四十八箇所目 新宿区立漱石山房記念館 新宿区

 地下鉄東西線早稲田駅で降りて、早稲田町外苑東通り方面改札を出て、出口1紀久井町きくいちょう側へ。

 駅の階段を上がりきると、目の前に周辺地図と標識が現れます。

 標識には「鶴巻図書館」「漱石山房記念館」の文字。


 漱石山房は、夏目漱石が晩年の9年間を過ごした家です。

 漱石は、この家で、『三四郎』や『こゝろ』などの代表作を次々と発表しました。


 では、地図を確認して、早稲田通りを大学方面に向かって歩いて行きます。

 最初の横断歩道を渡ると、そこに漱石山房通り入口の標識が立っています。


 左は、漱石山房記念館 漱石山房通り

 右は、東京メトロ東西線 早稲田駅

 そして、その文字の下を軽やかに歩いていくシルエット。

 早速、猫のお出迎えです。


 右へ行けば、漱石生誕の地に夏目坂、漱石夫人が虫封じのお参りをした穴八幡あなはちまんなどがありますが、ここは左に折れて目的地優先です。


 漱石山房通りに入ってすぐは、心なしか上り道です。

 閑静な住宅街を歩いて行きます。


 健脚であれば大した坂ではないのですが、夏の盛りには、汗をかくこともありそうです。


 その日は少々蒸し暑く、のどを潤そうと道の端に立ち止まりました。


 と、にゃあ、と猫と思しき鳴き声が。

 にゃあと鳴くのは、猫ばかりとは限りませんので、ここでは思しきとしておきます。


 見回しても鳴き声の主の姿は見えません。

 暑さと乾きからの空耳かと、ではこの状況を改善せねばと、水筒のカップ式のふたに麦茶を注ぎました。


 ひと口飲んで、やれやれと、何気に足元を見たならば、陽射しの強さに自分の影が、陽炎となってゆらぎたち、耳がぴんとたち、しっぽで挨拶してるではありませんか。


 思わず、水筒のふたを取り落とせば、残りの麦茶を浴びた影が、今度は、にゃあぁぁ、と、恨めしそうな声を発したように思いました。


 とんだ猫化け通りだと、早々に退散しようと落としたふたを拾うのにかがむと、それそこアスファルトに、すました猫の姿があるではありませんか。


「漱石山房記念館 Natsume Soseki Memorial Museum」


 道路にはめこまれた標識タイル。

 ここにも、おすましシルエットが描かれています。

 なんだタイルに化かされたのかと、悔しいので、自分の靴の足先を入れて記念撮影をしました。


 再び歩いていくと、前方左手に公園が見えて、その辺りから下り道になります。

 早稲田公園の標識を見上げながら小さな公園の脇を通り過ぎて進んでいきます。

 すっかり坂を降りきると、右手に小学校、そして、目的地まであと160メートルの立て看板があります。

 そこからまた少し上り坂になります。


 途中、すっと追い越していった着物姿のご婦人は、何やら大切そうに御札を胸に抱えていました。

 目をこらすと、御札はどうやら穴八幡のもの。

 穴八幡といえば、虫封じ。

 となると、あれは、彼の奥方でしょうか。


 こうして、猫に導かれるまま、坂道を上り下りしていくと、ふいに左手が開けて、近代的な建物が現れます。

 猫のしっぽをつかむように、駅からゆっくり歩いて10分ちょっとといったところでしょうか。


 かつて、そう、もうずいぶん前のかつて、そこは、こじんまりとした公園だったように思います。

 知らなければ、ふーん、漱石ゆかりの場所なんだ、くらいで通り過ぎてしまうような場所でした。


 鷗外記念館も、設立には、基金を募るなどだいぶ努力があったそうですが、漱石山房記念館も、ここに至るまでの道のりは、しびれをきらしてしまうほどの紆余曲折があったそうです。


 ここらあたりの四方山話は、漱石山房記念館裏手の公園の一角にあるギャラリーで、ボランティアガイドさんからお話をうかがいました。

 このお話は、館内見学の後にたっぷりと。


 ガラス張りの現代風な建物が、通り沿いに横長に広がっています。

 建物の周りには、四季折々に楽しめる植物が植えられ、漱石作品との関連の解説札があるものもあります。


 このガラスの館の中に、往時の家が再現されています。

 外からも一部のぞくことができます。

 和洋折衷の平屋建てで、白いベランダ式回廊や、漱石が自ら植えた木賊とくさや大きな芭蕉の木の茂っていた庭などが独特の風情を醸し出していました。


 では、中へ入ってみましょう。

 入ると正面に撮影スポットがあります。

 等身大の夏目漱石がお出迎え、です。

 まずは、記念撮影をして、右手の無料見学できる導入展示ゾーンで一通り夏目漱石についての情報をおさらいします。

 それから、受付を済ませて、展示ゾーンへ。


 まず現れるのは、漱石山房再現展示室ゾーンです。

 週に一度の面会日「木曜会」には、高浜虚子を中心に、寺田寅彦、森田草平、小宮豊隆、内田百閒、芥川龍之介などの若い文学者たちが集い、にぎやかな文学サロンとなっていました。

 ここが漱石の書斎だったんだ、毎週木曜日には若き文学者たちが集って、新たな文学を生み出すべく語り合っていたのだなと、思いを巡らせたくなる場所です。


 さて、館内のところどころに、シルエットの猫たちが、すましています。

 ここでは漱石先生の御威光があるのか、猫たちも大人しく、にゃあと鳴いたりはいたしません。

 代わりに、猫仕草のスタイルで、案内をしてくれます。


 二階は通常展や特別展の展示室です。

 展示内容は、ホームページで確認することができます。

 地下へ降りると、講座室と図書室があります。

 図書室では、じっくり、漱石作品と関連図書を閲覧できます。


 一通り館内を探検したところで、ここは、ひと息お茶時間ですね。

 ブックカフェ「CAFE SOSEKI」(カフェ・ソウセキ)で、漱石が好んだという空也もなかをコーヒーでいただきました。

 手にしたパンフレットやリーフレットに目を通しながら、しばし休憩です。


 ミュージアムショップでは、記念館図録の『新宿区立漱石山房記念館』を求めました。

 新宿区立漱石山房記念館は、平成29年(2017年)9月24日に開館しました。

 実は、こちらが出来てすぐの時に来訪したのですが、その時はまだこの図録はできていませんでした。

 代わりに『夏目漱石生誕140年記念 漱石山房秋冬 ~漱石をめうぐる人々~』という冊子が配布されていました。

 この冊子は、新宿区地域文化部文化国際課が編集・発行したものです。

 外見は薄い冊子ですが、写真満載で読み応えのある一冊です。

 そういえば、漱石は絵心もあったんですよね。

 漱石画伯の作品の絵葉書も扱っていました。


 館内を見学し終えたところで、もとは漱石公園だった庭へと回ります。

 入口のところに、漱石の胸像があります。

 脇には、漱石が晩年理想の心境とした「則天去私」の文字が刻まれています。

 そこも記念撮影スポットです。

 ガラス越しにのぞく再現漱石山房の白いベランダと、芭蕉を背景に、漱石先生と一緒に画面におさまります。

 自撮りで悪戦苦闘してると、スマホ画面に映っている漱石先生の眉根が、だんだん寄ってきているように見えたのは、あせる心のなせるわざだったのでしょうか。


 庭の一角に道草庵というギャラリーがあります。

 漱石作品の復刻初版本の展示や、猫の墓の除幕式のDVDなどを見ることができます。

 投句箱もありましたので、俳句を詠まれる方は、ぜひ、一句、漱石に思いを馳せてどうぞ。


 では、ガイドさんから伺ったお話をご紹介します。

 DVDを見ながら、解説をしていただきました。


 ガイドさんがおっしゃるには、漱石が新宿区で生まれて新宿で亡くなったということは、実は、意外に知られていなかったのだそうです。

 せっかくの文化資源とも言える文豪の新宿区との関係をアピールすべく、「漱石山房を考える会」の方々が、地元の小学校に出前授業などをして啓蒙活動を続けてこられたのだとのことです。


 戦後、漱石山房の土地は都が買い取り、将来的には記念館を建てるのでそうなったら移転してくださいという約束のもと最初は都営住宅が建設されました。

 その後、記念館は新宿区が建てるので都から新宿区に土地の持ち主が移りました。

 住宅に住んでいる人たちの引越し先を新宿区が用意して当初の約束通り移ってもらい、ようやく漱石山房記念館の建設へとなりました。

 戦後すぐは生活するのに手いっぱいで、文学館などの文化施設よりはまず住むところをといった状況だったそうです。


 うかがったお話の中で興味深かったのは、漱石の声。

 肉声は残っていませんが、お孫さんの漫画家夏目房之介氏の骨格が祖父の漱石に似ているということで、発声器官も似ているであろうから声も似ているのではないかと言われている点が興味深かったです。

 2016年12月10日に開催された「夏目漱石国際シンポジウム」で初お披露目された二松学舎大学大 学院文学研究科の研究チームが製作した「漱石アンドロイド」の声は、氏の声をもとにした人工音声だそうです。


 それから、夏目家のペットを埋葬した猫の墓。

 石積みの塔ですが、そこには、猫だけでなくさまざまな夏目家のペットたちが眠っています。

 戦時中に一度破壊されたのですが、土地の整備中に積み石が出てきたので、当時の状態に復元したそうです。


 ああ、だから、猫たちは、恩義を感じて道案内をしてくれてたのでしょうか。

 猫も、恩返しをするみたいですから、獲物を玄関の前に置いたりなど。

 人間様には迷惑きわまりない贈り物だったりするのですが、お猫様にとっては自分の狩猟の腕前を誇示でき、さらに相手も喜ぶだろうという一石二鳥と思っているのかいないのか、唐突に恩返ししますよね。


 漱石は、帝国大学、現在の東大での職を蹴って、朝日新聞社に勤務し創作活動をしていました。

 いわばダブルワークです。

 その激務から健康を害したとも言われてるんですよ、と、ボランティアガイドさんが、しみじみおっしゃっていました。



 権威にすがらずとも、真に心に触れる作品は後世に残る。

 読み返してみるたびに、色褪せない漱石の小説世界に、改めて感じ入りました。



 漱石山房記念館を訪れた後ですが、このまま神楽坂に出て、漱石が使用した原稿用紙を扱っている江戸時代創業の文具屋相馬屋をひやかして、『坊っちゃん』の主人公が出身という設定の東京理科大(旧東京物理学校)の近代科学資料館を見学するのも楽しいです。

 または、来た道をもどって、夏目坂の漱石生誕の地の碑を拝んで穴八幡へとお詣りするのもよいでしょう。


 そうそう、漱石山房通りで、にゃあ、と鳴き声が聞こえたら、こっそり歓迎されてるみたいですよ。

 訪れた時には、そっと、耳を澄ませてみてください。




<新宿区立漱石山房記念館 新宿区>

最寄駅 東京メトロ東西線 早稲田駅・神楽坂駅


新宿区立漱石山房記念館のホームページで詳細をご覧いただけます。

https://soseki-museum.jp/


<今日買った本>

『新宿区立漱石山房記念館』

新宿区文化観光産業部文化観光課 編集

公益財団法人新宿未来創造財団 発行

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