第27話 菜摘27 比叡の山から
昔、一人の若い僧が真夜中の奈良の寺から逃げ出した。
受戒して三か月経った夜だった。彼は東大寺の僧たち5,6人に因縁を付けられ、当て身を喰らって一室の暗がりに引きずり込まれ…身も心も徹底的に踏みにじられた。
思えばあの時、須弥山を模した戒壇院の壇上でああ、仏と同じ高みに辿り着いた、と法悦した自分は愚か過ぎた…
この国で最も清らかであるべき場所が実は畜生どもがはびこる生き地獄だったのだ。
あちこち痛むからだを引きずって、何処をどう走って来たのか彼には分からない。気が付くと裂かれた僧衣も、顔も手足も泥だらけでとある山の頂に居た。
もう歩く体力も気力も無い。膝からくずおれた彼は東の空から日が昇り、海の如き広き湖と故郷の近江を照らすのを見て、泣き伏した。
もう私には、帰るところが無い…
彼の名は最も澄める、と書いて最澄。
延暦4(785)年夏、最澄が帰る筈だった近江国分寺は、桓武帝によって廃されていた。
もう何処にも帰れないのだったら気が済むまで籠もっていよう。
と比叡の山に住みついた最澄は、山で修行する私度僧たちの力を借りて小さな草庵を建て、一乗止観院と名付けて自ら彫った薬師如来像を安置した。
山には私度僧、修験者、山伏など様々な修行者が居た。
大体そのような者たちは「法力を得た」と言っては山を降り、出世の為に寺に取り入るか、里の者たちにまやかしの術を見せて金品を騙し取るに決まっている。
所詮、あの者たちは経典の意味も仏教理論も分かって居ないのだ…
ほとけの言葉を知らずして、何が救われる?
最澄は徒に荒行を続けるだけの者たちを、心から哀れんだ。
なんでも若いお坊さんが正僧の地位を捨てて山籠もりしている。という噂を聞きつけて、少しずつだが弟子が集まり、外部の僧たちも必要な経典を提供してくれた。
ある日、背の高い老人がいきなり庵を訪れ
「あなたの願文を読ませてもらった。若いのに素晴らしい文才だ」とひとしきり最澄を褒めてから他愛のない世間話をし、それから仏教談義に花を咲かせた。
老人の知的な語り口に最澄は引き込まれ、つい心を開いて
「奈良の僧たちは僧であるべき事を忘れてしまっている。あそこに居ては自分自身が損なわれるだけだ、と思って釈迦王子に習って12年間の山籠もりを決意したのです」と自分の本音を語った。
老人は立ち去る時に「才能があるなら多くの人々の為に使うべきではないかね?」と言い、うふふ、と低い声で笑った。
老人の名は和気清麻呂。最澄の人となりを見分するためにお忍びでやって来た貴族である。
「若くて頑迷なところがあるが、あの男は裏切るという事を知らない。新都の守護に相応しい」
と清麻呂は桓武帝に進言した。
翌年延暦十三年(794年)九月三日、最澄はじめ弟子たちは桓武帝の行幸を迎え、清麻呂の肝煎りで庵は寺に改築されてから改めて「比叡山寺」と名付けられた。
最澄、山籠もりから9年目。引きこもりの才人が王城守護の大役に抜擢されたのだ。
あの方は果たして、幸せだったのだろうか?
と最澄の元を去った後も最澄の死の報せを聞いた後も、
権力者というものは、自分が汚いからいつも
と幼い頃から人の醜さばかりを見て育ってきた泰範は思っている。
延暦21(802)年秋、比叡山の木々は燃えるような紅葉で色づいていて、吐く息が白くなるほどの冷え込みに包まれていた。
今日、朝廷から大量の米や炭が送られて来た。それを若い弟子たちが次々と蔵に運び込み、寺全体が冬支度で忙しい。
人が増えて活気づくのはいい事なのだが、もうこの寺は自分が山に入った頃の小さな庵では無いのだ。
あの頃は必死で難解な経典の解釈をし、納得いくまで寝ずに考えた。貧しかったが本当に楽しかった…
最澄は経を読むのに疲れるといったん外に出て、山の東の頂から眼下に広がる琵琶湖を眺めた。
ちょうど近江のほうから山を登って来る人影が見える。それが弟子の泰範だと分かると最澄は
それに応えた泰範が「最澄さま!」と白い息を吐きながら弾けたように駆け寄って来るとつい何でもしてあげたくなるようないじらしさを覚え、最澄は己の帽子を取って弟子の肩に掛けてあげるのだった。
「ご苦労だったね、寒いから中に入って休みなさい」
旅装を解いて最澄の私室に呼ばれた泰範は、近江三津にある最澄の実家の父、
はい…と肯くと泰範は手紙を広げ、
「広野へ。ずいぶん出世したようで何よりだが、何故お前は生家を無視する?もっと金を送れ。米を送れ。弟妹たちも大きくなった。衣も送れ。生んでやった恩に報いて一族を食わせろ…いつも通りの内容です」
その間最澄は文机にもたれ、壁の一点を見つめている。弟子が文を読み終わると急に片頬を歪めてはは…と笑った。
「仕送りはしているつもりなんだがなあ。まだ足りぬと申すか」
「はい…ご実家の暮らし向きは潤っておいでです、が生活は乱れているようで…家業の農家も人を雇ってご自分では働いておりません。昼間から酒を召されておいでで酒臭うございました」
それに、と泰範が何か言いにくそうにしているので「続けよ」と促すと、
「お母上の藤子さまが口を滑らせたのですが、『うちはお上からの施しで食べるに困らないのよ』と…どうやら最澄さまとお上から二重に金を取っているようで」
最澄がまだ広野と呼ばれていた幼い頃、特段に読み書きに優れていたので
陰陽(陰陽師)、医方(医師)、工巧(職人)のどれかに就くのがこの子の為だ、と一族の大人たちが集まって会話していた内容をはっきりと覚えている。
その時、父が一族の物知りである大叔父に尋ねたのだ。「広野が早く私たちを食わせる道はどれか?」と。
大叔父は「国分寺にやって僧にするがよい」と答えた。数日後、広野は十二で近江国分寺に入れられた。
全く、世の最低な部類の親たちというのは、子は
「子孫に美田を残すな、という故事はまことだな。父母でも同じだ、与えすぎると必ず人を駄目にする」
「はあ…」
「今後実家への仕送りはしない。それより泰範」
「はい」
「寒い」
と最澄は自分より一回り以上年下の弟子に、縋るように抱き付いた。
「では暖を取りましょう」
師に夕餉の膳を運びに行こうとする義真の肩に手を掛けて円澄が止めた。
「今は行かぬ方がよいと思うぞ」
その忠告だけで義真は察したようでまたか、と渋面をして音を立てて膳を台に置いた。
「出身が同じ近江というだけであの泰範は最澄さまに可愛がられ過ぎやしませんか?私やあなたのかなり後にこの山に来たくせに…」
「確かに妖しいほど美しい子だよねえ」
と円澄はつとめて呑気な口調で軽口を叩いた。「女人がいたらみんな泰範に色めきたったろうよ。ここは女人禁制の聖域だけど、ね」
円澄は東国で出家した30才の僧侶で、義真は奈良興福寺で法相の教えを学んだ23才の若く優秀な僧侶。
どちらも最澄の教えに感銘を受けて比叡山に入って彼の弟子になり、他のどの弟子よりも師を支えてきたという自負がある。
それだけに…
「泰範が来てから、最澄さまも比叡山も少しずつおかしくなっていく気がする」
義真は円澄だけに己が不安を打ち明けると、忍び寄る凶事を見たくないとでもいうようにぎゅっと両目をつぶる。
「そのためお前が唐で最澄さまをお支えするのだよ」と励ますように円澄は義真の組んだ手に己が手を重ねた。
義真は唐語を学んでいて通訳のために最澄の留学に同行することが決まっている。
唐で学びを深めれば天台宗は正式な宗派として認められ、あの方も澄める方へ進まれるだろうよ…
暗く冷え切った室内で身震いして目を覚まし、白い裸体をさらしたまま泰範は火鉢に炭を入れて火を起こした。
部屋が十分に温まるまでの間、衣を着て身づくろいをしてから僧衣を被って眠る師の寝顔を見守りながら泰範は思うのだ。
ほんとうのこの方は、帝の庇護、立派な寺、優秀な弟子たちを与えられても心は孤独で空っぽなんや。
この方がほとけの言葉、経典に執着なさるのは信じてるんやない。生きるために信じたいのや。
最澄さまの本当の心を知るのは同じく親に売られたも同然で、踏みにじられて育った自分だけ。
だから、私なりのやり方で師をお慰めして、何が悪い?
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