灯台下暗し、愛はそこにあり。

相模原帆柄

one side

疑念とは、ふと頭の隅から湧いて出るもので、確証を得るための証拠なんてどこにもないはずなのに、そうに違いないと、確信を持って思い込んでしまうものだ。


 あの時の俺もそれに違いなく、ただ偶然見つけた日常のワンシーンがやたらと反芻して、頭の中から離れなくなってしまったのだ。

 普段からそういった光景は見ていたはずなのに、夕方という逢魔が時とも言うべき神秘と触れる時間が、俺を不思議な思考に誘い込んでしまった。


 そしてその疑念を抱くと同時に、自分が自分で気付かない内に抱いていた感情の輪郭も、僅かに、だが確かに掴んでしまったのだ。


 ああ、愚かしき我が鈍さよ。長年に渡って無意識に俺を支配していた劣情とも呼ぶべきそれを自覚するには遅すぎた。俺がスタートラインに立つよりも早く、現状はとてつもない速度で進行しているのだ。


 朴念仁、という普段何の関わりのない三文字が、ここまで深く俺の胸に突き刺さり、また酷く締め付けることになろうとは。


 ただ、俺にはその後悔を噛みしめることしかできず、枕元を濡らすまではいかずとも、ただベッドを殴りつけ、その不毛な手応えにさらにまた苛立ちを覚えることしかできなかった。


 ちくしょう、ちくしょう……ッ!!


 ちくしょうッ!!!!


「オラ浅田朝だ起きろー!」


「……朝から不毛なギャグだなおい……」


「それが嫌なら早く起きること……うわ、隈酷いよ?」


「……いったい誰のせいだと……」


「え、なんだって?」


 それ俺のセリフー……。


 寝癖が酷い頭を掻きながら枕元の目覚まし時計を見ると、とっくにアラームをセットした時刻を過ぎている。急いで家を出なければ遅刻してしまうだろう。


 なんでアラーム鳴ってないんだよクソぅ。


「うわぁ、目覚まし時計凄い凹んでるじゃん」


 ……思い出した。昨日殴る手ごたえを求めて時計、ぶん殴っちまったんだ。

 通りで右手が痛むと思った。利き手は止めといたほうが良かったなぁ。


「……てかいつまで部屋にいるんだよ出てけよ」


「え? なんで?」


「着替えるんだよッ!!」


 勝手に聖域に不法侵入してくる無法者を強引に部屋から押し出す。

 クソ、目が覚めたら早速悩みの種と遭遇かよ。


「どうでもいいけど急いでねー? 私まで遅刻するから」


「分かってるよ!」


 ドア越しに聞こえてくる呑気な声に返答しながら、ため息交じりに制服に袖を通す。

 欠伸をしながら鏡の前に立ち、寝癖を直すこの俺、浅田天麻あさだてんまは、朝に弱い。

 最近は特に輪をかけて酷い。


 最低限の身だしなみを整え、ドアを開けると、そこには腕を組んで仁王立ちする体育会系超アクティブ女、紀里谷鈴きりやりんがいた。

 いや、いたというか、さっき起こしに来て俺に追い出された女もコイツなんだけど。


 生まれた時からお隣さんで幼馴染のコイツは、朝が弱い俺を案じて、小学生の頃から俺を起こしに毎朝訪れる。


 そして、目下の俺の悩みの種、嵐の渦中にある人物である。


「何? 最近寝不足なの?」


「……まぁ、ちょっとな」


 朝飯を悠長に食う時間もないため、トースト1枚を口にくわえて家を出る。


「寝不足っていうけどさ、最近ハマってるゲームでもあるの?」


「……いや」


「じゃあ何さ、アンタに限って悩み事なんてないでしょ?」


 ……俺も俺自身の感情に気付けなかったという点では朴念仁だが、コイツも相当に鈍いヤツだよなぁ。


 なんて、最近抱かない時はない憂いをひしひしと感じているからだろうか。

 普段は胸にしまって口に出さないことを、今日この瞬間だけは、ふと外に漏れてしまった。


「……お前、好きなヤツいるだろ」


「……え?」


 さっきまで早足で俺の三歩先を歩いていた鈴は唐突に立ち止まり、驚愕とも焦りとも、茫然ともとれない表情で俺を見つめてきた。

 ここで、俺も自身の失言に気が付く。


「すまん、なんでもない。忘れてくれ」


「……ごめん。先行く」


 俺の撤回を聞いてすぐ、鈴は俺に背中を向けて走り去ってしまった。

 ……図星だったか。


 言い当てられて気持ちの良い内容ではないだろう。先ほどの自分の失言を心の中で少しだけ、反省した。



 ◇ ◇ ◇



「そりゃ怒るわよッ!?」


 時は、昼休み。

 今朝のやり取りを打ち明けたところ、開口一番に、そう言われてしまった。


「……やっぱり怒ってたか、アレは。軽々しく口にしていい内容じゃねぇよな」


「怒ってたっていうか何て言うか……ともかく、朝からあなた達二人がやけによそよそしい理由が分かったわ」


 俺の向かいに座り、弁当を口にしながら俺の話を聞くこの女、首藤成実しゅとうなみも、小さいころから親交のある幼馴染の一人だ。混じりけの無い黒髪を背中までかかる程に伸ばした彼女は、茶髪でやや癖っ毛でポニーテールの鈴とは対照的で、性格もどちらかと言うとおしとやかと形容したほうが近く、部活も文芸部という、何から何まで鈴とは正反対な人物である。


 の割には、二人の仲は大分良い。大分良いっていうかまぁベストフレンドって奴ですよね。


「天麻君の方からそんなことを口にするなんて、あなた意外とナルシストなのね?」


「はぁ? なんでナルシストなんだ……?」


「えぇ……。ナルシーが言う典型的なセリフでしょう? 『お前、俺のこと好きだろ?』なんて」


 思わずコーヒー牛乳を吹き出しかける。


「ンなこと言ってねぇよ!? そもそもアレが俺のこと好きなわけないだろうが!?」


「はぁ?? じゃあなんでそんなこと言ったのよ」


 ようやく俺の悩みの確信に触れてきたか。


「なんだ、お前も知らないのか」


「何をよ」


「鈴の奴……同じ陸上部で隣のクラスの神原かんばらが好きなんだぞ?」


 俺の密告を聞いた成実の顔は、何というか魂の抜けたような、そんな風に口をあんぐりと開けた状態だった。顎の関節外れてませんか? と心配する具合だ。


「……はぁ」


 長い沈黙の後に、溜息。なんだよその反応は。


「一応念のため聞いておくけど、そう思った根拠は?」


 よくぞ聞いてくれました。俺が目にした決定的な証拠光景をいまここに明かそう。


「あれは……三日くらい前のことだったかな」


「そういうウザい語りは止めて頂戴。普通にズバッと言って」


 そういうあなたのツッコミも切れ味ズバッと抜群ですね。とは口が裂けても言えない。


「……放課後、数学で分からないところがあったから先生に聞いてたら帰りが遅くなってな。夕方の丁度夕日が教室を赤く照らすくらいの時間帯に、廊下で神原と話す鈴の姿を見た」


「それで?」


「それだけならまだ何とも思わなかったんだが。その時の鈴の様子がいかにもな感じでな。モジモジしてていかにも照れ臭そうだった。頬も赤く染まってたように見えたしな。これはもう、決まりだろ?」


「……なるほど」


 そう言いながら成実は腕を組み、眉間に深いしわを寄せた。


「どうだ? 俺の言ってること、分かってくれただろ?」


「そうね。ハッキリとわかったわ。あなたが唐変木朴念仁鈍感変態超絶怒涛のどちゃくそあほ野郎だってことがね」


「ちょ。ちょいちょい。罵倒しすぎでは」


「妥当な罵倒ね」


 韻を踏むんじゃないよ。それにしても何でこんなに罵倒されにゃならんのだ。


「そんなに俺、おかしいこと言ったか?」


「まぁ大喜利だったら座布団全部持ってかれてるわね」


「そんなに」


「そうよ。それにしても、あなたの話を聞くに、あなたが隈を作るくらい寝不足なのは鈴に好きな人ができたから、という風に読み取れるのだけど」


 わっしょい読み取られちゃったよ。成実さんは俺と違って鋭いですね。


「……む」


「沈黙は肯定よ」


「……ぐ」


「ってことは、あなた、鈴のこと、好きなの?」


「……く」


「沈黙は」


「あーわーったよ!! そうですよあなたの仰る通りですよ!!」


「とうとう認めたわね。この唐変木朴念仁鈍感変態あほ野郎」


 あ、超絶怒涛とどちゃくそがとれてる。さてはデレたな?


「デレてないわよ? 刺すわよ?」


 照れとか一切無くガチな殺意を込めた瞳で射るように俺を睨む成実さんはまるで蛇のようでした。


「いや冗談です。ほんとにすんませんフォークを人に刺す感じに持たないで」


 また口が滑った。やはり人はストレスが溜まると壊れていくんだなぁ。


「まぁいいわ。ともかく、あなたはいつから自覚したの?」


「……鈴が神原の奴を好きって知ってから」


「なるほど。失ってはじめて気づく大切さ、ってところね」


 知らずか5・7・5。流石文芸部、といったところか。


「そうなんかなぁ」


「そうよ。大体、あなた自身に自覚がなかっただけで、周りから見たら明らかに鈴のこと好きだったわよ。ずっと昔から」


「……そうなの?」


「そうよ。鈴が他の男子と話してるとき、いつも目で追いかけてたでしょ? まぁ、自覚ないかもしれないけど」


「……全然自覚してなかった。そんなことしてたのか? 俺」


「してたわよ……。他にも色々あるけれど、挙げだすときりがないから割愛するわ」


 そんなに。

 俺自身が自覚してなかっただけで、俺はずっと、鈴のことが好きだったのか。

 もしかしてこれまではもう一人の自分が人格を支配とかしてたんじゃないか。そう考えると俺そういうパズル持ってた気がする。


「まぁ、二人の友人の私としては、迷える子羊に手を差し伸べない訳にはいかないでしょう。あなたにヒントをあげるわ」


「……ヒント?」


「あなた、その神原君と結構仲良いわよね?」


「ああ。まぁ。去年同じクラスでよくつるんでたからな。今でもたまに鈴と三人で遊びに行ったりしてる」


「それがヒントその一。ヒントその二は……今日は何日でしょう?」


 唐突な質問だな。


「今日? 2月11日、だけど」


「ということは?」


 ……と、いうことは。

 数秒の思考の後、俺の頭上に電球が浮かぶ。


「ははーん。流石に鈍い俺でも分かったぞ」


「そうよね。流石に分かるわよねぇ?」


「2月14日。バレンタインデーに神原にチョコを渡すために、予め好みを聞いてたんだな!!」


 そりゃあ事前に好きな人に好みを聞くなんて普通はやらないだろうが、あの超実践系女子の鈴ならやりかねん。

 これぞ、完璧なアンサーだろう。そう思いドヤ顔で成実の顔を見ると。


「……死ねば」


 メッチャ蔑まれた。侮蔑の視線を添えて。


「え、ええー……」


「死ねば」


「二回言わんでもいいでしょ」


「大事なことなので」


 二回言いましたってか?


「もう呆れた。私はもう関与しないから、あとは当人だけでなんとかして。鈴もそろそろ昼練から帰ってくるだろうし、この話題はおしまい」


 唐突に話を打ち切られてしまった。が、確かに良い時間だ。昼休みもあと5分ほどで終わる。


「……そうだな。じゃあ、俺トイレってくるわ」


「報告しないでいいわよ……」


 実は少し尿意を我慢していたため、小走りで教室を出てトイレへと向かう。あ、ヤバい便意も催してきた。


「……あなたの誕生日、2月13日でしょ」


 鈍感な二人の幼馴染を持つ苦労性の少女、首藤成実は、向かい合わせた机を戻しながら、そう、気だるげにつぶやいていたという。



 ◇ ◇ ◇



 成実からのヒントを基に答えを導き出し、一応納得したものの、実は胸の奥に引っかかりを感じ、悶々としたまま午後の授業を終えてしまった。


 家に勉強という作業を持ち込みたくないから、という理由で毎日行っている放課後の自習もあまり身に入らず、ノートを1ページも埋めないまま、夕日が地平線の向こうに沈み始めてしまった。


「そろそろ帰る時間、か」


 傾く日を眺めながら、その眩さに少し目を細める。頬付いて教室の窓際で夕日を眺める、というと、少し絵になる状況だろうか。


 そんなセンチメンタルなことを考えてしまうくらい、センチメンタルな気持ちなんだろう。長年の無自覚の片思いが、自覚した時には破れていた。そんな状況なのだから、それくらいは許されるでしょ?


 そんな風に自分を弁明していたら、気付いたら、視界がぼやけていた。液体が頬を伝う感触が確かにある。

 口元まで到達したその液体を舐めると、塩辛い味がした。


 ここまできたら、あとは言わなくてもわかるだろう。


「……泣いたのなんて、何年振りかね」


 人生初の失恋は、結構心にキたようだ。

 鈴あいつは、俺を好きにはならない。そう考えただけで、涙が自然と溢れてくる。

 涙にはストレス成分が含まれていて、涙を流すことでストレスを解消する、なんて話を聞いたことがある。

 それを思うと、なんだか涙を流すのがもったいない気がしたが、それでも止めどなく流れる感情の洪水は収めることができなかった。


 かれこれ、十分くらいは涙を流しただろうか。

 日は完全に沈み、外は暗さを増し続けている。


 漸く気持ちが落ち着き、涙も止まった。


「これでスッキリ、かな」


 とは、実際にはいかないけど、それでもある程度は割り切れただろう。

 涙の跡を拭き、荷物をまとめ、立ち上がった瞬間、教室の引き戸が開く音がした。


 咄嗟に振り向くと、そこにはまさかの鈴の姿が。


「あ」


 開口一番「あ」ってなによ。


「……部活はどうした」


「今さっき終わって、教室に忘れ物取りに来たの。そっちは、勉強?」


「ああ。今から帰るところだけどな」


「そう。……じゃあ、久々に一緒に帰る?」


 朝、怒らせてしまった割にはやけに気前よく誘ってくる鈴の姿を見て、思わず苦笑してしまう。

 これじゃあ、一人でむせび泣いてた俺がバカみたいだな。


「そうだな。久々に」


 帰り道は、お互いが気まずく感じているのか、口数も少なく、静かな時間が、二人の間を流れていた。

 が、道のりも終盤に差し掛かったあたりで、唐突に鈴が口を開いた。


「朝の、さ。アレって、どういう意味?」


 突かれたくないところを突いてくるねぃ。


「ああ……。アレは、忘れろ。俺の中ではもう決着がついたことだ」


 俺の言い分に納得がいかないのか、ムッとした表情で俺に突っかかってくる。


「何よ、それ。決着がついたって、どういうこと?」


「お前には好きな奴がいる。……それは否定しないんだろ?」


「……む」


「沈黙は肯定だろ。お前には好きな奴がいて、俺はそれを知った。だったら幼馴染として俺はどうするべきか。そりゃあ、応援してやるしかない。幸いにもお前が好きな奴は俺のよく知る人間だしな」


「……はぁ?」


 と、あんぐりと口を開けて呆然とした表情を取る鈴は、昼休みに成実がとった表情そっくりだ。こいつらなんだかんだ似てるところもあるんだな。


「なんだよ。なんかおかしなこと言ったか?」


 すると、鈴は今度はうってかわって笑い始める。


「ふふっ……。そーね。アンタが一番よく知ってる相手かもね」


 一番は言いすぎじゃね? そりゃあ、神原とは仲良いけど。


「プレゼントを渡すのも、おあつらえ向きの日が近くにあるしな。一緒に告白したらどうだ?」


「そう、ね……ふふふっ」


 さっきから何笑ってんだコイツ。


「うまくいったら俺にも報告しろよ? なんか聞きたいことあったらアドバイスしてやるからさ」


「そ、そうだね……。でも、もう全部知ってるから聞きたいことは無いかな……ふくく」


 そんなに神原のこと知ってるのかよ。俺が知らないだけで、大分深い仲までいってたんだな。あとコイツいつまで笑ってんだよ。


「……なにがお前のツボをそんなに刺激したんだ?」


「いや、別に……アンタって、超絶怒涛のどちゃくそあほ野郎だなぁって」


 その奇怪な罵倒を違う人から一日に二回聞くって中々無いと思うけどね。お前ら指し示してない?


「……まぁ俺も鈍感な人間ってのは自覚してるけどよ」


「自覚してそれー!? アハハハハハハハ!!!」


 今度はこらえきれなくなったかのように爆笑する。流石に失礼じゃない?


「なんだよお前……もういいわ。帰る」


「帰るっても帰り道同じよ?」


「チッ」


 もういいもん、走って帰るもん。……陸上部のアイツに走られたら勝ち目無いけど。


 が、鈴は俺を走っては追いかけてこないようで、笑顔で手を振っていた。


「じゃねー!! 告白の結果、アンタが真っ先に知るからー!!!」


 ……知るからーって言い方おかしくない? ふつう知らせるでしょ。

 走りすぎて脳筋になったか……と憂いながらも手を振って応答する。


 失恋はしてしまったが、何とか割り切れた気がする。

 朗らかに笑う彼女を見て、そう思えた。


 恋、いや愛はながらくそばにあったが、俺がそれに気付くことはできなかった。

 もっと早く気付いていたら、違う結末があったかもしれないとか、そんなことを考えても仕方ない。


 灯台と言えるほど立派ではない俺だが、下が暗いのは共通していると思う。

 だから、これからはしっかり足元の大切なものを見損なわないように、下を向いて歩いていきたい。

 もうこぼれる涙はないから、大丈夫なはずだ。


 今日からは目覚まし時計を殴ることもないだろう。

 新しいのを、買わなければ。

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灯台下暗し、愛はそこにあり。 相模原帆柄 @sagahara07

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