二十箇所目 台東区立樋口一葉記念館 台東区

 

 その人の名は、なつさんと申しました。


 なつさんとは、上野の国際子ども図書館へ訪れた折に、エントランスの大階段の途中で、迷子になって戸惑っているところに声をかけたのがおつきあいの始まりでした。


 なつさん、かつて帝国図書館だった現国際子ども図書館を、ご自分が通っていた東京図書館と勘違いしていたようでした。


 無理もありません。


 東京図書館も帝国図書館も、東京藝大からの地続きのところにあるのですから。


 なつさんに、東京図書館は、今は建物しか残っていないと説明しようと思いましたが、考えてみれば、なつさん自身、今も昔もない身なので、余計なことは言わずに、場所だけお教えしました。


 なつさん、ていねいにお辞儀をされて、そのまま、ふわりと消えてしまいました。


 さて、なつさんの正体は?


 なつさんは、明治の文豪森鴎外にも注目され自分達の文学仲間に入れたいと強く願われていた才女、樋口一葉です。


 古文に見られる雅文体で書かれた一葉の小説は、いささかとっつきずらいかもしれません。


 古めかしくて、固い感じがするかもしれません。


 けれども、その日記は、雅文体ではあるものの、若い女性のブログといった趣もあって、読むものを飽きさせません。


 ちょっとみてみましょう。


「としハ二十七とか 丈たかく色白く女子の中にもかゝるうつくしき人ハあまた見か(が)たかるへ(べ)し 物いひて打笑む時頬のほとさと赤うなるも男にハ似合しからねとすへて優形にのど(ど)やかなる人なり かねて高名なる作家ともおほ(ぼ)えす(ず) 心安け(げ)におさなひ(び)たるさま誠に親しみ安(易)し 孤蝶子のうるはしきを秋(旧字)の月にたとへは(ば)眉山君は春の花なるへ(べ)し つよき所なく艶なる」さま京の舞姫をミるやうにてこゝなる柳橋あたりのうたひめにもたとへつべ(べ)き」

                       『水の上』明治28年5月26日記す


 一葉女史は、才とともに人望もあったようで、彼女の家へは、若き青年文士たちが集う文芸サロンのようでもありました。

 才はあれども学もなく貧しい自分とは違う世界の住人たちだとは思いながらも、まんざらではなかったのか、出入りしていた文学青年たちのことをあれこれ日記に記していたのです。


 この引用部分は、そうしたサロンに出入りしていた、馬場孤蝶子と川上眉山の美形振りの良さを対比しながら描いています。


 なつさん、美形がお好きだったのでしょうか。


 美形の表現も豊かで、筆を尽くしているのが、作家であるからなのか、若い娘さんの感性であるからなの、興味深いところです。


 また、師匠にして、一時いっとき仲を勘ぐられ交際を絶った半井桃水なからいとうすいのことも、衣装について言及したり、病み上がりで少し美形度が下がったとしながらも、元々の麗しさを思わせる様を記していたりします。


 いつの世も、美形を好むのは女子のさがと言えるかもしれません、多少の例外はあれども。



 さて、「圖書舘」では本は売っていませんので、なつさんの本を買いに行きましょう。

 日比谷線三ノ輪で降りて、ぶらぶらと歩いてなつさんが一時期住んでいてた花柳界のそばの記念館へ。


 樋口一葉記念館は、一葉の代表作『たけくらべ』の舞台となった龍泉寺町に、一葉の業績を後世に伝えようと、地元有志によって、昭和36年に開館しました。

 女性作家の単独資料館としては日本初でした。


 記念館は、平成18年にリニューアルされて、向かい側の一葉記念公園とともに、一葉の人物像、作品世界を堪能できるようになっています。地下一階、地上三階で、一階は、エントランスギャラリー、グッズコーナー、ライブラリーがあり、二階と三階が展示室になっています。


 その先へ足を伸ばせば、かつての一大花街です。


 明治26年7月~明治27年5月までのここでの暮らしでの経験が、作家としての一葉に大きな影響を与えました。


 ミュージアムショップで求めた『資料目録 樋口一葉』には、一葉のペンネームについて、頼れる身内を亡くし、成就しなかった恋に煩悶し、それらの苦労多き自身の境遇から到達した哲学に基づくとしています。


 こうした一葉の心情世界は近代のものを含んでいても、作風は江戸時代を引きずっているようなテーマや雅文体で、明治という時代が近世と近代の過度期であることがよくわかります。


 下谷から本郷へ引っ越してから後、明治27年12月に「大つごもり」を『文學界』に発表し、明治29年1月に「たけくらべ」が完結するまでの14ヶ月間、一葉の代表作が全て執筆されたこのわずか一年とちょっとの期間のことを言います。


 「奇蹟の14ヶ月」


 小説家樋口一葉の輝いた時期は、こう呼ばれています。


明治二十七年 十二月 『大つごもり』

明治二十八年 一月  『たけくらべ 一~三』

       二月  『たけくらべ 四~六』

       三月  『たけくらべ 七~八』

       五月  『ゆく雲』

       八月  『うつせみ』『たけくらべ 九、十』

       九月  『にごりえ』

       十一月 『たけくらべ 十一、十二』

       十二月 『たけくらべ 十三、十四』

明治二十九年 一月 『この子』『わかれ道』『たけくらべ 十五、十六』


 一葉は、明治29年11月に、彼女の才能をかっていた森鴎外らが奔走しましたが、それも空しく病で亡くなります。


 享年24歳。


 正しく、創作に、命の灯を燃やし尽くしての人生でした。




<台東区立樋口一葉記念館 三ノ輪>

最寄駅 地下鉄日比谷線「三ノ輪」駅他

関連ホームページで、詳細をご覧いただけます。


<今日買った本>

『資料目録 樋口一葉』台東区立一葉記念館




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