十箇所目 向島百花園 墨田区


 萩のトンネルの中ほどに、すっ、と日が射し、白萩が、薄闇に浮かび上がりました。


 甘さも奥ゆかしい仄かな香りとともに、白萩を揺らしてうすぼんやりと浮かぶのは、都鳥の君に違いありません。


 少し間をおいて、七草とは言わずに草の花と数える、平安才媛の声が聞こえたようです。


 たたみかけるように、七種ななくさを、万葉歌人がゆるやかに詠みあげます。


 通り抜けると異界に出てしまうような気がして、踵を返してそそくさともどれば、休日のにぎわいは変わらずそこにあり、人心地つくことができました。


 振り返れば、萩のトンネル越しに臨めるスカイツリー。

 “業平橋”と、都の色めく昔男の名が付けられていた駅も今は昔。

 名を盗られて、せめて名のみをと慕っていた昔男に焦がれた者たちが、藪陰に闇を見つけて宿っているかもしれないと思わずにはいられません。


 手を入れすぎずに手入れのされている百花の園。

 小さな藪闇がそこここに。

 秋の深まりは、いにしえ人を連れて来るのかもしれません。


 向島百花園。


 お江戸に望まれ生まれた此処は、風流千種を愛でる文人墨客の集いし場。


 今しがた通りかかった萩のトンネルは、百花の園の秋の名物。


 賞味七草春の野辺、賞玩七草秋の園。


 このたびは、深まる秋を味わいがてら、お江戸な花園へ本を求めにまいった次第。



 受付を済ませ、崩し字で「百花園」と書かれた扁額へんがくの掲げられた庭門をくぐり、園内へ。


 最寄り駅から入り口が遠いのは、江戸時代は隅田川から舟で来たのでそちらへ向いているからなのだそう。

 江戸の街から隅田川を渡った向こう岸だから向島。


 時は、町人文化栄えし文化文政期。


 仙台出身の骨董商、佐原鞠鵜さはらきくう

 

 商才と知性を持つ彼は、この地を当初は梅屋敷として繁盛させて、御土産に梅干しもプロデュース。

 隅田川七福神の「寿星(福禄寿)」にちなんだ「寿星梅じゅせいばい」として売り出しました。

 園に集いし一人書家の加藤千蔭が、商売繁盛にと、軒先の行灯に「お茶きこしめせ梅干しもさむらうぞ」と一筆ものし、その意気は今でも受け継がれています。


 その後、狂歌師太田南畝や国文学者にして書家の加藤千蔭、絵師酒井抱一、谷文晁などの化政文化を代表する文人墨客たちと交流する中で、古典詩歌に詠まれる草花を植えて、文人趣味人の庭に育てあげました。

 「梅は百花に魁て咲く」との命名「百花園」は、琳派の絵師、酒井抱一によるのだとか。


 「春の七草・献上七草籠」「七福神めぐり」「梅まつり」「大輪朝顔展」「虫ききの会」「秋の七草」「萩まつり」「月見の会」「萩まつり」と、四季折々の年中行事も目白押し。

 江戸時代の花園としては現存唯一というこで、当時の情趣を味わうにはもってこいです。


『江戸名所花暦』の挿絵の注釈には、「百花園 園中四時の花たゆることなし。萬葉集の草木、詩経の草木とてましるしをしてうへたり。又隅田川やきといへる陶器を製す。」と、その特色が記されています。ここに記されている「隅田川やきといへる陶器」


 名物土産の一つ隅田川焼。

 京焼に学んで園内に東窯という陶芸窯を設けて鞠塢が始めた、隅田川の中州の土を使ったという隅田川焼。

 春と秋には、隅田川焼往時の窯を再現した、火鉢に蓋をかぶせたような独特の形の焼き窯で、楽焼体験ができます。

 隅田川といえば都鳥。

 隅田川焼では、都鳥のモチーフが見られます。

 中でも愛らしいのは、香合で、ふっくらとした鳥の形の香合は、楽焼体験で絵付けができます。

 園内を見学している間に焼き上がるという方式は、明治以降五代目鞠塢が始めたそうです。


 園内案内図を片手に、花を愛でつつ文人達の石碑をめぐって一回り。

 秋の戻り暑さに汗ばんで、のども乾いてきたところ。

 茶店で一服の頃合いです。


 園内の茶店“茶亭さはら”で求めた冷やし甘酒をいただきながら、受付入口のサービスセンターで求めた向島百花園サービスセンター編集、東京都公園協会発行の『向島百花園創設200周年記念 花ごよみ ―江戸花屋敷の四季―』をめくります。


 百花園名物萩のトンネルは、宮城野萩と白花萩が使われているとのこと。

 その他にも、黄萩、丸葉萩、山萩、筑紫萩と、萩の花だけでも種類の多さに驚きます。


 萩は、学名Lespedeza、マメ科ハギ属、なるほどマメ科。

 萩の花がマメ科ならではの甘い奥ゆかしい香りなのもうなずけます。


 秋の七草は見る七草と言われ、専ら目で楽しむものとされていますが、昔は、薬草や救荒食として扱われていました。


 ハギは、山萩の粟粒大のたねは、飢饉の際に、少し舂いて米にして粥や飯にします。若葉は蒸してから日に晒しお茶にします。根を煎じて目眩、のぼせの薬にしました。


 ススキは、根を掘って乾かして煎じて民間薬として使われました。

 クズは、葛根湯として古来よりの医薬です。また、葛粉は、名産地の名をつけた吉野葛などがあり、葛桜、葛まんじゅうなどの高級菓子の原料としても知られています。


 ナデシコは、薬草名を瞿麦 くばく全草薬種とされていました。風通しのようい所で陰干しして乾燥したらもんで種子だけを集めてさらに種子を乾燥させたものを使用したとのことです。


 オミナエシは敗醤の薬草名で使われ、花や実はお歯黒のにおいがするそうです。


 フジバカマは、桜餅の桜の葉と同じクマリンの品のある甘い香りがします。古代にはその香りで厄除けをしたり香りを身につけ楽しむ工夫が成されていました。


 キキョウ(アサガオとも)は、桔梗根として薬用にされました。また飢饉に備える糧物として植えられて、若芽や根が食用にされました。


 さて、ひと息ついたところで、土産物屋をひやかすのも一興です。


 まずははずせぬ“寿星梅”、麦・抹茶・南京豆の三色落雁名菓“百花園”、七草になぞらえた江戸の技の結晶野菜の砂糖漬“野菜菓子花やしき七種”、都鳥の焼物あれこれ、紙ものは、絵葉書、一筆箋、しおり、コースター、そして冊子類各種に、地野菜茄子の最中が加わり、こじんまりとした茶屋の売店は、思いのほか品揃えが豊富です。


 目をひいたのは、墨田区観光協会発行の『向島文学散歩 改訂版Ⅱ』。

 露伴、荷風、鴎外は既知ながら、辰雄の文字に目が留まりました。

 堀辰雄といえば軽井沢文学のイメージが強く、お江戸下町にゆかりとはと目を通してみれば、幼少時に過ごしたのが向島だということでした。

 薄手の冊子ながら、読み応え十分な本を手にすることができて満足至極。


 さて、ここら辺りに名所旧跡あらば帰りがてらに寄り道しようと携帯を取り出しましたら、


「風情を感じるのに蘊蓄うんちくは無粋、そぞろ歩くがよろし」


 と、どこからともなくささやく声が。


 園に集いし古人でしょうか。


 なるほど、了解。


 迷うのも楽しとばかりに両手を空けて、ぶらぶら足の向くまま気の向くまま、今日は歩くといたしましょう。




<向島百花園>

最寄駅 東武スカイツリーライン「東向島」駅

向島百花園の関連ホームページで、詳細をご覧いただけます。


<今日買った本>

『向島百花園創設200周年記念 花ごよみ ―江戸花屋敷の四季―』

 向島百花園サービスセンター編集

 東京都公園協会発行

『向島文学散歩 改訂版Ⅱ』

 墨田区観光協会発行

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