第37話 遣唐3 最後の鷹狩
延暦23年(804年)、桓武帝は我が娘で元伊勢斎王の朝原内親王の進言を受け容れて伊勢に
「これでよいか?朝原」
「ようございます…月讀命は夜と暦と農耕の神、清らかな祈りを捧げれば五穀は豊穣し飢えた民を救うことが出来るでしょう」
と言って両手に団扇を掲げて朝原内親王は父帝に一礼した。
長い髪を二髷に結って
病がちで東宮に引きこもっている皇太子安殿親王と朝原は、まだ肉体的な契りを交わしていない形だけの夫婦関係を保っている。
そんな父の心配をよそに
「ああらお父様、私だけでなく妹の
『斎王であった御方に触れるのは畏れ多いし、妃(藤原帯子)を亡くしたばかりの自分がいきなり異母妹二人と結婚するだなんて気が進まない。
同じ東宮に住まう妹として大事に致しますから』
とお兄さまは新枕の夜に床に手を付いて謝って下さったのよ。
おかげで私と大宅は東宮で気楽な暮らしをしておりますからご心配なく」
と言って生娘のまま春宮妃になった朝原は生まれ持った高い霊力で夜は長い髪を下ろして白衣に着替えて「御神境の巫女」となって
内裏で祈り、時には大事な託宣を授けて父帝を補佐している。ゆえに、宮中での朝原の発言力は強い。
次代の
と桓武帝は父親目線でそれでいいのか?と朝原の将来を心配しているが当の本人は
「外では評判の悪い兄ですけどあれでお父様より殊勝なところもあるのよ」
と団扇で口元を覆ってうふふ、と父の心を読んだかのように笑った。
父帝より安殿のほうが、とはとても含みのある笑いに見えるが。と据えた目をすると朝原は、
「だって、お父様は10年以上も前の伊勢正殿の火事で焼けただれたご神宝を修復しようともなさらない。それじゃ天皇としての権威が失墜しても当たり前じゃないの」と醒めきった顔をして言った。
「馬鹿な、あれは…」
「ええ、神も仏も信じないお父様は侵入して放火した賊が悪い、と済ませるのでしょうね…でも、周りはそうは見てくれない。
お父様が天皇として相応しくないから起こったのだ、
と皆心では思ってますわよ。死んでからもお父様のご政道の過ちをなすりつけられる
延暦10年(791年)伊勢神宮に賊が入り、正殿が放火されて内に納められていた十宝が著しく損壊した。
その頃は母、夫人、皇后の死。長岡京に疫病が流行るなど桓武帝の周りで起こった凶事の中で最も貴族たちの信頼を失った出来事だった。
あの頃は長岡造営と蝦夷征伐が重なり修復に取り掛かる資金も無かった。
安殿の精神の病の発病、和気清麻呂による平安遷都の進言、と目の前のやる事に精一杯で…
つまり自分は、天皇として一番大事にすべき神事を疎かにしていたのだ。
「お前の月讀宮造営の提案は、不安と怨嗟に満ちた貴族と民の心を慰撫するためか…」と朝原の政治的意図に初めて気付いた。
朝原は再び一礼してから
「お父様。いい加減、造京と征服という大陸の皇帝みたいな馬鹿げた夢を見るのはおやめください。新都造営、度重なる蝦夷派遣で民は疲弊しきっています…
あなたはこの国の天皇であって他の国の王を真似るなど最初から無理なことなどです。せめて最期は国土と民を慈悲の光で照らす天皇らしくあってください。
…これが私のお願いです」
と切に訴えた。朝原の声には不退転の覚悟がこもっていた。
実は天武天皇の末裔であるお前が皇子に生まれていたら…いや、女帝でもいいんだ。
強く慈悲深く高潔なお前は、この父よりもいい政が出来る天皇になっていただろう。
「お前から見て、私は命数がわずかなのだろう?」
と問われると朝原は涙で濡れた顔を上げて肯いた。
「あと二年愚策をしなければ安らかな死が訪れましょう…一年後に来る貴族たちが言い争いをしますが、『天皇として』ご判断なさることを願っています」
分かった、と言うと朝原内親王は袖で涙を押さえてから桓武帝の御前から退出した。
翌年、朝原の言ったとおりに二人の貴族が現れた。一人は藤原式家の生まれで30才の若さながら参議を務める
決意と興奮で唇を引き結んでいる。
もう一人は下級官吏あがりの63才の参議、
桓武帝はまず「菅原真道よ、今の政の問題点とは何ぞや?述べよ」と問うと真道が答えるより先に
緒嗣が開口一番
「今、天下の人々を苦しめているのは、蝦夷平定と平安京の建設による経費の負担です!この二つを止めればみんな安心します」
と訴えたのだ。真道は帝の意見を汲んで反論する側だったので当然「蝦夷と造営のことはますます国を豊かにする。帝の政策に異を唱えなさるか!?」
と応じた。
この調子で桓武帝の前で長時間続いた論争は後に「徳政論争」と呼ばれ、最後に桓武帝は緒嗣の主張を受け入れて自分の人生の夢であった蝦夷平定と平安京の建設の中止を宣言した。
人生の終わりに桓武天皇、徳か政かの争いの前で徳の方策を取れり。
延暦24年(805年)、桓武帝は高齢と病のために床に臥すこと多くほとんどの宮中行事を病弱の兄に代わって神野親王が代行する事が多くなっていた。
「疲れていますわね、特に頭と肩。学問のし過ぎと気苦労からですわ」
と手のひらで温めた香油をたっぷりと夫、神野の上半身裸の背に擦り付けると貴命は筋肉の凝りをほぐし出す。
「痛い!首元が痛い!助けよ!」と神野が俯せたまま抗弁しても
「今助けていますのよ」とぐいっと親指を経穴(ツボ)に押し込んで、貴命はうふふ、と笑った。
確かに貴命の施術を受けると、翌朝起きた時には体の凝りが取れているのでされるままになるしかない事は解っていた。
それにしても。
「明鏡は火鉢でお湯を沸かして桶に汲んできて」
「はい、貴命さま」と最近は侍女の明鏡までもが貴命の施術の弟子になり、時に代わって施術してくれる程の腕前になってきた事はなんとも不可解というべきか…
半年前、
「お前ももう年ごろだからわが友の
と明鏡の将来を思って言った瞬間神野は明鏡からの平手打ちを喰らった。
「親王様嫌い!」とその時明鏡は泣いてその場から立ち去り、そのことを「三守はいい奴なのになんで怒ったんだ?」と実質明鏡の姉貴分である貴命に相談すると、
「親王様はほんと、女心が分かってない方…」と呆れてため息をつくばかりで何も答えなかったが、数日後には明鏡を施術の助手に付けた。
「なあ明鏡、父上はもう御椅子に座るのもやっとだ。冠とあの朝服の重さも父上にはこたえているかもしれない…
思い出すなあ、去年父上と弟の大伴と一緒にやった鷹狩りを」
「帝はどんなご様子だったのですか?」
と明鏡が布に浸した湯で神野の体に着いた香油を丁寧に拭ってやりながら尋ねると
神野は切なさと懐かしさが入り混じった目をして明鏡に語って聞かせた。
「父上は
おいたわしい、と弟が泣こうとするのをせめて今は楽しんでいる様子を見せろ!と叱咤したのだが、私も泣き出したくてたまらなかったんだよ」
思い出すなあ、青く晴れた空の下を鷹が飛んでいく。あの時、弟は無理に笑顔を作って鷹を飛ばし、私は獲れた獲物をいちいち手に取っては父上に掲げて見せた。
それに笑顔で答えて下さる父上。父は私たちの狩りを最後まで見守って下さった。
草の茂った野の上で少し背中を丸めて床几に腰掛けるお姿は、少し小さく見えた…。
それが、鷹狩り好きとして後世に知られる桓武天皇の人生最後の鷹狩りとなった。
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