三十二箇所目 世田谷文学館 世田谷区

 京王線芦花公園駅北口から、ゆるやかな坂道を下っていくと、ふいに樹々のみずみずしい緑の向こうに、近未来的な建物が現れます。


 ここは美術館?


 誰しも、一瞬、首をかしげるのではないでしょうか。


 建物の入口に続く小径の左手には、ゴージャスな錦鯉たちの泳ぐ池があり、日本庭園があり、その向こうは老人ホームになっています。

 館内のくつろぎスペースから眺めると、その庭が借景になります。

 それは、庭をはさんだ向こう側にある建物からも、こちらの近未来的な建物が借景になっていることでしょう。


 空間と時間の交差する場所。


 その場所に、世田谷文学館は、建っています。


 人間の内面世界の表現物を展示するのに、ここは、ふさわしい場所と言えるのではないでしょうか。


 そう思いながら館内へ入ると、エントランスホールが広がっています。


 正面に受付、左手にミュージアムショップ、ショップは以前は、受付の横と左手に分かれていたのが一か所にまとめられていました。


 ちらっと目をやると、文学館のショップらしく、オリジナルグッズや過去展の図録、絵葉書、マスキングテープ、文具などとともに、本がたくさん並んでいます。

 以前の企画展「澁澤龍彦 ドラコニアの地平」の絵葉書が美しいな、と思いつつ、まずは展示を見ましょうと、ショップに惹かれそうになるのをこらえて、二階の展示室へ。


 訪れた時の企画展は、「花のいのちは短くて」の詩でよく知られる、生まれながらの放浪者林芙美子について紹介した「貧乏コンチクショウ――あなたのための人生処方箋――」展でした。


 現在では豊かな住人の住むイメージの世田谷区で、「貧乏コンチクショウ」と言い切る企画展というのもおもしろいです。


 林芙美子は、その出生地は門司とも下関ともいい、幼少期は親の行商生活で、後に職を転々としながら絵、詩、童話などを書き続けた、生まれながらに放浪する運命を持った作家です。

 さまざまな苦労からか難ありの部分もあったようですが、書くことに自らを捧げた人生でした。


 世田谷には、詩人との同棲時代に暮らし、ご近所さんには、『二十四の瞳』の作者壺井栄やプロレタリア文学の著名作家平林たい子がいました。

 そうした作家仲間に支えられながら、病弱な詩人の夫の横暴さに耐えながらの日々を太子堂の二軒長屋でおくりました。


 世田谷を出てから後、画家の夫と出会ってからようやく新宿区中落合に自宅を構えて落ち着きました。

 彼女が自分好みに設計し、四季折々の花の咲く庭木に彩られた、生前の住居をそのまま記念館にした林芙美子記念館があります。

 

 展示品の中の彼女が描いた油絵の自画像は、マティスのような色彩を思わせ、絵も上手だったと言われる才能の片鱗を伺わせます。


 「コンチクショウ」をはじめ、彼女の作品には、時に乱暴な言葉が出てくるのですが、彼女がつぶやくと下品にはならないのが、生まれ持っての矜持の成せるわざではないでしょうか。

 地方の町の学校で、先生に認められ才能を愛でられた彼女は、でも、決してただの優等生ではありませんでした。

 ちゃんと彼氏もいて、当時は、さぞや目立ったことでしょうが、どこ吹く風の一途な乙女心の青春を歩んでいたのです。


 彼女の代表作『放浪記』を始めて読んだのは、中学生くらいだったと思います。

 家にあった文学全集に収録されていたのを読みました。

 日記文学という形態もめずらしく、また、軽やかで読みやすい文体に、するすると読んでしまいました。

 内容は、おおよそ、中学生の生活からはかけ離れたものでしたが、それでも、どん底生活を生き生きとやり過ごしていく彼女の様子が目に浮かんでくるようでした。


 彼女の作品を読んで、尾道という街を知りました。

 後に、大林宣彦監督の映画を観て、文学と映画の街尾道へはぜひ行かねばと思い、ふらりと出かけたことがあります。

 聖地巡礼ですね。

 尾道は、猫がたくさんいました。

 駅前に、林芙美子の銅像がありました。

 千光寺のロープウェイに乗って、山にのぼりました。

 山頂からの眺め、縫うような尾道水道、その先が海という景色は、自分の知る開けた海と違うことがとても印象的でした。



 さて、前振りが長くなりました。



 企画展の入り口の壁に詩の描かれたエントランスを抜けて、会場内へ。

 このエントランスの表現方法も素敵でした。


 入ってすぐのところに、自伝日記『放浪記』の初版が展示されていました。

 改造社から刊行された『放浪記』ですが、改造社の新鋭文学叢書シリーズの表紙は、モボモガの闊歩した時代、モダニズムの時代、最先端のロシアアヴァンギャルド風の装幀で、おしゃれです。

 モダニズム、アナーキズム、プロレタリア、当時の先端文学者は、みなさん、左寄りでした。

 軍靴の音とともに、作家たちは次々と投獄され、あるものは獄中死し、あるものは転向を余儀なくされていきました。

 彼女は、先の大戦中、ペン部隊として南方に渡ったのですが、必ずしも戦意高揚を促したということではなかったようです。

 表現者たちは、戦争とはかくもろくでもないと、心のうちでは思っていたのでしょう。


 林芙美子は、旅もよくしました。

 国内はもとより、シベリア鉄道に乗ってパリへ、戦時中はペン部隊として南方へ。

 その旅のおともとなったバッグやくつ、下駄、茶色の千鳥格子のコートなどが「ひとり旅」のコーナーに展示してありました。



 大きな茶色いトランク、スーツケース、ボストンバッグ、ハンドバッグ。

 作家とともに、旅をしたのだなと、感慨深か気に眺めていましたら、ガラスケースの向こうにゆらゆらと立ちのぼる人影が。

 展示してあった千鳥格子のコートをまとい、トランクに腰かけた小柄な女性が、下駄をはいた足をぶらぶらさせています。

 モダンな断髪に、丸メガネ。

 メモを片手に、なにやら思いついたことを、書きつけています。

「あの、もしや」

 と、声をかけようと思ったところで、彼女はすっと立ち上がり、遠くの誰かに手を振って、ふっと消えていなくなってしまいました。



 展示物のところどころに設置されている「コンチクショウカード」

 作品の一節をカードにして展示する方式は、大岡信ことば館でもやっていました。

 絵画や彫刻などの芸術作品ではないものを展示する方法として、作品を手に取る呼び水として、なかなかいいなと思いました。


 当初、気に入ったカードだけ持っていこうと思っていたのですが、気が付けば全てを手にしてトランプカードのように並べてほくそえんでおりました。


 「コンチクショウカード」計20枚を手にして、一階のコレクション展へ。



 文学館のコレクション展は、今回は、ドクトルマンボウこと北杜夫展と、自動からくり人形作家武藤政彦氏のムットーニコレクション展が開催されていました。


 ムットーニコレクションは、以前、萩原朔太郎の「猫町」と中島敦の「山月記」を見たことがありました。


 現在の展示作品は次の三作品です。


「アトラスの回想」 原作:中原中也 「地極の天使」

「蜘蛛の糸」    原作:芥川龍之介「蜘蛛の糸」

「題のない歌」   原作:萩原朔太郎「題のない歌」


 鑑賞した際のイメージ。


「アトラスの回想」

  荘厳な教会音楽、賛美歌、地球の中心にいるようだ。

「蜘蛛の糸」

  水滴の打擲音、罪人の永劫の時間、時間の胡散霧消していく感覚。

「題のない歌」

  汽笛の長鳴き、引き潮満ち潮、汽笛が鳴るたびに引き潮にひかれていく感覚。


 ムットーニ作品は、文学作品を、声と光と音と楽の音と無機物の存在感で表現した作品です。

 文学を味わうのに、こういう方法があったのかと、興味深い作品です。


 武藤氏の声がよいのですよ。

 人間の声は有機物で、楽器や何かの音とは違うというのが、はっきりとわかります。 

 新たな表現の地平線が見える、触れられる、そんな気分にさせてくれます。

 訪れた際には、ぜひ、体験してみてください。



 さて、ひとわたり鑑賞したところで、お茶でもいたしましょう。

 喫茶スペースの喫茶どんぐりで、甘いものをいただきます。


 ここに来ると、まずは、ゴジラくんにご挨拶します。

 なぜゴジラがって?

 それは、世田谷が、円谷プロの地、ウルトラマンの生まれた地、特撮ゆかりの地だからです。

 以前の企画展でも「第8回世田谷フィルムフェスティバル 不滅のヒーロー ウルトラマン展」や、「日本SF展・SFの国」などで特撮が触れられていました。

 レトロSF好き、人外生きもの(含あやかしetc)好きとしては、楽しいことこの上ありません。

 「日本SF展・SFの国」では、撮影OKのコーナーが設営されてまして、ウルトラマンやゴジラ、怪獣たちを拝見に、記念撮影しました。



 ミュージアムショップでは、今回の企画展オリジナルグッズ(弱いのです、オリジナルとか限定とか……)の「林芙美子コンチクショウの詩・手帖」と、林芙美子も載っている過去の企画展の図録『「青鞜」と「女人芸術」時代をつくった女性たち展』を求めました。


 『青鞜』『女人藝術』と並ぶと、フェミニズムや強い女性などを思い浮かべるかもしれませんが、実際は、表現者として生きたい女性の、それこそ「太陽」のような存在だったことでしょう。

 図録の目次に並ぶ女性作家は、そうそうたるメンバーです。

 お嬢さま作家とから、地を這うような生活の「貧しき人々」の世界で生きる女性作家まで、それぞれ境遇の違いはあれども、生きる道を模索し作品に昇華させ、正しくペンで生きていたのです。



 帰り際に、一階奥の「ライブラリーほんとわ」へ立ち寄りました。

 子どもが子どもに読み聞かせをしている声をBGMに、過去の企画展の関連資料を手にとり、しばし読書の時間を楽しみました。



 今年度は、これから、「BE MY BABY 信藤三雄 レトロスぺクティブ」「筒井康隆展」「ヒグチユウコ展 Circus」など、バラエティに富んだラインナップの企画展が開催されます。



 また、ゆっくり訪れたいです。




<世田谷文学館>


最寄駅 京王線「芦花公園」駅

世田谷文学館のホームページで詳細をご覧いただけます。



<今日買った本>


『林芙美子コンチクショウの詩・手帖』

世田谷文学館製作

世田谷文学館発行


『「青鞜」と「女人藝術」 時代をつくった女性たち展』

世田谷文学館編

世田谷文学館発行

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