第53話 1936年冬頃 過去

――東京 藍人 過去

 東京へようやく戻ってきた藍人はまず自宅へと急ぎ、妻と息子に会いに行く。息子の顔を見て思わずにやける藍人を呆れたように妻が彼を眺めていたことを彼は知らない。

 藍人は少し落ち着きを取り戻すと、自室に入りラジオをつける。ラジオもすっかり家庭に普及し、今では手軽に情報を得る手段となっている。先日東京万博で見たブラウン管テレビもそのうち家庭に普及するだろうと藍人は何となく感じていた。

 息子が大きくなる頃にはきっと、自身と息子と妻の三人でテレビを見て笑ったり泣いたりしてるんだろうか。藍人はその姿を想像して顔がニヤける。

 

 そういえば今年開催されるベルリンオリンピックではテレビの実験放送をする予定になっていたんだったか。日本でも既に実験放送を行っているから、ブラウン管テレビさえあれば見ることはできる。できるのだけど……高すぎるんだよな。

 とてもじゃないが、テレビはまだまだ一般家庭に置ける代物ではない。しかし、年々テレビの価格は下がっているからそのうち買えるようになると藍人は確信しているわけだ。

 

 その証拠に東京ではテレビの電波塔の建築計画があり、再来年から建築が始める予定になっている。工期は二年となってるから、順調にいけば1940年には電波塔が完成するのだ。その頃にはテレビの値段も手がでる価格になっていればいいな……

 藍人はラジオの音声を聞きながら、新聞を少し読むと自室から出る。

 

 夕食を食べ終わった後、妻の蜜柑が藍人に綺麗な包み紙に入った箱を手渡してくる。

 

「ありがとう。蜜柑。開けてもいいかな?」


「うん」


 妻の了承を得た藍人はさっそく包み紙を丁寧に剥がすと、先に包み紙を折りたたんでから箱を開ける。中に入っていたのはチョコレートだった。

 藍人はハートマークに型どられたチョコレートに顔を近づけると、チョコのいい香りが鼻孔をくすぐる。


「ありがとう。蜜柑。嬉しいよ。しかし何でチョコレートなんだろう」


 藍人は特に甘い物が好きというわけではないが、何故チョコレートなのだろう? 藍人の疑問に蜜柑は一枚の広告を取り出す。

 広告には――

 

<バレンタインデー 愛する人へチョコレートを贈ろう>


「バレンタインデー? 面白い企画をやっているんだねえ」


「つい流行に乗ってしまったの。目の前で見てると恥ずかしいね……」


 蜜柑は顔を赤らめ藍人から視線を逸らす。


「蜜柑。嬉しいよ。愛する人へ……か」


「もう。藍人ったら!」


 妻が余りにも照れるので、藍人も同じように赤面してしまった。藍人は思う。子供は結局一人しか出来なかったけど、愛する妻と息子に囲まれることは何て幸せなことなんだと。


 翌日、藍人は会社へと出勤する。藍人は自宅を出ると、地下鉄に乗り、一度乗り換えて会社の最寄り駅へと到着する。駅の改札の前には売店があり、藍人はそこで新聞を買うのが日課になっていた。

 今日も売店の売り子へ挨拶をすると、新聞を二種類買い込み地下鉄に乗る。藍人の乗車駅は始発ということもあり、確実に座席に座れるのだ。

 藍人は座席に腰かけると、さっそく新聞を開く。

 

 なになに……エチオピア帝国とイタリアで協定が結ばれたのか。日本の仲介も無駄ではなかったんだなあ。いやあ。日本に帰って来てから情報がすぐ新聞で読むことが出来るし、ラジオで聞くこともできる。

 ドイツでも同じようにラジオ放送を聞くことができたけど、ドイツ語は分からないしなあ。藍人は海外生活を思い出しため息をつく。

 

 先日京都でイタリアと会議が行われたが、今度はイギリスから学者が大挙して押し寄せているらしい。日本は学者の講演ならば旅費と宿泊代を全額負担すると各国に通知している。もちろん学者の事前審査はするが……

 ロンドンで中華民国の対策会議を行った際に日本の外務大臣の働きかけのお陰か、今日本へ著名な経済学者とそのライバルに超一流の哲学者が来ている。彼らに引かれるように、科学者や物理学者といった他の分野の学者も続々と来日し講演を行っている。

 特に多いのはドイツとオーストリア連邦で、次に多いのがイギリスになる。これだけ来日している状況に関わらず政府はアメリカの学者へも積極的に来日を促しているらしい……どんだけ学者好きなんだろう日本政府は。


 

――磯銀新聞

 どうも! 日本、いや世界で一番軽いノリの磯銀新聞だぜ! 今回もエッセイストの叶健太郎が執筆するぜ! チョコレートって知ってるか? いつの間にか普及していたよな。チョコレート。

 これはな菓子屋の陰謀なんだ。チョコレートをもっと売る為に奴らは恐るべき企画を今年からやり始めた。俺も積極的にチョコレートを貰えるよう動かねばならない。え? もうそんな歳じゃないだろうって?

 いやいや、まだだ。俺はまだ行けるぜ。チョコレート、待ってるぜ! もちろん可愛い子ちゃんからよろしくだぜ。ん? 孫みたいな歳の娘からもらって嬉しいのかって。そら嬉しいよ。孫は可愛いからな。ってそこまでの歳じゃあねえよ!

 

 エチオピア帝国とイタリアだが、解決案を締結する運びとなった。イタリアが主張した軍の駐留と資源開発におけるイタリアとエチオピア企業以外の排除は認められる。その見返りとしてイタリアはエチオピア帝国へ今後侵攻しないことを誓うと共に、他国からエチオピア帝国が侵略された場合には、エチオピア帝国と共に防衛に当たることを約束する。

 エチオピア帝国は現在の政権を維持し独立を死守した。イタリアはエチオピア帝国を植民地化することは出来なかったが、軍の駐留権を持つことで後方からエチオピア帝国に噛みつかれる危険性を排除でき、資源開発も独占権を得た。今の両国の力関係を比べれば、エチオピア帝国は致し方ないってところだろう。

 一応、植民地化は回避できたので、日本に仲裁を呼びかけた効果はあったのだろうか。日本は戦争を回避できたことで各国から称賛を受けることは出来たんだけどな。

 

 中華ソビエト共和国と中華民国の両国は静かな状態を保っている。いや、保つしかないってところなんだろうな。水害の被害が深刻で戦争どころじゃないってのが正直なところだろう。各国から民間の救助活動部隊が送り込まれているけど、数が少なく広大な地域を復興させるには余り役立ってはいない。

 両国の軍も復興と救助活動に手一杯で相手国へちょっかいをかける余裕もないみたいだぜ。これが落ち着いて来たら動きがあるかもしれない。何しろ両軍は川を隔てて向き合ってるんだからな。

 

 おお。そうだよ。著名なイギリスの経済学者と共に来日した彼のライバルと哲学者をきっかけとして、続々と著名な学者が日本で講演を行っているんだ。かの経済学者は日本が大のお気に入りらしく、本国でも日本のロビー活動をやってくれているそうだ。

 経済学者の主張する経済学と日本の経済政策は合致する部分が多く、経済学者の主張する理論を証明するのが、日本経済の繁栄なのだから、彼は日本経済の行く末を見て何度も歓喜に打ち震えたそうだ。

 それに興味を惹かれたのが、彼のライバルと親しい間柄の哲学者だったってわけだな。

 

 続々と学者が来日する状況に気を良くした政府は、宇宙科学研究会を開催すると発表。物理学者と科学者を呼んで、宇宙へどうすれば行けるのかを真剣に議論する研究会とのことだ。

 これをきっかけに物理学者や科学者もたくさん呼びたいみたいだぜ。

 政府が主催する研究会はこれだけではなく、他にも医療関係や海洋、微生物、進化論など多岐に渡る研究会を開催するそうだ。

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