第115話 一隅を照らす

何、だ?これは…


肌や衣を撫でる程よく冷たい水の流れ。こぽこぽ…と底の方から湧き立つ泡の数々。


どうやら自分は水の中を漂っているらしいが息は苦しくない。


それにしても見上げた水面みなもから降り注ぐ光のなんと優しい事だろう。


それにしても、と辺りを見回して不思議に思うのはここは湖の中だろうが生き物の気配が一つもしないのだ。


生き物の居ない湖なんて死んだ水たまりと同じではないか。


そう思った瞬間、目の前に現れたのは小さな小さな緑色の藻で水に溶けた大気を体内で交換して漂っているだけの存在だった。


次に現れたのは海老に似た小さな生き物。自分の意思で動くその海老もどきはいきなり藻を喰らって次に現れた小さな魚に喰われた。


さらに小さな魚は大きな魚に喰われ、大きな魚の群れは水面から放り込まれた網に捉えられて残らず攫われた。


次に見えたのは魚を捉えた漁師の男が獲物を串に刺して火で炙り、うまそうに喰らっている様。


しかし、漁師も年を取り卒中の発作を起こして事切れた。

山中でのことなので誰にも見つけられず野の獣に骸を喰われやがて白い骨になって雨に打たれ、その骨さえも長い年月をかけて土と同化していき、骸を養分にした土から苗木が生えてやがて青々しい木々となる。


そうか!これは現世うつしよでの生命の流れ。前世、現世、来世を魂が巡るという佛の教えは実は、


過去、現在、未来という名で現世で起こることだったのか!


それが真実なら私が生涯かけて伝えてきた全ての衆生は救われるべき、という天台一乗の教えは…


案ずるでない、最澄こと三津首広野みつのおびとのひろのよ。


絶望して水の中で頭を抱える自分に威厳はあるがとても優しい声が水面の光から降り掛かった。


人は過酷続きの人生の中で神も仏も教えも棄てて心がけだものに落ち、やりたい放題に犯して殺して現世に地獄を作りたがる生き物。


だが…仏の幻に縋りひとときだけでも現世から目を逸らすことで理性を取り戻し生き方を改める事も出来る。


最澄よ、お前の教えは今の時勢には新しすぎて全ての衆生に届くまでには幾百年いくもももとせもかかるのだ。


心弱った後世の衆生がお前の教えに縋る時が必ず来る。


「だから、現世での結果を追い求めて苦しむのは、もう止しなさい」


そう母の声で言われて最澄ははっと目を覚ました。

幼い自分を国分寺に売り、国から送られる仕送りを貪り堕落した両親のためを思って最澄が仕送りを止めると死ぬまで息子を罵り続けたという母が、


「あんな優しく語りかける筈が無いではないか…」


涙とともに胸からせり上がって来るものをこらえきれず最澄は天蓋に覆われた床の中で二つ三つ空咳をした。


懐紙で口を拭うと必ず血が付いている。ここ数日で喀血の量が格段に増えた。 


最大の支援者で親友であった和気広世どのを看取ったあの時、がい(肺結核)に感染したのだろう。ご子息の真菅どのが


がいは死病ですっ!最澄和尚の御身に何かありましたら」

と止めるのも聞かずに 

 

「人は貴賤なくきちんと看取らなければその魂は救われない」


と感染防止のための帷帳の中に入って広世どのを看取ったのだから。


別にその行いには悔いは無い。もし、わが人生に悔いがあるとしたら…



「いい加減ご寛恕なさいませ、おほきみ


と笏を掲げて奏上するのは昨年正月に右大臣に昇った藤原冬嗣。


天台宗独自の戒檀を認可する事は先々帝桓武帝のご遺言であり、


最澄和尚の容態があと幾日も保たず最澄の後継者円澄からの「我が師が存命の内に願いを叶えて差し上げたい」という文が矢の催促のように届く今だからこそ認可を与える機会だ。


と冬嗣も焦っているのだが我が主嵯峨帝は…


「だが断る」

の頑固な一点張り。


「最澄の朝廷への貢献も右大臣の気持ちも朕は解っているつもりだ。が、彼の者はやってはならない事をした」


「鑑真和上が定めた具足戒を破棄した事ですか?」


「違う」


「弟子泰範を使って密教の秘法を盗もうとした事ですか?」


「それもある。朕が一番許せないのは納得して決別したつもりの空海を論で以て攻撃した事である。

解るだろう右大臣、

先程から並べた最澄の行状…最早、ひじりとは思えぬ」


と嵯峨帝はそこで言葉を切ってしまわれ最澄の話題には触れさせようとはなさらなかった。


帝は本気で怒っていらっしゃる。

いつもは活気に満ちて饒舌な帝がこうなってしまわれてはもう無理だ。


小さく溜息をついた冬嗣は諦めて帝の御前を辞し、さてどんな言い訳の文を円澄に書こうか。と思いを巡らせた…



天蓋の外で泣き声がするので最澄は「円珍、なぜ泣くのですか?」と昨年弟子に取ったばかりの稚児に問いかけた。


稚児の名は円珍えんちん。この年八歳の彼は讃岐佐伯一族の出身であり空海とは遠縁に当たる。


みずらにゆった髪を揺らしてだってだって!と泣きじゃくる円珍は「病厚いお師匠に対するお上の仕打ち、あまりにもひどすぎます!」といういかにも子供らしい素直すぎる悔しさをぶつけた。


「あまり人の悪口を言うと後々生きづらくなるから止すんだ。

私はね、若い頃から自分の独り善がりで周りの悪口ばかり言い過ぎたからこんな事になった。と今では反省しているんだ」


天台宗を優位にする為なら何でもした、その為に今上帝お気に入りの密教を取り込もうと泰範を弟子にやり我が宗派に持ち帰らせようとした。

 

だが、密教に固執し過ぎた私は後継者の泰範にも友と思っていた空海阿闍梨にも去られてしまった。


それが人生唯一の悔いである。


「だけどねぇ円珍」

と天蓋の向こうで最澄がゆらり、と半身を起こす。


「断崖の岩肌に爪痕を残す位の事はしないと教えは後世に残らない。よく覚えておくんだよ」


それは十八という若さで正僧に出世し、それ故に周囲から妬まれ暴力を受けて東大寺から逃げ出し、弟子たちと共に独自の教えを広めていく内に…


したたかな僧侶に変貌した最澄が幼い弟子に打ち明けた本音であった。


はい…とうなずく稚児の影を見てこれでいいんだ、と最澄は思った。我死すとも弟子たちに思いが伝わればいいのだ。


元々仏教とはそういうものだったではないか。


急に息が苦しくなってもういよいよか。と悟った最澄は円珍に「寺にいる全ての者を講堂に集めよ」と告げた。


最澄の周りには第一弟子の円澄はじめ教えに感化されて奈良の寺を捨てて弟子入りした義真、最澄の噂を聞きつけて比叡山入りした光定。


他数多の弟子たち、見習いの稚児、厨の使用人から小間使いの用人に至るまで講師の声がよく通るようにわざと仕切り無く作られた講堂にひしめき合っている。


「もう最期です、これから伝える言葉をよく心に刻んで常に実践するように」


死が迫っている人とは思えない朗々とした声で床に半身起こした最澄は帷帳が開かれると残りく少ない息を振り絞った。 


「もし貴方の目の前がくらいならば、その一隅に光を照らしなさい。


例えば飢えた人に一杯の粥を与えるように。


暗い路を行く旅人に松明を渡すように。


泣いている子の話を聞いて慰めるように。


気が落ち込んだ人に笑顔で接するように。


自分に出来るやり方でいいんだ。


本当に人を救うのは目の前の人のささやかな善行なのだ。


短い人生の中で人はそれしか出来ない。


だから一隅を照らしなさい」


それだけ言うと最澄は大きくため息を付き、座ったまま堅く目を閉じた。


講堂に居た皆は次の言葉を待った。が、微動だにしない最澄の姿にそれはもう叶わぬ事だと察した。


側に居た円澄が息を、首に触れて脈を診てその肉体の停止を確認すると涙を浮かべて嗚咽しそうになるのを堪えながら、


「最澄和尚、ご入寂…」


と講堂の者たちに告げた。

弘仁十三年六月四日(822年6月26日)

最澄入寂

享年五十五


元々大陸渡りの教えである仏教に独自の教えを掲げ、天台宗設立と発展に全てを捧げた人生だった。


師匠…あなた様の悲願であられた天台宗の戒壇設立をこの円澄、必ずや成し遂げてみせまするぞ!

円澄は右側に首を傾けて薄く微笑んだままの最澄の遺体から薄青色の帽子を外しそれを被った。そして、


「今からこの円澄…最澄和尚の弔いを行う」


と天台宗二代目座主の就任宣言と最初の務め、天台宗創始者最澄を送る事を哀しみで震えながら告げた。


遺された弟子たちが一番心配していた天台宗への戒壇の認可は最澄の死語七日目に詔勅として贈られ、そして比叡山寺が建てられた時の元号、延暦を以てこの先寺号を延暦寺とするという寺社として初めて元号を名乗るという最高の栄誉が贈られた。

 

「僭越ながら申し上げますが帝」


「何だ?右大臣。言ってみよ」


大きな竹筒に仏への献花を御自らお生けになられている嵯峨帝に冬嗣は思っていることを尋ねてみた。


「帝はお父上桓武帝のご遺言に関しては愚直なまでに実行なさるお方。

 

まるで最澄が死ぬのを待っていたような仕打ちではないか、と周りは言いますが…本当は戒壇を与えたいけれど与える事が出来なかったのではないか、と」


「その通りだ冬嗣」


そこで初めて冬嗣を振り返った嵯峨帝は舌打ちしたげな悔しいお顔をなさって人払いをさせた。


「去年、上皇(嵯峨帝の兄平城天皇)のたっての希望で空海による灌頂を行わせたがそれがどんな意味を持つのか気づいたのは全てが終わってからだった」


そこまで聞いて冬嗣はあ!と声を上げて

 

「太上天皇が空海の弟子になる。それは天皇家そのものが空海の檀乙(檀家)になったという事…」


帝のご依頼を受けた時に気付いていた癖に何も言わない空海も空海である。


「解るか?生ける最澄に戒壇を与えては天台宗に強大な権力を与えてしまう。そうなっては空海も奈良の宗派も危うくなる。

宗派の力の均衡を保つために兄上はわざと空海の灌頂を乞われたのだ」


そこで嵯峨帝は献花とは別に室内に飾ってある沙羅の花をお取りになり、


「元々頭の切れるお方だったが…今回だけはは兄上にしてやられたよっ!」


と本気の悔しさをお顔に滲ませ白い沙羅の花を握りつぶそうとなさったがそれを躊躇い「まあ夕刻には落ちる命だから」と元の花瓶にお戻しになられた。

そして仕上がった献花を延暦寺に贈るよう舎人にお命じなさった。



最澄の貢献は認めるべきではある。

 

しかし形として戒壇を与えるべきなのは生きた最澄ではなく死せる最澄なのであり天台宗による初めての授戒は円澄によって行われるべきだ。


と上皇さまは行動を以て帝をお諌めなさったのだ。


つまり帝は上皇さまにしてやられた事を我にも気取られぬようにわざと怒った振りをしておられたのだ。

  

元々頭の切れるお方であられたが、過去の政変の折にあのお方と争っていた。と思うと…


夏なのに冬嗣は背筋に冷たいものを感じ、自邸の庭の沙羅の木の前で身震いした。

それを訝しんだ次男、良房が「どうかされたのですか?父上」と尋ねると、いやいや…と冬嗣は首を振り、


「さすがは彼の君であらせられるよ、と思ったまでさ」


と頼りなく笑った。


最澄入寂を空海が知ったのはちょうど故郷讃岐の満濃池の再築工事の仕上げにかかっている最中で讃岐国国司、清原夏野きよはらのなつのが現地視察の折に報せてくれたのだ。


「私は色々火種を撒く僧侶だな、と最澄和尚を正直迷惑に思っていた時期もあります。が、結果的にこの国の仏教を正してくれた恩人でもある。しばらくは寂しくなりますな…」


とこの年三十八の夏野は色白で細面の顔に憂いを滲ませた。


この満濃池は百年以上前に当時の讃岐国守、道守朝臣によって造られた人口の貯水池であるが弘仁九年の老朽による堤防の大決壊と水害で多くの讃岐の民が水に沈んだ。

 

当時現地に赴任していた夏野の必死の嘆願によってやっと再築工事の許可が降り、四年かけた大工事も唐国の最新の建築技術を学んだ空海による仕上げで梅雨前に完成か、と讃岐の人々も胸撫でおろしている。


光が反射する広大な湖を眺めながら空海は、「ちょっと…ひとりにさせてくれませんか?」

と夏野に頼んだ。


「たそがれたいのですね」

心得た、とばかりに夏野がその場を立ち去り、堤防の淵に佇む空海を湖面に反射する光が包み込む。


最澄和尚。


私達は互いに茶を汲み交わしこれからの仏教のありかたに納得が行くまで議論し合い、密教を通して親交し、そして訣別するまでに至りました。


でもそれは、喧嘩別れするまで人として互いにぶつかり合ったということ。

納得行くまでぶつかり合わなければなんの為の人間関係か。


「あなた様もわしも、一生懸命生きてまいりましたなあ…」


空海の眼から頬に伝った一滴の雫が顎から落ち、それを一陣の風が池の湖面にまで運び去った。


空海と最澄、この二人は当時権威主義に堕していた大陸渡りの仏教に新風を取り入れ、最澄が開いた比叡山は主たる日本仏教の宗派の開祖、

法然、親鸞、良忍、一遍、真盛、栄西、道元、日蓮等を輩出する。


天台一乗、全ての衆生は救われるべしという最澄の教えは数百年の時をかけて空海が持ち込んだ密教とも融和し、


万物を育む魚棲める湖となった。



「祈りの光、空海と最澄」完結。


次回「進士篁」より次世代編が始まります。








  










 






































 







  




  





 






 













 






 




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