第114話 篁

叔父の三守どのが婿に迎えになられた男は随分と背が高くてお顔の彫りが深くてまるで…


と思ったところで急に牛車が止まりがこん、と屋形が揺れたので隣で居眠りしていた兄の長良ながよしがむむ、と唸って目覚めて「何事か?」と小窓を開くと中秋の月の光がすうっと屋形の中に入り込む。


「どうもいけません、これは牛の気まぐれのようで」

相当恐縮した声で従者が外から答えた。


しっ、しっ!と牛の尻を叩いて歩かせようとしている焦りの声が聞こえる。


「私たちは急いでいる訳ではないんだからそんなに牛を叩くな」

「なれど今夜じゅうにやしきに帰れませんよ」

と兄に意見したのは弘仁十年のこの年十六才になった藤原良房ふじわらのよしふさ


彼は参議藤原冬嗣の次男であり貴族家の筆頭藤原北家の倅として兄長良とともに将来を嘱望された若者である。


「なあに宮仕えしている訳でもなし何か約束がある訳でもなしここで寝て牛が歩き出すまで待とう」


と言って宴の酒でしたたかに酔った兄が屋形の壁にもたれて二度寝しようとするのを見て良房はちょっ、と舌打ちした。


「ならば鞭でてばいいんだ」


弟が放った硬質の声で長良の酔いと眠気が覚めた。


「そうすれば牛が暴れて私たちも近隣の住人とひとたまりもないよ。少しは周りの事も考えて」


少し身を起こして長良が弟を嗜めた。

弟良房は学問、武術、伎芸何をやらせても兄の自分より優れているが時折人を人とも思わない冷酷な発言をする。


良房は顔は父冬嗣に似て端正だが性格のほうはどうやらおじじ様に似てしまったようだ。


と生前は忠勤だが冷酷無比、と陰で評された祖父の内麻呂の「身内にだけは」優しく笑いかけた色白のお顔。そして考え事をなさっている時のぞっとするような冷たい目付きを思い出し、それを弟の涼やかな目元に見つけた時…


良房が将来己が出世や保身の為に大それたことをしなければよいが。と要らぬ心配をするのあった。


「そういえば従姉妹の夫君だけどねえ、あんなに背の高い人は初めて見たよ」


弟の心配ばかりしていては心が暗くなるので長良はわざと今夜行われた従姉妹の結婚祝いの宴の話題を振った。


「確かたかむら、という名前でしたね。

渡来人の血も引いていないのにどうしてあんなに大柄なんだ?

と宴の間ずっと考えていましたよ。父の岑守みねもりは小柄なのにねえ…やはりあの噂は本当かもしれない」


噂って?と身を乗り出す兄の他に誰も居ない車内なので貴族の子弟の中でまことしやかに囁かれている噂を口にした。


「小野篁は小野岑守どのと猿女君の巫女との間に生まれた子で、

猿田彦と天鈿女あめのうずめの子孫だ。

だからあんなに長身なのだ、と」


確か宴の席で篁どのは「小野岑守の庶子、篁です」と最初から生みの母が誰かなんでどうでもいいという自己紹介をして一切その話題に触れさせようとしなかった。


「それならば篁は国津神の子孫という事になるな。なあ良房、近い将来篁どのが叙爵して宮中に上がったら面白いことになりそうではないか」


ああそうだ、牛車の揺れで自分が止まった思考を良房は再開させた。


篁の容貌はまるで、

我が藤原家の祖、史(不比等)が編纂なされた古事記に登場する国津神、猿田彦大神みたいではないか。


はは、兄上もそう思いますか…と笑っている内に強烈な眠気が来て北家の兄弟は牛車の屋形の壁にもたれて牛が動き出す夜明け前までぐっすり眠った。


将来摂関家としてこの国の権力のほぼ全てを手中にする藤原長良と良房。この時はまだ十九才と十六才で眠い時は眠る自分に素直な若者たちだった。



怖がることは無いのです。


巫女か尼にならぬかぎり女人の誰もが通る道なのですから全ては婿殿のなさるままに。


と前もって乳母からねやの作法を聞かされてはいたが…やっぱり怖い。


藤原三守と故橘安子の娘、睦子は秋だというのに夜着の下の皮膚を緊張で汗だらけにし、内股をぎゅっと締めてほのかな灯火の明かりの中父が婿に選んだ殿方の床入りを待っていた。


十四才の睦子は乳母から子を作るために閨でするあれこれを聞かされて大層怯えた。


まるで犬や猿がするような生々しい行いを人もするのか。これから殿方に組み敷かれて痛くて怖い思いをするのか。


そういう話は実母の安子から伝えられるべき事だったがその母は二年前に急逝した。


乳母はもう老境なので自分の初夜はもう数十年前だったので忘れた。と言った。


聞けば婿殿は私が今まで見てきたどの殿方よりも大柄で顔の彫りが深い異相だと聞く。


怖い…!と睦子が思っている内に灯火が揺れて部屋の天井まで突き抜けた黒い影がぬっ、と睦子の前に現れた。


ひっ、と睦子が喉の奥で声を鳴らしわずかに後ずさる。と、人影は急に半分程の高さに縮んで大きく丸っこい目と高い鼻の若者の顔が目の前に降りて来た。


「やあ、これはこれはお美しい姫君だ」


睦子の前で夜着姿の篁は蹲踞の姿勢を取ってにこっと笑った。その笑顔はあまりにも邪気が無く眩しく大きな犬ころのようで睦子は一瞬にして彼に惹き付けられた。


でも、この人は一体何をしているのだろう?


「あの、その…お前は図体が大きくて居るだけで周りを怖がらせるから人と同じ目の高さに合わせるようにと父から言われまして…」


そう言って照れて頬を搔く篁のぎこちない様子に、


このような事は婿殿も初めてなのだ。


と元々怜悧なたちの睦子はすぐに理解した。


「わ、私は睦子、藤原睦子といいます」婿殿の緊張をほぐす為にとにかく婚儀の決められた手順を済ませてしまおう。


そう思った睦子は母安子ゆずりの涼やかな目鼻立ちの顔を灯火を寄せて相手に見せて

「噂と違ってあなたは恐ろしい人では無いのね」と安心して笑った。


とにかく夫婦になる最初の儀式である名乗りは終了した。


はぁ~、と寝床に手を付いた篁は緊張の糸が緩んだのと宴の酒の酔いが回ってどお!と仰向けに倒れそのまま熟睡してしまった。


「ちょ、ちょっと…殿、殿!?」


床に大の字になって真っ赤な顔で高鼾をかく篁の様子があまりにもお気楽で幸せそうだったので睦子は


まあその内ゆっくりと打ち解け合えばいいか、これからずっと篁どのと一緒なのだもの。


とくすっと笑って篁の腕の中に入って眠った。


二人が正式に夫婦になったのは初夜からひと月後の事である。



豊楽殿の広場に身丈六尺二寸(約188cm)の狩装束の篁が東国から連れてきた青鹿毛の馬に乗って颯爽と現れた時、嵯峨帝はじめその場に居た皇族貴族や護衛の武官たちがおお…と一斉にどよめいた。


篁が結婚した翌年の弘仁十一年正月、宮中豊楽院での射礼の儀式の事である。


大柄な若者が巨大な馬を巧みな手綱捌きで操りながら宮中の射的場を駆け抜け、弓をつがえでひきしぼった刹那、放たれた鏑矢が的に命中し、菱形の白木の的がぱかん!と縦一直線に割れた。


この火の射礼の参加者には

参議良岑安世(嵯峨帝の異母兄)、

葛井親王ふじいしんのう(田村麻呂の孫)など射的の名手が出揃う中で篁は八回射的して全て命中という最優秀の成果を上げた。


その夜の宴で嵯峨帝直々に篁に褒美を与え

「流石は東国の民直々に弓馬の術を教わった野(小野)の篁の勇猛ぶりよ」とお誉めの言葉を下さった。


「ありがたきしあわせ」


と大きな身体を縮めて緊張する若者をなんだか可愛い奴。と思し召された嵯峨帝は篁の背後で畏まっている父親の小野岑守に向かって


「このように立派な跡取りに恵まれたのだから将来が楽しみであるな」


と上機嫌でお笑いになられた。


しかし岑守は細面の顔に脂汗を浮かべ、


「我が息にお誉めのお言葉を賜り光栄至極。な、なれど…

この愚息は我の任期中、陸奥の蝦夷の子らと山野をほっつき回って遊んでばかりで学問のほうはからきし駄目なのです!


今から必死で学ばせますがいつ帝のお役に立てますのやら…」


と他の貴族たちに聞こえない帝と近距離の今だからこそ身内の恥を打ち明けた。


岑守の曾祖父は遣隋使の小野妹子。さらには万葉集に


あをによし寧楽なら京師みやこは咲く花のにほふがごとく今盛りなり


という名歌を遺した歌人の小野老おののおゆ

と代々優れた文人を輩出している小野の倅がなんと勿体ない事を。


子の文道の教育は父親の務めではないか。


と帝が仰りそうなお叱りを小野親子は覚悟して首を縮めた。が、嵯峨帝はしばらく無言で何か考え込まれ、ようやく口になされたお言葉が「元はと云えば全ての原因は朕にある」

だった。小野親子と篁の舅藤原三守は驚いて帝のお顔を凝視した。


「岑守」

「は」

「あまたの蝦夷の俘囚を帰属させたお前の働きぶり、きっとほとんど家に帰らず子の教育どころでは無かったのだろう?」


「…確かに、仰せのとおりにございます」


「ならば父に放っておかれた息子は自分なりに武芸の腕を磨くしかないではないか。こうして心身健やかに育った篁を見ていると

悪いのはお前ではなく岑守に激務を命じた朕である。と思えてきてな」


なんというお方だ。


臣下の倅の学問が至らぬのを自分のせいと言い切ってしまえる心の広い王が将来のわが主だなんて!


ああ、早速このお方に仕えるのが楽しみになってきた。若い篁のこれから人生が面白くなりそうな期待と興奮で全身の血が熱くなる。


僭越ながら俺はまことに尊敬できるお方に出会えた!

「篁、お前いくつになる?」

不意に嵯峨帝なお尋ねになられたので

「は、十九になりました」

興奮気味に細かく震えた声で篁は答えた。


「ならばまだ手遅れでは無いな。お前は朕の春宮時代の侍講であった岑守を父に持ち、屈指の文人である三守が舅。と師には恵まれているでないか。

これより家に帰って文道を学び先ずは官吏登用試験を受けてもらうよ。最低でも進士に及第せよ。

これは朕に側仕えするための条件だ」


進士しんし


それは律令制において式部省が行った秀才・明経に次ぐ第三の官吏登用試験。進士試(しんしし)とも呼ばれる。定員二十名。


親の身分と血筋で人生全て決まってしまうこの時代の人々の人生に於いて進士とは身分の低い者が学力で任官出来るごく僅かな希望の光でもあった。


しかし入試の内容は


春秋戦国時代から南朝梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品からなる文選もんぜん


中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学の書である爾雅じが


さらに本文を暗記させて、出題者が示した空白部分を暗唱させる課題である帖試を合計十首。


と膨大な文物を記憶しなければならず、幼少の頃より文章に馴染んできた文人の子か記憶力に優れた秀才でない限り及第は不可能であった。


「今宵は大いに食べて飲んで家に帰って休め。だが明日からみっちり学んでもらうからな。さてこれからが楽しみだ」


と我を見て仰った嵯峨帝の唇の両端をにいっと広げて見せた笑顔はまるで…


深淵な企みを思い付いた悪い大人そのものだった事に篁が気付いたのはそれから二十年後の事であり、


ちょうど篁自身が遣唐使船乗船拒否事件を起こして官位剥奪され、流刑先の隠岐国で漢詩を書き散らかしている時であった。


結局文学とは全てを失った人間の唯一の玩具なのだ。


と夜の波が耳を打つ中篁は不意にそう悟ったのである…


さて時代は戻って


明日から苛烈を極める受験勉強を始めなければならない篁はやれ紀伝道(大陸の歴史)だの四書五経(儒教の基本書)だの暗記しなければならない苦痛を想像してかなり酒を飲んでも全然酔えなかった。


家に帰り「お帰りなさいませ、殿」と自分を迎えてくれた妻の睦子の袖を引いて篁はそのまま半ば強引に妻を抱いた。


結婚して三月みつき、気分屋の夫に睦子は慣れてきたが…


何故お泣きになるの?


うええええん…とまるで子供のように泣きじゃくりながら閨事に及ぶ篁に何があったか解らなかったが睦子はその夜華奢なからだで夫の全てを受け止めた。


































































































































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