九箇所目 鎌倉文学館 鎌倉

 

  武士と文士の息遣いが未だ聞こえてくる街鎌倉。


 文明開化の明治以降は、数多の文学者たちが訪れ、住まい、文化サロンの趣が醸し出されていました。


 江ノ電にゆられて由比ヶ浜駅降り立ったその日。


 秋晴れの空には、薄く刷かれた白い雲。


 海岸を背に住宅地を抜けていくと、やがて緑豊かな館の敷地が見えてきます。


 木立ちに差し込む光を辿るように、敷地のゆるやかな坂を進んでいくと、受付のある門扉につきます。


 そこから石造りの隧道招鶴洞を抜け少し歩くと、洋風と和風の混在した特徴的な建物が現れます。


 加賀百万石藩主旧前田侯爵鎌倉別邸。


 明治23年に和風別邸がこの地に建てられ、その後洋風に再建され、昭和11年に現在の洋館として完成されました。

 

 そして、昭和58年に鎌倉市に寄贈され、昭和60年に鎌倉文学館として開館しました。


 三方を裾野のつながらない山に囲まれた独特の地形である谷戸の奥に建つ昭和モダンの館は、現在は、鎌倉文学館として公開されていて、鎌倉文士たちの在りし日の姿をみることができます。


 川端康成の『山の音』の舞台となり、夏目漱石の『門』に描かれ、また、この館は、三島由紀夫の集大成「豊饒の海」四部作の一つ「春の海」の中で避暑地として描かれと、文学作品との所縁深い土地であることはつとに知られています。



 では、まずは、アプローチから前庭に出てみましょう。


 芝生の前庭から遠く煌く水面を臨んでいるうちに、鳶の鋭い鳴き声がしました。


 海に近く山間の自然もある土地。


 谷戸やとといわれる丘陵地が削られて象られた独特の土地。


 鎌倉を知るには、この土地の成り立ちを知るところから始めるのもいいかもしれません。



 振り返ると館のファサードが見渡せました。


 目を惹くのは、裏手の山の濃い緑の木立を背景にした鮮やかな青のスペイン瓦です。

 

 一階は鉄筋コンクリートで、二階から上は木造ですが、外観は窓枠などにハーフティンバー様式を取り入れた西洋木造建築に見えるようにつくられています。


 非対称的なつくりでありながら、クリーム色の壁に木枠の茶や瓦の青のコントラストが散りばめられていて、統一感が感じられます。


 はめ込まれたステンドグラスが控えめに調和しています。



 さて、そろそろ館内へ。



 玄関で靴を脱いで、下足箱へ入れます。


 お宅にお邪魔した気分になります。


 玄関広間にあるショップには、展覧会の図録や絵葉書、グッズが並んでいます。


 鎌倉の文学散歩のおともによさそうな本を見つけました。


 文学館メイドの鎌倉文学館資料シリーズです。


 文庫本サイズで、携帯にぴったりです。


 このシリーズは、鎌倉のまちをいくつかの地域に分けて文学者や史跡と絡めて紹介しています。


 今回は、鎌倉文学館のある地域のシリーズⅣ『鎌倉文学散歩 長谷・稲村ガ崎方面』を求めました。


 本の中で引用されている作品については出典が明記されている点は、文学館編集ならではで、さくいんもあるので利用しやすい一冊となっています。

 

 表紙には、海岸と江ノ電と山上の寺がはり絵で描かれていて、裏表紙には、鎌倉文学館の美しい写真と、市章ササリンドウ、市の木ヤマザクラ、市の花リンドウが印刷されています。


 それにしましても、ページを繰るうちに、鎌倉とゆかりの作家の多彩なことには目を見張らされます。


 鎌倉文学館のミュージアムショップでは、鎌倉文学散歩資料シリーズ以外に、展覧会図録なども充実しています。

 いずれまた、鎌倉文士の足跡を辿りながら、ご紹介いたしましょう。


 

 館内では、玄関のシャンデリア、和風な柄のウォールランプ、食堂の天井灯、暖炉など、創建当時の姿を、そここに見ることができます。


 アールデコ様式が取り入れられつつ、和風なつくりも随所にあり、独特の和洋折衷建築になっています。


 常設展示では、鎌倉文士たちの楽し気な活動や暮らしぶり、作品世界を、さまざまな資料からうかがうことができます。


 特別展は、折々工夫されていますが、毎年バレンタインシーズンに開催される企画展は、鎌倉文士の言葉が記された恋みくじなどもあって、浮きたつことうけあいです。



 常設展、企画展などを見学しつつ館の西端の第四寝室へ。


 こちらは現在談話室になっています。


 その折は、『ビブリア古書堂の事件手帖』のイラストが展示されていました。

 

 本、古都、謎解きの世界にしばし浸ってから、扉を開けてテラスへ。


 テラスの柵に両肘をつき遠景を眺めると、彼方に煌く海は濃く青く。

 

 木立ちと薔薇と芝生を吹き抜け海からの風は裏山へ。


 散策で乾いた喉を潤そうと、手にした紙コップのコーヒー。


 口元に運んだその時に、カップに注がれた液体の表面がさざ波たち、ふつふつと泡立つ音が。


 不思議に思いのぞきこむと、はじける柑橘の香りが目にしみました。



 コーヒーがいつしかレモンソーダに。



 檸檬曹達水の飛沫に目をしばたたくと、前庭にはいつしか懐古映像のようなセピア色の光景が。


 芝生に出されたテーブルには、子どもから青年へと成長の過程の少年が、肘をつき、頬に片手をあて、物思いに耽っています。


 もう一方の手で、透明な泡がゆっくりと浮いては消えるグラスのストローをもてあそびながら、時おり薔薇越しの海へと、遠く視線を投げかけています。


 彼のもの思いは、叶えられたら最後、永遠に囚われて続けていくのだと、知っているのはこちら側の住人だけ。


 たとえ物語の住人になれたとしても、今、この時の彼に、危うい未来を回避するよう声をかけても、きっと届かないことでしょう。


 薔薇の蹉跌を踏みしめて行くのを、彼は、もう選んでいるのですから。




 庭の下方のバラ園では、秋薔薇が、慎ましやかに咲きほころんでいます。


 秋薔薇は、春咲く薔薇の華やぎの代わりに、澄んだ空気に漂う香りの深さで、訪れる人をもてなしてくれます。


 息を整えるのに深く吸い込んだ薔薇の香気。


 香りは、彼の憂愁を慰めてくれたでしょうか。




 檸檬曹達水の泡のはじける音が遠ざかるとともに、いつしグラスはカップにもどり、視界に色彩が差し、白い湯気が立ち上り、カップを持つ両掌が温まってきました。


 文武の士だった彼の、ラストロングロマン四部作。


 久しぶりに読み返してみたくなりました。



 そういえば、鎌倉幕府三代将軍も、文武の士だったなと思いつつ……


 



<鎌倉文学館>

最寄駅 江ノ電「由比ガ浜」駅

鎌倉文学館のホームページで、詳細をご覧いただけます。


<今日買った本>

『鎌倉文学館資料シリーズ』

 鎌倉文学館編集

 鎌倉市教育委員会発行

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