二十一箇所目 東京藝術大学附属図書館 上野

 さて、なつさんこと樋口一葉は、上野の東京図書館によく通っていました。


 日本の所謂いわゆる図書館の歴史は、明治以降からと、浅いものです。


 当初は、現代のような利便性に富んだ施設ではありませんでした。


 けれども、書物を手元に置くことがままならないどころか、読むこと自体もままならなかった時代の長かった一般の人々にとって、図書館は、書物、紙媒体の資料を気兼ねなく閲覧できる貴重な場所でした。


 図書館通いを頻繁にしていたなつさん。


 聡明な彼女は、綿が水を吸うように、知識を吸収していったことでしょう。

 

 彼女の日記に、最初に図書館の記述がみえるのは、明治24年の6月10日です。


「十日 朝より空くもる ミの子ぬしとゝもに今日は圖書舘に書物ミに行んの約成しかは(ば)序をもて灸治にも行かは(ば)やとてひるより家を出て下谷に行く 二時頃よりミの子ぬしと共にと(圖)書館に行 六時歸宅す」 「若葉かけ」六月

 

 女友だちと図書館に行く約束をして、一緒に出かけたのですね。


 その後も、図書館通いの記述はしばしば見られます。


 ただ行ったという記述の時もあれば、当時の図書館の様子を記したものもありま

す。


 現代と違って、明治時代の図書館、日本の図書館黎明期の図書館は、勝手も違っていたようです。

 

「圖書舘は例(注:閲覧室二階婦人席)之いと狭き所へをし入れらるゝなれは(ば)こそ <中略> いつ來りてミるにも男子はいと多かれと(ど)女子の閲覧する人大方一人もあらさ(ざ)るこそあやしけれ」「わか艸」明治24年8月8日


 女性は二階の婦人席での閲覧で、当時はまだ男女席を同じゅうせずということだったのですね。

 それに、利用者は圧倒的に男子優勢、なつさん、どぎまぎしながら利用していたようですよ。


 ところで、なつさん、ただ本を読むためだけに行っていたのでしょうか。


「十六日 晴天 圖書舘へたねさか(が)しに行く 春雨ものか(が)たり」丈山夜譚及び哲學會雑誌なを(ど)を見る」「につ記」明治25年9月16日


 「たねさがし」

  

 そうです、「ネタ探し」ですね。


 その点は、今も昔も変わりません。

 

 そういえば、せっかく行ったのに曝書で閉館中で仕方なく帰ったとか、図書館にこもって読書をしていると眠くなる、なんてことも書いていましたね……


 え?これでは、つきまとい?


 生温い風が、頬を撫でていきました。


 なつさん、いたんですか。


 今は亡き過去の偉人、著名人の行動パターンを追うのは、学究的な行為であり、何の不都合もないと思うのですが。


 え、そうでもないですか、そっとしておいてほしい?、そうですか、なつさん。


 では、ここらでやめておきましょう。


 なつさん、聞き上手なので、つい調子に乗ってしゃべり過ぎてしまいそうですし。


 では、ご一緒に、と、明治時代の東京図書館のあった場所、東京藝大音楽学部にご案内しましょう。


 音楽部の門を入って、左手に進んでいくと現れる、煉瓦造りの建物が、なつさんが通っていた東京図書館の一部だったとのことです。


 なつさんは、しばし佇み建物を見上げてから、一礼すると、すっと中へと入っていきました。


 扉、開いてなかったのですが。


 よく晴れた昼下がり。


 建物を背にして歩き出すと、首筋をすっと撫でるように風が通り過ぎました。

 

 振り返ってみると、先の建物の二階に、なつさんの横顔が見えました。


 手には重そうな壊れそうな本を持って、熱心に文字を追っているようでした。



 さて、では、向かいの美術学科のミュージアムショップにでも寄っていきましょう。

 展示物の図録は貴重な資料になるものもあって、少々値がはってもつい買ってしまいます。

 気をつけないと。


 横断歩道を渡り、構内へ入ると、左手に図書館、右手が美術館です。


 目に入ってきたポスターで、東京藝大の秋のイベント藝祭が近いことを知りました。


 目をひいたのは、図書館のイベント。

 図書館引越しに伴い、「本が消える奇跡の一瞬を利用して」、古書バザールが開催されるとのこと。


 藝大の図書館の中に入れるというのは、魅力的です。


 そして、バザールですから、本も買えるというのは、もっと魅力的です。


 では、と、そのイベントの情報を、紙媒体、web媒体で収集しながら、その日は帰路につきました。



 藝祭に訪れたのは、秋晴れの空の高い日でした。


 「本のない図書館WEEK」のリーフレットを手に、いざ、東京藝術大学附属図書館へ。


 門を入ってすぐの右側、美術館の入り口の前に、巨大オブジェの展示物があり、人だかりがしています。


 こう、人が多くてにぎやかでは、なつさんも出るに出られずではないかと思っていたのですが、いました。


 やはり図書館に興味があるようです。

 

 オブジェとは反対側の、附属図書館の入り口に、地味な着物姿で立っていました。


 図書館のエントランスには祭りのにぎわいはなく、玄関ホールの展示物もひっそりとしていました。

 不可思議なオブジェがそびえる脇の階段を上がって二階の会場へ。


 二階に上がると受付があり、右手の空間は、一部書架が取り払われ、展示スペースとなっています。


 左手の奥の部屋が、古書バザールのコーナーです。

 思ったより、人がいました。

 教授陣の蔵書も放出されているようでした。


 なつさんは、すーっと古書の方に引き寄せられていきました。

 自分と同世代の本はないかと探しているようでした。

 さすがに明治時代のものは見当たりませんでしたが、あ、でも、初日に来ていたらあったのかもしれません。


 私は、小正月のまゆだまの写真に魅かれて手にとった一冊他を抱えて受付に行き、手続きをしてから展示スペースへ向かいました。


 なつさんはもう少し本のそばにいたいとのことなので、では、また、と挨拶を交わして別れました。


 書架が片付けられているすっきりとした空間に、他大学とのコラボ展示がされていました。


 大小の白い紙束を好き放題破ることのできる作品があって、ここぞとばかりに、思いっきり、ベリッ、バリッ、とやってきました。


 アート表現の一つとしてのアートブックの展示は、空っぽの書棚にディスプレイされているのが、葉の落ちた森のようでした。


 道しるべのないアートの森を、目印のパンくずを拾うように、アートブックを広げて見ながら、とぼとぼと歩き回りました。


 微かに流れてくる蓄音機の音色は、寄贈されたSPレコードのコレクションとのこと。


 大学のぬるい空気の中での非日常。


 なつさんも楽しんでいるといいのですが。




<東京藝術大学附属図書館 上野>

最寄駅 JR山手線「上野」駅他

関連ホームページで、詳細をご覧いただけます。


<今日買った本>

『月間文化財 一月号』(昭和五十八年一月一日発行)

文化庁文化財保護部 監修 

第一法規出版株式会社 発行 


追記

今回は昨年秋の話です。




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