十三箇所目 切手の博物館とサボテン相談室 目白界隈1
目白界隈は、来るたびに思うのですが、ずっと前から、あまり街の様子が変わっていません。
お店などは時に応じて変化しているのですが、目白通り沿いには大型すぎる店はなく、大学のある街、文教地区としての落ち着いた趣があります。
穏やかで、清らかで、温かみがあって、絵本の店が似合いう街、目白。
好きな街の一つです。
好きな街を知り合ったばかりの人と歩くのは、自己紹介をしながら歩いているようで、ちょっと落ち着かないかもしれません。
でも、自分の好きなものを知ってもらって、一緒に楽しめたら、きっと関係は深まることでしょう。
そんな、今さらな古風なアドバイスでも、片恋時代は蜘蛛の糸にすがるように、従ってしまうかもしれません。
片恋の古風さは二葉亭四迷のツルゲーネフの翻訳小説からの連想とくれば、やはり明治の御世に遡ることになり、古めかしくも情緒を醸す言いまわしと言えはしないでしょうか。
出だしから横道に逸れてしまいました。
逸れたついでに、
目白駅を降りて右手に進んで行くとすぐに学習院大学があります。
大学正門の手前の通りを右に曲がって、ゆるやかな椿坂を下りたところに、その博物館はあります。
愛好家の気持ちをぎゅっと鷲掴みにする蒐集の趣味の博物館。
切手の博物館。
郵便配達夫のオブジェが指差す入口から、中へ入っていきます。
一階には、企画展示室、スーベニア・コーナー、ミュージアム・ショップ、テナントコーナーなどがあります。
テナントコーナーには、ダンディな店主がお待ちかねの切手ショップが入っています。
現在は、特別展示「切手の博物館でバレンタイン」が開催中。
観覧を楽しむのはもちろん、むしろ、こうした趣味性の高い所では、ショップをのぞくのが目的になることも珍しくはありません。
掘り出し物は、どこに転がっているかわかりません。
二階には、図書室があります。
もちろん、切手関連の専門図書室です。
図書館でなく、図書室というところに、こじんまりとした空間のあたたかみを感じます。
こじんまりとしながらも、郵便切手や消印などの郵便物に関係するものを収集する趣味――郵趣に関する書籍が約13,000冊、雑誌・オークション誌を約2,000タイトル所蔵しているという、実力派の図書室です。
同階には、日本郵趣協会名誉会員である天野安治氏より寄贈された、明治大正期の日本のフィラテリー(郵便学)草創期の貴重な郵趣文献の閲覧コーナーの天野文庫、
「切手の博物館」の創設者水原明窓の水原明窓記念コーナーもあります。
郵趣の方でしたら、ずっと居つきたくなるのでは。
さて、博物館の建物の一角に、「サボテン相談室」という、サボテンとサキュレント(多肉植物)の専門店があります。
現在のように多肉植物が流行する前から、群馬のファームで栽培している多肉植物を販売していたそうです。
こちらのショップでは、閑静な住宅街という場所柄もあって、インテリアエレメントとして、寄せ植えアートなども展示販売しています。
サボテン相談室には、セルフカフェもあるので、のどを潤しながらくつろぐこともできます。
サボテン相談室の経営者のカクタスクリエーターの方が本を出版されているとの情報を得て、後ほど購入。
増え続ける多肉植物の基本を抑えるに適した一冊です。
切手と多肉植物。
珍奇なもの、レアものが好まれる、蒐集心に火が点けられるという点が、共通項でしょうか。
サボテン相談室は、屋外へとつながっています。
そちらの出入り口から出て、屋外の植物を眺めていましたら、
「お嬢さん、シャボテンがお好きですか」
と、軽やかな声が降ってきました。
振り返ると、丸眼鏡に注文仕立風のツイードスーツにホームスパンのネクタイを締めて着こなしたモダンボォイが、大きなウチワサボテンの鉢植えを抱えて立っていました。
ウチワサボテンは、文字通り、団扇のように茎が平たく楕円形になっているサボテンです。
つば広でクラウンの高い麦わら製の帽子ソンブレロに、ポンチョ姿のメキシカンファッションの背景に見かけるようなサボテンです。
彼の抱えているウチワサボテンには、真紅の実がいくつもついていて、実からは、甘酸っぱいリンゴのような香りが漂ってきます。
「サボテンの実って珍しいですね」
と、店の関係者かと思い話しかけると
「サボテン?シャボテンですよ、これは」
と、彼は答えて、鉢植えを下に置き、上着のポケットから、清潔な白いクロスの包みを取り出しました。
クロスに包まれていたのは、ナイフととフォーク。
彼は、フォークでウチワサボテンの実を突き刺すと、ぽこっと、茎から剥がしとって、同じく取り出したナイフで、器用に棘ごと皮を剥きました。
「どうぞ、お味見を」
彼は、フォークの先のウチワサボテンの実をこちらに差し出しました。
初対面の人から食に適しているかわからないものを差し出されて、「はい、いただきます」とはいきません。
私が躊躇していましたら、彼は、では、とおもむろにひと口かじりました。
「さあ、どうぞ、お味見を」
彼が自ら毒見をして見せたので、断れない雰囲気に私は飲まれてしまいました。
「いただきます」
彼が現れてから、俄かに口にが乾いてきていたところでした。
砂漠でのどを潤すように、すっかりひと息で食べてしまいました。
――「この実を煮つめて、羊羹のように固めた菓子があるが、黒褐色をしていて、歯ぎれのぐあいも甘い味も、黒砂糖の塊りによく似ている。」――
どこからともなく聞こえてきた、本から引用して読み上げるような声。
「え?サボテンの実って、お菓子になるの?」
「シャボテンですよ、お嬢さん」
彼の声は、歌うようにその植物の名称を訂正しました。
「黒砂糖を使った羊羹、赤い色の。ああ、でも、煮詰めたりするうちに、赤は黒になってしまうかもしれない。でも、食べてみたい。実を収穫できるまでには、どれくらいかかるのかな」
と、赤い実を見つめながら考えていましたら、
「お客さん、売り物、食べないでください」
店主らしき人物の声に、私は、我にかえりました。
辺りを見渡しましたが、丸眼鏡のモダンボォイはおらず、彼が落としていったのか、私の背丈よりも大きく育ったウチワサボテンの鉢の陰に、一冊の文庫本が。
「おや、落とし物」
店主がさっと拾って店内へ。
Echinocactus leucanthusの黄色い花の横顔が、まぶたの裏に焼き付きました。
ああ、そうでしたか。
彼の名は、
昭和初期――1920年代30年代、すなわちモボ・モガの時代に、都市を舞台にしたモダニズム小説の旗手。
後に、文壇の腐敗を厭い、離れ、珍奇で怪奇な人ならずの友を得て過ごしたのでありました。
『シャボテン幻想』は、初出昭和49(1974)年で、その後昭和58(1983)年に復刻されています。
そういえば、おととし平成28(2016)年にも復刻したのを、本屋さんで見かけたことがありました。
なるほど。
自分の本の宣伝に現れたのですね。
シャボテンを手土産に。
彼は驚いているでしょうか、現代のサキュレントブームに。
それはないかと思われます。
ようやく世間が追いついたか、では、趣味人と語り合おうと、出てきたに違いありません。
ならばよし。
また、お会いしましょう、今度はどこぞの温室で。
では、目白通りへもどりましょう。
<切手の博物館 サボテン相談室>
最寄駅 JR山手線「目白」駅
それぞれの関連ホームページで、詳細をご覧いただけます。
<今日買った本>
『多肉植物ハンディ図鑑』
羽兼 直行著
主婦の友社発行
*作中の引用は下記の文献からの抜粋です。
『シャボテン幻想』 龍胆寺雄 筑摩書房
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