第60 神泉苑行幸

昔、日の本のはるか西の小島にある小さなお寺に、若い僧侶が訪ねて来た。


このお寺に虚空蔵菩薩像こくぞうぼさつぞうがあると聞き、どうしても祈願したくて唐からの帰りに寄ったのです!懇願した。


さては、遣唐使僧なのですか!?


と住職は最初驚き、そのような優秀なお方がよくぞこんな古びた寺に…と感激してお堂での祈願を許した。


その晩、

のうぼうあかしゃ ぎゃらばや おんあり きゃまり ぼうそわか


という奇妙な呪文がお堂から聞こえたので住職も気になって一晩中眠れなかった。


やがて暗い空に明けの明星が輝いた時、若い僧侶は祈願を終えてお堂から出て来て


やはり初心に還るとはいいものですな…


と実に清らかな顔つきで言ったので住職は、


あなたに会えたのは瑞兆のような気がしてなりません。


是非ともこの寺に名前を付けてくれませんか?と請うと空海と名乗るその僧侶は


「そうですねえ、明星院と名付けましょう」と空を見上げながら笑った。


以来、五島列島は真言密教伝来の地と言われる。



「入京の許可が出るまで観世音寺に寄宿すること」


と朝廷から再びご沙汰が下ったのは空海が請来目録を送って半年経ってからのこと。

(807年4月29日)


はるばる唐国から貴重な品々を持ち帰り、密教奥義を極めて私度僧の身ながらよくぞこれだけの成果を果たして帰って来た。


お前は良く学んだ。褒めて遣わす。


これからは観世音寺に寄宿し、入京の許可下りるまでしばし待て。

尚、現地に供養を求めるものがいればそうしてやるがよい…


という内容の文を読み上げた太宰師、藤原縄主ふじわらのただぬし

「朝廷からお褒めの言葉を頂いた上に布教の自由まで許してくれたのだから大したものだ。

空海阿闍梨、これよりお前の身柄を観世音寺に移す。今まで不自由かけたな」


と髭面に満足げな笑みを浮かべて朝廷からの御沙汰を言い渡した。


布教を許すって…もうすでに色々「やってもうてる」がな、何を今さら。と空海は思った。


すでに空海は昨年、大宰府に向かう途中で宗像氏に請われて寺を二つ(宗像大社鎮護寺と呉服町東本寺)も開基し、二月前ふたつきまえに副官の田中少弐に請われて彼の母の一周忌法要を執り行っていた。


要するに縄主は、帰国してからの空海の数々の布教活動を黙認し続け、今「許可が出たから積極的にどんどんやれ」と奨励しているのだ。


空海は自由に活動させてくれる縄主に感謝しつつも、

自分の罪はまだ赦されず、この地での足止めが決まっただけだ。という事実に内心歯痒い思いをしていた。


とにもかくにも、その日の内に


空海は智泉と共に観世音寺の客僧房に移り、持ち帰った経典に埋もれながら密教の復習をしつつ、弟子の智泉に灌頂を授けるまで本格的に密教を教え込む日々が始まった。


謹慎期間が延びたにしても…

これは佛が我に与えたもうた、自分の中で教えを深める機会や。

と前向きに捉える空海であった。



神泉苑は大内裏の南東に接する地に造営された禁苑(天皇所有の庭園)である。


その広さは今の神泉苑の10倍に当たる八町(南北約500メートル、東西約240メートル)に及ぶ大庭園であった。


桓武帝は平安遷都時に元々ここにあった古山城湖を中心に泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大庭園に整備し、


北側には乾臨閣を主殿とした右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う広い宮殿を作らせて桓武帝も何度か行幸し、雅宴を楽しんだ。


大同二年夏(807年5月)、平城帝は神泉苑に行幸し即位一周年の祝宴を開いた。


中央の池に龍頭鷁首りゅうとううしゅの二艘の船を浮かべ、乗船した貴族や楽人が雅楽を演奏し歌を歌う。


池の周りの舞い人たちは船から聞こえる楽に合わせて舞い、


平城帝はじめ皇族や重臣はそれを北側の宮殿から、招待客たちは池の南側に設けられた宴席から見物するという雅やかな趣向の宴だった。


ちょうど平城帝の隣に座する伊予親王は本来こうした遊びは好きな方だが、この日は朝起きた時からずっと気が重かった。


というのは去年の朝議で藤原仲成に対する処遇について、

伊予が「式家の兄妹を追放すべし!」と真っ向から兄帝に異を唱えてから、


ずっと兄弟間での確執が続いている。と貴族たちの噂が耳に入って来るからである。


確執?そんなものはない。と伊予は声を上げて噂を否定したかった。


あの時兄上は、

「なるほど、それがお前らの本音か…」

と仰って伊予と朝議の場に居た貴族たちを眺めまわして、その日の朝議をお取りやめになさった。


翌日からは普段通りに接して下さり「仲成の謹慎期間を二か月伸ばした」とだけお告げになり、

今日までその事について一切何も仰らない。


本当に我が意を汲んでくださったのか?それとも…その件に関してだけ沈黙している兄が伊予には不気味でならない。


「今回の行幸で帝に品物を献上して和解し、形だけでも恭順の意を示すべきです」


と伊予に進言してくれたのは母、藤原喜子の兄で伊予にとって外伯父にあたる大納言、藤原雄友ふじわらのおともだった。


伊予さまがあの時、帝をお諫めになったのは間違いではないし、そうでもしないと貴族たちの怒りは爆発していた。と雄友は雄友で思うのだが、


むしろ今の帝より伊予さまが天皇に相応しいのではないか?という不穏な噂が正月明けてから流布し始めた。


それはともすれば伊予さまを陥れかねない危険な噂。


噂の元はおそらく、伊予さまの後見である南家の貴族が次々出世するのを快く思っていない式家のあの女であろう。


主だった貴族たちが参加しているこの宴で伊予さまと帝が杯を交わし合って和解した。

その様さえ見せつければ良いのです…


伯父の進言通り伊予は兄帝に献上品を差し出し、目録を確かめた平城帝は


「ずいぶんと珍しい特産品ばかり…取り寄せるのに苦労したであろう」


といたく感心して空の杯を伊予に差し出した。

「帝の世が末永く続きますように」

と言って伊予が酌をした酒を平城帝は飲み干して、空にした杯を伊予に賜り、平城帝自ら酌をしてくれた酒を伊予が飲み干した時、


公の場で帝と伊予親王の和解が成った。


とそれを見ていた貴族たちが一斉にどよめいた。


「良かったですねえ親王様…お父上と叔父上が仲直りして。私達貴族も長い間気を揉んでいたのですよ」


と心底ほっとした声で中納言、藤原乙叡ふじわらのたかとしは平城帝の長男で孫娘の夫である阿保親王にささやきかけた。


「ええ、ありがとうございます舅どの」とはにかんで言う阿保の言葉尻を取って「親王さま、そこは大舅どのと呼ぶべきでは?」と指摘し、

「乙叡どの、貴方は孫婿にわざわざ舅どのと呼ばせているのか?」

と乙叡をからかうのは右近衛少将、安倍鷹野。

「親王さま、あなたの舅どのはじじいになった。という事実を認めたくないのですよ!」


と今年45才の乙叡と同年代のこの貴族は、思いやり深い人柄で評判の良い人物だった。


乙叡の孫で桓武帝の皇女、伊都内親王いづないしんのうとの結婚を機に阿保は南家の婿となり乙叡の邸に移り住んでもうすぐ一年。

四才の伊都もなついてくれるし、その母、平子ひらこさまも乙叡どのの母君、百済王明信くだらのこにしきみょうしんさまも自分によくして下さる。


宮中から出た、というより大嫌いな父帝から離れて心優しい南家の人々と過ごす日々は、阿保の人生の中で、短かったが最も幸せなひとときであった…と後になって阿保は懐古するのである。


やがて龍笛の響きが空を駆け昇り、龍頭船の船頭で独奏する橘逸勢の姿に宴席の人々はどよめき、わっ!と喝采を送った。


その時、伊予の視界で薄い膜が剥がれたように青々しい若葉、舞人や楽人たちの衣装や、ゆったりと進む龍頭船の輪郭がはっきりと映り、目に見えるもの全てが色鮮やかに見える。という現象が起こった。


ああ、何もかもが光を浴びてまぶしい…現世とは、かように美しかったのか…!


私は終生この宴を忘れないであろう。


きつの秀才、か…逸勢の音は天から具わった才能に唐留学で磨きをかけた努力でますます研ぎ澄まされたな」


「私もそう思います」


と同意する伊予に平城帝が

(安心しろ、私も誰を粛清すべきか十分に心得ている)


と囁きかけたので伊予ははっとして兄帝のお顔を見返し、

「それを聞いて安堵致しました」と再び酌をしながらこれが兄上の本当の顔か。伊予はこの瞬間、平城帝を信用してしまった。


この日伊予の心に起こった感動は、短い人生を最後まで誠実に生きた彼に贈られた、天からの恩賜だったのかもしれない。



それから二月後ふたつきご、梅雨が終わり夏の陽が輝く頃、東宮に吉報が入った。


春宮神野の寵姫、交野女王かたのにょおうが皇女を出産したのだ。


皇女ひめみこさま御誕生おめでとうございます!母子ともにご無事でございます」


と廊下を小走りに駆けて報告に来た明鏡の前で神野は胸を撫で下ろし、

明鏡の両肩に手を置いてその場にかがみこみ、「良かった、本当に良かった…」と涙声で呟いた。


出産から7日後に交野が赤子と共に東宮に戻り「ほら、お父上様ですよ」と白いおくるみに包まれた赤子を抱かせてくれた時、


子供とは、なんと小さくて柔らかくて頼りないものなのだ…!

と神野は我が子の黒目がちな瞳を見つめ、胸がの中が光で満ちるような感動を覚えた。


その夜の祝いの席で神野は皇女の名を


有智子うちこ


と発表した。


「嘉智子みたいに美しく淑やかな娘で有るように、と願いを込めた名付けだが何か?」


と何の邪気もない目で夫に問われた神野の寵姫、橘嘉智子は


「そ、それは有り難く光栄なのですが…交野さまがお産みになられた皇女さまの名に、わたくしの名を使うとは畏れ多くて」

と困りきった顔で夫を見上げた。


「困った顔もまた美しいね、嘉智子。だがこれは交野と話し合って決めた名付けだから問題ない。交野も喜んでいたぞ」


え?と言いたげに嘉智子と明鏡は顔を見合わせた。


「東宮入りした時から嘉智子さまの美しさと気品はわたくしの憧れでしたの…だから娘にお名前をいただけて嬉しいのです」


うふふ、と笑って19才の交野女王は見舞いに来てくれた嘉智子を喜んで迎えた。

ちょうど傍では有智子が目覚め、物珍しげにあう、ああう、と嘉智子のほうを見ている。


「抱いてみますか?」と交野に言われて嘉智子は乳母からこわごわと赤子を受け取った。腕の中の有智子は大人しく、嘉智子と目を合わせた時にこっと笑みを浮かべたので、


まあ、お可愛いらしい皇女さま…と嘉智子もつられて微笑んだ。


嘉智子の腕に抱かれる皇女有智子はこの3年後に初代の賀茂斎院に選ばれ、また優れた女性漢詩人としても名を残す。



ああ、疲れた…。この体の重さは、雨のせいでもあるのだろうか?


がらら、と音を立てて回る重い車輪の音を聞きながら牛車に揺られる伊予親王は、こうして一人になった時に背中にのしかかる疲労感に前のめりになりながらも、


他の貴族たちも同じく激務で苦労をしているのだから。とこの一年半なんとか気を保たせていた。


平城帝は即位後すぐに緊縮財政や租税の強化、官司の統廃合などを行い、先代の桓武帝のせいで傾いた財政の再建に力を入れていた。


また、畿内・七道に観察使を置いたり、地方官の監視を強化して律令制度の立て直しも行い、先帝の失政は自分で立て直す!という意気込みに溢れていらっしゃるのは解る。


解るのだが、次々と勅書を発行し、感情的に貴族を叱咤する様は、早く結果を出そうと焦ってらっしゃるとしか思えない。


結果、官職を重複させられた貴族たちは書類仕事が激増して疲労の極みに達しているし、それをお諫めする私のことも最近疎んじていらっしゃるようだ。


確かに兄上は父上より計算高く、頭が切れるお方かもしれないが…

政治を行う者としてあまりにも視野が狭い。狭すぎるのだ。


視野が狭き者が長く政を行うのは、危うい。


と伊予が兄帝を断じた時である。

急に牛車の動きが止まり、従者が何者かを叱る声が聞こえるので。


「何事か?」

と物見を開けて伊予が外を見ると、自邸の塀の前で雨に濡れそぼった男がこちらに向けて平服しているので訝しんで従者に問うと、

「親王様が相手をするほどの者ではありません」と冷たく言い放った従者が牛車を再び動かそうとするのを止めさせ、前簾を開けて伊予は

「衣の濡れ方から見ると長くここに座っていたのだろう?その方、名は?」と問うた。


名を問われた男はは…と顔を伏せたまま、「藤原宗成ふじわらのむねなりと申します」と陰気な音声で答えた。


聞いたことの無い名だな。と伊予は一瞬思ったが唇を紫色にして震える宗成を哀れに思い「まあ、風邪を引くからとにかくお入りよ」と持ち前の優しさから宗城を自邸に引き入れてしまった…


空海が太宰府の観世音寺に入ってから付きっ切りで智泉に秘法を伝授し、両部灌頂を授けた頃には季節は秋へと変わっていた。


「この国での密教僧がやっと二人になったな…ま、焦らずぼちぼちやっていこうやないか?」

「はい叔父上」

それからの二人は密教と南都六宗がどの部分で折り合いを付けられるか?という課題を以て経典の比較研究を進めていた大同二年冬の半ば、空海の元に


伊予親王、自殺


という報せが届いた。










































































































































































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