五箇所目 近藤勇陣屋跡・酒造家長岡屋跡 流山
冬にもどったかのような冷たい雨。
雨はいつしかみぞれまじりに。
三月も終わりに近いというのに、春はどこへ行ったのか。
……今年は花も遅いかも……
春待ち人のため息を、天が聞き届けてくれたのか、ようやく晴れたとある弥生の昼下がり、菜の花の土手道がみごとだというその街へ、出かけてみることにしました。
まずは、常磐線馬橋駅で降り、流鉄流山線へ乗り換えます。
カードは不可。
券売機で切符を買って、駅員さんの切符拝見改札も新鮮です。
流鉄の車両は、二両編成で単線です。
今回乗ったのは「あかぎ」号。
流山の地名発祥と関わりのある、赤城山、赤城神社からとったのでしょうか。
発車のベルは、ジリリリリ……
駅を出てしばらくは、ゆれるゆれる、ガタンゴトンの音もなつかしく。
車窓に見える桜並木は、まだ固いつぼみ桜。
10分ちょいの列車旅。
瞬く間に終点へ。
流山駅に到着です。
鄙びてはいるけれど、さびれてはいない。
流鉄流山駅は、そんな印象の終着駅にして始発駅です。
ロコドル――ローカルアイドルのパネルが改札口でお出迎え。
この子たちはどなたでしょう。
スマホで検索、ちょい前にアニメ化ということは、こちらは聖地巡礼の地?
そんなことを思いながら、車掌さんに切符を手渡し改札を抜けました。
と、こじんまりとした駅舎の壁に――こ、これは……!?
「幕末あり〼」
「刀(とう)分の足りないあなたへ」
「あさぎ色の風になる」
文字と写真で彩られた張り紙は、手作り感満載の新選組押し!
流山は、知る人ぞ知る、新選組の聖地だったのです。
と、今さらながら何をおっしゃる、と言われてしまいそうですが、実のところ、関東圏での新選組聖地は西の方のイメージがあったため、流山といえばみりんの名産地といった認識しかなかったのです。
さて、このような手作り感溢れる場所は、すなわち対象への愛の溢れる場所でもあります。
きっとおもしろい本があるにちがいないと思い、地元メイドの地図を片手に街歩きへ……とは言いましても土地勘がないので、まずは流山市のホームページをあけてみました。
ありました。
流山市のホームページの観光・歴史の覧に、「新撰組と流山」の項目が。
近藤勇を偲ぶ勇忌が開かれているとのこと。
その折には、多くのファンが集い、流山の地名の謂れとなった流れてきた山の頂にある赤城神社境内で菩提を弔うとともに、天然理心流 の真剣による演武や、研究論文の発表もあるとのこと。
春のお祭り菜の花フェスティバルでは、大砲の実射もあるのだとか。
これはかなり本格的です。
公共施設での紹介もチェックせねばと、まずは市立博物館へ向かいました。
市立博物館の建物は、一階が図書館、二階が博物館になっています。
入ってすぐのエントランスに、沖田総司の顔出しパネルが。
二階の博物館へあがる階段の脇にも彼のパネルが、元気いっぱいに佇んでおります。
ミュジーアムショップで取り扱っているメモ帳にも、「新選組 流山に入る」の文字とともに、表紙にも中にも彼の姿は印刷されていました。
流山の歴史文化といえば、いわずとしれた白みりん。
市の歴史文化が展示されている二階へ登り、みりん作りの道具などなどを眺めながら進んでいくと、なぜか、突然、どでかい階段がディスプレイされているではありませんか。
階段にのぼらないでください、との注意書きとともに。
そこから、新選組の展示コーナーが始まります。
この階段は、新撰組が本陣とした長岡屋の醸造蔵の階段だとか。
虎鉄?な刀とそのいわくについての展示もありました。
すみません。
幕末歴女でも刀剣女子でもないため、せっかくの展示も、歴史の教科書を理解するような通りいっぺんの印象しか持てず、今さらながら、予習しておけばよかったと、反省しきりでありました。
しかし、そんな私であっても、のどかな関東近郊の街にみなぎる新選組愛の焔を、歩いているうちに感じとりました。
そして、駅からほど近いところにある、近藤勇陣屋跡のみやげ物展で、見つけました!
ここでしか求められないであろう本を。
『新撰組古典読物短編集』
「池田屋襲撃」 菊池寛
「近藤勇と科学」 直木三十五
「甲州鎮撫隊」 国枝史郎
「話に聞いた近藤勇」 三田村
このラインナップは、求めずにおられようか!です。(著者に注目)
発行は、葛飾県流山町閻魔堂文庫。
どうやら、地元ゆかりの版元さんのようです。
流山みりんと、新撰組ゆかりの日本酒、そして本を携えて、街歩きは続きます。
さて、古い蔵や家屋敷を改装したカフェやレストランギャラリーなどを見てまわり、富士塚があるという浅間神社へ。富士山ははるか昔から拝まれてきたゆえ、富士塚はいわずと知れたパワースポットです。
正面からは見えませんが、お堂の横にまわって裏へまわると、畏怖堂々たる偉容が目の前に現れます。
これぞ、富士塚。
遠路はるばる運ばれてきた、富士山の溶岩の積まれた富士塚です。
噴火とともに飛び出したそのままの、ごつごつと荒々しい岩の合間の山道を、一合目から十合目まで打たれた印に沿って、くねりくねりと登ります。
うっかり手を突こうものなら、岩の切っ先にケガは必至。
恐る恐る足場を確認しながらの正しく登山。
標高わずか六メートルほどなのに、この登り難さは、気持ちを引き締め、自然と霊験あらたかな心持にさせる効果があるようです。
ようやくたどりついて、腰を伸ばして、四方を見渡し、まずは祭神木花開耶姫の石宮に手を合わせました。それから、手土産の袋から酒をとり出し置いて、不謹慎にも味見をしようかと思ったその時でした。
お社の先に見える江戸川の土手向こうがなにやら騒がしい。
つい、と背伸びをしたその時に、思わずよろめき、あわや霊峰から真っ逆さま!
――危ないではないか、気をつけろ――
鋭い声とともに腕をつかまれ、思わず振り仰ぐと、そこには見るからに幕末志士な人物の姿が。
その人物には、幕末事情に疎い私にも、重要人物ではないかと思わせる風格が漂っていました。
志士は、石宮の前に置かれた白みりんと酒に目をやると、目を細めて、顎の下に指を当ててしばし一考。
おもむろに、袂から盃を取り出し、まず一献。
石宮に一献。
それから、志士は、石宮の背にぐるりと回りこみ、止める間もなく、富士の頂から、残りの酒を空にふり撒きました。
呆然としている私に、ようやく気付いたのか、その幕末志士は
――なんだ飲みたかったのか――
と、笑みをもらしました。
すまぬ、でもなく、けちくさい、とさげすむでもなく。
日は傾き、長く影を引き始めました。
江戸川の土手を背に立つその志士は、西日の逆光にゆらゆらと溶けていきました。
彼は誰だったのでしょう。
わずかな知識をたぐってみます。
局長、副長、美剣士……どうたぐっても、この三人しか思い浮かびません。
……歴史は、名の残る数少ないものと、残らない大勢とでつくられる……
気になるけれど、もう、きくことはできません。
そういえば、志士が酒をふりまいた方角には、先ほどみりんや酒を求めたみやげもの屋があるのでした。
それ、すなわち、新撰組ゆかりの場。
この富士塚、築造は明治に入ってからで、志士たちの滞在した頃はまだなかったはずです。
では、なぜ、現れたのでしょう。
当時、どのように動けばよかったのかと、高見より俯瞰したかったのでしょうか。
それとも、心ならずもこの地で別れた志士たちへの、手向けの酒をふるまいたかったのでしょうか。
巡らせる思いに、志士の名は、多分、そうだと、答えは出ていました。
山頂から見えた江戸川の土手へ出ると、川をはさんで向かい側が、黄色くかすんで染まっています。
殺伐とした歴史の跡をやわらかに包みこみ、菜花の黄色は甘い香りとともに風に吹かれていました。
土手から街へもどり、工場の壁面アートを眺めながら、小林一茶ゆかりの記念館、流山の地名のもととなった神社などをめぐって、流鉄平和台駅へ。
踏切が鳴り出して、ちょうど列車が駅に入ってきたようです。
車掌さんが、手招きをしています。
次々と駆け込む乗客たち。
走りこむ目の端に、駅の展示の流山の名産品コーナーが映りました。
けれど、写真を撮っているひまはありません。
このせわしなさは、写真を撮りがてら、またいらっしゃい、という街のお誘いなのかもしれません。
列車に駆け込み、息をきらして席につき、ふと思い出して、土産に求めたこぼれ梅を、そっと口に含んでみました。
口に含んだこぼれ梅に、笑みがこぼれます。
あの志士の笑みが、一瞬、車窓に浮かんで消えました。
<近藤勇陣屋跡・酒造家長岡屋跡>
最寄駅 流鉄流山線「流山」駅
流山市のホームページで、詳細をご覧いただけます。
<今日買った本>
『新撰組古典読物短編集』
葛飾県流山町閻魔堂文庫著
葛飾県流山町閻魔堂文庫発行
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