることになれていない為、赤面してしまう。これにはマーティンだけでなく、彼の同僚も微笑ましい気持ちになったようで、口元に笑みを称え藍人を見やるのだった。

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