四十二箇所目 長浜城歴史博物館 長浜市
「近い、こんなに近かったんだっけ」
私は思わず呟くと、電車の窓に顔を近づけて、それから慌ててスマホを外に向けました。
じき長浜駅というところで、琵琶湖はぐっと車窓に近くなります。
米原で乗り換えて、途中、幾筋かの川を渡って列車は進んでいきます。
その川は、全て琵琶湖に注いでいるとのこと。
ただ一筋、湖南の瀬田川をのぞいては。
川辺にはサギの姿をよく見かけました。
鳥が多いということは、エサになる生きものが多いということです。
琵琶湖が、美しさと清らかさを取り戻しているという証です。
湖東から湖北への道のりは、窓外に気をとられているとあっという間です。
長浜だな、との感慨は、まずは駅に着く前の琵琶湖。
そして、東に聳え立つ威容、伊吹山。
新幹線から見える姿とはまるで違う姿に、一瞬、戸惑ってしまいます。
琵琶湖との一瞬の邂逅、そして、列車はは長浜駅へと滑り込んで行きます。
両親の故郷福井へ行くには、北陸新幹線のできる前は、米原から雷鳥――サンダーバードに乗り換えて行くのが通常の行程でした。
長浜は、両親の故郷への通過駅にすぎなかったのです。
後には、琵琶湖、とくに湖北といえば、白洲正子の描いた「かくれ里」のイメージになりました。
また、琵琶湖、湖北への興味がいっそう魅かれるようになったのは、伝承行事の「オコナイ」です。
都内京橋のLIXILギャラリーへ立ち寄った際に、過去の展覧会のブックレットの展示コーナーで目に入ってきたのが、『オコナイ 湖国・祭りのかたち』(中島誠一監修 INAX出版刊)です。
その本によると、オコナイとは、豊作と安全祈願の祭りで、一月から三月にかけて行われます。
とくに盛んなのは、琵琶湖の湖北地域と内陸の甲賀地域と記されていました。
オコナイという耳にしたことのない言葉、湖国という響き、そして表紙の写真に居並ぶ、正体不明の白くて大きな円柱。
琵琶湖には、ずいぶん変わった風習があるようだと、印象的な出会いでした。
本を読み進めると、謎が解けました。
湖国とは、日本で一番大きな湖、琵琶湖のある滋賀県のこと。
正体不明の円柱は、オコナイのお供えもの「御鏡」。
つくというより杵でこねていく、独特のつくり方をします。
約20センチ四方の本の見開きページを占める白い御鏡。
ページから荘厳さが伝わってきます。
と同時に、神様は大食漢なのだなと、少し微笑ましくもなりました。
古式を伝え、湖北で最も大きなオコナイが行われるのが、長浜の川道神社のオコナイだそうです。
さて、長浜駅に降り立ち、観光案内所で地図をもらい、ロッカーに荷物を入れて、今回の旅の道連れ母のたつての希望で、まずは焼鯖素麺を食べに行くことにしました。
エスカレーターで駅前ロータリー側に降りて、「三献の茶」の逸話をモチーフにした豊臣秀吉と石田三成の銅像を見ながら、駅前通りを進んで行きます。
焼鯖といえば、両親の、とくに母の故郷越前大野では、
長浜の焼鯖はどんな味なのでしょう。
母は以前食べたことがあり、あまりの美味しさにもう一度食べに来たいと望み、今回の訪問となったのです。
そういえば、
水の都大野では、その水を存分に使って作られていて、冬にこたつにあたりながら容器から直接ヘラですくって食べます。
つるんとした舌触りで、北陸の小京都ならではの品のいいやわらかな水ようかんです。
滋賀の丁稚羊羹は、竹皮に包まれていて、皮を開けると竹皮の筋のついた羊羹が表われます。
素朴ながらもねっとりとした甘さで、食べると元気が出そうな味わいです。
そんな丁稚羊羹談義を母としながら駅前通りを歩いて行きますと、交差点に印象的な建物が表われました。
左手に電波アンテナのようなものを頂く長浜タワービル、右手にカフェになっている長浜旧開智学校。
この不思議な風情溢れる長浜タワービルの角を左に入ると、北国街道沿いに広がるレトロモダンの街並、黒壁スクエアです。
黒壁スクエアの通り沿いの古民家のお店で、焼鯖素麺を食べました。
見かけはそう量があるようには見えなかったのですが、素麺にぎゅぎゅっと焼鯖の旨味が凝縮されていて、食べ終わる事には満腹になっていました。
完食すると、思わず笑みがこぼれるような満足感です。
力が湧いてきます。
ここで、寿司は別腹が発動です。
長浜で焼鯖素麺を食べたら、焼鯖寿司も欠かせません。
母が、自分がおごるからと追加注文した焼鯖寿司をつまみながら、地図を広げて、長浜散策のコースを練りました。
今日は、竹生島に行く予定もあるので、船の時間までに、黒壁スクエアをぶらぶらして、豊公園の長浜城歴史博物館に寄って、それから港に向かおうということになりました。
黒壁スクエアで、ガラス細工の煌めきに癒されてアクセサリーを求めてから、長浜城歴史博物館へ向かいました。
長浜城歴史博物館は、琵琶湖畔の豊公園に建っています。
豊公園には猿がいました。
ゆかりの地といえばそうなるのでしょうが、何処の山から連れられてきたのでしょうか。
城に猿といえば、小田原城にも猿がいました。
城と猿。
何かゆかりがあるのでしょうか。
長浜城は、小谷城の戦で功績を認められた羽柴(豊臣)秀吉が築いた城です。
その跡地に建っているのが長浜城歴史博物館。
城郭を模して建てられた五階建ての城型博物館です。
館内では、秀吉や長浜関連の歴史が展示されています。
五階の展望台からは、長浜の町まわりを、琵琶湖、伊吹山、賤ケ岳と、歴史風景をぐるりと見ることができます。
館内に入るとエントランススペースが広がり、受付とミュージアムショップがありました。
ミュージアムショップでは、石田三成グッズが推されていました。
ここに来るまで、長浜が、三成で萌えていたのを知りませんでした。
私は、今回の企画展の本と企画展の記事が載っている「長浜城歴史博物館友の会の友の会だより」を入手しました。
一階の受付でチケットを購入し、二階の展示室へ。
二階は常設展示「湖北・長浜のあゆみ」が展示替えされながら紹介されており、湖北・長浜の歴史、文化が学べるようになっています。
今回こちらに立ち寄った目的の一つは、この二階で開催されている企画展の「新指定文化財展」です。
湖北の「かくれ里」、重要文化財景観の菅浦の「菅浦文書」の実物が見られると知り、これはぜひ見たいと思っていました。
中世の「惣」という形態の当時の村落社会で起きた訴訟などの文献が展示されていました。
湖底遺跡も発見されているとのことで、琵琶湖に関して新たな興味の扉が開きました。
特別陳列の「長浜の考古資料展」、三階展示室の常設展示「秀吉と長浜」を興味深く見学しながら、四階の茶室を過ぎて五階の望楼へ上がっていきました。
戦国パノラマ展望台と銘打たれただけあって、望楼をぐるりと回ると、戦国時代の舞台となった景色を見渡すことができます。
先客がいました。
物静かな佇まいの青年です。
腕組みをして見つめているのは、小谷城跡の方角でした。
物思いに耽っている様子なのを邪魔しないようにと、遠慮がちに記念撮影をしていましたら、青年がこちらを向いて、表情を崩さずに無言でシャッターをきる仕草をしました。
なんとなく通じるものがあり、私は母と一緒に琵琶湖を背景に記念撮影をしてもらいました。
青年にお礼を言ってから、もう一度展示を見ながら一階へもどりました。
一階のエントランススペースにあるミュージアムショップに、先ほどシャッターを押してくれた青年がいました。
ミュージアムショップの商品を眺めています。
真剣な眼差しに声をかけるのも憚られました。
しばらくしてから、青年は、「大一大万大吉」の旗印がデザインされたメモ帳とクリアファイルを手にとり、無言で店員に差し出しました。
それから、青年は、領収書に一筆したため、すっと去っていきました。
気になり目を細めて領収書をのぞき見ると、歴史書で見たことのある花押が記されていました。
私は慌てて青年の姿を追って館外へ出ましたが、彼の姿はどこにも見当たりませんでした。
ただ、猿の呼ばうような鳴き声が、聞こえてくるだけでした。
<長浜城歴史博物館 竹生島 長浜>
最寄駅 JR北陸線「長浜」駅
長浜城歴史博物館のホームページで詳細をご覧いただけます。
<今日買った本>
『菅浦文書が語る民衆の歴史――日本中世の村落社会――』
長浜市長浜城歴史博物館 企画編集
サンライズ出版 制作
長浜市長浜城歴史博物館 発行
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