三十三箇所目 旧古河庭園 駒込
春薔薇は艶やかに、秋薔薇は匂やかに、薔薇の季節は、謳うような浮き立つ気持ちになります。
今回は、春薔薇の便りに誘われて、旧古河庭園へ本を買いに訪れました。
山手線駒込駅で降りて改札を出て、そのまま右へ進んで歩いて行くか、左へ進んでバスで行くか、お天気と気温と相談して、その日は、コミュニティバスに乗り込みました。
高低差のある道を進んで5分ほどで到着です。
バラフェスティバル開催中ということもあり、園内には多くの人が思い思いに散策し、バラを愛でながら楽しんでいました。
園内の邸宅は明治の元勲陸奥宗光の邸宅でしたが、彼の次男が古河家の養子になって、古河家の所有になったそうです。
現在の洋館と洋風庭園は、イギリス人建築家のジョサイア・コンドルの設計です。
彼は、明治から大正にかけて、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園などを手がけ、日本の建築界に多いに貢献しました。
洋館は、山小屋風な急勾配のスレート葺で、建物は煉瓦造り、外壁はそぼ降る雨にシックに変化する真鶴産の赤味を帯びた新小松石(安山岩)の石造りです。
洋庭のつくりは、平面幾何学式模様という整形式花壇(別名フランス式花壇)で、今を盛りと薔薇が咲きほころんでいました。
旧古河庭園は、現在9箇所ある都立文化財の庭園の一つです。
洋風庭園の外に、高名な庭師による回遊式庭園にお茶室もあります。
春と秋のバラフェスティバルの期間には、庭園内に臨時売店がオープンします。
薔薇の香気を味わえるスイーツやジェラート、ジャムなどが限定販売されます。
以前、パパメイアンのジャムをいただいたので、今回は芳純を求めました。
庭園内でも麗しく咲いている芳純。
芳純は、ダマスククラシックという、バラのもつ芳醇な香りを堪能できる、いわゆるバラらしい香りをしています。
香料は一切使わず、国産のバラの花びらでつくられています。
花びらは、びんの中で、ビロードのような光沢を見せて眠っています。
高貴な薔薇の甘くふくよかな香りは、至福のスイーツタイムを演出してくれます。
それにしましても、庭園で本を扱っているのでしょうか。
観光案内のような図録はあるかなとは思っていましたら、はい、ありました。
受付のガラス窓の前に、見本誌が置かれていました。
『旧古河庭園 和と洋が調和する大正の庭』
これは、旧古河庭園の案内図録です。
薄い冊子ですが、カラー写真がふんだんに使われた美しくわかりやすい図録です。
それから、ふと目にとまったのは、あざやかな空の色を背景にしたピンク色の薔薇。
『ROSE 旧古河庭園のバラ』
こちらは、庭園のバラに焦点を当てた冊子です。
庭園の歴史や洋館について触れた後に、バラの系統、花びらの形、花の形、色、香り、お手入れ、名前の由来、庭園を代表するバラについて記されています。
美しいバラの写真がたくさん載っていて、説明もていねいでわかりやすく、庭園のバラを愛する人たちの手による本なのだということが伝わってきます。
この冊子で特筆すべきことは、バラの香りについて監修者をつけて解説していることだと思いました。
こちらは、窓口で都立公園サポーター基金に寄付をすることでいただくことができます。
さて、薔薇といえば、香りです。
香りのあまりないものから、さわらかな野辺のバラの香り、そして一嗅ぎで馥郁とした薔薇の園に迷い込んだような心持ちにさせてくれるダマスク系のバラの芳香。
バラの庭園を訪れた時には、ぜひ、一輪ずつ匂いをかいでみてください。
バラの匂いを嗅ぎ分けて、時が過ぎゆくのに気付かず、黄昏時を迎える。
そんな日があってもいいかもしれません。
そう思いながら、庭園のバラの匂いをかいでまわっているうちに、ざぁーっと時ならぬつむじ風が吹き抜けていきました。
つば広の帽子を連れ去られそうになり、慌てて抑えてかがみ込んだところ、風にざわめいた葉音が止んだ辺りから、女の子の声が聞こえてきました。
「おねえさまー、エルシーおねえさまー」
女の子がお姉さんを呼ぶ声がします。
声の方を向くと、黄金色の長い髪をたらした白人の少女が、バラを絡めたスタンドの向こうに、館を背景に佇んでいます。
先ほどの吹き抜けた風は、時間を連れ去ってしまったようで、辺りは黄昏時に染まり始めていました。
「フランシス、こっちよ」
少女の声は、澄んでいて、よく響きます。
「早く来て、逃げてしまうわよ」
――逃げる?何が?――
と、声をかけようとして、思いとどまりました。
たいてい、こういう黄昏のあわいの時間に起る不思議に出会った時には、人間は介入してはいけないのです。
不思議の相手が弱ければ、人間をおそれて消えてしまうでしょう。
でも、不思議の相手が強ければ、生贄にされてしまうかもしれません。
次元の狭間で引き裂かれてしまったり、連れていかれてしまって忽然と消えてしまう人間の逸話は、枚挙にいとまがありません。
フランシスと呼ばれた少女は、花冠を頭にのせています。
憂さを忘れる薬草、心地よくなる香り花、眠りを誘う香り草を編んだ、ガーランドティアラ。
花冠を戴くというのは、普通の生活ではありえません。
遊びの中でならあるでしょう。
遊びの時間に住む少女たち。
花冠は、浮世離れしているという証です。
それが、印となるのです。
浮き世を離れてもいいですよ、という印。
少女フランシスは、バラに顔を近づけて、こくびをかしげてポーズをとります。
おねえさまと呼ばれていた少女エルシーは、旧い型のカメラを構えて、花冠の少女を何枚も撮影しました。
黄昏の薔薇の庭に響くシャッター音。
音がするたびに、小さな羽虫の羽ばたきが、耳につくようになっていきました。
羽ばたきの合間に、聞いたことのないような、古い英語のような言葉が混ざっていたような気がしましたが、やがてそれも消え、シャッター音もしなくなり、再び吹き過ぎた風が運んできたのは、一枚の写真でした。
黄昏は去り昼下がりにもどり、陽の光の下で写真は、見る間に黒く焼けて灰になってしまいました。
一瞬だけ見ることのできた写真には、どこかできっと見たことのある、少女と羽のある小さな人が薔薇とともに写っていました。
コティングリー妖精事件、みなさんは、ご存知でしょうか。
1917年、イングランド北部にあるコティングリー村に住む当時16歳の少女エルシーと、その従姉妹である当時9歳の少女フランシスが、妖精を写真に撮ることに成功したとしてその写真を公表し、コナン・ドイルもそれについて大真面目に論じたというセンセーショナルな出来事です。
その妖精写真は、現代の目で見れば、明かに合成だと思われます。
しかし、妖精の存在を信じたいという心のなせるわざか、当時は、それが、本物だと思われたのだそうです。
本当のところは、どうだったのでしょう。
謎は謎のままに。
人が明かさないことで、科学で証明しようとしないことで、姿を見られるものもあるのかもしれません。
少し頭を冷やしましょう。
バラの花びら入りのジェラートを求めて、木陰のベンチで、庭園を眺めながらいただきました。
秋薔薇の季節にも、花冠の少女たちを、妖精写真を、見ることができるでしょうか……
<旧古河庭園>
最寄駅 山手線「駒込」駅他
旧古河庭園のホームページで詳細をご覧いただけます。
<今日買った本>
『旧古河庭園』
内田博之・ズアン編集・デザイン
ヘルプラインジャパン英訳
櫛引典久写真
河原武敏監修
公益財団法人東京都公園協会発行
『ROSE 旧古河庭園のバラ』
公益財団法人大谷美術館・京成バラ園芸株式会社・古河機械金属株式会社・東京大学大学院工学系研究科建築学専攻・株式会社造園植治協力・資料提供
旧古河庭園サービスセンター
公益財団法人東京都公園協会発行
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