第116話 進士篁

それは弘仁十一年(819年)春。

年明けの宮中行事も終わり、宮仕えの者たちが通常の務めに戻って間もない頃である。


庭園の梅の花びらが風に舞い、ちょうど詩句を書き上げた紙の上にひらり、と落ちたのを見てほう、風情があるな。と空海は思い一旦筆を置いた。


そして傍らで勅書の整理をする貴人に「ここいらで休憩になさいませんか?」と声を掛けた。


「それもそうだな」

皇太子の侍従長にあたる春宮亮、清原夏野きよはらのなつのは顔を上げてはぁー、とため息を付いて白く秀麗な横顔に翳りを落とした。


ここ中務省なかつかさのかみの一室で朝から夏野と共に執務している空海はもう数えて十四回目になる夏野のため息が気になって仕方が無い。 


「さてはご身内に何か心配事でも?」

中食(昼食)の膳を挟んで空海が単刀直入に尋ねると夏野はああ、うん。とさえない返事をしてから辺りに誰もいない事を確認すると…


「野育ちのたかうな(竹の子)に文道を仕込むにはどうすれば良いか悩んでおります」


と親戚である小野篁の受験勉強に難儀している事を打ち明けてくれた。


仔細はこうである。嵯峨帝、正月の射礼の儀式で最高の成績を上げた篁をいたくお気に入り召され早く側仕えしてもらいたいが為に「最低でも進士には及第してもらう」とお命じになられた。


進士とは唐の科挙六科の一つである官吏登用試験でこれに及第(合格)すれば出世の道が開かれる。が、試験の問題に答えるには膨大な文物を暗唱出来る程の記憶力と学識を求められる。


「私の母は小野氏の娘なので篁とは親戚なのです。私は心配になって篁の元に赴き、学力の程を試したのですが…」


中食の膳に目を落としてはああーっ、と夏野はこれで十五回目のため息をついた。


清原夏野は元は天武帝皇子舎人親王の孫、小倉王の皇子として生まれたれっきとした皇族であり諱は繁野王しげのおうといった。


だが傍系の皇族では出世が見込めないので内舎人うちとねりだった二十二才の頃、自ら桓武帝に願い出て清原真人姓きよはらのまひとせいを賜り、ついでに「帝の皇女の繁野内親王さまと名がかぶるのはに畏れ多いので」と自ら夏野という名に変えた。


清原夏野。清原夏野…うん、何か物事すべてが新しくなりそうな良い名ではないか。


「これでせいせいした」

 

五位を賜ってからの夏野はまるで蛹から出た蝶の如く頭角を現し桓武、平城、嵯峨の三朝で政変にも巻き込まれる事なく出世を重ね次の帝の御代には夏野は大臣か?と噂される程皇太弟大伴親王の信任が厚い。


そのように優秀な夏野さまが手こずる程篁どのは残念な子なのか?


「篁どのは今年十九と聞きました。五言絶句や七言律詩は読み書き出来ますでしょう?」


「それはできる。万葉仮名も読めない十以下の餓鬼ではない。だが…」


「だが?」


夏野が空海に顔を寄せ、

「基本の基本である四書五経を覚えるのを嫌がります。特に儒教を嫌っています」と打ち明けてくれた。


空海は「それは困りますなあ」とのんびりした口調で答えた。


「覚えるものを覚えなければ文章を学ぶ以前の問題です。お父上の岑守みねもりどのも舅の三守どのも手を焼き、書を突きつける私から逃げ、篁は今はうまやで寝泊まりしております」


「そんなに書を嫌がるのでっか。特に儒教を嫌っているのは何で?」


「篁の馬鹿餓鬼は生意気にも

『儒教なんてのは孔子って爺ぃの薄らぼんやりとした説教を孟子やら荀子やらが勝手に解釈し、法家どもが都合の良いように捻じ曲げて国が民を従わせるよう利用した害悪ではないか』と覚えもしない癖に論じます!」


ちょっと待って下さい!と空海は片手を上げて制した。


「篁どのの言葉は彼の国の儒教の扱い方の本質を衝いてます。わしも若い頃はそう思って大学寮を出奔しました…なかなか見所のあるお方ですな」


篁どのは夏野さまが嘆くような馬鹿では無い。元々知性が高いから大陸の学問をただ暗記するだけ、という日の本の学問のやり方に反発しているだけや。


そのような人物が政の中枢に立てばこの先、どんな面白い事が起こるだろうか?空海は実に久しぶりに心が沸き立つのを感じた。


「夏野さま、筍を立派な青竹に育てる秘訣ですが」


と空海は頭を抱える夏野に一言だけ耳打ちし、務めを終えて内裏から出た夏野はいつもの不敵さを取り戻していた。


彼は藤原三守邸に着くとまず厩舎の中で藁だらけになって寝ている篁の脇腹を蹴って起こし、耳たぶを引っ張ってから


「そうやって人生の一大事から逃げてんじゃない!」


と一喝を浴びせて無理矢理母屋に引っ張った。そして服を着替えた篁に膝に投げて寄越したのは古びた紙の束。


「お前の今の学力でそれに書いてある物語を最後まで読み切って見せよ」


とだけ言って夏野は部屋から出て行った。


仕方が無く篁が紙の束を開き、文机に置いたのは日暮れ時。灯火の明かりを頼りに篁はそこに書かれてある作り話を渋々読み始めた。


最初は何だよ、この話の登場人物の角の生えた兎の長者だの、牙の生えた蛭だの、毛の生えた亀だの変わった名前は。これを書いた人は相当なひねくれ者に違いない。と思っていたが…


一時(二時間)後、

「あの…義父上ちちうえ楚辞そじ(中国戦国時代の楚地方において謡われた詩集)はこざいますか?」


と篁の方から初めて書を求めた事実に三守

は戸惑いながらも「あ、あるとも!」と答えて差し出し、


傍らの夏野は「やはりその戯曲にはまったか」とにやりとした。


夏野が篁に渡した文は二十数年前に空海が出家宣言の文として叔父の阿刀大足あとのおおたりに渡した儒教、道教、仏教の三教比較論文にしてこの国初の戯曲と云われる聾瞽指帰ろうこしいき


当時の夏野も三守もその物語の面白さと書き手空海の高い教養と文章力に魅了された。

あの頃は博士たちに隠れ大学寮の学生たちの間で書写し、読み合った日々は本当に楽しかった…と二人の貴人は楚辞を読む若者の姿にかつての自分を重ねた。


その夜から篁は次々と大陸の文献や注釈書を読み漁るようになり、物語を理解するために必要な知識を吸収し、理解出来ない事や難解な箇所があると舅三守、父岑守に遠慮なく教えを請うた。


桜が散り、次に藤が散り、梅雨が去って庭園の木々が紅葉する頃に篁は空海からの手紙の最後の詩を読み終え、


「面白かった…」

と陶然と溜め息をついた時篁は庭の楓が紅くなっている事にようやく気付いた。


篁が聾瞽指帰を手にとって既に八ヶ月が過ぎていた。


「春の花は枝の下に落ち


秋の露は葉の前に沈む


逝く水は住まること能わず


廻る風は幾たびか音を吐く 」


あっという間の季節の移ろいを前に覚えたての詩を諳んずるまで篁の学力は向上していた。


あの春の日、空海が清野に耳打ちしたのは


「まあ現世と云うのは亀毛先生と虚無隠士の永遠の言い争いを仮名乞児が脇から見てるようなもんですから」


という一言だけ。

それだけで夏野には解った。


若者に文物を学ばせたいなら苦痛の内に覚えさせるのではなく、楽しく読ませるように大人が工夫すべきではないですか?

と空海は言っているのだ。


そして夏野は自邸に戻ると書庫に保管してあった聾瞽指帰を取り出し、篁に渡した。それだけであった。


それから約一年半後の弘仁十三年(822年)、小野篁文章生試を受け進士及第。


「やはりお前にも文人一族の小野の血が流れているのだな。野の篁よ、此度の解答の詩文、素晴らしい出来であった。

やれば出来る子ではないか」


と嵯峨帝直々にお褒めの言葉を賜り父ともども恐縮した。

篁が文章生という官吏見習いの立場で宮中に出仕し新しい務めに忙殺される日々の中で偶然空海と出くわしたのは及第から半年後、そこは初めて空海と出会った内裏北の県犬養門あがたいぬかいもんの真下であった。


若き文章生は長身を折り曲げ最大限の謝辞を空海に述べた。


「私は上から説教みたいな儒教が嫌いで覚えるのを拒否していましたが、儒教の知識が無いと古今の文物さえ読めないのですね。思い知りました…阿闍梨のあの文が無ければ今の私はいません」


空海はにこにこしたまま篁の一言一言にうなずき、


「ご立派になられましたなあ、どうか後の事をよろしくお頼み申します」


と言うと篁の右手に軽く触れた。そして内裏のほうへと去って行った。


触れられた篁の指先からはほんのりと塗香ずこうの香りが立ち昇った。


我に返った篁が振り返った時にはいつも早足な僧侶の姿は既に消えていた。


こうして

聾瞽指帰ろうこしいきが三教指帰と題名を変えて任官試験の1つである対策においても試験問題として採用され、

貴族の教養に欠かせない程の文物になるのは、


後の世の事である。



この日、空海を召し出された嵯峨帝は開口一番、

「高野山の寺社の建築が遅々として進まぬと聞いたが」


と耳の痛い事を仰せになられた。


「へえ、その通りで」


実は嵯峨帝、高野山と周囲の土地を空海に下賜はなさった。が、その後の寺社建築については「己が裁量と人徳で行え」と仰せになるだけ。


つまりは

朝廷からは一錢も出さないからな。


という冷厳とも言える通知を出されていた。


「寵僧に対して吝嗇過ぎるのではないか、という意見も朕は承知している。しかし財政厳しく都から遠く離れた寺社に出す費用は無い。そこでだ空海」


「は」


ご自身が一番お気に入りの桐模様が入ったくすみのある朱色の袍をお召しになられているので何か重要ごとをお告げになるのだろう、


「お前に東寺をやる。これより教王護国寺という名を与える故しばらく東寺を拠点にしてみてはどうか?」


空海はちら、と顔を上げた。空海の弱みは拠点とする寺社を確保していない事である。これには断る術も無い。


「ありがたき、しあわせ…」


と目を伏せて空海は頭を垂れた。確かに東寺丸ごと戴けるのは有難いがこれでまた何年か高野山に帰れなくなると思うと胸にちくりと来るものがあった。


「それに大体な、いくら敵を作らぬよう立ち振る舞ったつもりでも自身の宗派としての立場をはっきりさせないお前も悪いんだぞっ!


朝廷としても正式な宗派でないものに公費を出せる訳がないではないか。


今ここで宗派を名乗るのだ、空海」


まるで今まで溜めて来た愚痴をぶつける子供のように畳み掛けて来られる嵯峨帝の口調が可笑しかった。が、確かに主をここまで焦らせてきた自分も悪い。


来るべき時が来ただけや。空海は観念し、


「それでは今から真言宗、と名乗らせていただきます」


と唇の両端を上げて柔らかい声で宣言した。


そうか…そうか。やっと決めてくれたか。と嵯峨帝は中空の一点をお見つめになってから、


「お前の名を聞いて七年でやっと出会い、出会ってから十三年でやっと覚悟を決めてくれた。

…天皇をこれだけ待たせて許されるのはお前だけだからな!」


と旧知の友にぽんぽん言葉を投げつけてから破顔なされた。その両眼には涙が滲んでいた。


空海を御前から退出させたその足で嵯峨帝は東宮に赴きになり、同い年の弟で皇太弟大伴親王に正面に床座なさると─

「久しぶりに二人きりで話がしたいから」と春宮亮清原夏野と大伴側仕えの藤原吉野を下がらせた。


敢えてこの二人まで下がらせて人払いなさるとは、兄帝から何かとても大事な話がおありになるに違いない。


周りの空気に圧し潰されるような緊張感で大伴は目線を落として兄の次のお言葉を待った…


「今からお前に四方拝を伝授する。故にこれから朕のやる事をつぶさに見て完全に自分のものとするように」


とうとう来るべき時が来た。と大伴は思った。


立太弟して十二年、今年三十六になる大伴は唾を飲み込んで「畏まりました」と顔を上げ、兄帝に正対した。


「まずは笏を右手に持ち正座姿勢から右足より立つ」と仰りながら嵯峨帝は四方拝の最初の動作をなさる。


隣に座らされてそれを見た大伴はぎこちなく兄の動作を真似た。


こうして四方拝伝授は十日余り続き、大伴が寸分の違いもなく出来るようになったのをご確認なさった翌日、


嵯峨帝は朝議の席で自らの退位と

皇太弟大伴親王への譲位の意向を明らかになさった。


逝く水は住まること能わず


の言葉通り


季節も人も世代も世情も


全てが移り変わる無常の現世に人々が生きる弘仁十四年の夏のことである。





「凌雲」終わり


次章「嵯峨野」へ続く。











































 


























  



























































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