四十五箇所目 市川市文学ミュージアム 市川市

 真間の手児奈てこなの昔から、市川の辺りは浪漫溢れる文学の地でした。

 小岩には北原白秋が紫烟草舎を結び、船橋には太宰治が夾竹桃を植え、菅野に幸田露伴親娘が慎ましく住まい、そして、市川八幡には永井荷風が永眠するまで長きにわたりこの地に馴染み暮らしました。


 永井荷風は近代日本文学の著名作家としてその作品は知られていましたが、生涯独り暮らしという生き方が注目されはじめてから、自由気ままな独り暮らしという彼のライフスタイルが、改めて脚光を浴びるようになりました。

 代表作の一つ、日本の近代史を暮らしぶりの中に見ることのできる日々の記録『断腸亭日乗』には、当時の市川界隈の様子も描かれています。


 今日は、そんな文学者達に親しまれた地市川の、市川市文学ミュージアムへ本を買いに行きました。

 市川市文学ミュージアムは、メディアパーク市川(市川市生涯学習センター)の2階と3階です。

 2階は常設展、企画展などの展覧会開催の展示スペース、3階は資料室になっています。


 そういえば、永井荷風は、2013年に開館以来既に2回企画展が開催されています。

 人気者ですね。


 そんなことを思ってましたら、ああ、いました。

 文学ミュージアムの入っているメディアパーク市川のエントランス広場のベンチに、御本人が。


 ベレー帽に、丸眼鏡、蝙蝠傘こうもりがさに買い物かご、そして、照っても降ってもどんな日和でも歩けるようにとの日和下駄ひよりげた

 大きな足にぴったりはまって、靴のような窮屈さとは無縁なのが下駄のよいところ。

 買い物かごには、今夜のお菜の包みが入ってるみたいです。


 おや、誰かと待ち合わせでしょうか。

 懐中時計を取り出して、時間をみています。

 時計をしまうと、立ち上がりました。


 市川界隈に居を定め、気ままな独り暮らしを決め込んだ永井荷風――荷風氏は、館内へと入っていきました。

 一階の図書館へは立ち寄らず、階段を上っていきます。

 私の目的地、市川市文学ミュージアムのある二階へ。

 二階へついて、右手が受付とミュージアムショップ、そのまま進むと通常展示フロア、そして、右手に企画展示室が二つ並んでいます。

 三階は資料室で、関連資料を閲覧できます。


 施設案内のリーフレットを見ているうちに、荷風氏は、ささっと展示室へと入っていってしまいました。

 私も慌てて後を追おうとすると、

「受付してください」

 と呼び止められてしまいました。


 そっか、荷風氏は、このミュージアムの顔だもの、正しく顔パスなわけね、と納得して、私は入場料を支払いました。


 通常展示フロアには、市川所縁の作家たちの等身大パネルが出迎えてくれます。

 残念ながら、記念撮影を一緒に撮ることは禁止されていました。


 そうそう、荷風氏にききたいことがあったんです。

 見失わないようにしないと。


「荷風さん、ちょっと待ってください、あなたの作品読みました。洋行しただけあって、珈琲や紅茶がたびたび出てきますね、作品に。お茶うけのスイーツ、いえ、お菓子は、どんなものを召し上がっていたのですか」


 そう呼び止めると、ようやく足を止めてくれました。

 荷風氏は、買い物かごから、ごそごそと何やら取り出すと、フロアの椅子に置きました。

 それから、蝙蝠傘でとんとんと床を搗いて、ふいっ、と煙のようにいなくなってしまいました。

 呆気にとられて立ち尽くすこと約1分。

 椅子に歩み寄って、荷風氏が置いていったものを手にとってみました。


「インスタントコーヒー? それと、無花果のジャム? コンポート? メモがある、昭和二十年十二月初八? 」


 この日付と関連のある荷風氏の作品といえば『断腸亭日乗』。

 これは帰ってから自宅の文学全集に入っていたのを調べてみましょう。

 品物をショルダーバッグにしまうと、企画展示室へ。



 企画展は「櫛とかんざしの物語」


 言葉では言い表せない素晴らしい手わざの粋。

 そこには、髪飾りの小宇宙が展開されていました。


 こちらは決して広いスペースとは言えませんのに充実した展示内容で、小1時間ほどすぐにたってしまいました。


 優れた伝統工芸品の櫛やかんざしは、文学と美術の関連性で見ることでその時代の文化を知ることができる、時代を映す装飾品です。

 展示室には、時代ごとテーマごとの多彩な髪飾り作品が並んでいました。

 以下にいくつか取り上げます。


物語の世界:『源氏物語』『伊勢物語』などの情景や事物の意匠。

ことばの妙:琳派の描いた文字や絵、ことばそのものを意匠化したもの。

伝統芸能の演目文様:人形浄瑠璃や歌舞伎などの古典芸能からの意匠。

江戸の名工たち:著名な蒔絵師たちの粋で華やかな漆工芸の櫛。

黒髪を彩るかんざし:黄楊つげ、玉、金属、ガラス、骨、七宝、鼈甲、象牙等。

細工の極み:仕掛けかんざし。歯車が回転して音が鳴ったり、魚や舟が動いたり。

文人ゆかり:根付師尾崎紅葉の父谷斎の独創的な意匠。

      芥川龍之介のキリスト教作品に見られる悪魔などの意匠。スペイン櫛。

      宇野千代の『色ざんげ』に出てくる薔薇の簪。鹿鳴館でも薔薇が人気。


 他に、公家、武家、商家、花魁などそれぞれの身分に応じた髪飾りのおしゃれの愉しみ方、アンティークなダイヤモンドカットの技法ローズカットの洋ざし、文明開化期の風物の意匠、アール・ヌーヴォー、アール・デコなどの時代の流行を取り入れた意匠のもの、市川ゆかりの洋ざしなどが展示されていました。


 通常展示フロアには、現代に伝わる伝統工芸として、つまみかんざしが紹介されていました。


 企画展のクイズにチャレンジしたので、解答用紙を持って三階の資料室へ。

 参加賞のしおりをもらってから、ミュージアムショップで、永井荷風が愛した花椿と荷風氏がデザインされたクリアファイルと図録を求めて帰路につきました。



 帰宅後、文学全集の永井荷風集に収録されている『断腸亭日乗』を読んでみました。


 「午飯の後、人より恵まれし米国製罐詰をひらく。無花果を煮つめてわが羊羹のやうになせしものと、珈琲となり。珈琲は粉末極めて細微。熱湯にて溶けば直に飲めるものなり。品質善良。」


 昭和二十年二月廿五日には、こんなことが書かれていました。

 「羊羹のやうな」罐詰の果物とは、ジャムのことかでしょうか。

 コンポートだったら実の形はきちんと残ってるはずですし。

 昔はジャムは缶詰になっていて、そこから容器に移して使っていたと、ジャムの歴史の本か何かで読んだのを思い出しました。

 それにしても、昭和二十年に既にインスタントコーヒーがあったというのは驚きです。


 『断腸亭日乗』は、こうした当時の生活物資などが細かく書いてあるのも興味深いいのです。


 では、荷風氏にもらった珈琲を飲みながら、読書の時間といたしましょう。




<市川市文学ミュージアム 市川市>

最寄駅 JR総武線「本八幡」駅他


市川市文学ミュージアムのホームページで詳細をご覧いただけます。

http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul06/litera.html



<今日買った本>

『昭和の市川に暮らした作家』市川市文学プラザ企画展図録②

市川市文学ミュージアム(旧市川市文学プラザ)編

市川市文学ミュージアム(旧市川市文学プラザ)刊


『櫛とかんざしの物語』市川市文学ミュージアム図録6

市川市文学ミュージアム編

市川市文学ミュージアム刊




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