八箇所目 石川四高記念文化交流館 金沢
桜にけぶるレンガ造りの佇まい。
堅牢にして優美な学び舎。
正面玄関の脇には雪吊の施された樹。
雪国金沢の風情が醸し出されています。
とは言え、季節は春花盛り。
その樹のみ冬支度なのはこれ如何に。
と思いながらも時間に追われてそこはそのままにと流すことに。
ここは、北の学都金沢のシンボル旧制第四高等学校です。
朝から強引に、金沢を東へ西へとめぐり、金沢三文豪の文学館はなんとかクリア、タイムリミットはあと1時間。
本来ならもっと余裕があったはずなのですが、桜に浮かれて、金沢文豪の魅力にやられて、時間概念がすっとんでしまったのでありました。
というわけで、時計を気にしながらの見学開始。
旧制高等学校は、明治19年公布の中学校令による高等中学校に始まったとされています。
その後、明治27年の高等学校令の公布で、高等学校に改称されて昭和25年まで続きました。
金沢に第四高等学校が生まれたのも、同じ経緯です。
正面玄関の入口を入ると、右手は有料ゾーンの金沢近代文学館。
泉鏡花、徳田秋声、室生犀星など石川県ゆかりの文学者関連の資料が展示されています。
左手が無料ゾーンの石川四校記念館。
旧制高等学校の歴史や文化伝統が紹介されている展示室があります。
受付兼売店で、『石川四高記念館』の解説冊子と、「三文豪文学ネットワーク」のクリアファイルを求めました。
このクリアファイル、金沢三文豪を中心に相関関係が顔写真とラインでつながれているのですが、鏡花と一葉がライバルと記されているのに、ちょっとおおっ!となりました。
パンフをぱらぱらとめくりながら、廊下を左へ曲がって、四校展示室へ。
四校展示室に一歩入ると、しんと静かな空間が広がっていました。
さて、北の学都の蛮カラ文化を見学です。
ちなみに蛮カラは、ハイカラの反対の意味で、野蛮で粗暴な風体に稚気(子どもっぽさ)溢れる、とんでもなく滅茶苦茶だけれども愛すべきところのある存在です。
最初の部屋は、<四校 その時代と人々―ガイダンス―>のコーナーです。
四高があった兼六園界隈がパネルに、地図と写真で青春の日々が描かれています。
卒業生の語ったエピソードも紹介されています。
次の部屋は、<北の都に―四高・栄光の歴史―>と題されて、創立から、校風の超然主義が確立された明治期、四校精神が躍進していく大正期、厳しい戦時下を経て新制金沢大学へ転換する昭和期を、俯瞰することができます。
地元の教育機関誘致への熱意は、県民からの寄付金で揃えられた、重厚なブリタニカ書棚に象徴されています。
三つ目の部屋は、<「北辰会」と「南下軍」―部活動にかけた青春―」>です。
四高における文武両道を目指す学生たちの活動を支える会が「北辰会」。
そして、北の都金沢から、南の都京都第三高等学校への野球、剣道、柔道部の遠征軍が、「南下軍」です。
応援団の大太鼓に、気炎を上げる若人たちの姿が浮かびます。
そういえば、四高を舞台にした小説というのが、意外にないのです。
旅路で読もうと探したのですが、井上靖の自伝小説『北の海』しか見つかりませんでした。
この小説は、旧制高校生活ものというよりは、柔道部ものなのです。
柔道か……と、最初は乗り気ではなかったのですが、読み進めていくうちに、キャラクターがけっこう個性的で、熱き血のたぎる運動部ものにあまり触手の動かない自私でも楽しめました。
さすがです、文学の作家。
最後の部屋は、<「超然」とした学生生活―「学都」と四高―>です。
四高生のモットー超然主義とは、世俗から距離を置き、内面を深め磨くことを尊ぶといった心意気です。
自治精神に貫かれた寮生活と、教師と共に地域に溶け込んでいた学生の生活が、復元模型をまじえて分かりやすく紹介されています。
独特の奇なる風習としては、ぼろぼろの衣服と破れた帽子の蛮カラスタイルの弊衣破帽、文字通り嵐のごとく暴れまわる大いなる戯れ事ストーム、親睦を深め士気を高め合う懇親会のコンパなどがあったそうです。
展示物の中に、漫画家永井豪の描いた四高生と思しき蛮カラ学生さんの色紙が飾られていました。
永井氏は四高出身?ではなく、氏は石川県能登市の御出身。
石川県つながりでの寄贈でしょうか。
四校展示室を出て、母校なのかなつかしそうにシャッターをきりまくっているカメラおじさまを横目に二階へ上ると、往時のままに机や椅子を再現した復元教室と、多目的利用室が並んでいました。
一渡り展示を見終えて、旧制四校生ライフを脳に装備できたところで、時計をチラ見です。
もうちょい時間がありそうです。
では、と、早朝出立で強行軍の文学館めぐりでへとへとだったので、とにかく休もうと、休憩スペースへ。
――レトロ体験室。
休憩スペースはそう表示され、懐古趣味な椅子とテーブルが置かれ、蓄音機や書籍など、当時の四高ゆかりの展示物が壁沿いに並べられていました。
レトロムードに明らかに浮いている自販機で缶コーヒーを買って、車内おやつにと持参したスナック菓子をテーブルに置きました。
と、目に入ってきたのは、記念撮影コーナー。
部屋の一角をどーんと占めて飾られている写真パネルは、まさしく旧制高校が活気に満ちていた時代、明治の香林坊の風景ではありませんか。
繁華街香林坊と路面電車を背景に、マント姿に白線帽の四校生と思しき学生さんが颯爽と立っています。
レトロ浪漫に弱い私は、飲食は後回しに、自撮りタイムへ突入。
蛮カラが良しとされた校風ですから、実際は、清潔感溢れる好青年的風情からはほど遠い奇人変人揃いであったことでしょう。
しかし、そこもいいのです!
つるんとした美形にはないワイルドな風情を、パネルの学生さんに見出して、誰もいないのをいいことに、学生さんと一緒に写るように、角度を変えてはパシャパシャとシャッターを切りまくりました。
調子に乗って撮っていましたら、電子音とともに「メモリーカード残量がありません」の表示が。
まだ、これから、建築物の外観や、記念碑、記念像などを撮らなければいけないのに、なんてことでしょう。
いつものうっかりに、思わずため息をついた時でした。
「そこなメッチェン、いかがなされたか」
唐突に、潤いのある低音が響き渡りました。
え?メッチェン?確かドイツ語でお嬢さん、って、誰のこと?
気付けば、紫の袴に振袖、編み上げ靴、髪には大ぶりのリボンが飛び舞う蝶のように大きくゆれる自分の姿が、消そうとした画面に写っているではありませんか。
テーブルには缶コーヒーではなくレモネードがグラスにはじけて、スナック菓子は薄手の皿にのっているビスケットに変わっています。
声の主はと言えば、記念撮影をした学生さん……?
振り返ると、旧制高校「三種の神器」白線帽、釣鐘マント、朴歯の下駄の蛮カラスタイルも板についた、ワイルドな中にも知性溢れる顔立ちのの学生さんが、すっくと佇んでいました。
かぶった帽子に金色に輝くは、四高のシンボル北斗七星。
「野郎どもの巣窟に、何ゆえ迷いこんだのか」
どう答えてよいのやら、しどろもどろでもじもじしていると、
「もしや、広坂通りのミッションの……?誰ぞと待ち合わせか」
そういえば、金沢には、明治時代開校のミッションスクールがあったっけと思い出していましたら、
「連中がやって来る前に、お送りいたそう」
と、いちいち仰々しい物言いながら、さわやかな声が耳を吹き抜けていきました。
「連中?やって来る?」
「さあ、早くしないと、ストームがこちらに向かっているところなのだ」
ストーム……展示にありました。「デカンショ」やら何やら歌いながらの大迷惑なイベントだったような。
街頭でのストームは、路面電車も止めたのでしたっけ。
平素はこもって自己研鑽にひたすら努める熱き血潮の若人ですから、はしゃぐ時には暴発必死。
幸い、この学生さんは、いたって冷静沈着紳士でさわやか。
ここは、彼の忠告に従うべし、です。
学生さんにせかされて、慌てて荷物をつかんで席を立ちました。
不思議なことに、バッグだけは元のままでした。
創業〇〇〇年連綿と続く昔ながらのバッグ屋さんで購入したものだからでしょうか。
袴の裾をひょいとさばいていざ走らんとした時に、ばさりと重いものが肩に。
ほこりっぽいマントを掛けられ、わざと汚しているような帽子に髪の毛を押し込められていました。
「そのような、ひらひらした姿では、目の毒である」
と、学生さんがコホンと咳払いをしました。
ちょっと、ほっこり。
気遣ってくれたんだ、などとにやけているうちに、遠くからがなりたてる歌声が聞こえてきました。
状況は一刻を争います。
「では、まいろう」
と、ずんずん歩き出した学生さんを、慌てて追いかけました。
建物を出ると、さっきまでバス通りだった道路に、なんと路面電車が通っているではありませんか。
それにしても、慣れない袴にヒールの編み上げ靴は歩きにくい。
かっかっかっと踵を鳴らしてターンの少女歌劇のようにはいきません。
ただでさえ、歩き回ってくたくたで悲鳴をあげている足首が、いくらもいかないうちに、がくっとなって、あられもなく尻もちをつくしまつ。
そうなると、もう、一人では立ち上がれません。
「あの、助けて、ください」
手を差し出して、声をかけたものの、学生さんはちらりとも振り返らずに、どんどん歩いていってしまいます。
追いすがり、見上げた空から、舞い落ちてきたひとひらは、頬に冷たく晴天の淡雪!?
雪吊の樹の
季節を超えて、時を超えて、桜は無常に雪にと化し、このままでは特急列車に間に合いません、と、にわかに現実にもどりました。
「た、助けてください」
しぼり出した声が思いのほか大きかったのか、行き交う人々がいっせいにこちらを向きました。
衆人環視とは、なんと恥ずかしいことなのでしょう……
痛いやら恥ずかしいやらで、思わず目を閉じたその時に、すっと誰かが私の腕を掴んで立たせてくれました。
鼻先をかすめた袖口は、肩にかけられたマントと同じ、汗とほこりのにおいがしました。
「あ、ありがとう……」
目を開けると、そこにいたのは、観光ボランティアのナイスミドルなおじさまでした。
「……ござい、ました」
私は、まばたきするばかり。
くびすじがこそばゆくて、払った手のひらには、淡く色めく桜の花びらが。
「祖父がここに通ってたんですよ」
おじさまの誇らしげな顔の微笑ましさに、ようやく我にかえりました。
路面電車をも止めたというストーム。
無謀で無茶で無軌道なことも、若気の至りで許された、大らかな時代。
海に出て、焚火を囲んでのファイアーストーム。
燃えさかる炎に、彼らは何を見たのでしょうか。
火を見つめるという行為は、人を哲学者にするものです。
燃え滾る血。
燃え盛る炎。
明治は遥か
遥か遠くになりにけり……
<石川四高記念文化交流館>
最寄駅 北陸新幹線「金沢」駅
石川四高記念文化交流館のホームページで、詳細をご覧いただけます。
<今日買った本>
『石川四高記念館図録』
石川四高記念文化交流館
石川四高記念文化交流館発行
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